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Channel: まほろば自然博物館
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山桜 散りゆく時を 見逃さず

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 さぬき市地方は、四国の南海上に停滞する前線や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があったし、前線が北上してくるため、夜遅くには雨となる見込みだとか。気温は13度から18度、湿度は90%から69%、風は2mから4mの南風が桜の花びらを散らしていた。明日の5日は、引き続き前線や湿った空気の影響で雲が広がり、雨が降りやすいらしい。

 

 けいこばぁが、屋島へ行こうと言うので屋島に行ったのだが、あの桜を持って帰るのだという。明日はわが家でお花見の宴がある。そこに飾るのだという。もしもし・・、ここは国立公園ですぞ。それだし、国の史跡でもあるし、天然記念物でもある。もし、こんな所の桜を切ったら新聞ダネ、テレビダネになってしまう。けいこばぁは、「へぇ、そうなん・・。あんなにあるのに・・・」というのだから呆れてしまう。

 

 なんだかんだとあって、けいこばぁは、娘の家に預けて私は家に帰ることにした。でも、せっかく、ここまで来たのだからと、ホームセンターに寄ってみた。確かにこういうお店に来ると、便利な物、あればいいものが山のようにある。でも、本当に必要なのか・・・と考えてみたら、必要な物は何もない。

 

 その後も、あちらこちらのホームセンターをのぞいてみたが、どこも同じようなものばかり。あれば便利だが、今、必要かと考えたらいらない・・・。で、やっぱり、ここが気に掛かる。さぬき市長尾東の「亀鶴公園」。思ったほどの人出ではなかったが、お弁当を提げて、続々と人びとがやって来ている。

 

 こういう露店もお店を出しているが、たこ焼きやクレープが人気らしかった。

 

 風に乗って花びらがハラハラと舞い落ちている。花むしろまでには届かない。

 

 ここはさぬき市寒川町にある「門入(もんにゅう)ダム」、ここも県営ダムである。ここは「はな垂れダム」として有名。見方によれば、鼻水を垂らしているように見えるからである。ここも、あちらこちらで花見客がテントを張ったり、バーベキューをしたりで賑わっている。

 

 わが家に戻ると、玄関前にこんなプレゼントが・・。二男の「よっくん」が山の旧宅で掘ってきたものらしい。今年はイノシシやサルが少ないのだろうか。それとも、すっかりとタケノコには飽きたのだろうか。

 

 それにこんなものまで。これらは、明日の花見の天ぷらになる予定。

 

 で、着替えて、お弁当を持って、いつもの「大川ダム」までお散歩。

 

 で、今日も「ぼっち花見」、「花ぼっち」とも言うらしい。「一人ぼっち」+「花見」である。この時にはちょうど正面から風が吹いてきて、花びらが顔に当たる、口に入る、弁当に降り注ぐ・・。かと言って反対方面に向けば、県道を通る人から丸見えになる。数枚の花びらは口の中に入った。

 

 山桜も今が盛りのようである。低い場所にあるものは散ってしまっているし、山の上にあるものはちょうど満開時期のよう。

 

 すっかりと春になったなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板は時期に合わせてこれ。「ちるサクラ 残るサクラも散る桜」という良寛さんの言葉からである。江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている歌である。意味は、「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくこと。」というように受け取れる。要するに限られた「いのち」である。また、この良寛和尚の句から親鸞聖人が得度をされる時にお詠みになられたと伝えられる「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を連想させられる。「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません。」とそのような心境で親鸞聖人は慈鎮和尚に得度を願われたと言い伝えられている。この二つの歌から伺えることは、今生きている命を「如何に生きるか」ということではないだろうか。自分自身が積み重ねてきた過去の経験(苦しみや楽しみ)を現在に生かし、そして未来につなげていくことができるのは、自分一人の力では決してない。いろいろな人に支えられているからこそ実現できるのである。そのことに気付き、そして感謝の気持ちを持って日々充実した生活を過ごさせていただきたいものである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


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