5日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で曇っていたが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は7.5度から11.2度、湿度は52%から76%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
112/63/79 36.6c-99%-63.2Kg 22c-37%-1030hPa 体調に変化はない。今日の日の出は6:55分、日の入りは16:54分、月齢は0.4の大潮。
昨夜は雨だったらしく、ぼっーとした日曜日。奥方が出勤していくのも知らずに熟睡していた。起きたのは6時過ぎ。朝のラジオ体操にようやく間に合った。「ま、日曜日くらいはいいか・・・」と言うた割に毎日が日曜日な私。
先に、自分史「昭和は輝いていた」をまとめたのだけれど、サツマイモの栽培から収穫、そして焼き芋やら干し芋やら、渋柿の収穫から吊るし柿の作り方、村祭りやら集落のおまつりのことやら、お隣近所のことやらと、思い出せばキリがない。それらをまとめて、「続:昭和は輝いていた」を作らねば・・・と思い立った。
で、近所のおうちや遊び仲間のことを書こうとすると、ほとんど記憶にないことがわかった。
そこで引っ張り出してきたのがこれ。私たちの村の小学校の閉校記念誌である。このあたりのおじいちゃん、おとうさんから仲間たちから娘たちまでの全記録がここにある。みんな、同じ村の小学校なのである。おばあちゃんやお母さんはよそからお嫁に来たのでアテにはならない。
これを繰りながら、我が家の周辺の家系図みたいな物を作り上げたのである。でも、同姓同名の人もあるし、お兄ちゃんは覚えていても妹の名前は忘れていることもあるし、作業は山有り谷有りだった。
こういう山奥の村の谷一つが一つの集落になっていた。まずはこの地区からはじめてみた。ここには戦後、八軒の家があった。ほとんが農家だった。ここにいたひとたちを全て洗い出して並べてみた。卒業年から生まれた年を計算して並べてみた。でも、なかなかにお父さんやおじいさんの名前や奥さんの名前を思い出すにはずいぶんと時間が掛かった。
これらは例文である。ま、こういうものを作ってみたわけだ。これをもとにして文章に起こしていく。これがまた大変だ。
その合間には、昨日、訪問してお留守だったおうちへ再訪問して、二軒とも対面会話してお風呂の注意やら火災予防のお願いをしてきた。これで、この件は一件落着。完了報告。
昨夜は「すき焼き」をしたのだけれど、私が牛肉を食べられないので、その代わりに鶏肉が入っているが、これでは「すき焼き」のあの牛肉から出るおいしさがまるでない。それをお昼にも食べてみたが、まるきり違う食べ物になっていた。右はカレーライスだが、それだけではつまらないので、さんまの蒲焼きを載せてみた。これはこれでおいしいかな・・と思った。だんだんと甘い物が欲しくなってくる自分がおかしかった。
軒先の干し柿が、冷たい冬の空気を浴びていい色になってきた。お正月までもつだろうか。
今日の掲示板はこれ。「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さと闇の深さを知る」というものである。誰の言葉かはわからなかった。『井の中の蛙』を辞書で調べてみると、「見聞の狭いことや、それにとらわれて、さらに広い世界のあることを知らないことのたとえ。出典:『日本大百科全書(ニッポニカ)/小学館』」とある。もともとは中国思想家:荘子(そうし)の『秋水篇』にある一節だが、日本に渡った時に編纂されてことわざになった。『秋水篇』の該当部分はこんなかんじ。”北海若(ほっかいじゃく)曰く、井蛙(せいあ)には以(も)て海を語るべからざるは、虚に拘(かかわ)ればなり”。つまり、北海の神である「若」がこう言った。「井戸の中のカエルに海のことを分からない。それはカエルが狭い環境にこだわっているからである。と。
「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さと闇の深さを知る」というのは、「井戸の中のカエルは大海を知らないが、それでも井戸の中の事情には詳しいし、空が青いことも知っている」。つまり、狭い範囲しか知らないからこそ突き詰めて物事を考えられるのだ、と前向きな捉え方をしているのである。今年はオリンピックのせいか「カエル」が人気になった。また、こういう言葉もある。”井の中の蛙大海を知らねども花は散り込み月はさし込む”というもの。狭い環境であっても、自分の心さえしっかりとしていれば、海の広さだけを自慢するのでは無くて、春には花が咲き花が散り、月が昇り月がさし込んでくる。何も狭い環境であっても心まで狭くすることはないじゃないか・・・と言うのである。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。