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アイリスの 供えられたる 六地蔵

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 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がり、雨が降っていた。記音は15度から19度、肌寒く感じてセーターを羽織っていた。湿度は90%から60%。風は1mから2mの南西の風がそよそよと・・。明日の6日は、東シナ海に中心を持つ高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、昨夜は弟のよっくんもやってきて、総勢12人の宴会になった。夜だから室内でのバーベキューにした。

 

 この小型いろりは重宝する。十数年前に自作したもの。このいろりで母のさっちゃんとけいこばぁが台風の時に命拾いしたので、ここに持って来たもの。普段にはこの上にお花が乗っていてインテリアとして使っている。

 

 台風で家が流され、電気も消えてしまった時、母屋に片づけてあった、このいろりで暖をとり、あかりをとり、お茶を沸かしておにぎりを食べて一夜を過ごしたという。

 

 今日は朝から雨が降っていて天気はすこぶる悪い。弟ふたりは早々に帰っていったし、娘家族は買い物に出掛けた。孫たちは雨の中でも自転車に乗ってはしゃいでいる。

 

 お昼は奥方お気に入りのここになった。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。さすがに連休中ともあってお店はいっぱい・・・。

 

 娘家族も神戸のよしつぐさん家族もお昼を食べたら帰るという。中学三年生は塾だの部活だのが待っているのだとか。ゆっくりとはできないお年頃・・・。

 

 このわかめうどんでも470円。ゴールデンウィーク限定メニューなんだとか。でも、連日の飲み過ぎなのかお疲れなのか、半分も食べられなかった。味もさっぱりわからない。これは重傷かも。

 

 お昼過ぎの14時になると、お客さんは一斉にお帰り。後に残ったけいこばぁと私と迷犬ごんは茫然自失・・・。早々にブログを更新して、今夜は飲まずに寝てしまうことにする。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去を引きずるな 未来を怯えるな」というもの。過ぎ去った過去をいつまでも引きずっていてはできることもできなくなるし、まだやって来ない未来を怯え、恐ろしがっていては前に進めない。過去は過去として忘れ去り、まだやってこない明日をあれこれ考えてみても仕方がない。今日という日を確かなものとして生きて行くことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やまつつじ 弥陀の救いの そのままに

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、我が家の上空は薄曇りのまんまだった。気温は8度から20度、湿度は82%から38%。風は2mから5mの北北西の風が少し。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込らしい。

 

 昨日、午後にみんなお客さんが帰ってしまうと、けいこばぁも引き籠もって洋裁を始めたし、迷犬ごんも拍子抜けしたようで犬小屋にこもって寝てしまった。私も猛烈な眠気に襲われて、食事もせずに風呂にも入らずに寝てしまった。それでも朝の6時半までぐっすりと寝てしまっていた。飲み過ぎだと奥方は云うが、気疲れしたのかもしれなかった・・・。

 

 さて、奥方は恒例の「火曜日勤務」に出掛けて行った。9時から翌日の9時までのお泊まり勤務。やれやれ・・・と云うことで私もお出かけ・・・。ホームセンター屋島店と志度店をのぞいてきた。メダカの餌や睡蓮の肥料、夜の二次会用のおつまみに焼酎・・・。

 

 その間に見掛けたお寺によって「伝道掲示板」がないかチェックして回る。最近は「荒了寛さん」ばかりになっているので、新鮮なものがないかなぁ・・・と探すのだけれど、案外と掲示板があるお寺さんは少ない。

 

 午後からは四国霊場88番札所の「大窪寺」前に行ってきた。この時期、この門前の山には「しゃくなげ」が咲いている。今年は少し開花が遅れた様子。

 

 このように15ヘクタールの山の中に2000本のシャクナゲが植わっているらしい。管理をしているのは「八十八庵:やそばあん」というお土産屋さん兼うどん屋さん。ここを見学するには「入園券」が必要。ここを見学するのは無料なんだが、お店で買い物をするかおうどんを食べてから。

 

 で、こういう看板がある。

 

 というのも、傍若無人にお店にも立ち寄らずに、しゃくなげやあじさいだけを眺めてさわいで立ち去るこころない人がいるため。お抹茶席は500円。

 

 このシャクナゲが終わったら誰も山には近づかないが、やがて6月になってあじさいが開花するようになると、また、山はにぎやかになる。6月の中旬から下旬頃かな。

 

 山の野藤、山藤が元気だった。

 

