さぬき市地方は四国の南岸に停滞する前線の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は13度から15度、湿度は96%から91%、風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の7日は、前線は四国の南海上まで南下するが、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、明け方まで雨が降る見込みなんだとか。いきなり梅雨に入ったのかと思うような蒸し暑さと湿った空気がむんむんだった。
昨日のタケノコもワラビもタラの芽もみんなにあげてしまったので、山の旧宅で採ってきて頂戴・・・と奥方が言う。そんならあげないでおけばいいのに、みんなにあげてしまってから、わが家にも欲しい・・・というのだからお馬鹿さん。
昨夜の風雨で桜の花は散ってしまっただろうと思っていたのに、サクラだって、そう簡単には散らないのだそうだ。役目が終わるまでは散っては困るのだそうだ。
それでもなんとか一本は見つけた。この場合は左下、八時の方向を慎重に掘って、根っ子が見えたらクワを打ち込む。
うむ、もう少し下だったか・・・。
ワラビはこんなものだ・・・。
タラの芽は高くて苦労したが、これだけあれば二人では食べきれないかも。でも、粗皮という根元の茶色い部分や木の部分を取り除くとずいぶんと量は少なくなる。
昨日、二男の「よっくん」が分解してくれた、洗面台の立水栓の防水部分。こんな四角なパッキンなんて見たことがない。10年も前の物だから、ネットで検索しても出てこない。お店ではレシートがないとお取り扱いはできないというし・・・。これを自作するのはちと難しそう。
で、壊れていたルーペの電池と豆電球を交換した。
これは簡単に修理ができた。
これで、細かな文字も読み取れそう・・・。
昨夜に壊れた廊下灯も電球を交換して修理完了・・・。
これは、2009年4月6日の私のお部屋・・・というか、書斎の最初。本当のマシン室は、廊下を隔てた別室にあった。6年前の部屋である。
ところがどうだ。今はこんな風に雑然としてきた。デスクトップが三台にノートPCが一台、プリンターが三台と、マシン室が移動してきてしまった。昔のマシン室は奥方のアトリエに変貌してミシンが二台居座っている。
今日の掲示板はこれ。「逝く空に 桜の花があれば佳し」という三波春夫さんの辞世の句である。三波春夫さんは2001年4月14日、桜の花の中で生涯を閉じられたそうである。敗戦を満州で迎え、シベリアの捕虜収容所での抑留生活を経て帰国。帰国直後は共産主義に傾き、その後ソ連批判の反共産主義運動を展開されたのだとか・・・。
私は華やかな一面だけしか知らなかったけれど、波乱に満ちた生涯を送られた方だったんだなぁと思うことである。三波春夫さんが日本の心を伝えたかった、そのお気持ちも今になるとよくわかるような気がする。まさに激動の昭和を芸ひとすじに磨きをかけ人々を酔わせた大衆歌謡の大御所・・・。とても明るいさっぱりとした気持ちの良いお人柄の方であったということである。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。