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Channel: まほろば自然博物館
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ため息が あちこちで出る 八重桜

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 さぬき市地方は気圧の谷や上空の寒気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があったが、午後からは晴れ間も見えてきた。気温は8度から17度、湿度は90%から50%、風は7mから3mの西北西の風が吹き荒れたこともあった。明日の16日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、気圧の谷の接近で昼前から雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 午前中は小雨もぱらついていたし、風も強くてどうしようかと考えていたが、とにかく、出かけてみることにした。天気予報では午後からはよくなりそうな空であった。

 

 ほたる見公園でトイレ休憩。利尿剤の影響で30分ごとにトイレ休憩が必要になる。ここから右に曲がって裏山に入り、かりん会館から満濃池に出る。

 

 ここの八重桜も散り始めていた。

 

 満濃池の護摩壇跡、ここで弘法大師が工事の成功を祈ったのだとか・・・。

 

 朝の満濃池は穏やかなもの。介護施設のバスが二台、満濃池を眺めていた。

 

 もう、サツキが花を開いている。池の周辺を散策したが寒い寒い・・・。

 

 満濃池から北東の方向に走って、ここは仲多度郡まんのう町高篠羽間(はざま)。道路脇に、「円光大師御旧蹟・・・」の碑がある。円光大師というのは法然上人のことである。このあたり一帯が、法然上人の遺跡(ゆいせき)跡であると、この石碑は言うているのである。

 

 そこから少しばかり進むと、こういう石碑がある。「小松之里」と刻まれている。ここが「西念寺」という浄土宗のお寺である。法然上人が止住したお寺は「生福寺」という小さなお寺であったが、その後、荒廃していたものを、江戸時代になって、高松藩主初代松平頼重公が香川郡百合(もまい)村に移転したのが、現在の高松市仏生山町の法然寺である。

 

 それならば・・・ということで、今度は丸亀藩下中津にあった西念寺を持って来たのが、今の西念寺であるという。だから、「中津山新黒谷浄土院西念寺」というのである。

 

 「ここは羽間の新黒谷か 佛とられて濡れぼとけ・・・」という俗歌が流行ったというのは、高松のお殿様に仏様を持って行かれた・・・ということを言うてるのである。

 

 お寺の東にある山に入れば、上人が使っていたという井戸がある。ここに住民が豆腐を寄進して、この井戸に浮かべておいてくれたので「豆腐の井戸」とか「法然水」とか呼ばれていたそうである。今は立派な井戸になっている。

 

 そこから山道を登って行くと、「法然上人御廟所」があって、法然上人のご分骨が収められているという。左下の舟形石碑は「法然上人二十五霊場」というミニ霊場である。

 

 ここが、御廟所、法然堂である。

 

 帰りに、ここでお昼にした。「本格手打ちうどん・はゆか」というプチセルフのお店である。ここも他府県ナンバーの若者が多いお店である。ちなみに、「はゆか」というのは「羽床」という地名である。

 

 讃岐の人は「かけ大」+天ぷら+ご飯もの・・・というケースが多い。私も若い頃はそうだった。でも、最近はおなかが小さくなって「おろしぶっかけ小のぬくいんと薄い出汁」くらいなもの。これで二百八十円だった。

 

 その後は、プリンター用のトナーやインク、印刷用紙などの買い物をしながら帰ったものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「今年とともに歩きし人よ いないということ思い知る 葉桜の下」という俵万智さんの歌からである。 《チューリップのペンダントして歩く道 鈴のようにも涙のようにも》  《去年ともに歩きし人よ「いない」ということ思い知る葉桜の下》 葉桜を見ると私はいつも、人との出会いや別れを思い出す。『短歌は、ぼんやりとしていては、生まれない。けれど意識しすぎても、だめだ。いつ訪れるかはわからない「あっ」という心の揺れ、それが種となって、少しずつ育ってゆく。花は、そんな心の揺れを、たくさん私に運んでくれる大切なパートナーだ。万智さんの言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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