 私も午後になったら元気になった。元気にはなったが、オツムの回転はまだまだ回りが遅い。目のかすみのせいか寝過ぎたためか頭がぼんやりとしたまんま。連休の後遺症かもしれない。

 

 山の新緑がきれいになった。朝方は肌寒いなぁとセーターを羽織ったが、午後からは気温が上昇してきて暖かく(?)なってきたが、まだまだ「暑い」という気温にまではならなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。東かがわ市にある「正行寺」さんの門前にあったもの。「人のわろきことはよくよくみゆるなり わが身のわろきことはおぼえざるものなり」という本願寺第八世蓮如上人のお言葉である。ともすれば、私たちは他の人に打ち勝ってはよろこび、人には良く見て欲しいと願い、私欲を好むもの。そんな私の姿を鏡のように写してくださるのが仏法であり、その私をその身そのまま救いとってくださるのが、「南無阿弥陀仏」のご本願のおすくいなのであると云うている。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

もの言わず 今日も暮れたり 山つつじ 

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 四国地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9度から20度、湿度は84%から42%。風は2mから4mの東の風が少し。日陰にいると肌寒くて日向に出るとやや暑い・・・というお天気。明日の8日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みだが、夕方からは曇るかも。  

 

 画像で見る限りでは初夏らしい良い季候にはなってきたのだが、なんだか、朝夕は肌寒くて・・・。昨夜はどうでもなかったのだが、今朝方には喉が痛くなり、咳が出てきた。5時前には風邪薬を飲んで寝たのだが、どうにもこうにも鼻水・セキに喉の痛みが治まらない。

 

 汗まみれになったお布団を伸して、着ていたものを脱ぎ捨てて洗濯して干した。奥方が不在だから主婦ならぬ「主夫」業もやらないと・・・。朝食も食べて、朝ドラを見て、迷犬ごんの散歩もさせて・・・。

 

 気分転換にここにやってきた。山と谷を一つ越えた、「さぬき市大川町南川」と言うところにある「さぬき市南側自然の家」。ここは昭和の半ば頃まで、「富田小学校南川分校」があった場所。

 

 今は「南川自然の家」という野外活動センターになっている。夏休み期間中ほかで、キャンプやキャンプファイヤーやプールなどを楽しむことができる。この二宮金次郎象は、本物のまきを本物のロープで背負っている。

 

 この施設の西手に、「南川のフジ」というノダフジの巨木がある。多数の枝は、幹囲1.6m、高さ15mのナラガシワの木全ての枝に這ってこれを覆い、さらに南12m離れたハンノキと北14m離れた所にある ムクノキの両大木にまで枝を伸ばしている。香川県指定の天然記念物なのだが、今年は花が見えない。すでに散ってしまったのか、今年はまだ開花していないのか・・・。

 

 いつまでも花のないフジを眺めていても仕方がないので、市役所の支所に寄った。先日の母のバイクの修理をあきらめた男たちは、ナンバープレートを外してきた。こんなバイクでも年間に1,000円の税金を払ってきた。

 

 それを市役所に「廃車届け」をして、ナンバープレートを返納してきた。これがまぁ、30分以上もかかってしまった。

 

 で、来年度からは税金がかからなくなるのだという。いつか修理しよう、いつか治そうと放置したまんま10年も過ぎてしまっていた。その間に、そのミニバイクを買ったお店もなくなってしまったし、バイク屋さん、自転車屋さんというお店もなくなってしまった。

 

  そうそう、薬屋さんも廃業して、遠くの町のドラッグストアに行かなくてはいけない。ちなみに市民病院をのぞいたら、連休明けだからうじゃうじゃと人が居る。それじゃぁダメじゃん春風亭昇太。待つことは大嫌いの私は、少々遠いけれど、隣の市まで走って風邪薬を買った。

 

 天候は快晴で薫風薫るいい時候なんだけれど、みずばなグスングスンではどうしようもない。昨年のブログを見ると、昨年も連休明けには風をひいて寝込んでいる。連休明けのパワーダウン症候群。

 

 お昼前に帰って来た奥方と、簡単な昼食を食べて、二人ともダウンしてお昼寝モード。でも、明るい昼間からはそうそうは寝てばかりもいられない。洗濯物の取り込みからお風呂の準備から、迷犬ごんの散歩から、今日は水曜日でCoopさんの配達日、明日は空き缶の回収日・・・。

 

 急がなきゃ遅れるわ。

 

