さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、夜は雨の降る所があるらしい。気温は6度から12度、湿度は88%から63%、風は1mから4mの北北東の風が一時強かった。明日の18日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、朝まで雨の降る所がある見込みなのだとか。
どこの資料館とか図書館などは月曜日が休館日。だから、火曜日は図書館に来ることが多い。で、貸出期間は2週間になっている。だから、1週間後に返しておく方が安心だから、1週間ごとの火曜日には図書館に来るようになっている。
先週に借りた、お遍路研究の本を返却して、次の研究のネタ探しもしなくては・・・とやってきたのだけれど。
なかなかに次の方向が決められない。そこで、とりあえず、かがわの偉人、おもしろ人物伝なんぞの本を6冊、借りて来た。もちろん、讃岐の庄松(しょうま)さんのお話も入っている。庄松さん没後150年も近いのだから、庄松さんのお話もいいかなぁとも考えてみたり。
で、ふらりとやってきたのは、高松市仏生山町にある「仏生山法然寺」さん。ここの門前にある「竜雲うどん」をお目当てにきたのだが、ここは火曜日が定休日だというのでがっくり。
本堂にお参りして三仏堂(涅槃堂)にもお参りして。今日はおまいりの人もいなくて、境内で写生をしているご夫婦がいただけ。最近の絵描きさんはイーゼルを使わずに三脚を立てて絵を書いている。そういうものが流行しているんだろうか。
ということで、うどん屋さんを探して走り回ったあげく、やっぱり、お馴染みの「溜(たまり)うどん」に落ち着いた。さぬき市造田宮西という地区にあるプチセルフのお店である。
で、今日のお昼は「肉うどんの小」になった。360円だった。今日は時間の経ったうどん玉のサービスがあったのでいただいてきた。
別に古墳に興味があるわけではないが、こういう看板があったので行ってみた。
これが、「大井七つ塚古墳群」である。雨滝山山塊の西に延びた最も低い丘陵上にある大川町と寒川町との境界上に、五世紀後半から六世紀初頭の古式群集墳と考えられる大小の円墳が連なっている。東から一号墳と呼ばれ、西の端が五号墳となり、その西に、今はないが、四基の古墳が所在していたといわれる。向かいの南側丘陵にも一基の円墳が現存している。4号墳は、昭和三十九年の調査で、竪穴式石室から甲冑、鉄刀、鉄鏃など多くの武器類が出土している。五号墳からも、昭和十年頃に、単甲、鉄刀、銅鏡、玉類が出土している。(旧大川町HPから)
この竪穴式住居も、この古墳を所有している田口さんという方が自分で作ったものなのだという。しかし、こんな大きな円墳を幾つも持っている方・・・というのはすごい。草刈りとかの手入れも自分でやるんだろうか。この住居の中には、本当に火を焚く囲炉裏まで作ってある。
うちの町には、こんな前方後円墳があって、「富田茶臼山古墳」と言い、香川県さぬき市にある前方後円墳で、国の史跡に指定されている。四国地方最大の規模で、古墳時代中期の築造と推定される。規模は、全長約139メートル、後円部直径約91メートル、前方部幅約77メートル、後円部高さ約15.7メートル、前方部高さ約11.8メートル。先の七つ塚古墳群は、この古墳よりもずっと後の円墳である。
午後からも蕗の薹探しをやったり、山頭火の句碑集の最後の微調整、ページナンバーの確認とか後書き、前書きの確認作業なんぞをやっていた。
今日の掲示板はこれ。「こんなはずではなかったと言って終わるか これでよかったと言える人生にするか それが仏法」というもの。人は死に直面して、はじめて過去の自分の無意味な生き方に気がつくのである。それまでの自分は、家族を守るため、お金を貯めるために生きてきて、「幸せ」という夢想を埋めるためのものでしかなかった。自分で生きていなかったということに気がつくのである。「こんなはずではなかった・・・」その思いは、「自分だけは大丈夫」だと思い込んでいるために起こるのではないのか。そんな私たちに対して、すべての物事は必ず移り変わるということを、仏教では「無常」と教えてくれているのである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。