12日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で概ね曇り、一日中雨が降ったり止んだりを繰り返していた。気温は22.6度から26.7度、湿度は82%から90%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。
107/63/78 36.3c-98%-63.2Kg 25.6c-76%-1014hPa 体調は・・少しばかり飲み過ぎの食べ過ぎの寝不足気味。
昨夜は孫のはやて君となぎちゃん(いずれも大学生)と娘の三人がやってきた。
名目は奥方の「けいこばぁ」のお見舞い・・・ということである。けいこばぁは大満足で満悦至極。きれいな花束を頂いて笑顔がこぼれっぱなし。
で、飲んで食べての夕食会。私の若い頃の、BBSだのニフティサーブのお話から、けいこばぁがプログラマーとしてコボルやフォートランをやっていた・・ということで大盛り上がり。昭和から平成に変わる頃だっただろうか。ずいぶんと昔の話であった。
で、私は6時半から出事ということで、集落の「山の神」さんのお掃除とおまつりに参加してきた。今はもう、誰も山に入る人も居なくなったし、山の雑木で煮炊きをする人も居なくなったが、依然として集落の懇親会みたいにささやかなおまつりをやっている。
で、落葉なんぞを掃き清めてさっぱりとした境内。この石組みは昔、ここに拝殿があった跡。今はいろんな娯楽や情報交換の場があるが、昔はここに籠もって一晩中、世間話にうつつを抜かしたことだと言う話。
お掃除が終われば、長老の先導で、二礼二拍手一礼をしておしまい。あとはお塩とお饌米と御神酒をいただいて解散になる。全てが終わったのは7時15分だった。
家に帰れば雨がザーザーと降ってきた。まだ、孫たちはぐっすりと夢の世界だった。
さて、自分史をまとめている時、あの頃の我が家はどうなっていたのだろうと、思い出しながら、山の旧宅(それも母屋)の間取りを思い出しながら書いてみた。昭和12年に建てた田舎の農家の間取り図である。
それができたら、清書をしてみた。清書にかかったが、商売道具だった製図用具などは「終活」で処分してしまったし、製図用の鉛筆やらシャープペンシルなどもどこに行ったか行方不明。なんとかかんとか書き上げてみた。
大まかな概略図である。それに老人性なんたらで目はかすむし、指先はふるえりし・・・で、満足な絵にはならない。ま、自分史のカット(さしえ)くらいにはなるかなぁという程度。
これにエディターで文字を入れてみた。それらしくなったように見える。お次は牛小屋あたりを書いてみようかと考えている。
今日の掲示板はこれ。「掃けば散り 払えばまたもちり積もる 人の心も庭の落ち葉も」というもの。僧侶にとって、庭の落ち葉を掃くことは、自分の心を掃き清めることに通じるという。釈尊の弟子に、チューリーパンタカ(シュリハンドク=周梨槃陀迦(しゅりはんだか))という者がいた。ものを覚えるのが苦手で、一説には自分の名前さえ覚えられなかったという。そんな彼に、釈尊は「きれいにしましょう(塵を払わん、垢を除かん)と教えたという。シュリハンドクはひたすら庭掃除に励んだことである。あるとき、彼は、庭掃除が自分の心の掃除に通じることを悟るのである。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。