 今日の掲示板はこれ。「つまづいてころんで腹をたてる人 悟る人」という荒了寛さんの言葉から。最近はクレーマーという人が多くなった。何にでもクレームをつけたがる人のこと。洋服から靴から食品から化粧品から・・・なんでもかんでもにクレームをつけて謝罪させて満足したり、金品を受け取ったりする。それで企業が倒産したり廃業に追い込まれることもある。が、一方では、そのクレームをただしく受け止めて新製品を作ったり対応のすばやさで評価されることもある。一つのことでも、どう、受け止めるかで、正反対の結果になることはしばしばあることだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

若葉切る 鋏の音の 鈍い朝

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は11度から24度、湿度は76%から52%。風は4mから6mの東南東の風が少しばかり。朝方は肌寒くて冬の衣装に戻ったけれど、お昼は,蒸し暑くなって24度にもなった。ますます体調が崩れるばかり。明日の9日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 風邪の方はどうやら峠を越えたらしい。喉の痛みも咳も収まったし、ティッシュペーパーもいらなくなった。でも、相変わらず、胃とかオツムとかは調子が悪い。どうにもこうにもパワーが出ない。

 

 昨日も軽く缶ビールを飲んで19時過ぎから寝てしまったのだが、アルコール不足なのか「利尿剤」のせいなのか1時間ごとにトイレに起きた。これでは寝不足にもなるはずだ。で、朝は7時過ぎまで寝てしまっていた。ま、これだけ寝たら身体の休養・安静にはなったのかも。

 

 でも、いつまでもゴロゴロとしている訳にはいかないな、と云うことで、できることからコツコツと。あんまりコン(根)を詰めて熱を出しても困るのことだし。

 

 これが「まほろば自然博物館ポータルサイト」。センスが悪いもので増築増築ばかりでやってきたから、訳のわからんホームページになってきてしまった。でも、これを建て替えるとなるとおおごとだから、このままで行くことにした。70歳までは運用できたらいいな。

 

 「讃岐における二十四輩遺跡調査」とか「讃岐における法然上人の足跡」なんかをやりっぱなしになっているものを整理しなければいけないのだが、なかなかに進まない。そろそろとディスク容量も気になる時期だし。

 

 とにかく、目がかすむというのはオツムもかすむしこころもかすんでしまう。これでいいアイディアも出ないし、いいお仕事もできないのだろうが、「治りませんので馴れるしかありません」と云われてしまうとどうしようもない。グリコのマークの「お手上げ状態」。それじゃ、ダメじゃん春風亭昇太。

 

 とりあえず、今月のイベントや行事は日曜日に集中していて、平日には予定はちらほら。だから、「二十四輩さん」と「法然上人讃岐の足跡」だけはHPにあげておかねば・・・。6月の梅雨時には「英国士官レキ墓研究」の論文の最終仕上げやら印刷やら製本を考えている。

 

 目の見えるうちに、指の動く間にできることはしっかりと片づけておきたいものだと考える今日この頃。心臓の「電気ショック治療」はどうしたもんだか、まだ、結論に至っていない。一週間後の15日に決断しないといけないのだが。

 

 山はすっかりと夏になった。室内の温度計では26度を指している。朝方は「寒い寒い」とセーターを重ね着していたのに、夕方にはセーターを脱ぎ捨てて半袖スタイル。こういうのがあって、またもや風邪を引いてしまうのかも。ご用心・ご用心。

 

 今日の掲示板はこれ。またも「荒了寛さん」の「一言多かったか一言足りなかったか 一言で人生が変わることもある」と云うもの。自分の一言で誰かが変わったという実感はないし、人に言われた一言によって自分の考え方が変わって、そのおかげで人生が変わったかもしれないということもない。でも、一言多かったことで失敗したことは数知れないくらいにあるし、一言足りなかったことで理解されずに悔しい思いをしたこともいくらでもあった。 こういう一言は、内容も大切なのだが、相手の心にグッとくるタイミングで投げかけるからこそ響くものなんだろうと思う。タイミングが悪いだけで「一言多い」または「一言足りない」というい結果になってきたのだなぁとは思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

藤の花 休みの済んだ 気の重さ

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は14度から26度、湿度は89%から47%。風は2mから6mの東北東の風がうなりをあげて吹いてはいたが、涼しくていい気持ち・・・みたいな風。明日の10日は、引き続き高気圧に覆われて、晴れる見込みらしい。

 

