さぬき市地方は四国付近を南下している前線の影響で雨の降っている所があった。その雨も午後には上がったが空は曇ったまんま。気温は21度から28度とずいぶんと下がった。湿度は80%から68%とやや高め。風はやさしく1mから2m程度。明日からはまたもや晴れるらしい。
で、今日は娘が友人と大阪へお買い物に出かけたもので、孫のお守りで屋島にやってきた。お守りというても留守番みたいなものだ。だから、ノートパソコンを持参でお泊まりと言うことになる。
今年の夏休みの自由研究ともいうべき、「法然上人讃岐の足跡調査」も、夏休みもあと一週間という段階に来て追い込み作業が急ピッチ。表紙もできた、前書き・後書き・奥書などもできて、本の体裁も整ってきた。
地域的には、塩飽島から丸亀を経てまんのう町へ。その後、琴平・満濃・仲南・琴南を経て善通寺へ。更に今日は坂出市の崇徳上皇御陵から大藪(大屋富町)に参詣したところまで。明日は綾歌郡の綾川町一帯を仕上げれば全容は片付くことになる。あとは推敲・校正・追加・修正などが待っている。
今日のお昼は、孫のなぎちゃんとここに行った。「さか枝うどん・春日店」というセルフのお店。
で、私はぶっかけうどん小(270)の冷やにちくわ天(100)で。なぎちゃんはかけうどんの小(190)にちくわ天(100)。合計で660円だった。大根おろしやわかめ・レモンなどはフリートッピング。
午後からは、なぎちゃんと夕食のお総菜や飲み物を買い出しに行って、私はお昼寝タイム。なぎちゃんはお友達んちへ遊びに行った。
もう一つのプロジェクトの「中井初次郎」。紙芝居、それも「団扇:うちわ」を使っての紙芝居を石巻の墓前にお土産としてお供えする方向で進んでいるらしい。その水夫の衣装についてのお尋ねがあった。幕府軍の水夫の制服はどのようなものであったのか・・・という質問だった。むろん、そのような制服などあるわけではない。それぞれが腰までの半着物に股引姿・・・だったように思うと答えておいた。
一方、「英国士官レキ墓研究会」の進展はない模様。そろそろと行事というか、プロジェクトを進展させねばならぬ時期。「岡良伯」家の資料はアテにはならぬ様子。下関行きもなくなった。さて、今までの資料や考察をまとめておきたいものだが、事務局の動きがとても鈍い・・・。
あと、本山へのレポート提出は12月半ばだから、もう少し研究の余地はあるし、時間もある。それから・・・、来週からは「おへんろつかさ」の研修が始まるが、これは受講だけでレポート提出はないように思うので、案外と気楽。
あと、今週の予定は入っていないし、やらねばならぬことは見当たらない。ま、「法然上人・・・」を仕上げるばかりだ。そうしていれば夏も終わる・・・。
今日の掲示板はこれ。「心一つで運気は変わる もうと嘆くなまだと踏ん張れ」というもの。私たちはああだこうだといいながら、その根本は、この私もこころ一つの問題である。こころももちよう一つでうれしくなったり、悲しくなったり、怒ったり、鳴いてみたりと・・・。こころをシフトチェンジすれば、運気も変わるというものだ。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。