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Channel: まほろば自然博物館
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夏雲に凝る肩揉んでお茶にする

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 26日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃は雨や雷雨となる所があるらしい。香川県では、26日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごすよう呼びかけている。気温は24.4度から32.9度、湿度は92%から70%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 109/63/78 35.9c-98%-62.2Kg 25.3c-86%-1014hPa 体調に変化はない。

 

 最近は奥方がずんやりと我が家にいるからか、肩こりが激しい。そんなことはないでしょう・・と言うのだが、外に肩こりをするような出来事の変化はない。少しずつだがストレスが溜ってくるのかも知れない。

 

 気分転換に布団を干してみた。何からでも変化を付けていかないと・・・。この頃はさっぱりとした夏の朝なのだが、やがてには猛烈な湿度が襲ってくるようになる。

 

 朝、奥方の姿が見えないと思うと、早くもよちよち歩きで野菜畑で野菜の収穫をやっている。もう、松葉杖はいらなくなった様子。買い物用のマイバッグを提げて野菜を収穫してきたのである。この小さなナンキンは「ぼっちゃんナンキン」、黄色い花びらは「花オクラ」。

 

 で、午前9時前から県道の防災工事が始まって、山肌に生えている雑木の伐採やら材木の搬出作業である。チェーンソーやら重機の動き回る音がにぎやかに聞こえてくる。一方、さぬき市道側では水道ポンプ交換工事が行われている。ま、降って湧いたように静かな山里が騒音の渦の中に取り込まれてしまったような感じ。

 

 ま、窓を閉めて冷房を掛けていれば、気にもならないくらいな騒音である。でも、奥方は冷房も入れず、窓を網戸にしたまんまで寝て居るのだからしたたかなものだ。

 

 だから、気分転換に出掛けてみた。「お茶のペットボトル2㍑のものを2本、買ってきてね」というのが出掛ける口実だが、それを買ってから電機屋さんに寄ってみた。こちらも開店すぐだったから、店内にお客さんはいない。

 

 で、今度はインクカートリッジの購入である。これだけでも一万円弱になる。

 

 それに印刷用紙も。だから、印刷代だけでも一ヶ月で相当な金額になる。ま、趣味というか道楽だから仕方がない。

 

 だと、奥方が「エアコンが冷えないの。フィルターが汚れているんじゃないの?」と、前々から言われていたのだけれど、私は退職以降、高いところは苦手になったのである。さんざん、お仕事では5m前後ばかり、時には10m、20mと昇ったこともあるし、高所作業車で平気で作業をしたのだけれど、退職以降は2mのハシゴが怖くて登れない。

 

 フィルターも、そんなには汚れていないのだが、奥方はきれいに洗って乾燥してくれた。その時にフタの角度が変わって風向きが真下にだけになっていたのを上向きにしたのか、よく冷えるようになって、今度は寒い・・と言い出した。でも、電源を切ったら元通りの下向きになってしまった。

 

 で、ご褒美というか奥方の手抜きなのか、今日のお昼はここになった。うどん亭「いわせ」という一般店である。ここも久しぶりである。というのも、奥方の休みがなぜか火曜日になるので、ここの定休日とかぶったからである。

 

 で、奥方はいつもの「かけうどん」とおでん三本である。私は、この、「冷やし梅ぶっかけうどん」で、580円だった。真ん中下の黒いものは「しいたけ」である。ま、「梅わかうどん=「梅干し」+「わかめ」うどんに冷たい「つけ出汁」を回しかけたものである。夏らしいさわやかなおうどんである。

 

 今日の掲示板はこれ。「世の中は 浮きも沈みも 苦も楽も 心の船の 舵のとりよう」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。故菊乃家〆丸さんのセリフからである。チンドン屋歴約80年の人。2011年3月16日急性心不全で死去した。92歳であった。本名:大井正明さん。東京は下町、墨田区曳舟界隈に生まれて、92歳で亡くなるまでそこで暮らし続けた。職業はチンドン屋。芸名の菊乃家〆丸(きくのやしめまる)の方が通りがいいかもしれない。亡くなる直前まで実に75年間ほどチンドン屋一筋の人生を歩まれた。「変わらない」ことを貫いた一生だったと言っていい。太鼓や鐘で人目を引いて、新店の開業や催しを宣伝して練り歩く。戦前には東京市内に2000人ほど同じ稼業の仲間がおり、同じ町内にも数軒のチンドン屋があった。ところが新聞の折り込み広告が盛んになるにつれて仕事が減った。同業者が次々に廃業していく中で、ただ1人黙々と仕事を続けていた。チンドン屋も紙芝居屋もラオ屋も「いかけ屋」もなくなった。まさに浮き沈みの中で消えていった人たちだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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