 奥方のけいこばぁは、朝の5時過ぎから起きて畑仕事。私は定刻の6時過ぎまで寝ていて、それから畑用の水をポンプアップしたり、お風呂モーターを改良した水やりホースを準備したりして・・・・。ささやかなお手伝い。私は農作業は好きじゃない。

 

 昨夜のNHK-Tvの19:30〜19:55の番組、にっぽん紀行「語り出す”人生”ノート」と云う番組を眺めていた。見るとはなしに見ていたのだが、自分の思い出とか、残された人へのメッセージとかを書き残すノートのお話。そこでは「エンディング・ノート」と云う言葉は出て来なかったけれど、似たようなものだなぁと思って見ていた。

 

 で、布団に入って、「自分史」をどうやって書くかなぁとおぼろに考えていたが、「ちゃらんぽらん」な人生だなぁと思ったし、「好き放題のやりたい放題」な人生だったのかなぁとも思いながら寝てしまった。「自分史」と云いつつ、自分の陽の当たる部分、表の部分しか書けないなぁと思いつつ・・・。

 

 朝になって、パソコンの中にダウンロードしてあった「エンディング・ノート」を開いてみた。ワードで書き込めるようになっていたが、正直・・・「無理だなぁ・・・」と思った。今から、娘や孫たちに「お世話になったね。ありがとう・・・」なんて書けないのだ。そういう気持ちにはなっていない。葬儀の方法、弔辞を誰に頼むか、葬儀には誰を呼ぶか・・・そんなことはいらんことだなぁと思うし、遺影はこうして欲しい、こんな音楽をかけてほしいとか・・・。そんな心配を先人たちはしただろうか。いらぬおせっかいだなと思った。

 

 戦前戦後の激動期を生きてきた世代だから、今は亡き最愛の妻との思い出を綴ったり、嫁いできた頃の気持ちなんぞを記録して、それを今の人たちに記憶として残すということはいいことかも知れないが、戦後の平和の中でぬくぬくと育った私たちには語り継ぐような話も、伝えたい記憶もない。

 

 風邪だから、熱があるからと、我が家に引き籠もっても居られないと、香川県立図書館に行ってみた。アキニレの若葉がすっかりと新緑になっていて、このあたりはまさに初夏の装いそのものだ。前を行くご婦人の姿でそれがわかる。

 

 昨年から今年の頭にかけて、「おへんろつかさ」の講習を受けてきて、いよいよ、「おへんろつかさの会」の会員としてスタートするので、四国遍路に関する研究書を5冊借りて来た。借りて来たが読めるかどうかは自信がない。時期がきたらむさぼるように読むのだが、今はまだ、その時期ではないのかも知れない。

 

 「おへんろつかさの会」というのは、さぬき市において、四国遍路の知識を伝え、さぬき市を観光的歴史的側面から全国に発信する活動をしている会で、主には、「上り3ケ寺」と呼ばれるさぬき市にある86番志度寺、87番長尾寺、88番大窪寺の案内や春と秋に遍路道を歩くまち歩きイベントを開催している。ま、平たく云えば「観光ガイド」みたいなもの。

 

 寺院に出入りするお作法、手洗いのお作法、参拝のお作法・・・・見ているとさまざまでばらばらで。歩き方とか立ち振る舞いとか・・・。少しずつガイドしたり、お話したりしながら・・・。私も一緒にお勉強なんだけれども。

 

 このブログを最初から読み直してみたら、ここ最近の10年間の自分史くらいはできるかなぁと思って見たり・・・。そんなもの作っても誰も読まないかなぁとも思って見たり・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗ではない うまくいかない方法を見つけただけだ」というエジソンの言葉から。本当は、「失敗なんかしちゃいない。うまくいかない方法を七百通り見つけただけだ。」と云うものらしい。しかし!「成功するまで続けよう!」といって、失敗を重ねる。でも、いつまでも成果につながらない・・・。そんなことは日常茶飯事。あのエジソンでさえ、これだけの失敗を重ねてきた。そう考えると私たちの失敗なんて、モノの数ではないということを思い知らされる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

おおでまり 花揺れている 阿弥陀堂

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11度から24度、湿度は86%から42%。風邪は1mから3mの北の風が気持ち良かった。明日の11日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。こんないい天気の良い日にまったく何の予定もないし、行く当てもない。

 

 朝夕の寒暖の差があるせいか、相変わらず、のどがいがらっぽいし、ときたまに咳が出てくる。だからと云って風邪気味の症状でもない。単なる気温の変化についていけていないってことだ。

