Quantcast
Channel: まほろば自然博物館
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3558

ほたる来て 今日のざれごと 捨ててくる

$
0
0

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は14度から28度、湿度は79%から53%。風は2mから4mの東南東の風がやわらかく・・・。明日の29日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は弟と「退院祝賀会」をやっていたが、ふと、窓の外を見るとホタルが飛んでいた。それも数匹がユラーリ、ユラリー・・・と飛んでいた。もう、そんな時期になったのかと月日の早さに驚いたもの。やがてには、我が家の部屋にまで飛び込んでくる。

 

 さて、心臓の調子も良くなったことだし・・・と云うことで、久々に遠出をして徳島県の阿南市まで車を走らせてきた。ここは四国霊場22番札所の「平等寺」だが、お参りにやってきた訳ではない。

 

  山門をくぐると正面に本堂が見えてくる。右手にはお地蔵さん、左手には閻魔さんのいる十王堂や空海さんが掘ったと云う「加持水の井戸」がある。

 

 本堂の中は折り鶴などの奉納物がいっぱい・・・・。この反対側にあるのが、今回のお目当てのもの。

 

 これ、何だと思うかな・・・。犬小屋みたいだし、祠(ほこら)みたいだし・・・。お神輿のようだが、お神輿でもない。

 

 実はこれ、「箱車」というもの。ここに奉納されているものは車輪が外されている。足の不自由な人がこれに乗ってお遍路をしていたのだという。この前の扉が開くようになっている。屋根があるから雨が降っても大丈夫なように考えられたもの。

 

 昔のお遍路さんや邊土(へんど)は、こうして旅をしていたと云う。病気を治したい一心であったり、死に場所を求めての旅だったり、住む場所を無くしての放浪の旅であったりした。ご承知のように、昔の四国は山道や海岸沿いの道を歩いての旅だった。こうした旅がいかに大変な旅であったことか。

 

 88番札所の大窪寺の本堂上部には、こんな車も奉納されている。これらの車を、家族・親戚や友人たちが押したり引いたりしたり、難儀をしている箱車を隣のムラまで押していくのが慣わしであったところもあったと云う。これは車いすのように座って乗った箱車だった。

 

 これは愛知県の札所に奉納されている箱車。通称は、そこに書いてある「躄車」という。今は死語になったのかも知れないが「放送禁止用語」になっているらしい。だから、あえて、読み方は書かない。

 

 平等寺の場合は、大師加持水を患部に塗ると良くなったので奉納したと云われているが、多くは満願・結願を果たせずに亡くなった方がたも多くいたに違いない。

 

 今は福祉が行き届くようになって、また、マイカーなどで気軽にお遍路に出られるようになって、こうした箱車を見ることはなくなったが、私らが子供の頃にはあちらこちらで見掛けたもの。

 

 先日の室戸岬では、二人の初老の男性が、大きな荷車に家財道具を山積みにして引いて歩いていたが、国道の海岸線では楽かも知れないが、山道や坂道になるとどうするんだろうか・・と他人事ながらに思いやったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「こだわりを捨てれば心は五月晴れ」と云うもの。 「邪念を捨て、こだわりを捨てよ」 これを、禅門では放下著(ほうげじゃく)と云う。中国の言葉だが、要するに”捨ててしまえ”ということ。人生の苦しみの多くは執着の心より起こるもの。執着の心とは、つまり、”こだわり”。仏教はこの”こだわり”を捨てよと説いている。こだわりがないといけないこともあるし、こだわりが良い結果を生むこともあるけれど、往々にして、人を出口のない欲望と迷いの渦中に巻き込んでいくこともまたあるもの。どうしたら、様々なこだわりから自由になれるのか?どうしたら、仏様のような柔和な心になれるのか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3558

Trending Articles