25日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18.5度から27.0度、湿度は90%から60%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨や雷雨となる見込み。
収縮期103mmhg、拡張期65mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度96%/体重63.2Kg 室内気温22.5c/室内湿度55%/気圧1015hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:56分、日の入りは19:06分 月齢は24.3の長潮。
朝の間は4時起きで「遍路墓学事始」のテスト印刷をやってみた。ページあわせとか前項目との突き合わせとか体裁を考えるための試験刷りである。
こうした統計表の見栄えはどうなのかとか・・・。
で、今朝はガレージ裏の草刈りをやってみた。どこもかしこも草まみれなのだからして。
こういう草刈りも鎌を使っての手刈りである。でも、まぁ、急ぐ仕事でもないしノルマがある訳でもないので、できたらできたところでお休みになる。
すると、こういう斜面だけが残ってしまう。この斜面の草刈りは難しい。足場が無いから力が入らない。下手すると「滑って転んで大分県」(古いギャグだ)になってしまう。
そこでホームセンターを回って、こういうスパイクを見つけて買ってきた。
こういう具合に長靴に装着するらしい。登山用、雪山用のアイゼンみたいだ。明日はこれで草刈りをやってみようか。
それに、昨日のこの地図だが小さくてお墓の位置を、どうやってマーキングしようかと思案中。もっと大きな地図がないものかと考えて、本屋さんに行くことにした。
本屋さんはなぜか10時開店ということになっている。ホームセンターを回ったりスーパーに立ち寄ったりして本屋さんに行ってみたが、「帯に短したすきにも短し」で全く参考にもならない地図ばかり。あと、二軒ほど回ったが、最近はスマホやタブレットがあるから地図なんぞ使わないのか置いていないのだ。
帰って、パソコンの中を調べたら、こういう便利な地図があった。これは拡大も縮小も自在にできる。これは東かがわ市分の地図である。
こちらがさぬき市分の地図で、一番欲しい部分の地図である。なんだなんだ、こういう便利な地図があったのに。
今日のお昼は「カツオのたたきと新タマネギの卵かけご飯。新タマネギのスライスがシャリシャリとおいしかった。
今日の食後のデザートはこれ。「ロッテ、そう」と読むらしい。それの練乳いちご版である。これの舌触りが爽快で気分がいい。
今日の掲示板はこれ。「宗教なき教育は賢い鬼を作る」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。どこの誰の言葉かはわからなかった。が、西洋のことわざに「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」という言葉があるそうな。我が国の学制発布以来、宗教は教育のラチ外に押しのけられ、よって日本国民は公教育の場では無宗教教育に育てられた。しかし教育の基盤に、宗教がいかに大切なものであるか、それはいみじくも聖徳太子が十七条憲法の第二条に明確に述べている。
篤く三宝を敬え。
三宝とは仏法僧なり。即ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人か是の法を貴ばざる。人尤も悪なるは鮮し、能く教うれば之に従う。それ三宝に帰せずへば何を以てか枉れるを直くせん。
かみ砕いていうと、仏法僧の三宝を篤く敬わなくてはいけない。なぜなら三宝は生きとし生けるものの最後のよりどころであり、世界各国が究極の規範として尊ばねばならないものである。だから時と所を問わずだれもかれもがこれを尊ばなくてはいけない。生まれながらの悪人などはごく稀なものであって、よく教育すれば従うものである。それが教育しても曲がってしまうのはどうしてか。それは教育の根底に三宝を敬う心が欠けているからである。三宝を敬う心を根底としないで、どうしてまともな人間をつくることができようか、というのであるが、三宝帰依の心とは仏教以外の宗教でいえば神を敬う心のことであり、つまり宗教心のことである。「宗教なき教育は賢い鬼をつくる」とあるが、賢い鬼は社会を破壊することはできても、社会を建設することはできない。まともな社会をつくるためには、賢い鬼をつくらぬよう務めなくてはならない。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。