17日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.5度から17.6度、湿度は90%から48%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市地方は、気圧の谷の影響で曇るが、午後は高気圧に覆われて晴れる見込み。
109/60/78 36.4c-98%-61.4Kg 17.1c-50%-1024hPa 体調に変化はない。
ずいぶんと朝が来るのが遅くなった。今日の日の出は午前6:38分、日の入りは16:59分。我が家は東西を山に囲まれているから、実際はもっと遅い日の出で日の入りはもっと早い。
さて、このあたりのJAさんの産直市場は水曜日が定休日。それじゃダメじゃん春風亭柱昇。で、香川の産直市場や道の駅の定休日や開店時間を調べてから、まずは手始めに、この「道の駅ながお」にやってきた。
すると、いきなり「紅はるか」があった。で、太いものを重点的選んでみたが、勘定する段になってえらく高いのに驚いた。これだけで1,000円にもなった。これ、そんなにも高い芋なのか・・・。
で、教えてもらった通りに、皮付きの生のままで輪切りにした。輪切りにすると、こんなにも小さいのか・・・。太いものを選んだはずなのに。
輪切りにすると、これだけにしかならなかった。
で、生のうちに穴をあけるのだが、急ぐときには道具がない。皮細工で使う丸い穴用のポンチが見当たらない。そこで、使うことのなくなった彫刻刀を持ち出してきて、これで三~四回たたくと丸い穴が開く。
こうして穴の開いたサツマイモができた。
そこに紐を通して間隔をあけて、空気がよくとおるように結んでいく。この時に、どうやって紐を通したのかが思い出せない。私の場合は一個ずつ結び目を作って上下の間隔をあけたのだが、一個ずつ結ぶのは手間暇がかかる。稲わらだったのか、縄だったのか、どうやって間隔をあけたのかが思い出せない。
紐が通せたら、10分ほどゆがいてみた。時間が長すぎると芋が柔らかくなりすぎてバラバラにこわれてしまうのだ。
そうそう、これが、子供のころに見慣れた「さす芋」である。この「さすいも」という言葉で検索しても何も出てこない。もう、すたれてしまった文化なのか、忘れ去られた郷土料理なのか、それとも我が家あたりだけの「方言」なのか・・・。母の実家、祖母の実家あたりでつくられたものを、我が家にも持ち込まれたものであったのか。これが年末からお正月の子供たちのお菓子になったのである。
これが昔の我が家の初冬の風物詩であったもの。「お正月には食べような」と言い合っていたのに、年末が来るまでには食べてしまったような気もする。
昨夜がすき焼きだったので、今日のお昼は「うどんすき」になった。すき焼きというと「牛肉」が入るのが関西では主流だけれど、私が「牛」も「豚」も食べられないので、我が家のすき焼きは「鶏肉入り」だから、なんとなくすき焼きを食べた気がしない。
今日の掲示板はこれ。この時期には決まって出てくる言葉。「裏をみせ おもてをみせて 散るもみじ」という良寛さんの言葉とされている。良寛の晩年の楽しみは、彼を師と慕う貞心尼との歌のやりとりだったという。良寛危篤の知らせを受けた貞心尼は急ぎ駆けつける。臨終までの一週間、心を尽くして良寛の世話をした。その間、二人は歌を詠み交わした。貞心尼が、高齢となり死期の迫ってきた良寛さんのもとに駆けつけると、良寛さんは辛い体を起こされ貞心尼の手をとり「いついつと まちにし人は きたりけり いまはあいみて 何か思わん」と詠まれた。そして最後に貞心尼の耳元で「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」とつぶやかれてお亡くなりになったという。この歌には「あなたには自分の悪い面も良い面も全てさらけ出しました。その上であなたはそれを受け止めてくれましたね。そんなあなたに看取られながら旅立つことができます」という貞心尼に対する深い愛情と感謝の念が込められているのだといわれている。この最後の「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」について、貞心尼は「この歌は良寛さんご自身の歌ではないが、師のお心にかなうものでとても尊いものだ」おっしゃっている。良寛さんの着飾らなく真摯な人柄に触れ、心が和み、幸せな気持ちになる、そんな歌ではないだろうか。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。