京都市地方は梅雨前線の影響で雲が広がり、雨の降っているところがあった。気温は25度から29度、湿度は96%から88%。風は1mから2mの南南西の風が少し。明日の京都市は、南からの湿った空気の影響で雲が広がりやすいらしい。
今日はJR塩屋駅からJR三宮駅まで普通電車でやってきて、そこからJR京都駅までは新快速に乗ってお昼前に京都に着いた。そんなに早くに着かなくてもいいのに早くに着いてしまった。かと云って、寄り道する場所も理由もないし。
もっと、京都て遠いところだと思って居たし、須磨から京都って、時間がかかるものだと思っていたのに、急がなくてもいいときには早くに着いてしまうものらしい。
今日は単なる「移動日」。お昼から奥方の実家を出る予定だったのに、お義姉さんが、「出かける用事ができたから・・」ということで、9時半には追い出されてしまった。仕方なく、のんびりとやってきたつもりが11時半前。
2時間も電車に乗っていたのでのどがからから・・・ということで、京都駅前の地下街に入って、とりあえず生ビール。そして、今日は「サラダ冷麺」というものを注文した。冷麺は815円とかと書いてあった。ま、汗まみれのからだにはおいしいと感じられた。
その後は、いつものように「東本願寺」さんの散策。一週間ぶりだからそんなに変化はない。
今日は少し踏み込んで御影堂を撮影したら、ガードマンさんらしき制服のおじさんに制止された。でも、すでにシャッターは下りた後だった。正面の黒いものが親鸞聖人のお木像。
いつも持ち歩いている手提げ袋の中のお念珠が、携帯電話やお財布に引っかかって切れてしまったので、明日からの勤行用にと思って、お買い物広場でお念珠を買った。桐の箱に入っているみたいなので買ったのだけれど、中身はプラスチックのお念珠だった。しまったしまった、島倉千代子。
京都の空は梅雨空で曇っていてかんかん照りではないし、そんなに蒸し暑くもなくて、やや涼しい・・・という空気なのに、少し歩くと汗が噴き出してくるし、肩から背中から汗まみれになっている。
15時過ぎに本山「興正寺」に到着。休み休みしながらのお山入り。ところが、どこにも張り紙がない。私が止まる場所はどこ?
いつもの部屋に入ってみると、いつものようにおふとんが準備されていて12人分。たぶん、ここだろうなぁとお布団を用意してカバーをかけて寝る支度・・・。でも、ここでいいんじゃろうか・・・。
ここは、17時を過ぎると阿弥陀堂も御影堂も扉が閉じられてしまうし、三門も阿弥陀堂門も閉じられてしまって、宗務所も閉じられて職員も帰ってしまう。で、ここには私一人がぽつんと居る・・・。本当に、私はここにいてもいいんじゃろうか・・・。
今夜の夕食はこれ。あんまり食欲もないし、まだ、課題の法話の原稿も仕上がっていないし・・・。なんか、今回は長期間のだらだら旅行みたいで盛り上がりに欠けている。明日になって、みんなが揃えば、それなりにモチベーションも上がるのだろうか。
今日の掲示板はこれ。「一切は縁において生まれ、縁においてあり、縁において去っていく」という宮城?(みやぎ しずか)先生のことばから。宮城さんは昭和六(1931)生まれ。大谷大学卒業後には、大谷専修学院講師や教学研究所所長などを歴任しながら、真宗大谷派本福寺の住職でもあった。先生は、平成十七(2005)、東本願寺で開かれた「親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」の真宗本廟お待ち受け大会で「汝、起ちて更に衣服を整うべし」と題した記念講演をされた。その直後から三年の闘病生活に入られ、平成二十(2008)年、78歳で往生された。
お釈迦さまの教えを要略した「因縁法頌(いんねんほうじゅ)」と呼ばれるものに、「諸のものは因縁によって生じ、因縁によって滅す」という言葉がある。私たちは、不思議な因縁によって生まれ、因縁の中で歳を重ね、どこか病みながら、臨終の一念を迎えるのである。この「生・老・病・死」こそが私のいのちの姿なのであるが、このことを自覚できているのだろうか・・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。