25日のさぬき市は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が終日降っていた。気温は13.5度から14.5度、湿度は86%から74%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
108/58/77 36.4c-97%-63.6Kg 17.4c-53%-1028hPa 体調に変化はない。
いつもより夜明けが遅いと思えば雨だった。だから起きだしたのは7時前になっていた。ずいぶんと寝坊になったもんだ。
朝からずっと雨である。奥方はお休みだからと、これまた朝寝坊。ま、さしあたって行かなければならない所もないし、やらねばならないお仕事もない。
ふと見ると、姿勢がよくない蜘蛛だなぁとみていると、これは女郎蜘蛛がカメムシを食べている(体液を吸い取っている)ところらしい。蜘蛛もそろそろ子孫を残さないといけないので貪欲に食事をやっている。
ということで、思い出したように「自分史」の編集に取り掛かった。ほぼ、テキストは書きあがっているようなので、画像やイラストを入れることにしてみた。下手に画像を入れると、本文が飛び回ったり画像が思わぬ位置に飛び込んだりする。
で、センターで体調管理をやりながら、左のマシンで自分史の編集作業をやっている。右側が画像の収集やら整理をしながら、クラウド上で作業している。つまり、右のマシンの画像を左のマシンで選びながら、テキスト内に張り込んでいくのである。センターでは、刻々と変わる血圧や脈拍を管理している。
そうして、自分史に画像を張り込みながら画像を調整する。これは時の小学校を東にあるタンク山から撮影したもの。授業中に抜け出してタンク山に登った時の思い出の場面である。
これは小学校にあがる前の記念撮影写真である。新一年生二組にあがるのに、こんなにもたくさんの子供たちがいたのか・・・。
こちらは参考画像である。こうした画像を参考にしながら一ページずつを作り上げていくのである。
なにせ、小学生というと、今から60年も昔の話だから記憶だって曖昧なものだ。それを拾い集めながらの作業になっている。
お昼前になると、奥方が「おうどんに行こうよ」というので、今日は「こがね製麺所寒川店」に行ってみた。雨が激しく降っている最中である。
で、今日は何にしようかと考えたが、アレルギーでお肉が食べられないのではメニューも限定される。そこで思い切ってお値段のする「めんたい釜玉」に決めた。釜揚げうどんに生卵を載せて、それにめんたいこを追加したもの。小(一玉)で490円。
それにおいなりさんのご飯ものとちくわ天をチョイスした。200円アップかな。お出汁は中央の容器で注ぐようになっている。ワカメ、ネギ、天かすはフリートッピング、好きなだけ入れていい。
これはおいしいおうどんで、釜揚げだからエッジが効いていて口の中でおいしさが湧き上がってくる感じ。ただ、最後の方になると明太子とお出汁がまじりあって辛いのなんのって・・。お水をがぶ飲みしてしまった。お出汁はほどほどに回しかけないと。
今日の掲示板はこれ。「人間は 自分の欲せぬことを信じたがらぬものである」という和辻哲郎さんのことばから。「何故なら、人間は自分の欲せぬことを信じたがらぬものである。・・・百年に一度といふ風な異変に対しては、人々は出来るだけ考えまいとする態度をとる。」「地異印象記」岩波書店『思想』1923年11月号。つまり、「正常性バイアス」のことをいうているのと思われる。正常性バイアス(normalcy bias)」は、心理学の用語である。社会心理学や災害心理学だけでなく、医療用語としても使われている。人間が予期しない事態に対峙したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働き(メカニズム)を指している。何か起こるたびに反応していると精神的に疲れてしまうので、人間にはそのようなストレスを回避するために自然と“脳”が働き、“心”の平安を守る作用が備わっている。ところが、この防御作用ともいえる「正常性バイアス」が度を越すと、事は深刻な状況に……。つまり、一刻も早くその場を立ち去らなければならない非常事態であるにもかかわらず、“脳”の防御作用(=正常性バイアス)によってその認識が妨げられ、結果、生命の危険にさらされる状況を招きかねないのである。よって、一概に「いち早く行動を取れるか」「危険に鈍感になっていないか」を明確に線引きできない部分もあるけれど、緊急事態下で的確な行動を取れるか否かの明暗を分けうる「正常性バイアス」の働きを、過去の災害が示唆する教訓として、私たちは理解しておきたいものである。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。