22日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.5度から26.8度、湿度は92%から52%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。
収縮期100mmhg、拡張期59mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重62.7Kg 室内気温18.5c/室内湿度59.6%/気圧1010hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:57分、日の入りは19:04分 月齢は21.3の小潮。お昼からのマシン室は29.6度までに上がって、冬物の衣装から慌てて夏物を出したけれど、夕方にはまたしても冬物に着替えるのかな。
今日も朝の7時からは裏庭の草刈りをやってみた。奥方がどこかでポケットに入れてきたツタが、あたり一面中に広がってしまった。「ヘデラ・カナリエンシス」とか「おかめツタ」と言われるものらしい。その繁殖力は異常すぎるほどに広がってしまう。
それを根元ごと、切り捨ててしまうのだけれど、すぐにまた復活するからやっかいだ。
奥方は「緑が多いのはいいことなのよ」と言うけれど、異常繁殖しておとなりの畑まで浸食したら困るでは無いか。ということで、これだけ刈るのに四日以上もかかっている。ま、四日というても、四時間だけれども。
で、8時を過ぎたら気温がぐんぐんと上がったので作業中止。9時過ぎから、先日にお邪魔した美術陶芸作家の及川さんちに行ってきた。こういう旧の農家を借りて移住してきている作家さんである。
今日は、及川さんの管理地にある遍路墓の再調査のためである。普通、「生国」という出身地が刻まれていないお墓は「遍路墓」とは認めない。地元の人との区別がつかないからである。よその国(府県)だとお遍路さんかも・・・となる訳だ。でも、四つ足堂裏には生国の無いお墓が多かった。だから、ここのお墓も仲間に入れようと考えたからである。
こういうのが、お金(所持金)を持っていなかった人のお墓。埋葬して石を置いただけ。当時はお杖を墓標代わりに立てたのだろうが、そういうものはすぐに腐ってなくなってしまう。
これだ。確かに「延享二丑天」と刻んである。1745年である。今まで調べたものの最古は「明和二年(1765)」だから、20年も古い、最古の遍路墓となるではないか。ただ、残念なことに「生国」がない。これは致命的な欠損。正式な資料にはなり得ない。
こういう石仏も風化が激しくて判読不能。悔しいでは無いか。しばらく及川さんと歓談の後、払川地区を後にした。
家に戻ると、またしても、「バラの花のコガネムシ退治」である。コガネムシが花を食べてしまうのだそうな。
今日のお昼もまたまたまたまた、TKG。今日は焼き鳥ととろろの卵かけご飯。「小満(しょうまん)」は、季節の指標である「二十四節気」の8番目の節気。「草木が成長して天地に満ち始める頃」という意味で、2022年は5月21日(土)〜6月5日(日)。小満の頃は、麦の収穫期である「麦秋(ばくしゅう)」と呼ばれる時期。本格的な梅雨入りはまだだが、ぐずついた空模様の日が続くらしい。この時期におすすめの食材はサクランボ。残念ながらサクランボは無い。
食後のデザートにはこれ。「ブラックアイスバー」である。少しばかり甘すぎたかしらん。
今日の掲示板はこれ。「自分のことより ちょっと他人のことを考える こんな人を心豊かな人という」と云うもの。雪山隆弘著 『ブッド・バイ -み仏のおそばに-』より。最近、何かにつけて、車の運転や道を歩いていても、クラクションを鳴らしたり、すぐカッとなってイライラしている私を見かけるようになった。ほんの数秒のことなのに、お先へどうぞとは言えないのである。自分だけの世界しかみられないから、さらにイライラしてしまうのだ。それぞれがこの地球に共存しているし、自分だけの空間ではないのだが、ついつい、自分のことばかりを優先させている私がいる。なかなかに、「心豊かな人」にはなれないなぁと思うばかりである。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。