さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がり、15時あたりから弱雨になった。気温は9度から17度、湿度は92%から63%。風は1mから2mの北東の風が少し。明日の4日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となる所がある見込み。
朝の間、少し仏教のお勉強をして10時から11時半までは定例の1時間半の散歩。今日は県立大川ダム周回コース。ここのサクラも満開だけれど、ここには誰も花見にやってこない。このダムができた当時は、ここを一大観光地にしようとサクラを植樹して花見大会や宝探しなんぞもやったのだけれど・・。
駐車場が整備されていなくて、ダム周辺の県道にマイカーを停めたために大渋滞が発生して、数年でやまってしまった・・・。その後も家族連れなどで何組かは花見もやっていたのだが、近年は道路交通法が厳しくなったためか、全く、人影がなくなった。一時は発電機にカラオケセット持参で盛大にやっていたものだったけれど、栄枯盛衰は世の流れ。
だから、ここのさくらを独り占め・・・。もう、風が吹くと花びらが舞い散って桜吹雪になっている。桜の花びらはほぼ円形。そしてコンタクトレンズのように曲がっているので、それで風に乗ってよく飛ぶのだそうだ。
「桜学」というものがあるのかどうか知らないが、桜は、一つの蕾から3本から4本の花が飛び出して咲く。で、ソメイヨシノは同じ木からは受粉しないのだという。つまり、こんなにアンテナをいっぱいに開いても、受粉して実がなることはめったいにないのだそうだ。近くに別の種類の桜の木があると受粉して実を付けるが、その実からは「ソメイヨシノ」は生えて来ないのだとか。だから好き勝手な名前を付けて育ててもかまわいのだとか。
だから、実をつけるためには、目いっぱいに花を咲かせるのだが、わずか一週間ほどで花は散る。
その後、次の町長はここをあきらめて、今の「みろく自然公園」を作ったということだ。今、ここは手入れもされず、放置されたまんまだ。でも、人が手入れせずとも、自然の植物が彩りを添えてくれる。
たとえば山つつじとか・・・。
山桜とか・・・。それが終わったら、山は新緑の黄緑から、輝く緑の「深緑」の山に変わる。
今年はわらびが出るのが遅い・・・と思っていたら、我が家の土手にはいつの間にかわらびがにょきにょきと・・・。我が家にはふきのとうも出るが、わらびも生えてくる。
ま、夫婦二人きりだから、これだけあれば充分だ。けいこばぁは、「これだったら、タケノコが欲しい・・」と言うのだが、竹の子は無理だろうな・・・。山はイノシシの掘った穴ばかりだったから・・・。5月になれば、イノシシが飽きてきて見逃してしまうと、今度はサルが頭をかじってしまう・・。さすがに、イノシシもサルも、このわらびは食べない様子。
お昼からは家庭菜園のお片付け。このとうのたってしまった野菜を引き抜いて、畑を耕して・・・というお願いが・・。で、白菜だかの株を引き抜いて片づけて・・・。
あらかた、片付いたときに奥方が戻ってきて、ここも、こちらもと・・ほうれんそうの生えたまんまを根こそぎ耕してしまう・・・。
あらかた片付いた頃になって雨がぽつりぽつりと・・・。ということで、今日の作業はおしまい。
今日の掲示板はこれ。「散る桜 残る桜も 散る桜」という、江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている俳句である。意味は、「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくようにと。」というように読み取れる。要するに限られた「いのち」を大切に・・ということである。
今の世の中は色々悩み事が多くあって、仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のこと等、幸せな事より悩み事の方が多く重たくのし掛かっている毎日ではないだろうか。 しかし、物事にはすべて結果があることは言うまでもないし、無常にも時間は止めることができない。ならばどう時間を過ごすのかを考えること。 即ち、限られた「いのち」の中で、その結果に到るまでを如何に充実したものにし、悔いの残らないようにすることが大事だと思うことである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。