丸亀地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、夕方から雨の降る所があるらしい。気温は15度から24度、湿度は90%から78%、風は1mから2mの北西の風が少し。明日の27日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、雨の降る所がある見込みらしい。
ご案内のとおり、今日は「いろは石ウォーク」の日。私はこの島に来て20年になるが、こういうイベントに参加するのは今日が初めて。前から、こういうイベントが行われているのは知ってはいたが、興味もないし、体力もないと・・・参加せずにきたのだが・・・。
せっかく、この島に住んでいるのだから、冥土のみやげと気分転換のために参加してみることにした。
この日の参加者は120人越え・・・だと聞いたし、地元のサポート部隊も数十人規模。こんな大きなイベントになっていたのか・・・。岡山の児島からも大挙して参加しているみたい。
開会式があって、自治会長さんの挨拶や事務局の挨拶などがあって、10時30分前には出発。この先頭グループが児島からのウォーキングクラブのメンバーらしい。早い早い、歩くのが速い・・・。
最初はこういう集団でスタートしたが、あっという間に「糸」のように細く長くなってしまう。
「い」:一隅を照らす これ即ち国宝なり 先日に紹介済み
「ろ」:六十の手習い これも紹介済み
「は」:華のいのちは短くて これも紹介済み
「に」:忍乃一事波 達成の門 忍ということは達成の必須条件なのだとか
この「山の神展望所」で、先頭集団が休憩している間に、下り坂を転げるようにして先頭グループを形成する。
茂浦集落に入って市井集落に向かう海岸線に出るあたりは、この「つわぶき」が満開状態の「つわぶき・ロード」。
「ほ」:本来無一物 本来は空であるから執着することなく自由自在であれ
「へ」:平和 平和は人為半分、天意半分で合成される
「と」:共に歩む 共同体の中での個性発揮を
「ち」:治にいて乱を忘れず 先日に紹介済み
「り」:流水不争先 流れている水はわれ先にと競争しない
市井集落に入って・・・。
「ぬ」:ぬかづく心に神やどる 信心深い気持ちを持てばのぞみは叶えられる
「る」:類は友を呼ぶ 似たものは自然に集まる
「を」:終わり良ければ総て好し 途中がどうであれ始末さえできていれば人は評価する
12時過ぎに、「青木集落」の旧広西小学校体育館で昼食。私はスーパーで買ってきた「三色海苔巻き」を屋外のベンチで食べた。6割方が体育館に入ったころ、隣のベンチのおじさんと一緒にスタート。12時半過ぎだった。途中、天野商店の自販機でお茶のペットボトル2本を補給した。
「わ」:和
「か」:かわる世変わらぬものを 流行にとらわれて不易なものを忘れないこと
「よ」:世の中は一長一短 世の中には良いことも悪いこともある
「た」:足らぬ足らぬは工夫が足らぬ 何事も不満ばかり言わず工夫をすれば実行可能
青木集落と甲路集落の境目あたりにある。赤と黒の二本の筆を持って字を書いている。これを「錦(二色)文字」というらしい。時には「青と黒」の場合もある。
早くに出ても、若者の足は速い。この坂道で、もう、30番くらいに追い越されている。いや、競争をしている訳ではないが、後の方をちんたらちんたら歩くのはイヤだから。この坂を下れば、「甲路集落」。
「れ」:歴史は神曲也 歴史は出来事が音符となり神が結んで壮大な曲となる
「そ」:壮心千里 勇ましく盛んな心が他に影響を与え広く伝搬する
「つ」:拙い事をひたすらに 不得手なことにもひたすら打ち込めば実を結ぶ
「ね」:念力岩をも通す 強い意志をもてばできないことはない
「な」:仲良し 人間関係のよいこと 広島小中学校校庭にある
「ら」:磊 太っ腹の意味 小事にこだわらず、寛容なこころで 昨日紹介済み
このあたりの、甲路から釜越(かまのこし)・江の浦に至る海岸線は遠い。このカーブを過ぎれば、「釜の越集落」で、向こうにゴールが遠く見えてきている。
「む」:昔を語るか そよぐ風 心を無にすればそよ風が昔を語るようだ
「う」:海広くして魚の躍るに委す 天空海潤の語源のことば
「ゐ」:お休み
江の浦集落に入ってすぐ。わが家近くにあるのがこれ。
「の」:能に誇れば功を失う 才能を自慢していると成功への道が遠のく
14時20分にゴール。「完歩証」を頂いて、お接待の「ところてん」を頂いた。乾いた喉にはおいしかったが、やや、甘かった。
青木を一番に出たはずなのに、もう、こんなにたくさんの人がお接待をいただいていた。
こども用にはどんぐり細工コーナーも用意されていた。私は早々に帰宅して、早めのお風呂に入って休息モードに。
今日の掲示板はこれ。「本来無一物」 本来無一物とは読んで字のごとく、本来執すべき一物も無い、何も無い、一切空であり、絶対無であることを意味する。分別相対的な観念を全くはさまない世界なのである。本来の心、仏性にはもとより塵や埃はないではないか。何事にもとらわれない、「空」や「無」と云う悟りさえとらわれないところであるから、煩悩妄想の起きようもないというところの心境をいう。さらに無一物の境地は、万法に広がる世界であり、限りないものがあり、そのままが「無一物中、無尽蔵」の世界なのである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。