さぬき市地方は高気圧に概ね覆われて晴れていたが、午後からは曇ってきた。気温は11度から18度、湿度は76%から44%。風は5mから2mの西北西の風だった。本日、?松気象台が?松のサクラ(ソメイヨシノ)が満開になったと発表した。平年よりか5日早く、昨年より1日遅いということだ。明日の4月1日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。
ということで、ここにやってきた。東かがわ市丹生(にぶ)という所にある「小砂(こざれ)説教所跡」。この二十七段余の石段を登り切ると広場に出る。ここが「小砂(こざれ)説教所跡」で、この地区の真宗の道場であり、昔の集会所であった。ここが、今では「正真講本部」となっていて、庄松同行の情報発信源ともなっている。ここのサクラは六分咲きほどだろうか。
庄松(しょうま、寛政11年(1799) - 明治4年(1871)3月4日)は、浄土真宗の信仰に生きた市井の人で、その言行から妙好人として有名である。讃岐の庄松と呼ばれることが多い。妙好人庄松同行は、鈴木大拙によって世に紹介された。大拙は「浄土系信者の中で特に信仰に厚く徳行に富んでいる」(『日本的霊性』)と、庄松の言行を評価し、以後、現代に至るまで浄土真宗の門徒を中心に広く知られている。
庄松は、讃岐国大内郡土居村(現 香川県東かがわ市土居)の、谷口清七の子として生まれた。小作農の家であったので貧しく、縄ないや草履づくりなどをし、その間にも子守や寺男としても働いていたと伝えられる。生涯独身を通し、僅かな田畑を耕して生涯を終えた。庄松の性格は直情径行であったので、さまざまな苦悩があったようであるが、檀那寺である三本松の勝覚寺住職の融海がわが子のように可愛がったり、役僧の周天によって導かれて、次第にその信仰を深めていったといわれる。
檀那寺である勝覚寺の住職融海和上は学徳優れた僧で、寺男としての庄松を時にはわが子のように可愛がっていた。檀家の仏事には寺から檀家に着くまでの道中、三部経典を口ずさんでいく住職の後にお経や衣を包んだ荷物をかついで歩く庄松にとってはこよなくありがたい仏縁の場であったに違いない。庄松の正しい信心へのめざめは、直接的には寺の役僧周天によって導かれたものであったが、こうした自然に織りなされた強縁によって、み仏にまかせきった任運自適の人生の大道を歩む庄松が生まれたのであった。
迷犬ごんのドッグ・フードが残り少なくなったので・・とホームセンターに寄ったが、消費税アップ前の駆け込み需要というのか、まとめ買いというのか、カートに山盛りのトイレットペーパーやら飲料水やらの行列・・・。こりゃぁ、だめだ・・と諦めた。私は気が短いから行列するのは願い下げ。全く、運の悪い日に来たものだ。
では、ここのサクラはどのくらい咲いているかなぁとやって来たのはさぬき市長尾東にある「亀鶴(きかく)公園」。亀鶴公園は東讃地域(香川県東部地域)の名勝としても知られており、「宇佐神社」と「宮池」を中心にして面積18.98ヘクタールに及ぶ公園だ。 公園の西方には鶴が飛ぶ姿に見える「鶴ガ山」があり、池に浮かぶ「亀島」が亀に見えることから、「亀鶴公園」と名付けられた。 また公園周辺の丘陵地を含めると面積約33ヘクタールにも及ぶ。
敷地には「さくら並木」や「ハナショウブ園」をはじめ、300本を超える樹木が確認された自然林が豊かな「亀島」などがある。東讃地方きっての桜の名所で、とくに亀島側と宇佐神社側を結ぶ堤参道は幅20m、長さ300mに渡り、両側にサクラ(ソメイヨシノ)約300本が植樹されており、大勢の花見客で賑わうところとなっている。 とりわけ花の季節には亀島側と長尾総合公園を結ぶ「さくら橋」がライトアップされたり、噴水が稼働する。
少し前までは、ここでゴサや食器なども貸し出して花見の宴が盛大に行われていたが、最近はそういう話を聞かなくなった。最近はみんな、マイカーなどに積み込んでやって来る人が多くなったせいかも知れない。それだし、少し前のように盛大に「花見の宴」をするスタイルが減ったように思う。
午後からは、またも集落内一周の一時間コースの散歩をしてきた。今日はさすがに汗が流れたほどに気温が上がったように思った。すっかりと初夏のような雰囲気だった。
最近、おうどんが出て来ないとご不審の方もいるかも知れないが、確かにおうどんを食べたくないというか、食欲がないというか・・・。朝ご飯は食べるようになって、ついつい、おうどんはどうでもよくなって。また、来週あたりには気分が変わるのかも知れないのだが・・・。
ということで、昨日に引き続いて、「妙好人めぐりの旅」を読み終えてファイル化が終わった。パワーポイントでの法話の話題に、「小林一茶」「良寛さん」「林芙美子」が加わるのはおもしろいかも知れない。
今日の掲示板はこれ。「人間の一生って短いもんですよ。だからこそ自分で選んだ道は一途に進め」という、落語家・桂歌丸さんの言葉。私も65年間生きてきて、あたりを見回すと・・・年長者が少なくなった。親戚筋あたりではわたしよか上の人は片手で足りるようになった。本当に、人間の一生って短いもので、私だって、明日にはどうにかなるのかも知れない。「だからこそ、自分で選んだ道は一途に進め」と、言われる言葉だし、そうであらねばと思いつつ・・思いつつ・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。