さぬき市地方は気圧の谷や四国の南海上付近に停滞する前線の影響で雲が広がり、小雨が降っていたこともあった。気温は17度から24度、湿度は70%から48%。風は1mから3mの北北東の風が少し。明日の21日は、気圧の谷や前線の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。
さすがに掛け布団を出してかぶって寝るようになった。朝一番に顔を洗おうとして水道の水がいきなり冷たくなったように思った。奥方のけいこばぁは朝の6時からお墓へお花を供えるために出かけて行ったが、ミョウガをどっさりと持って帰っていた。どこまで行ってきたのやら。
私はまたしても「香川県立図書館」に行ってきた。これだけの山頭火の句碑があるのだから、何か図書か参考資料がないものか・・・とやってきた。さすがに蝉の声はすっかりとなくなっていた。それにアキニレの葉っぱが黄色くなってきたように思った。
開館直後の9時過ぎに着いたために、土曜日にしてはあまり人は多くなかった。で、「山頭火」で検索してみると、さすがに本は多い。で、読みたいなぁと思う本は「書庫」に保管されていて貸し出し禁止のものが多かった。
で、郷土資料の中から五冊ほどの本を借りてきた。ここにあるものは香川県内の山頭火に関するものらしい。
この左の「山頭火句碑集」というものは長尾町発行による「山頭火顕彰会」の本で、これが実にありがたい。ただ、平成10年発行のものだから14年前の本。新しいものはわからない。
それを早速にスキャナーで読み込んで保存しておくことにする。でも、これが実に面倒な作業だし、OCRで読み込んだ文章を修正する作業にも手間がかかる。
その句碑の中にこんな俳句がある。「まこと お彼岸入の 彼岸花 山頭火」というもの。さぬき市長尾の宗林寺の境内にあったもの。
彼岸花というのはご存じのように、お彼岸頃に咲くから「彼岸花」というのだが、彼岸花にはアルカロイドという毒があるため、「毒花(どくばな)」「痺れ花(しびればな)」などと呼ばれてきて、こどもたちが遊ぶのをやめさせたこともあった。その反面、でんぷんを多く含んでいるため食用可能で、毒は水にさらすと抜けるため、昔は飢餓に苦しい時に毒を抜いて食用にすることもあったそうで、田んぼの畦道に彼岸花が多いのは、その毒でモグラや野ネズミを防除するためだけではなく、飢饉に備えて植えたという説もあり、危険を覚悟してまで口にしなければならなかった昔の苦労がしのばれる。
一方、山口百恵が歌っていた、「マンジュシャカー」というのはインドの昔の言葉らしい。「曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)」は、サンスクリット語(梵語)で「天界に咲く花」という意味。おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ていて、サンスクリット語ではmanjusakaと書くらしい。
そんな、「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸の入りだが、草刈り機の修理が終わらないために、お墓の周囲の草刈りができないままである。明日は集落の「地神さん」の朝は掃除、夕方は直来(なおらい)がある。
でも、なんだかんだと言いつつ、昼間も涼しくなったし、朝夕は肌寒いほどになってきた。確かに秋になったんだなぁと実感するような今日このごろではある。
迷犬ごんの散歩ルートには、「不動堂」、通称、「棚岩のお不動さん」があって、今日がその縁日らしい。そのお参りの人がいただいたパンを突撃して略奪する光景を見た。サルもここまでするんかい・・と驚いた。一瞬、カメラを向けたがすばや過ぎて何も写ってはいなかった・・・。迷犬ごんは見て見ぬフリをするばかり。
お参りに来ていたおじさんも唖然として・・「何が飛びつくかわからんのぉ・・」と驚くばかり。今日はその近くにある墓地にもお参りの人がいたが、サルは平然と歩き回っている。
今日の掲示板はこれ。「ご先祖様は眠っているのではない 眠っているのは私たち」というもの。亡き人に向かって、「どうぞ安らかにお眠りください」という言葉をよく耳にするけれど、そもそも、私たちはそんな言葉をなくなられた方に言える立場にあるのだろうか。生きている私たちが良い世界化に住んでいて、亡くなった方はこの世の邪魔をしないように眠っておいてくださいと、お願いをしているように感じられるのは私だけだろうか。悪いことが続いたりした時に「先祖のたたりだ、だからお墓におまいりしなければ・・」という云う人がいるけれど、ご先祖さまが子孫に悪さをするだろうか。むしろ、子孫である私たちの幸せを願っているのがご先祖さまではあるまいか。眼を開けた、ままで眠っている私たちに、眼を覚ませと呼びかけているのがご先祖さまではあるまいか。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。