22日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、夜は雨の降る所があるらしい。気温は13.3度から19.5度、湿度は66%から58%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
血圧116/68、脈拍79、体温36.3度、酸素濃度98%、体重64.4Kg 、室内気温20.4度、室内湿度53%、気圧1015hPa 少しばかりおなかが張る感じで足が重い。
数字的には問題はないので何が原因なのか。水分だって夏みたいにがぶ飲みはしないし、食べるものも多くはない。
今日も裏庭の草刈りから始めてみた。少し動けばおなかも楽になるかなぁと思うだけのことだ。体重だって増えたり減ったりしているし、運動不足かなぁと思ってのことだ。で、このこんもりとしたものをやっつけてみようと考えた。
表面をおかめ蔓が覆いかぶさるように育っている。これを剪定ばさみで切り刻んでいくわけだ。
こういう根っこが複雑にからみあって育っている。これを根気よくはさみで切っていくわけだ。
だと、出てきたのは生ごみ用のコンポストである。母が健在のころには、ここに生ごみを入れて腐葉土にしていたのだが、母がいなくなると使われなくなってそのままになっていた。その栄養分を求めてツタやかずらが集まってきた・・という訳。使わなくなったのだから、これを処分したいのだけれど、はてさて・・・。
ついでに、この手前に生い茂っているおかめ蔓も刈ってみた。奥方が大切にしていた蔓バラが飲み込まれてしまっているので救援をしようかと。
ま、一週間もすれば草も枯れてきて落ち着いた裏庭になってほしいものだ。
で、今日のお昼は久々に、さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」に寄ってみた。ここは「一般店」だから、席について待っていたら注文を取りに来る。おうどんを注文すればおうどんが運ばれてくる。だから、少しばかりお値段がする。
こういうお店だから「温玉ぶっかけ小の温いん」というものはない。で、天ぷらうどんをお願いした。これで750円だから普段のお店の倍もするおうどんである。
で、ついでにホームセンターで新しい鎌を買ってきた。長い柄のついた「刈り払い鎌」である。これだと立ったままで草刈りができる。私はしゃがんだり、座ったり、中腰になったりすることができないのである。
で、裏庭の最後の部分の草刈りを始めたのだが、午前中の疲れなのか、連日の疲れなのか、呼吸困難になって作業を中止。そんなに心臓がバクバクするほどの作業ではないのに脈拍が異常値を示してアラームが鳴ったのでやめた。
だから予定の半分ほどでギブアップ。金曜日の午後からだと、担当のドクターはいない。明日は土曜であさっては日曜・・・。しばらく休んだら回復するだろうか。
今日の掲示板はこれ。「人は人 吾は吾なりとにかくに 我が行く道を吾は行くなり」という西田幾多郎先生の言葉から。自分が進むべき道をただひたすら歩みつづけた人の、確固たる信念を示す言葉である。彼は初期の著作『善の研究』において「知は愛、愛は知である」と書き、「我々が自己の好む所に熱中するときはほとんど無意識である。自己を忘れ、ただ自己以上の不可思議力が独り堂々として働いている。このときが主もなく客もなく、真の主客合一である。このときが知即愛、愛即知である」と説いている。この歌は、西田が散策しながら思索にふけった京都、琵琶湖|疏水のほとり、「哲学の道」の中ほどにある石碑に刻まれている。西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日〈明治3年4月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉6月7日)は、日本を代表する哲学者である。著書に『善の研究』など。京都大学名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。