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Channel: まほろば自然博物館
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たんぽぽは山辺に一人座禅する

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 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇っていた。夕方からは雨の降る所があるらしい。気温は9度から17.2度、湿度は94%から62%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 112/65/82 36.4c-97% 64.4Kg 17.9c-46%-1015hPa 数字的には問題ないが、なぜだかおなかが張るような感じが続く。

 

 で、朝方には集落一周の散歩をやってきた。歩かないと歩けなくなってしまいそうだし、ますます運動不足が深刻になるようで。でも、何も変化がない集落だから気分転換にもならないような。

 

 このあたりの水田も稲作は行われて居らず、年に何回かトラクターが走り回って雑草を生やさない程度の管理になっている。やがてには耕作放棄地になるおそればかりだ。

 

 我が家のアジサイに若芽が吹き出してきている。世話もしないし水もやらないのに元気なことだ。

 

 これは何かと言えば・・・ペースメーカーである。四年前の今日、私の左胸に、このペースメーカーの植え込み手術が行われた日、つまりはペースメーカー植え込み記念日ということになる。別にそんな記念日を作らなくてもいいのだけれど。

 

 でも、私にしてみれば、これは重大な決心、決意が必要だった日。本当のことを言えば、こんなものは入れて欲しくはなかったのだ。けれども、二度にわたって、私の心臓が突然に止まってしまって大騒ぎになって、やむなく、本当にやむなく、同意するしかなかったのだ。そういう悔しい記念日。

 

 さて、お次は何をしようかと考えたとき、原点に戻って考えようと、観光ガイド自体のお勉強をやりなおそうではないか・・・ということで、「ガイド手習い帳」なるものを作ってしまおうということにした。

 

 なんでもやってみるものである。失敗したらやりなおせばいいだけのこと。やらないで後悔するよりかはずっといい。

 

 私たちは「養成講座」ということで13コマの講義を受けてガイドになったけれど、ガイド講座というのは1コマだけ。あとは歴史やおへんろ学みたいなことばかりだった。だから、基本の基本が理解できていないのだ。

 

 今日のお昼もおうどん。一見してラーメンに見えるけれど富山の氷見うどんである。卵とじ風になっている。朝食抜き、お昼は軽くおうどん、夜もご飯を少しばかりと小食なのに体重がぐんぐんと増える。食べないのがいけないというのだが、食べたくないので困っている。

 

 最近、巣箱にこういう鳥が遊びに来るのだが、鳥に関しても詳しくない。スズメやカラスくらいはわかるのだが、こういう小鳥は全く記憶の引き出しに入っていない。

 

 ということで調べてみたら、「ヤマガラ」という鳥らしい。 全長14cm。背・翼の上面は灰色、腹は褐色。頭は黒色と白っぽい淡い褐色の模様。体の大きさに比較し頭でっかちで、尾は短め。主に日本に生息し、中国の一部、朝鮮半島、済州島、台湾などでも繁殖しているらしい。日本では小笠原諸島を除き、ほぼ全国に分布するということだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「一輪の美しい花には誰もが足を止めるでしょう。しかし、それを咲かせた春風には誰も気づきません。私はそんな被災地の春風でありたい」というもの。現地で移動式喫茶店「カフェ・デ・モンク」を営み、人々の心に寄り添った通大寺住職・金田諦應さんの言葉からである。

 「息子さんを亡くしたという、あるご年配の方のご自宅に伺った際のことは忘れられません。仏壇の遺影に手を合わせると、その横に〝お父さんへ〟と書かれた手紙が置かれているのに気づいたのです。事情を尋ねると、息子さんの幼い娘さんが亡き父親の誕生日に送った手紙だといいます。そこにはこう書かれてありました。「生きていれば45歳だよ。3月10日の日にお父さんにお帰りって言ったのがうちらの最後の会話でした。最後にありがとうって言いたかった。……お父さん、いまどこにいますか。家に帰って来ているなら、たまに何か合図を出してね」この後、私は手紙を書いた女の子と避難所で会うことができました。屈託のない笑顔で遊んでいるところでしたが、私がそっと近づき、「大変な思いをしたね」と声を掛けると、みるみるうちに表情が強張り、外に駆け出して行ってしまったのです。もう夜も遅い時間でしたが、闇の中にすっと消えていく彼女の寂しい後ろ姿は、いまでも眼に焼きついて離れません。被災地では、そのような深い悲しみの現場に幾度となく立ち会います。その度に私は、もしかすると人の悲しみというのは、他人が支えてあげることなどできないのではないかという、暗澹たる思いに駆られるのです。しかし、それでも目の前に苦しんでいる人々がいる限り、私は宗教家としてその悲しみに黙々と向き合い続けていきたい。『一輪の美しい花には誰もが足を止めるでしょう。しかし、それを咲かせた春風には誰も気づきません。私はそんな被災地の春風でありたいと思うのです。』

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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