 

 さて、昨日の続きの自分史つくり。自分史をまとめるには、まず、年表作りからだと云うので年表作りから始めてみた。案外と記憶が飛んでいてほとんど空白のまんま・・・。誕生・入学・卒業あたりは押さえられるのだけれど、その間が空白のまんま。入社年月日と退社年月日はわかるけれどその後が空白のまんま・・・。ここ10年間のダイアリーは残っているが以前のものは全くない。

 

 でも、父も母も居なくなってしまったので、誰に相談することもできない。この私はどんな人だったのか・・・。当の本人がわからないのでは自分史なんてとてもじゃないが書き切れない。弟や奥方だって、こまめに記憶をしている訳ではないし。

 

 気分転換に出掛けてみた。現在、香川県(土木部)が管理するダムは15ヶ所。そのうちの6ヶ所が香川県東部にある。これが我が家近くにある「大川ダム」。そこから南に進むと東かがわ市五名(ごみょう)にある「五名ダム」を見る。

 

 そこから東に進むと、同じく東かがわ市水主(みずし)にある「大内ダム」経由で、同じく東かがわ市川股にある「千足(せんぞく)ダム」に行ってみた。

 

 残るさぬき市前山にある「前山ダム」とさぬき市寒川町の「門入(もんにゅう)ダム」は明日にでも立ち寄る予定。いや、別にダムのうんちくを語る訳ではないし、思い立ってダムの歴史を調べたい訳でもない。

 

 どこのダムも本格的な田植えや夏場に向けて満々と水をたたえている。その水面に太陽が映えて美しい。そして、先の連休に引き続いて、この週末にも田植えが行われている。

 

 今日は暑くもなく寒くもなくて、いい農作業日和だなぁと思ったが、我が家の草刈りをしようか・・・とは思わなかった。まだ、体力不足かなぁと自信がない。来週は雨になるらしいので、その後の週末にでも草刈りをやればいいかなぁと思ってみたり。

 

 昨年のブログを読み返してみると、昨年の連休明けには風邪をひいて寝込んだり、うどんが食べられないと書いてあった。うどんの味がわからない・・・というのは胃の調子が悪いのか熱があるか・・・。毎年、そういうことをやっているんだ・・・。と云うことは、来年の連休明けもそういうことになるのだから心配ないってことだ。

 

 今日は空気も良くて小鳥の鳴き声がよく聞こえると思っていたら、今日から「愛鳥週間」なんだと。でも、「愛鳥週間」って、何をどうする週間なんだろう・・・。そして明日は母の日なのだとか。母のいなくなった私と奥方の二人の生活には、とりたてて彩りもない日曜日。

 

 今日の掲示板はこれ。「恵まれすぎて人生をつまづいた人もあり 逆境から立ち上がった人もある」というもの。。確かに過去から学んできた英雄とか成功者とかのなかにも、そんな人はざらにいるし、毎日毎日のニュースの中にもそんな人はごまんと居る。どちらだっていいのだが、最後には「しあわせだったよ」と死んでゆける人こそ、人生の成功者だと思っていたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

こでまりに 明日の夢を 見透かされ

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は10.9度から26.8度、湿度は86%から55%。風は3mから9mの南東の風が強いが心地よい風だった。すっかりと夏!という気候になった。明日の12日は、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方から雨が降り、夜には雷を伴う所がある見込みなんだとか。

 

 今日はさぬき市の「おへんろつかさの会総会」の日・・・ということで出掛けていた。「おへんろつかさの会」というのは、さぬき市において、四国遍路の文化や知識を伝え、さぬき市を観光的歴史的側面から全国に発信する活動をしている。主には、上り3ケ寺(86番志度寺・87番長尾寺・88番大窪寺)の案内や春と秋に遍路道を歩くまち歩きイベントを開催している。

 

 さぬき市前山地区にある「おへんろ交流サロン」=前山地区活性化センターに隣接する「前山公民館」で、その総会は行われた。

 

 おへんろつかさの会員はおよそ120名余らしいが、今日は40名余りが参加していたように思う。農繁期でもあって、お天気がいいとなかなかに皆さんも忙しいし、急遽、この総会の日程が一週間前倒しに変更されたことも関係するらしい。

 

 総会だから、活動報告・会計報告・新年度の活動方針・予算案審議なんぞがあるが、この会はそんなに堅苦しい会ではないので、どんどんと議事進行。役員改選もすんなりと了承されて総会は終了。

