さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で昼過ぎから夕方は雲が広がってきた。気温は8度から14度、湿度は88%から61%、風は1mから6mの西北西の風が一時強かった。なを、「春一番」は昨日に吹いたということだった。明日の24日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。
今日は天気もいいことだしと、ここにやって来た。丸亀市綾歌町にある「福成寺(ふくじょうじ)」という浄土真宗本願寺派のお寺さんである。
ここの横にある池のほとりに、「寒桜」が植えられていて、昨日、一昨日あたりが見頃だったのだろうか、今日はハラリはらり・・・と花びらが舞っていた。
今日は絵を描く人(この人たちを何と呼べばいいのだろう)が数人いた。
最近、各地で見かける、この写真撮影用の三脚を立てての写生である。それに荷物搬送用のキャリーを引いている。三脚の上は自作のアタッチメントを装着している。
メジロが人なつっこく近寄って来る。
風は冷たいが、まさに「春爛漫」という風景。
この・・・金色の額が本堂前上段にあって、「当山沿革」と書いてある。以下はその要約。
浄土真宗本願寺派梵音山真興院福成寺と称す。開基は、聖武天皇の頃、行基の開山と伝えられる。嘉承元年(848)真言宗に、応永28年(1421)、中興の祖、了圓により、真宗に改宗した。
後小松天皇の応永元年(1394)、長尾大隅守の執権職であった幡多惣左衛門正家が68歳の時、出家し了圓と号し、この地に福成寺を再建した。了圓の後、長尾元高の第9子、高乗をその嗣とし、乗高と号し、当山第二世となった。以後、法灯連綿今日迄及ぶ・・・とある。 諸堂宇も整い大いに盛んであったが、天正の兵火で焼失。以後再建され、天正14年には、羽柴秀吉から京都大仏殿供養に命ぜられている。
今日は風がやや強くて肌寒くて、早々に撤収した。
その帰りに、高松市香川町川東にある「こんぴらや」というプチセルフのお店に寄った。
今日は珍しく、温玉ぶっかけ小の温いんにカボチャの天ぷらを載せてみた。あっさりとした味がさわやかだった。
午後からはまたしてもデスクワーク三昧。山頭火句碑集の些細な修正とか、HPの行事予定の修正更新とか・・・。
今日の掲示板はこれ。「よく自分に問うてください。一度きりの人生をどのようにいきていくのかを・・・・」というもので、今日、お邪魔した「福成寺」さんの入り口にあったもの。「よく自分に問うてください。一度きりの人生を、どのように生きるかを。善人になるより、悪人と気づくことのほうが難しい。」というのが元の言葉らしい。山本有三さんの言葉に「たった一人しかない自分を たった一度しかない一生を ほんとうに生かさなかったら 人間に生まれてきた甲斐がないじゃないか」とある。私たちは一度きりの人生をどう生きるかを、よく自分に問うてみなければならない。人生は何が起こるかわからないもの。時にまさかということも起こってくる。いつ人生が終わるかもわからないのだから、まさに、いまが大事なのである。
じゃぁ、また、明日。会えるといいね。