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Channel: まほろば自然博物館
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本降りとなってしまってススキの穂

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 2日のさぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、断続的に雨や雷雨となっていた。昼過ぎまでは激しく降る時間帯があった。気温は24.5度から25.6度、湿度は76%から90%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の3日のさぬき市地方は前線や湿った空気の影響で、雨や雷雨となるらしい。

 

 105/54/78 36.4c-97%-62.6Kg 25.7c-83%-1008hPa 体調に変化はないが、今日は湿度のせいか呼吸困難になることが多かった。肺炎の兆候はない。

 

 今朝方から未明に掛けても大きな音で雨が降っていたが、明るくなってもまだ雨だった。讃岐には雨が少なくて水不足だ高松砂漠だと言われてきたが、今年の雨はいつまでも降るみたい。

 

 まるで梅雨時みたいに降ったりやんだりを繰り返している。奥方は野菜やお花に水をやらなくていいので楽でいいわ~と喜んでいる。

 

 私は夏休みの宿題ができあがったので、今度はお遊びのようなことをやっている。俳句集を大幅に削ったり書き直したりしたものをまとめてみた。まとめたからと言って、誰に見せる物でも、誰にあげるものでもない。

 

 で、表題をこれにしてみた。俳句をはじめたころは「まほろば」とか「十法」とかいう俳号を使っていた。俳号らしくないタダの「詠み人」である。「まほろば」というのは「まほろば工房」のまほろばだし、「まほろば自然博物館」の「まほろば」だったが、いつの頃からか「法名」の「暁光」を使うようになって、「まほろば」や「十法」は消えた。

 

 ちなみに「十法」は、ライターの「ジッポー」をもじったものだったが、タバコをやめてからはライターも使わなくなってしまって「十法」も消えた。

 

 そういうことから、「おかえりマホ」という表題にしてみた。「帰ってきたまほろばさん」という意味である。

 

 もう一冊の「俳典」は、「俳諧における題材と表現の研究」 ・・・というような意味である。深い意味はない。

 

 これらにも、こういう表紙をつけるとそれらしくなる。

 

 その間にも、防災研究用の「携帯トイレ」とか「聴診器」とか、昨日なくなったインク・トナーの予備品なんぞが続々と届く。

 

 宅配便屋さんも大忙しである。だから、うかうかとトイレにも籠もってばかりはいられない。

 

 奥方が、「もう、メインの食材がなくなったから、今日は卵かけご飯よ」と言うが、毎日、おうどんやおそばばかりも身体に良くないかなぁと、昔なつかしい玉子かけご飯をいただくことになった。

 

 その食後、「お買い物に行くのでお願いね~」というので出掛けることにしたが、ふと、メガネを忘れたので自分の部屋まで戻ったが、「バタン」とドアが閉まったのを確認して車を走らせて5分ほど。すると携帯電話に、「私、まだ乗ってないの・・・」という。後部座席を見ると誰も居ない。で、家まで戻って奥方を乗せてから買い物に出た。

 

 で、どうにも運転しづらいなぁと、よくよくメガネを見たら老眼鏡だった。老眼鏡では危険で運転できないではないか。私は「乱視矯正メガネ」というものを使わないと、ものごとがはっきりと見えないのだ。そんなこんなで、どうにかお買い物はできてすんだ。

 

 その後、私の俳句の総集編ともいうべき俳句集を作ってみた。表題は「僕のほそ道」という・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「偶然の出会い 必然の別れ その中に人間は生きている」というもので、いつもの赤松先生のお寺にあった掲示板からである。「偶然の出会い、必然の別れ。その中に人間は生きている。だからこそ、人は出会いを大切にしなければならないのではないだろうか。別れが必然だから、人はかろうじて優しくなれるのかもしれない。」松本梶丸師がある本の中でこんな言葉を書いておられた。「一期一会」という言葉がある。一生に一回の機会という意味である。よく人と人との出会いを表す言葉として使われるのだが、出会いは偶然、別れは必然 だからなんだろう。人が避けられない苦しみの一つとして愛別離苦という言葉があるように、死が必然である以上、別れも必然なのである。出会いの奇跡、出会いの大切さは、別れが教えてくれるのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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