 

 その後、愛媛大学の「胡光(えびすひかる)准教授」の「四国霊場開創1200年と世界遺産への道」という講演があった。さすが、大学の准教授だけあって、パワーポイントの使い方、時間配分がうまい・・・。それに、「四国霊場開創1200年」の根拠の説明もまた納得させるようなお話だったし、「四国の遍路道や四国霊場」を世界遺産に登録させる目的・根拠・活動なんぞの詳しいお話にもなっとくした。

 

 国内の他の遺産とは違う独自性を発揮して、日本代表入りする「暫定リスト入り」を目指す方向性とかその意義とか意味とか・・・。

 

 講演会が終われば会場を片づけて、今度は懇親会場に設営替え。こういうのも、みんな自分らでやらないといけない。ま、お金を持っていないってことだ。こういうご時世だから、ノンアルコールビールが1本ずつとあとはペットボトルのお茶での懇親会。私は早々に退出した。

 

 ま、役員さんとか先生たちはお遍路談義に余念がないが、新入生が出しゃばる訳にもいかないので早々に失礼させていただいた。

 

 この、さぬき市前山地区にあるのが、県営前山ダムで、前山公民館からすぐに見える位置にある。

 

 前山ダムから少し下って、新しい農免道路を東進してしばらく走れば、さぬき市寒川町(さんがわまち)に入る。その少し山手に入ったところにあるのが、県営門入(もんにゅう)ダム。私がこどもの頃には「もんにょダム」という小型のダムがあったが、近年になって、こんな近代的なダムに変貌した。

 

 そろそろとつつじのお花もおしまいになる頃だろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「与えられた場所に生きる意味を見つけない人は どこにいっても満足はない」というもの。「やりたい仕事が見つからない」とか、「こんな仕事をやるためにこの会社に入ったんじゃない」とか、そういう声をよく聞くのだが、目の前にあるものをまずはきちんとやるべきで、「生きる意味」とか、「仕事の意味」とかは人に教えてもらうものではなく、自分で見つけるしかないのである。自分の置かれている環境に対して文句ばっかり言っていたって、何も解決はしないし、自分の人格を下げるばかり。だから、今自分にやれることをやる。自分で居場所を作って、自分で生きる意味を見つけるしかない。シンプルだけど、生きてくってそういうことの繰り返しなのだと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

麦秋に ねぼけまなこの 眼をこする

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、西部を中心に雨が降っている。夕方からは雷を伴う所がある見込みなんだとか。迷犬ごんが散歩に行きたくない訳だ。雷さんにはめっぽう弱い。気温は19.6度から22.4度。湿度は76%から96%。風は4mから10mの南東の風が吹いたりやんだり。明日の13日には高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 朝から曇っていて目覚めが悪かった。頭痛はしないが頭の中がぼんやりしている。寝不足のようだが、そんなに遅くまで起きていたのだろうか・・・。

 

 寝不足だからと云って、8時過ぎから寝る訳にもいくまいし、天気が悪いのでは出掛けても楽しくないし、それに午後からは雨になるとの天気予報だったし・・・。

 

 そこで、「お遍路さんの陰と闇」についてのお勉強。今年は「四国霊場開創1200年」ということで、各地でさまざまなイベントが行われて表の「お遍路さん」は明るくて楽しそうだが、ひねくれ者の私は、その裏にある「陰と闇」について調べている。

 お四国のあちらこちらにこういうお遍路さんもどきが立っている。で、なにがしかの「喜捨」を待っている。この人たちは巡拝はしない。もっぱら数時間立っていて、やがてにはどこかに消えて行く。最近はスーパーの前などの人数の多い場所を選んでいる。彼らを「職遍:職業遍路」という・・・。巡礼の割に、衣服やクツが汚れていなくてきれいなのが特徴。

 

 私らが小さい頃から、こうした「職業遍路」や「病気遍路」がいた。最近は福祉が充実したからか、さすがに目立たなくなったが、案外と今もいるのだという。今は、リストラ組とか派遣切りとか離婚とかでアテもなくさまよっている人が増えたとか。元々、庶民の旅は「死出の旅」でもあったと云う。だから、死に装束の白衣に杖が「五輪塔婆」で菅笠が墓標になった。

 

 昼からは本降りになった。そこでハタと気が付いた・・・。

 

