12日のさぬき市地方は、前線の影響で曇り、雨や雷雨となっていた。気温は22.8度から25.6度、湿度は94%から76%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、前線の影響で曇り、夕方を中心に雨や雷雨となる見込み。
114/60/81 36.2c-96%-63.6Kg 25.9c-75%-1023hPa 体調に変化はないが足腰がだるくて重い感じ。気圧の加減だろうか、湿度のせいだろうか。
数字的にはなんら問題はない。ドクターに言わせれば「お年ですから・・・」の部類かもしれない。
昨夜からの雨・・・。防腐剤を塗ってからちょうど2時間後の雨。大丈夫かなぁと思ったけれど、今のところ流れたり薄まった気配はない。雨が上がって乾燥してからの判断になるけれど。
奥の方はシンボルツリーの楠の枝の陰になっていて、雨に濡れていないところ。やや、防腐剤が足りなくなって薄くなったところかも知れない。
10月も上旬を過ぎてきたので、来月分の観光ガイド大窪寺班の準備にかかってみた。これは先日の勉強会の議事録である。お互い、昨日のこともわからなくなるお年頃ばかりなので、記録を残しておくことは大切なこと。これを来月の勉強会で復習をするつもり。やったことを覚えている人は少なくなった。
これが来月の議題の準備。復習の復習の復習みたいなことばかり。
で、忘れない間に、来月分の会場の予約に行ってきた。予約をしたつもりでもうっかりと・・・ということのないように。先だって、先や先やとやっておかないと忘れてしまうのだ。
その足で、遍路墓を探してきたが、小雨の中ではやりにくい。草むらには入れないし、田んぼはぬかるみだしと。このお墓が気になっているのだけれど、風化が激しくて読み取れないのだ。「釈 清・・・」なったらで、十二月・・・というのはかろうじて読めるのだけれど。土地の人のものか、おへんろさんのものかはわからない。
これも桜らしいが、十月桜なのかどうかはわからない。
この時期には「山つつじ」も咲くころだけれど、これは秋つつじなのか二度咲きなのか・・・。
我が家の金木犀は二度咲きになっている。私自身も朝はセーターに暖房のエアコンで、お昼は半そでのクーラー生活で鼻水が流れて止まらない・・・。夜はまた暖房を入れて冷たいビールを飲んでいる。何が何やらわからん時代になったものだ。
で、その帰りに、この「こがね製麵所寒川店」に寄って見た。先月上旬に開店したばかり。少しはお客さんも落ち着いたみたい。
誰かさんが、フェイスブックで毎日毎日「温玉ぶっかけ」を食べているのを見て、「毎日、飽きないことやなぁ」と眺めていたが、そういえば私だって、毎回毎回、「温玉ぶっかけ」ばかりを食べていることに気が付いた。
ここもトッピングはフリーで、天かすとネギ、ワカメは自由にトッピングできる。(大きな声では言えないが、小さな声では聞こえない。このおネギの下にあるおうどんは、時間が経ってお店では出せなくなったおうどん。犬の餌用にいただいて帰れるもの。ただし、ここでお食事をした方限定)
これが「温玉ぶっかけ小の温いん(320円)」においなりさん(100円)で420円。ちなみに「温いん」というのは、「温かいおうどん」という意味で「冷や」に対することば。一時期流行した「そのまま」というのは、ここにはないみたい。温めもせず、冷やしもしないそのままの麺・・・という意味。さらに、小は一玉、中は二玉、大は三玉・・・で100円ずつアップである。
今日の掲示板はこれ。「本当にだいじなものは隠れて見えない ささやかすぎる日々の中にかけがえのない喜びがある」という竹内まりやさんの「いのちの歌からで、いつもの東讃教区第一組正行寺、赤松先生のお寺の掲示板からである。「本当に大事なものは隠れて見えない」のである。その象徴が時間であり、とりわけ健康を成立させている生命内部の時間をあげることができるという。竹内まりやさんの「いのちの歌」にも「本当に大事なものは隠れて見えない」との一節がある。我々の命は肉体面では見えるけれど、精神面や大事な面は見ることができない。その大事な面として一瞬でも途切れたら生きては行けない生命内部の時間があげられる。つまり時間は本来、宇宙や生命のような自然界で生み出されており、生命内部の時間が生み出されている仕組みの一端を示したのが体内地動説だという。すなわち時間が生み出されるには運動が不可欠で、また運動にはエネルギーが不可欠である。このため時間は結局のところエネルギーが形を変えたものなのということになる。
このように、「本当にだいじなものは隠れて見えないもの」はほかにもたくさんある。空気や熱や光や思いやりや慈しみや悲しみや・・・。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。