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Channel: まほろば自然博物館
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そぼ濡れて一雨ごとの涼しさや

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 11日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、一日中雨が降っていた。気温は21度から27.7度、湿度は74%から90%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼前から昼過ぎにかけて雨の降る所がある見込み。

 

 114/60/78 36.2c-98%-61.8Kg 26.0c-73%-1015hPa 体調に変化はない。

 

 昨年の2月、「あなたに施すすべはなくなりました。後はあなたらしい人生を過ごしてください」と死の宣告を受けてから1年半が過ぎた。今のところ、三途の川は見えないし閻魔大王さまからのご招待もない。まずは平穏に一日一日を過ごしている状態。

 

 だから毎日のバイタルサインの確認は大切なこと。今のところ問題はない。

 

 これが内科のドクターに提出する「心不全日記」である。先の数字は昨年の数値で、これと比較しながらバイタルサインを確認している。

 

 こちらは内科の看護師さんに提出する「日々管理表」である。この日は何をどうして数値が変動したかを記録したものである。いまのところ、体調は安定している。

 

 ということで、私の「自分史」を記録している最中で、今はまだ小学生時代の記録である。小学生の頃なんて記憶にない・・・と思い込んでいたのだが、あれこれと資料を探し出してくると、さまざまな思い出が浮かび上がってくる。それを記録している訳だ。私の生きた「証」である。

 

 これがいつ頃のものかはわからないが、昭和の四十年代から五十年代ころだろうか。この木造二階建てのものが我が母校である。松尾村立松尾小学校と言った。

 

 これが、その頃の商店街の画像である。小学校を出たら、こういう商店街があった。学生服や帽子や水泳パンツなどを、みんな、この「国方」というお店で買った。文房具は、「アサヒ靴」の「川北店」で買った。パンやお菓子などもここで買った。小学生にはなくてはならないお店だった。

 

 これは、さらに手前の画像で、丸い建物が映画館の入場券売り場である。そのすぐ横から左に入れば小学校の正門になった。「明るいスクリーン 楽しい王子座」という看板が見える。ヒロセ写真館は、遠足や運動会や修学旅行、卒業式などの写真撮影を担当していた。このさらに手前側に「橋本文具」や酒店、駄菓子屋などが並んでいた。

 

 これが私のクラスだった。「準日本一表彰記念」とあるが、これは大層立派な賞だとは後で知った。「純日本一」ならめでたいが、「準」では二番目じゃないか・・と大層不満に思ったことだった。男の子は黒い学生服に丸坊主ばかりだった。こういう写真を眺めていると、湧き出すように小学生活が思い出されてくるのである。

 

 もう、この木造校舎はなくなって鉄筋コンクリートになって、今は廃校になってしまっている。だから、こうした木造校舎の写真を集めながら、あ、ここではこうした、廊下で相撲をとって叱られた・・・と思い出すのである。

 

 懐かしいコッペパンである。今でもコッペパンというのはあるのだろうか。病気などで休んだ子どもには、これをわら半紙で包んで家まで持っていったことも思い出すし、欲しくないときには内緒でカバンの中に隠して持って帰ったが、出すのを忘れて何日もカバンの中で粉々になっていたりした。

 

 そうそう、家庭科の料理実習では男の子もカレーライスを作ったこともかすかながらに覚えている。もっぱら野菜の皮むきとかばかりをやったような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「「できない」と「やらない」を混同しない」という大塚全教さんのことばから。大塚全教さんは大正7年広島生まれ、4歳で小児麻痺を患い、両手の自由を失い、昭和14年、大石順教尼に弟子入りした。ご両親の心からの介抱で6歳には歩けるようになるが、両手は動かなかった。しかし、左手は肘から先は感覚が戻る。小学校に通うことはできたものの、その後は家で鬱々と暮らすうち、漠然と死を考えるようになった。そんな時、ひとつの新聞記事を見つける。両手のない尼僧が身体の不自由な人を引き取って絵を教えているという記事だった。口に絵筆をくわえて絵を書いている写真も載っていたと言う。その人こそ、明治38年に大阪の遊郭で起きた一家五人惨殺事件で、養父に両手を切り落とされた大石順教先生だった。全教さんは順教先生に便所掃除を頼まれる。しかし、両手の使えない全教さんは「できません」と答える。順教先生は井戸に連れて行き、背中でポンプを押し上げ、脇に挟んで押し下げてみせる。しかし、勢いがないので、水はポタポタとわずかしか出ない。でも、水は汲める。次はバケツの水を運ばなければならない。左手の肘から先しか動かず、力が弱いため、持てるだけの水がバケツの底にたまったところで運び、便所にもうひとつバケツを置いておいて、それにあける。それをくり返すことによって、バケツ一杯の水が運べることを教わる。「あなたはできないと言うが、できないのではなくやらないだけ。やらなくてできるはずがありません。人間、やればできないことはない。できないとやらないを混同してはいけませんよ。」順教先生の言葉が身にしみて、目の前がパアッと明るくなったそうだ。私たちはとかく面倒なことは「できません」と逃げる。しかし、どうしてもやらなければならないことからは逃げられない。どうにかしてやらなければならないこともある。今の私だってそうだ。しめ縄を作れと言われて「できません」と言える間は良かったが、どうにも逃げられなくなると「やらなくてはならなくなる」。「できない」と「やらない」を混同してはならない時もある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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