 そうそう、昨夜、テレビでこの人のことを見ていたのだ。フジTVの「ワンダフル・ライフ」という番組で、天皇陛下の執刀医を務めた人。「今、日本で一番忙しい医師」で、病院の中で寝泊まりしているらしい。今は順天堂医院に勤める「天野篤」副院長先生。年間400例以上の手術を行い、これまでに6500例以上の手術をこなしてきたと云う。

 

 ところが、この先生。医学部に入学するのに三浪し、「偏差値50」。浪人中にはパチンコや麻雀をやっていたという普通の子だった。重い心臓病の父親を救うこともできなかった彼が、「天皇陛下の執刀医」にまでなったその訳は・・・。

 

 「当たり前のことを、全力でやり抜けば、当たり前の結果」になるという持論。だが、その過程には幾度もの失敗や人との軋轢もあったよう。努力の人だなぁと思った。

 

 その番組は21時から21時54分まであって、それから台所を片づけて、パソコンをやって寝たので、少しばかり寝不足になったのかも・・・。

 

 夕方になればあたまもすっきりとしてきたし、やる気も出てきたが、雨の月曜日ではどうしようもない。

 

 そろそろとお風呂の準備をして、夕食の準備をする時間になった。凡人の一日はそうやって終わってしまうもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「年をとったら遊ばないのではなく、遊ばないから年をとる」と云うもの。最近、トイレや洗面所などで、「あれ、あのおじさんどこかで見たような・・」と思って近づいたら自分の姿だった・・・というように老化とパワーダウンが目に見えるようになってきた。最近はなんだかんだと引き籠もってばかりいて、パソコンばかりの毎日だからか、熱気とか燃えるとかの出来事がない。それだから、年をどんどんと取ってゆくように思えてならない。

 「We don’t stop playing because we grow old; we grow old because we stop playing.」 と云う・・ジョージ・バーナード・ショーの言葉から。アイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、社会主義者、ノーベル文学賞受賞。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


生かされて 今日のほほえみ さくらんぼ

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17度から28度と真夏並みになった。湿度は80%から36%、風は1mから4mの北西の風がそよそよと・・・。明日の14日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で昼前からは雲が広がりやすくなる見込みなのだとか。

 

 今日は天気もいいので、少し足を伸ばして高松市北西部にある「五色台」に行ってみようと考えた。五色台の若葉や新緑もみごとかなぁと考えたのだ。

 

 ご覧のように、高松市と坂出市の間にある小高い山には、紅峰・黄峰・青峰・黒峰・白峰の五色の峰がある。土の色や岩石の色がそれらしく見えるかららしい。だから「五色の台地」ということで「五色台(ごしきだい)と云うのだそうだ。

 

 で、まずは「青峰」にある「根香寺(ねごろじ)」の若葉を見に行った。もみじの若葉があざやかだった。今日は平日でもあってお遍路さんはまばら。

 

 これが門前にある「牛鬼」の銅像。若葉や日陰になったものか、境内は薄暗くていい画像が撮れなかった。ま、腕が悪いことにしておこう・・・。どれもこれも真っ黒な写真になった。

 

 ついで、白峰にある「白峯寺(しらみねじ)」に寄ってみた。門前に公衆トイレを作る工事をやっていて、少し手前に車を置いて、歩いてゆかねばならなかった。ここも数人のお遍路さんがいただけ。

 

 この白峰には第75代天皇だった「崇徳天皇」の御陵がある。白峯寺から歩いて10分ほどのところ。保元の乱に敗れて崇徳上皇は讃岐に配流なり、この地で亡くなった。その遺体は荼毘に付されて、この御陵に埋葬されたという。

 

 大河ドラマ「平清盛」が終わると、潮が引くように、ここの参拝者も激減した。悲運の天皇のお話もすっかりと過去のものとなったよう。

 

 深い山の奥からは小鳥の声が聞こえるばかり・・・。まだ春セミの声は聞こえない。たまにトイレ工事の機械音がひびくばかりだった。

 

 五色台下の讃岐平野は麦の作付けが盛んで、坂出市加茂付近は麦畑が多い。それが田植え前ともなるとすっかりと色づいてあざやかだ。これを「麦秋」と云う。これが「さぬきうどん」になるかどうかは確かではない。

 

 農家の庭先でみつけた「さくらんぼ」。色あざやかだなぁとカメラに収めた。

 

 アザミもすっかりと色づいて夏色になってきた。今日は車の窓を全開ににして走ったが、止まれば蒸し暑い風に包まれる。

 

