さぬき市地方は冬型の気圧配置が緩み高気圧に覆われてきたため、晴れていたが、瀬戸内側では東部を中心に雲の広がっている所があった。気温は3度から9度、湿度は68%から52%、風は3mから4mの北西の風が少しばかり。今日は比較的温かいと感じた一日だった。明日の21日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で夕方から次第に雲が広がる見込みらしい。
寒い寒いと言いながら、それでも梅の花が咲き、櫻のつぼみも膨らんできて、春めいては来ているような気がするが、そう、すんなりと春になって行くのだろうか。
図書館で借りてきた、「さぬき人ここにあり」という、小学生向けの本を眺めていたら、「向山周慶(さきやま・しゅうけい)」という人のお話があった。讃岐は米が取れないので砂糖造りを幕府や高松藩が考えて、この向山周慶に栽培・研究を命じたらしい。詳しいことは以下の記事を参照されたい。
http://www.h4.dion.ne.jp/~toso504/renkei/sikoku/Sikoku-furudera-kagawa23.htm
そこで、この記事の「向良(こうら)神社」や向山周慶のお墓を訪ねることにした。この左の川が「湊川(みなとがわ)」で、目的地はこの川の向かい側の先。ふと、この枝を見ると・・・。
ちらほらと、川津桜が咲き出している。まだまだ、数輪だけの開花だ。
これが東かがわ市湊にある「向良神社」である。この大きな石碑は読めないので、以下の文章を掲載しておく。
ともかく、四国巡礼のお遍路さんを助けた御礼に、薩摩の奄美大島から国禁を侵して甘藷の種茎(別説ではサトウキビの苗)を隠して持ち込んで、この地で栽培して砂糖の製造に成功したというお話である。
で、この大きな無縫塔が「向山周慶」のお墓である。この頃は、サツマイモから砂糖を作っていたのか。今、東かがわ市で作られているのは「サトウキビ」から「和三盆」が作られているのだけれど。
で、こちらが関良介のお墓である。彼もまた、周慶の後を追うようにしてこの地で亡くなった。
この向山さんの生家は少し前までは残っていたが、今はこのような石碑が残るばかりである。
サトウキビを絞ったものは「白下糖」という濃い茶色をしたもので、それを押し船や研ぎを三回繰り返して盆に取ることから「三盆糖」と呼ばれるようになったもの。こうした工程を経て、茶色から白い和三盆糖になってくる。その工程に周慶らは苦心したらしい。
江戸時代中頃から、「讃岐三白」と言えば、「砂糖・塩・綿」だと言われ、讃岐の産業の中心だったということである。
今日の掲示板はこれ。「心構えというのはどんなに磨いても毎日ゼロになる能力である。毎朝歯を磨くように、心構えも毎朝磨き直さねばならない」という田中真澄さんの言葉からである。朝起きると、当然のように顔を洗い、トイレに行き、着替えをして朝食を食べて歯磨きをする。それなのに、心を磨き直すという習慣はない。「かけがえのない人生だから、今日を精一杯生きてやる」という心がけも、一度、考えただけで、毎朝は考えない。最後に、二宮尊徳の言葉。「太陽の徳、広大なりといえども、芽を出さんとする念慮、育たんとする気力なきものは仕方なし」発憤カこそ人生をひらく源であることを忘れてはならない。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。