さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷の影響で曇るらしい。気温は11.8度から23.4度、湿度は94%から46%、風は2mから1mの西南西の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは雨が降る見込み。
105/67/87 36.3c-96% 65.4Kg 18.0c-49%-1018hPa 今日は身体が重たいし足がしびれて歩きづらい。体内に水分が溜ってきているみたいだが、その水を抜く手立てはないらしい。利尿剤で尿として排水するしかないという。
さて、昨日が立夏で、期間は20日頃までらしいが、空気は全く初夏そのもの。連日のステイホームでは歩けなくなりそうなので「朝ドラ」に行って来た。
奥方が、「このエプロンは、そのあたりのお地蔵さんに掛けてきてよ」と仰る。エプロンと言えばエプロンらしくもあるなぁと・・。でも、このあたりは「帽子+よだれかけ」で、よだれかけもご婦人のエプロンみたいにヒダ付きの立派な物ばかり・・・。
で、初夏のような大窪寺周辺までやってきた。大型連休明けだからか人影は全くない。
簡単に「お地蔵さん」というけれど、立派な建物内や頑丈な鉄柵なんぞがあって、簡単にはよだれかけも掛けてあげられない。ここは足場がいいので掛けてみた。
こういう具合になった。なったけれど、このあたりの「丁石(ちょういし)」と呼ばれるお地蔵さんは100体に余る。私の手元には10枚しかない。それに我が家の”まほろば地蔵”用に何枚かは残しておきたいし。
ここはほぼ中間地点の29丁石である。ここは、お地蔵さんのお話をする場所なので、ここにもよだれかけを奉納しておく。
少し曲がったけれど、足が不自由だから前から後ろに回ったり、また前に戻ったりと難しいものだ。
そうそう、今日はこのためにやってきたのではないのだ。前から気になっている「でべそ石」は何なのか・・・とか、
「砥石谷」の石・・・というものが関連があるのかどうか。こういう地質学は苦手な分野である。この砥石谷というのはどこにあるのかすらわからない。そういう下調べの為だった。
この36丁石のよだれかけも少しばかり左に寄っているかなぁ。センターはちょうどに合わせたのだけれど。
ここまできて、山寺さんにご挨拶しないのもアカンなぁとやってきたが、相変わらずおへんろさんの姿はない。
これは、歌碑の上に刻まれた「お大師さん」。「へ・・、お大師さんもよだれかけをするのか・・」と見つめていた。普通、よだれかけはお地蔵さんのものである。自分の子どもが健やかに育つようにという願いを込めて奉納したものだというし、早くに亡くなった赤ちゃんのよだれかけを掛けて、その匂いを覚えてもらおうとしたとも言う。
ま、よかろうわい・・と、お大師さんにも奉納しておいた。
今日の掲示板はこれ。「グーは人を殴る手 パーは人を撫でる手 グーはパーに勝てない」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。その言葉の後に、「手と手を合わせて合掌」という言葉が続く。相手にダメージを与えるために力を込めて拳を握って「グー」で殴りつける。時には激しい言葉を伴いながら、その顔は、鬼のように恐ろしい形相をしていることだろう。心の中もきっと、怒りや嫉妬の炎で燃え上がっているのだと思うことだ。逆に「パー」で頭を撫でるときは、やさしくふんわりと、いたわりのこもった言葉を伴って、笑顔で撫でることだろう。心の中も穏やかで、相手を思いやる慈悲の心に満ちているのだろう。さらにその「パー」の手と「パー」の手が合わさって合掌の姿勢になればいい。日本では仏様を礼拝する時や「いただきます」の時に合掌するけれど、敬いの気持ちや、感謝の気持ちを表す姿勢である。お釈迦さま(釈尊)のお生まれになったインドでは、その合掌の姿勢で「ナマステ」と言いあう。右手が清らかな拳、左手が汚い手と考えられてもいるが、その清浄と不浄のどちらも持ち合わせた、「私」全体で「あなたを敬います。あなたを信用します。」ということである。仏教では「すべての生きとし生けるもものはつながっている」と縁起の教えを説いている。確かに衣食住どれをとっても私ひとりで手にいれたものはない。だとすれば、恩を返し、恩を送っていくための、「パー」の世界、「合掌」の世界を、私からみんなに広げて行こうとすることが大切な生き方ではないだろうか。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。