17日のさぬき市地方は、次第に冬型の気圧配置となるため曇り、午後からは雨になった。夜遅くから雷を伴って雪の降る所がある見込みとか。気温は11.0度から13.5度、湿度は96%から50%、風は2mから8mの西の風が冷たく吹きすさぶようになった。明日の18日のさぬ地方地方は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇るらしい。未明まで雷を伴って雪の降る所がある見込み。なお、強風・波浪・雷の注意報が発令中。
収縮期91mmhg、拡張期55mmhg、脈拍78bpm、体温36.7c/酸素濃度99%/体重63.8Kg 室内気温23.1c/室内湿度41%/気圧1010hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:04分、日の入りは16:56分 月齢は12.8の中潮。
昨日は富山県からさぬきうどんのメッカに道場破りだと言って、「氷見うどん」がやってきた。作り方は、稲葉うどんと同じで竹によりながらかける手縫いで、油を塗らない。ルーツは輪島のそうめんで、元々は「糸うどん」との名称で、他の手延べうどんとは異なり、最後まで手で撚りをかける特徴があり、高岡屋においては『一糸伝承』の名で現在も販売されている。このうどんは加賀藩御用達のうどんであり、商品名の通り製法は家伝のものであった。発祥は高岡屋によるものであるが、当時登録がされなかったため商標としては昭和50年に創業した海津屋の関連会社が保有している。そのため、高岡屋が岡山県で製造したうどんを「氷見うどん」の名で発売していた際には不正競争防止法に基づいて海津屋が訴訟を起こし勝訴しているらしい。
同じように、千葉からはイチゴが届いた。歯の悪い私を考えて、やわらかいイチゴにしてくれたようである。早速に「しょうゆ」を掛けて食べてみた。マヨネーズの方が良かったかしらん。
今日は気圧の関係か、はなはだパワーが出ない。で、朝の4時過ぎから起きだしてパソコン・ワーク。先日にスキャンした地図を読み込んで、そこに「家」のマークと名前を入れてみた。昭和の30年代ごろのご近所さんの思い出である。これらのおうちは廃屋となり竹藪の中に消えた。
そうして、大きなマップに作り上げていた。こうした作業はなんともなくできる。歩こうとすると歩けないだけだ。
子どもの頃の「お正月」の思い出もまとめていた。このあたりでは「ションガツ」と年寄りが言っていた。昔は娯楽がなかったから、盆とションガツは楽しみなものだった。そういうものをまとめている。
「年の初めのためしとておわりなきよのめでたさを・・・♪。」正月の元日には学校に行った。新年の式と言ったかどうかは覚えていない。ただ、こういう歌を歌って、紅白のまんじゅうをもらって帰ったものだった。のどかな風景だなぁと思い出す。
午後を待たずに雨になった。山では雪になっているのかもしれない。今夜は雪になるとの天気予報fだった。
本降りの雨になった。
それでは・・・と、お仏壇のすす払いをすることにした。まごが小さかった頃には「ハイハイ」と手伝ってくれたものだが、近年は一人しずかにお掃除をやっている。子どもの頃には「おみがきさん」と言って、仏具に溶液をつけて磨いたものだった。今の仏具は磨いてはいけないと言われている。あくまで「すす払い」「ほこり払いだけである。
お供えしてある物全てを取り出して並べ、羽毛のハタキでそっとホコリを払うだけである。
これが我が家のご本尊様の「阿弥陀如来立像」である。これも、そぉっと、そぉっと、ホコリを払っておく。
これが我が家のお仏壇の「前卓:まえじょく」である。台風で傷んだお仏壇の須弥壇の部分だけを取り出して机に作り替えてくれたもの。ここにお花や香炉、燭台などをお供えする。
で、元通りに組み立て直しておいた。あ、おりんを経机から降ろしておかねば・・・。
今日の内容とは全く関係ないが、今日の掲示板はこれ。「他人の不幸は小さく見えて 自分の不幸は大きく見える」というもの。誰の言葉だったか忘れたけれど、「人間って、双眼鏡みたいなのを持っていて、他人の幸せは、大きく見えるけれど、他人の不幸は、小さく見えるんです。逆に自分の幸せは、小さく見えて、自分の不幸は、大きく見える。そこが解ってないと、一生、幸せになれない」という言葉があった。また、「いつだって、自分に足りないモノばかり数えてしまう。そんなことより自分が持っているモノを数えるべき。」という言葉も思い出した。「本当の幸せって、それを感じ取れるチカラかも知れないな~」と思ってしまった。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。