さぬき市地方は晴れている所もあるが、気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は17度から25度、湿度は90%から60%、風は2mから3mの東北東の風が少し。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、気圧の谷の影響で昼前まで雲が広がりやすい見込みらしい。
今日は集落内の「出事(でごと)」で、地区の「地神(ぢじん)さん」の秋の例祭日ということで、朝の7時からみんなで掃除やら準備に出掛けた。
すると、もう、こんな状態・・。7時からというと6時半には集まって来る。当番ならば、少し早めは出掛けるものだが、ここは、いつも早いのだ。ここは「土地の神さま」ということで、秋の収穫に感謝するおまつりになる。ま、みんな、そんなに深くは考えていないようで、単なる「おまつり」でしかない。
10戸中9人が参加してのお掃除やらしめ縄のお飾り、のぼりを立てて30分ほどで作業終了。だから、お作法も拝礼もなにもない。ただ、お掃除しておしまいみたいなもの。神前の礼儀や作法を教える人もいなくなってしまった。
だから、この五色ののぼりの意味や五角形の石碑の意味なども誰も知らない。戦後は遠くなってしまった。
ということで、今日はシャワーを使う訳でもなく、着替えをするほどでもなく終わったので、午前中は昨日の続きで、「山頭火句碑」のスキャニングしたものの修正作業。なぜか、うちの「読んde!!ココ」というアプリは、「山頭火」の「頭」や「俳句の「句」の字を読めない。だから、それらを修正しないと訳がわからなくなってしまう。
例:この遍路みちは、これまでは宗教一途のみちであったが、放浪の俳人・種田山頚火が、昭和三年と十四年の二回来町し、数々の旬を詠んだことから、文学のみちともなったのである。 このたび、弘法大師がとおったみちぞいに山頚火の句碑 恵一、称lし′まったく告がない笠をぬぎ・・・
こういうものを丹念に修正してゆくのだから、目玉も乾燥する筈だ。
この旧長尾町の作成した句碑集は平成10年作成のものだから、「大川郡長尾町」という地名になっているので、これらは「さぬき市長尾西・・」などに直さないといけないし、それ以降の句碑がわからない。つまり、長尾町が合併してからは、こうした句碑集は発行されていないのかもしれない。
で、web上に掲載されている俳句と、この句碑集を突き合わせてみると、18もの句碑がわからないことがわかった。今も「山頭火顕彰会」というものが存続していて、いまだに活動をしているものだろうか。当時の会長さんであった「藤井先生」は、時々、会合や研修会で顔を合わすので、聞いてみたいものである。
しかしのかかし、「漂泊の俳人」とか「放浪の俳人」とか言われるけれど、「行乞(ぎょうこつ)」ということで、お米をいただき、お金をいただいて、「食べて、寝て、歩いて」の人世が送れたものだ。当然、「四国」という「お遍路文化」や「おせったい文化」があったのだろうけれど、いただいたお米をそのまま食べるわけにいかないし、お米だけでは生きてゆけないだろうし。それに空腹だからと、「水」だけ飲んで歩くわけにもいかなかっただろうし。
「15時から集会場でおまつりをするから・・・」との案内だったので、14時45分に会場に着いたら、私が一番ビリだった。私の参加で、「おまつり」が始まったのである。おまつりと言っても、みんなで「二礼・二拍手・一礼」しておしまい。あとは座談会とか自治会長からの周知事項とか・・。
で、いつものように、菓子パン二個とお茶での「直会(なおらい)」である。今日は、「敬老会のお相伴」ということで、全員に「甘酒」がふるまわれた。
で、いつものように、サルの話、イノシシの話、ヤモリの話、ヘビの話で盛り上がった。ま、みんなに共通する話題と言えば、こんなもの。それで1時間があっという間に過ぎてしまう。
今日の掲示板はこれ。「たとえ一日の生(しょう)であれ、彼岸を見られれば これより勝ることはない」というもの。
あるところにキサーゴータミーという女性がいた。彼女は幼い一人息子を亡くして悲しみにくれており、愛する息子をなんとか生き返らせたいとお釈迦様のもとを訪ねて生き返らす薬をお願いにきた。お釈迦様は「ケシの実を持ってきたら薬を作るけれど、ただし、そのケシの実は誰も死者の出ていない家からもらってくるように」と言われたのである。
キサーゴータミーは急いでケシの実をもらいに街に出るが、けれども、街中の家を回って尋ねても、死者の出ていない家は一軒もなかった・・・。
キサーゴータミーは、どこの家にも死があり愛する人との別れがある事に気づかされた。死は生きる者誰もが逃れることのできない事だと知り、生死という根本問題を自分自身の事としても向き合った彼女は、出家して生死を超えた仏の悟りの世界を求めることとなった。
そんな彼女にお釈迦様は次の詩を送られた。
「不死の境地(彼岸)を見ることなしに 百年間も生きるより
たとえ刹那(一日)の生であれ 不死の境地(彼岸)を見られれば
これより勝ることはない」 『ダンマパダ・アッタカター』
私達は日頃「生」と「死」という根本的な問題を後回しにしてその日暮らしをしているもの。キサーゴータミーが愛する息子の死を通して自分自身の問題として気づかされたように、お彼岸を機縁としてお仏壇やお墓に手を合せ、改めて「生死」の問題を自分の問題としてしっかり向き合い、仏様の教えを聞かせていただきたいと思うことである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。