さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で昼過ぎから雲が広がってきた。気温は0度から12度、湿度は77%から56%、風は1mから4mの南南西の風が少しばかり。明日の22日は、前線が四国付近を通過するため雲が広がり、昼前から雨が降りやすい見込みらしい。
さて、昨日の続きで、今日は東かがわ市引田(ひけた)にある安戸池にやってきた。京都の藤原忠光の娘が小船で安戸浦へ漂着したが、 まもなく亡くなった。村人たちは与治山頂上の京に向いた位置に葬った。その後、ここに祠を建てて祀り、娘の生前の官位に ちなんで祠は清少宮といわれるようになった。そして、娘が安堵したことから「安堵浦」とされ、後に「安戸池」になったという。
こんなカルタがあるようで、ここで初めてハマチの養殖が行われた。それを成功させたのが、野網和三郎であった。
http://www.pref.kagawa.jp/kocho/sanukino/2005/summer/9_10.htm
この方が野網和三郎さんで、
この安戸池堤防上には、このような銅像が建っている。この人、「和三郎」から「ワーサン」と呼ばれていた。だから、今でも「ワーサン」で通用する。
この建物、土産物屋兼海釣り体験「ソルトレイクひけた安戸池」の受付窓口でもある「ワーサン」という建物。食堂兼喫茶室は「ワーサン亭」という。
http://www.saltlake-hiketa.co.jp/
ここでも、オリーブハマチを食べさせてくれる。さすがに「ひけた鰤(ぶり)」は完売とのことだった。
私が小学生だった昭和30年代には、こんな遊覧船が出て、海女さんが船の下から挨拶したりしていた。
これはハマチにエサをやっているところ。もちろん有料でハマチを釣ることもできた。その観光客用の旅館や割烹もあって、ハマチ料理を堪能できた。
それもいつしか飽きられて、閑散とした時期があった。この今も残る杭の上に、そうした旅館があって、安戸池を眺めながらお食事ができた。
さて、その「ワーサン」のお墓探しだが、これは難航した。「ワーサンの墓か・・・。聞いたことがないのぉ・・」という返事ばかり。
あちらこちらの墓地を探してみたが見つからない。「おい、おっさん。ここで、なにをしよんや」と、不審者に間違われたが、「ワーサンのお墓を探しよんやけんど・・」というと、「あ、ワーサンか・・・。そいうたら聞いたことがないのぉ・・・」と、一緒に探してくれたが見つからない。
ワーサンの生家にも行ってみたけれど成果なし(笑)。ここは安戸池を見下ろす高台にある。
昔は安戸池から、こんな山道を登って行くようになっていた。今は裏側から立派な車道が付いて舗装までされている。
東かがわ市歴史民俗資料館にも行ってみたが、ここにもワーサンの資料はあまりなかった。
ハマチは「出世魚」と呼ばれ、9Cm以下をモジャコ。15Cmをツバス、30-40Cmをハマチ、60Cmをメジロ、90Cmをブリと、それぞれ名前を変えるのだそうだ。
今日の掲示板はこれ。「いちばん身近な人のおかげが見えないようでは幸せにはめぐりあえない」という東井義雄先生の言葉から。東井先生が二十五歳の時、ある児童の質問のおかげで、自分の力で生きているつもりだったが、生かされて生きていたことに気付かれたそうだ。これが東井先生の第二の誕生であるといわれている。これを機に、ものの見方が変わった先生は後年、「同年輩や若い後輩の先生方にずいぶん育ててもらった。」「人格、識見、実力ともに抜群な教頭先生に恵まれ、ゆるしてもらいカバーしてもらったおかげで(三つの学校の校長として)勤めることができた」と述べられている。また、いくつかの書物でも身近な人の恵みを語っておられる。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。