9日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎにかけて弱い雨が降ってきた。気温は14.0度から16.4度と肌寒いくらいの気温になった。湿度は68%から58%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の10日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、夕方からは雨の降る所がある見込み。
収縮期113mmhg、拡張期67mmhg、脈拍80bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重66.8Kg 室内気温16.7c/室内湿度53.4%/気圧1019hPa 体調に変化はないが、体重がぐんぐんと増えてきている。尿が出ていないからである。今日の日の出は05:07分、日の入りは18:54分 月齢は8.3の小潮。
NHKラジオの「ラジオ深夜便」で、天童よしみが美空ひばりとの思い出を語っているのを聞きながら寝てしまっていて、気がつけば朝の5時半だった。昨夜は「ぽつんと一軒家」を見てから寝たのだから、8時間半も寝ていたことになる。その間にトイレには2回しか起きなかったから体重は増える一方である。で、5時半から起き出して、昨日の遍路墓探訪の記録をまとめていた。
東かがわ市長野・・・、昔の五名山村の長野集落のはずれにある遍路墓群で、お墓が三箇所にかたまって並んでいる。記録のための分類で、お墓を作った時には、そういう意図はなかったのだろうと思う。
単なる石仏を、学問としてまとめるために仰々しく書いてあるだけの話で、普通の人には何の興味もなく利益もなく、また、文化的にも歴史的にもほとんど意味のない研究である。そういう年寄りの「暇つぶし的調査」であることに間違いはない。
今日は「曇りのち晴れ」という天気予報だったので、昨日の草刈りの続きで、我が家の敷地の最南端、野菜畑の南にある畑の草を刈ってみた。草を刈るというよか、長い柄のついた鎌で、草をなぎ払う、なぎ倒すという、乱暴な草刈りである。なにせ、歩けない、しゃがめない、座れないのだから、立ったままで草を刈る方法をあれこれと考えた末なのである。また、草刈り機械は重くて動かせないのだから手で刈るしか方法はない。
だから、きれいには草は刈れない。ここにも、奥方がいろんなお花を植えてあるので、それらを刈らないように注意深く鎌を使わなければ叱られてしまう。先日の水路脇の草を刈ったのだけれど、なんたらというお花を刈ったと強い調子で叱られた。傘屋の小僧で、「骨折って叱られる」のである。
ちょうど1時間の草刈りが終わると、銀行屋さんに行って車の税金を払ってきた。ま、いろいろと事情があるのだが、お上には逆らえない。逆らったりすると「重加算税」とか「差し押さえ」が来るとも聞いた。だから、すなおに銀行で納付してきた。毎年、五月になれば憂鬱なことだ。
で、ストレス発散でもないが、今日もハチクを見つけて折ってきた。さぬき市道の端っこに生えていたので、交通に支障を与えてはいかんじゃろうと撤去したまでだ。放っておくとサルが折って食べてしまうのだし。
もう、遅いから固いかなぁと思ったが、固いのは皮だけで、中身はやわらかく、包丁で豆腐を切るように切れたので食べられるはず。これをまた1時間ほど湯がいておいた。隣の鍋をのぞいたら、先日のハチクの煮たものがそのままになっていた。なんじゃらほい・・・。
お昼前からは雨になった。今日は「曇りのち晴れ」のはずが雨になってしまった。来週はずっと雨らしいので、一気に「梅雨」に入るのじゃろうかと思ったりした。そんなそぼ降る雨なのである。
だから、今日は温かいおうどんにした。もう、玉子かけ用のおいしい卵がきれてしまったのだ。ちなみに生きている殻付きのものを「卵」といい、殻を割った瞬間に「玉子」になる。だから、「卵かけご飯」というものはなく、殻を割って調理をすると「玉子かけご飯」になる。知らんけど。
さぬきうどんの本場で、富山の氷見うどんばかりを食べている私である。機会があれば、お隣の徳島半田の「オカベの麺」も食べてみたいと考えている。オカベの麺は、うどんと言うにはやや細い、そうめんと言うにはやや太い、小麦の中心部と自然塩にこだわった手延めんである。この「氷見うどんの細麺」と「オカベの麺」を食べ比べてみたいものである。
讃岐には「麺喰い」という言葉がある。一般的な「面食い」ではなくして、「うどん喰い」という意味で、朝昼晩とうどんばかりを食べるような人、毎日、うどんばかりを食べ歩く人を指して言うのだけれど、正直なところ、もう、「さぬきうどん」には飽きてきたなぁと思う今日この頃。
今日の掲示板はこれ。「失敗ではない うまくいかない方法を見つけただけだ」という、発明王エジソンの言葉から。トーマス・エジソンは、誰もが知る偉大なる発明家だが、彼は発明王であり失敗王でもあるといわれている。電球のフィラメントの発明に成功する前に、なん と2,000回以上も異なる挑戦をしていたそうだし、あるときは燃え尽き、あるときはコストがかかりすぎ、あるときは大きな労働力を必要としたなどなど・・・と。エジソンと彼のチームは、膨大な時間を発明に費やした。成功したかと思えば、やはりダメだったり・・・と、気の遠くなるような作業を繰り返したそうだ。実験に失敗すると、めまいを起こしたとさえいわれるエジソンだが、彼は失敗を愛していた。彼曰く、「失敗は、私が求めるものなのだ。それは、成功と同じくらい私には貴重である。失敗を知らずして、成功を知ることはできないのだ。」膨大な時間とエネルギーを費やし、その結果、失敗に終わる。普通は、落ち込み気力も無くなるもの。しかし、それほどまでに大変な過程すら彼は成功への道だと信じていた。「私は、失敗しているのではない。上手く作用しない1万通りの方法を発見しただけなのだ。」と。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。