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Channel: まほろば自然博物館
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ひと来れば あついあついと 言うばかり

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 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、小雨の降っている所があった。気温は23度から28度、湿度は96%から69%。風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の13日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。ようやくに夏らしくなるのかな。

 

 さて、娘家族のうち、娘だけが家に残っていて、残り三人が我が家にやってきていた。昨日のことだ。で、今朝の4時起きで、鈴鹿サーキットに向かって出掛けて行った。まるで嵐のような一家である。ということで、嵐の過ぎ去った我が家はぼんやりムード・・・。

 

 で、今日は特に予定もないので、本山宗務所からの宿題をこなしておくことにした。できることからコツコツと・・・。まずは「本山史」から。「真宗の地域的特性について、歴史的背景や各自の体験をふまえて述べなさい」というもの。これを990字でまとめるもの。一昨年の「讃岐における二十四輩遺跡調査」で調べた、香川の寺院数調査の結果などを参考にして、讃岐の真宗発生と伝搬についてまとめた。

 

 もう一本は、宗教概論。「人間にとって宗教はなぜ必要か」という課題。これは400字以内とすごく短い。人生には自分ではどうしようもできないことが起きるので、人間以上の何かの助けを必要とする「こころの杖」みたいなものだとまとめた。こういう分野は苦手な感性の部分だ。

 

 あと一つが「歎異抄」。「二章から八章までから一つを選んで内容を説明して、自由に感想を述べよ」というもの。800字以上というから・・適当な大きさの六章を選んだ。「弟子ひとりも持たず」という「師訓章」。本文・和訳まではできたが、自由な感想が浮かんでこない。これは、また、明日だな。

 

 今日のお昼は「そうめん」になった。夏場はこれがさっぱりとしていい。それにしても、年取ったなぁと思うのは高校野球。若い頃は有給休暇をはたいてしまって、甲子園球場に通い詰めたものだが、近年はテレビ観戦をする気持ちもない。ただ、騒がしいなぁ・・・と思うばかり。何の変化なんだろうか。でも、いまだにスコアーブックは付けられる。これは身体が覚えてしまっているんだ。

 

 この車、普通は、ここにスコップをつけるんだけれど、このくみ取りヒシャクみたいなものは何だろう。まさか、これでお墓参りをするんだろうか・・・。水たまりに車が落ち込んだ時のものだろうか。

 

 朝方は、「ミーンミーン」と鳴いていたセミも、昼間からは全く鳴かなくなった。気温は27度から28度あたり・・・。充分に鳴く気温なんだけれど。時期なのか、あちらこちらでセミの死骸を見るようになった。夏もそろそろ終わりなんだろうか。夕方になると、カナカナカナカナ・・・というヒグラシがわびしい声を響かせている。

 

 例年、12日あたりから16日あたりまでは、島の家で過ごしてきた。孫のはやてちゃんが生まれる前からだったが、今年は、そのハヤテ君が中学三年生になって、来年が受験生・・ということもあって、今年は「しわく広島」での夏休みがなくなった。神戸の「たっちゃん」も同じ受験生ということもあって・・・。だということは、私の島の夏休みもなくなってしまうということだ。

 

 奥方のけいこばぁは、若い介護士さんらが「お盆休み」をとるために、けいこばぁは・・・お盆もなしに働くのだそうだ。だとしたら、私一人が独居老人になってしまう。はてさて、どうしようか。

 

 とりあえず、明日13日はプラスチックゴミの回収日。生協さんの配達日でもある。14日は空き缶の回収日。先月、私が京都に出掛けていたから、二ヶ月分の空き缶が・・・。1日10本として600個の空き缶が。その上に4回の宴会があったから、プラス150個。概算で750個かぁ・・・。集積場が、我が家の空き缶でいっぱいになりそう・・・。

 

 とりあえず、17日の日曜日には、けいこばぁがお休みになるので、お盆のお仏壇参りには親戚の人が来るかなぁということで、「盆礼」の準備をしなくては。恒例の生ビールかな・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「何が起こるかわからないのが世の中 何をしでかすかわからないのが自分」というもの。妙好人の源左さんの、こんな話を聞いたことがある。ある人が、「村の者がお爺さんを妙好人伝に載せるというがのう」と言うと、源左さんは、「いやいや待ってつかんせい、死ぬるまでは何をするか分からんでのう」と応えたというもの。「何が起こるか分からないのが世の中。何をしでかすか分からないのが自分」(伝聞)。「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いもすべし」(『歎異抄』)何かが起こったときに、どうするかは、実は、そのときまで分からないものだろう。そのときに頂いている、気づきの深まり具合に応じて、自ずとすることが決まるのだという。私たちは、たいてい、「こんなときには、どうするのか、あんなときには、どうするのか」と、頭のなかの運動会に忙しく、人生を終えていくのかもしれないが、人生にシミュレーションなどありはしない。人生は、つねに本番なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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