4月9日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.0度から21.6度、湿度は84%から54%、風は1mの東南東の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷の影響で夜は曇りとなる見込み。
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収縮期108mmhg、拡張期67mmhg、脈拍80bpm、体温36.7c/酸素濃度98%/体重61.2Kg 室内気温15.3c/室内湿度49.5%/気圧1022hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:41分、日の入りは18:31分 月齢は7.9の小潮。
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今朝も4時半起きで「遍路墓学」の論文を整理していたらば、奥方から「家を出たところにワラビがたくさん出てるからお願いネッ」と携帯電話。今日は忙しいのになぁと思いつつ、ラジオ体操を済ませたらワラビ採りをやっていた。朝早く取らないと近所のおばちゃんに根こそぎ採られてしまうので採ってきた。それを大鍋に入れてあく抜きをしておく。
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それが済むとゴミ出しをしてから、山にある桜の枝探しをやってみたが、時期が少しばかり遅れたようで、桜は散り始めている。
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これはきれいだなぁと切ってきたが、途中で花びらが散ってしまって葉桜状態になってしまった。ま、これで雰囲気だけは楽しめそう。桜の木も高い部分にはまだまだ花が残っているのだけれど手が届かない。手が届く部分はこんな状態になってしまう。桜を飾り、部屋を掃除しておいてからお出かけになった。
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で、「三木マル」さんで注文してあった「バラの花束」を受け取りに行ってきた。
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「真っ赤なバラの花を・・・」と注文してあったのに、わずか、これだけの花束になった。これで6,000円は高いなぁと思ったが仕方がない。包装料とか手数料とか消費税とかを計算すれば5,000円くらいにとお願いしたが、こんなもんか・・・。
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で、帰りに、バースデーケーキも受け取ってきたが・・・、
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なんだか雑なお仕事・・・。素人が作ったみたいなケーキである。これで2,700円とはなぁ・・・と、あきれ顔。やっぱり、名のあるお店に頼まないとあかんかったなぁ・・。
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その合間に、缶ビールを冷やす氷とか、こうした100円ショップでのパーティーグッズとかも買って来た。
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11時半からは昼食になったが、「たっくんとなぎちゃんが来るんだったら、何か、作っておかないと・・・」と、タケノコの煮付けと天ぷらと、巻き寿司」を作っておいてくれた。これが今日の昼食である。
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昼食が終われば、食卓周りの飾り付け。ま、毎度のことだから、使い回しのものばかりを飾り付けてみた。なんとなくセンスの悪いバースデー会場になった。
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金婚式の時に渡しそびれたバラの花束贈呈用の感謝状も作っておいた。
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これが、今日の前半の予定表。ここまではなんとか終わった。
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これが、今日の後半戦。この報告は明日になる。まぁ、なんと長い一日になることか。
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今日の掲示板はこれ。「散る花や すでにおのれも下り坂」という小林一茶の俳句から。一茶の人生観の一端を垣間見るような句である。この句を読みながら、つくづくと感じるのは、自分の感性を高みに置かず、取るに足りないひとりの人間として、花を傍観して得た素直な感情を句にしていることである。人間は死への存在であり、死を意識する動物である。しかし、普通に考える死は単なる知識であり観念である。しかし、それが現実の自己にかかわる死ということになってくると、そういうわけにもいかなくなってくる。「散る花やすでにおのれも下り坂」不安を隠しきれない句に読める。「白露やいつものところに火の見ゆる」秋の露ははかなくも消えるもの。「いつものところ」とは在所の火葬場のことであろう。「火の見ゆる」とは人を焼く火であろう。なんとなく寂しい人生のたそがれ、死を間近にした心境である。一茶が晩年とくに信心深い生活を送ったと聞いているが、それは人間的な価値が、いかにむなしいかを知っていたからだと思われるのだ。
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じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。