さぬき市地方は、湿った空気の影響で曇っていた。気温は14.4度から20.5度、湿度は86%から68%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方からは雨となる見込みらしい。
106/57/79 36.5c-97% 63.8Kg 18.6c-48%-1014hPa 体調に変わりはない。
じっとしていればなんともないのだが、少し動いたり重いものを持つと、とたんに呼吸困難になってくる。肺に水の溜る胸水のせいとおなかに水の溜る腹水の影響らしいが、これはどうにもならないというのであきらめざるを得ない。心臓が古くなっているせいなので手術は無理だとのこと。
昨日はさぬき市多和の菅谷(すげたに)の生駒甚助の話だったが、これは東かがわ市五名(ごみょう)と徳島県阿波市の県境(実際には徳島県阿波市市場町大影)にある「境目(さかいめ)のイチョウさん」の話で、そこには、「大坂夏の陣で敗れた生駒讃岐守の弟甚助正信が徳川方による残党狩りを逃れてこの地に隠れ住んだが、発見され、このイチョウの下で切腹自害したこと」などが記されていた。
東かがわ市白鳥の与田神社に残る『若一王子大権現縁起』には享保年間の記載があることから18世紀以降のものとされ、ここにはつぎのようなことが記されている。「 銀杏樹在 寒川郡奥山長野。因国君生駒讃岐守俊正公弟, 生駒甚助某受 封於大内郡而居引田与治山城。 慶長十九年 応大坂召予兵而往拠城 明年元和元年夏五月七日城陥。於是甚助逃帰而匿奥山 俊正公属関東 故尋求執而誅之 葬諸銀杏樹下」意訳すると「銀杏の木が寒川郡の奥山長野にある。讃岐国藩主生駒俊政の弟・生駒勘助は、大内郡引田与治山城を治めていたが、慶長十九年の大坂の陣に豊臣方を支援し、大阪城に参陣するも破れ、明年元和元年夏五月七日に大阪城が陥落すると讃岐に逃げ帰り、引田の奥の山に逃げ隠れた。藩主俊正は関東の家康方についたので、弟の勘助を探索し捕らえ誅殺した。そして銀杏樹下に葬った」とある。おおよそ、これで理解できる筈である。
さて、デスクワークばかりをやっていると運動不足で内臓脂肪がどんどんと増えているようなので、気分のいいときには軽い運動でもしないといけない。そこで、この芝生広場の草刈りをやってみることにした。
私はペースメーカー植え込み手術をしているもので、エンジン式の草刈り機は使えない。そこで、このバッテリー充電式の草刈り機を愛用している。
こういう草刈り機で、案外とバッテリーが重いので大丈夫かなとは思ったが、平坦な場所で水平に草刈りをすることは少しも苦しくもないし呼吸困難になることもなかった。
だから、20分ほどでここの草刈りはできた。
ものはついでだからと、続いて裏庭あたりの草刈りをやってみることにした。右のサツキと左のおかめ蔓が伸びて伸びて仕方がない。切っても刈っても生えてくる。
こんなにさっぱりとした。
勝手口から浄化槽あたりもおかめ蔓が伸びて伸びて、朝方は朝露で歩けないくらいになっていた。
ここもさっぱりと刈り払っておいた。
勝手口あたりも草を刈っておいた。でも、奥方が帰ってきたら、また、叱られるんだろうな。「緑がいっぱいあるほうが心ゆたかになるでしょうに・・」とかなんとか。確かに緑が多いのはいいのだが、雑草はあかんだろうと思うのだけれど。
今日もお昼はおうどんになった。富山の氷見うどん細麺である。私的には食べやすくておいしいと思う。
今日の掲示板はこれ。「恵まれすぎて人生をつまづいた人もあり 逆境から立ち上がった人もある」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。確かに過去から学んできた英雄とか成功者とかのなかにも、そんな人はざらにいるし、毎日毎日のニュースの中にもそんな人はごまんと居る。どちらだっていいのだが、最後には「しあわせだったよ」と死んでゆける人こそ、人生の成功者だと思っていたい。そういう人生でありたいと思う。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。