5日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.5度から35.4度、湿度は92%から66%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から曇り、雨や雷雨となる所がある見込み。
104/56/78 36.5c-97%-60.4Kg 室温27.6度-室内湿度79%-気圧1010hPa。体調に変化はない。おなかの張りも重みもないし、足のしびれもむくみもない。けれど、少し歩くと動けなくなるのは心臓病が進行している証拠らしい。これはもう、どうしようもない。共存していくしかない。
昨夜も1時間ごとにトイレに起きたので身体が軽い。おなかも軽い。全て体内の水分管理にかかっているということである。だからと言って水分を控えたら熱中症の心配もある。
朝方は恒例の涼しいうちのお勉強。古い遍路道探しの総まとめ作業に掛かっている。かと言って私は歴史学者ではない。単なる民俗研究家のはしくれである。古いからと言って歴史のお勉強ではない。
つまりは「おへんろ文化の変遷」という分野のお勉強である。今でこそお遍路というと宗教上の修行みたいに思われているが、江戸時代から口減らしや不治の病に侵されて故郷を追われた人たちがいた。仕事を奪われ、家を追われ、故郷を捨てざるを得なかった人たちが大勢居た。死ぬまで四国を回り続ける人たちもいた。
そうそう、出掛ける前に酒屋さんに寄ってきた。来週の八月十四日の土曜日に、我が家で「盆礼」というお盆の行事がある。いつもは「いつするの」とか「いつ行けばいいの?」と声がかかるのに、今年は誰も何も言わない。けれど、八月十四日の午後用に、生ビール19㍑を注文しておいた。
そうそう、先日、歴史研究家の篤秀先生が、「みぞおちの滝の手前に遍路墓があるのですが・・」という話をしてくれたのを思い出していた。
こういう、さほど大きくはない滝である。子どもの頃に、年に二回の大窪寺詣での時に、この滝の横を通りながら滝の音を聞いたものだった。さほど珍しい滝ではなかった。「大窪寺詣で」・・・と言うても、春と秋のお中日に市が立って出店が多く出るので、それが楽しみだっただけのことである。小学生がお寺参りなんぞする訳がなかった。
そうは言うても周りは山ばかり。そんな山の中で遍路の墓なんぞ見つかるもんか・・・と思いながら山肌を見ながら走っていると、「お!」と声が上がった。これはお墓ではないか・・・。左手の自然石を置いただけのものもお墓である。その数十余り・・・。ここは昔の墓地だったのか。
お遍路のお墓かどうかは地名でわかる。この人は「藝(劦)州佐伯郡大野村清助」だろうか。いずれも彫りが浅くて読めないものがほとんど。藝州というのは安芸の国、今の広島県佐伯市ということになろうか。でも、広島からのお金持ちのお遍路さんが、このあたりで亡くなったというのは理解できる。
こちらは「江(劦)州草津四丁目」からのお遍路さんである。今の滋賀県東近江市あたりになろうか。ここまで来て疲れ果てたのか、おなかをすかせて歩けなくなったのか。草津からどういう訳があってお遍路になってきたものか。
で、その近くにあった「あかの淵」というものものぞいてみた。
こういう川である。伝説・伝承には、その裏の物語がありそうなもの。
お昼前になると全くの夏空になった。
今日のお昼もまた「うな丼」になった。単に真空パックのうなぎを湯煎して乗せてあるだけである。でも、山の中を歩いてきたのでおいしくぱくぱくと食べてしまった。
今日の掲示板はこれ。「どこか何か 人の世狂い 原爆忌」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったことばである。明日はヒロシマの原爆忌。今年も広島は暑いに違いない。私も15回ほど、つまり、15年、ヒロシマの「平和祈念式典」には出掛けたもの。いつもいつも暑い熱いヒロシマだった。こんな暑い夏こそが、広島の夏だなぁと思うことだった。それにしても、最近のニュースは異常だと思う。各地で戦闘は続いているし、爆撃も砲撃も行われている。自死や殺人は後を絶たないし、誹謗中傷、盗撮や詐欺が日常化してきている。どこかで私たち人類は「こころ」を失ってしまったのではないか。どこかで、アクセルとブレーキを踏み間違えたのではないのか。「平和」とは一 体、何なのか・・・。そんなことを考えた今日だった。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。