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Channel: まほろば自然博物館
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ふきのとう 寝ぼけまなこに 沁みる色

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方からは雲が広がる見込みらしい。気温は0度から13度、湿度は76%から51%、風は1mから5mの西北西の風が少し。明日の16日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜には雨の降る所があるらしい。

 

 今日は暖かくなって春めく・・・というのだが、奥方が買い物のお手伝いをして欲しいというので、運転手兼の荷物運びをすることになった。

 

 野菜作り用の苦土石灰やら牛糞とか肥料とか・・・灯油とかを買い込んで運んで。

 

 食材やらなんやらと買い物もして、郵便局で荷物を受け取って、お金を引き出して、なんたらかんたらと慌ただしい。

 

 奥方の用事が終われば、これからは私の春探しのドライブ。

 

 春といえばこれ。これを見ないと春らしくない。

 

 今年は遅いなぁと思っていたが、あるところには出ているもので、すっかりと伸びて、こんなになっている。

 

 今年初めての蕗の薹だが、こんなにもあった。これが今夜の天ぷらになる。

 

 午後からは先週の続きの「さぬき市内の句碑・歌碑調査」の編集作業。およそ、八割くらいの進捗だろうか。ゴールは、もう、目前だ。

 

 句碑の漏れがないか、重複しているものはないか、写真が間違っていないかなどを確認しながら最終的な編集作業を行っていく。

 

 それを試験印刷して、最終的なチェックを行う。これらを、先に作成した「山頭火の句碑集」の後半部に挿入する予定。

 

 午後からは雲が出てきて風も冷たくなってきた。これからが冬本番になってくるらしい。それに、明日は雨になる天気予報だった。

 

 今日は涅槃会(ねはんえ)は、涅槃講や涅槃忌とも称し、陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日に、日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要である。 現在では、3月15日に行なわれているところもある。 涅槃とは、ニルヴァーナの訳語であり、迷妄のなくなった心の境地を指す言葉であったが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられている。

 

 今日の掲示板はこれ。「眼を開けば どこにでも教えはある」というもの。同じく道を求めても、先にさとる者もあれば、後にさとる者もある。だから他人が道を得たのを見て、自分がまだ道を得ていないことを悲しむには及ばない。眼を開けば、どこにでも教えはある。同様に、さとりへの機縁も、どこにでも現われている。香をたいて香気の流れたときに、その香気の、あるのでもなく、ないのでもなく、行くのでもなく、来るのでもないさまを知って、さとりに入った人もある。道を歩いて足に棘を立て、疼きの中から、疼きを覚えるのは、もともと定まった心があるのではなく、縁に触れていろいろの心となるのであって、一つの心も、乱せば醜い煩悩となり、おさめれば美しいさとりとなることを知って、さとりに入った人もある。「心を平らにせよ。心が平らになれば、世界の大地もみなことごとく平らになる。」という教えを聞いて、この世の差別は心の見方によるものであると考えて、さとりに入った人もある。まことにさとりの縁には限りがない。(仏教聖典・夜の部より)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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