 今日の掲示板はこれ。「よいことばかり いつまでも続かない 悪いことばかりも いつまでも続かない」と云うもの。美輪明宏さんの「正負の法則」によると・・・「幸福ばかりの足し算の生活をしていると、やがて地球上の法則で恐ろしい引き算がどっと押し寄せてくる」し、健康法の本とか願望実現の指南本を書く著者は、病気(特に癌)で早死にしたり、素敵な恋人を得る本や幸せな結婚の秘訣本を書く人は、夫が家を出たり、険悪になり離婚するという法則」かららしい。丹波哲郎さんとの対談によると・・・人生は、正負の法則で成り立っている。世の中、良いことと悪いことは相対して起こる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

夏あざみ まどろむ夢の 服を着る

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 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっている。夕方からは雨が降るらしい。気温は15度から22度、湿度は83%から90%。風は1mから5mの南南東の風がときおり吹いてくる。肌寒いようで、何か羽織ると蒸し暑い感じもしてくる。明日の15日は、前線を伴った低気圧が四国の南岸を通過するため雲が広がり、昼頃にかけて雨が降るらしいが、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込みとか。

 

 さて、今月の25日に高知方面へ「四国霊場開創1200年記念」ということで、「おへんろ研修」に行くことになった。ま、私の場合は「おまいり」に行く訳ではなくて「おへんろ文化の学習」ということなんだが、どういうスタイルで、どういう服装が良かろうか・・・ということで、近くの札所で予習をしておこうか・・・ということになった。

 

 ここは四国霊場三番札所の「金泉寺」さん。ま、普通のお遍路さんはこういう「おいずる」という白衣を羽織っている。それに輪袈裟というか「半袈裟」をかけている。この左の黒い着物の方は「先達:せんだつ」さんで、それなりのスタイルだが、私がこんなスタイルで行くのもいかにも変だ。ちなみに、真言宗の場合には「改良衣」と云うらしい。

 

 でも、こういうお寺は「聖地」とされているので、ぞんざいな服装でお邪魔するのも失礼だし・・・。

 

 ここは一番札所の「霊山寺(りょうぜんじ)」さん。お遍路のスタート地点だから、みんな真新しい白衣を着て、お経やお作法のお勉強中。左の私服の青年は、これからお遍路を始めるらしく、よそさまの講義に混じってお勉強中。

 

 さて、一番さんを過ぎて鳴門市方面に数キロあたりに、この「阿波神社」がある。阿波の国に「阿波神社」があってもなんら不思議ではないが、実はここに珍しいものがある。

 

 上の写真のすぐ左手にあるこの施設。宮内庁管轄の施設で、「土御門(つちみかど)天皇火葬塚」と云われるものである。つまり、ここで天皇を火葬にした跡だと云うのだ。

 

 手前の看板には、昨日の「崇徳天皇陵」にあったのと同じ立て札が立っている。

 

 承久3年(1221)の承久の乱のおりには、土御門上皇は何も関与していなかったので処罰の対象にはならなかったが、父である後鳥羽院が遠流であるのに、自分が京にいるのは忍びないと、自ら申し出て土佐国に流された。後に、より都に近い阿波の国に移された。鎌倉幕府も後鳥羽・順徳両上皇とは違って、守護に対して阿波の宮殿を造営させるなどの厚遇振りを見せている。その地は、現在の阿波市御所で、土御門上皇行宮址と刻んだ石碑がある。

 

 その後、土御門上皇は、阿波の守護所近く、南陽神社あたりの行在所で8年余りの謫居(たくきょ)の後、寛喜3年(1231)、37才の若さで亡くなったと伝えられている。火葬所についても、諸説があるが、池谷(いけのたに)の古墳塚で火葬にされたと伝えらる。明治2年(1869)、藩主蜂須賀茂昭(もちあき)がこの地を御陵と決め、また明治5年(1872)宮内省が再決定し、御火葬塚となったと云う。

 

 そして、その「土御門上皇」を祭神としておまつりしたのが、この阿波神社だとされている。 

 

 それにしても、お遍路にはいい時期になったのか、五番地蔵寺、四番大日寺、三番金泉寺、二番極楽寺、一番霊山寺には老若男女のお遍路さんがわんさかとお参りをしていた。今年は旅行会社も「開創1200年記念」ということで大いにPRをしながらお遍路募集をやっているみたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「本気でやれば何でも面白くなる! 夢はでっかく!根は深く!」というもの。「あいだみつを」さんの言葉でもあるようだが、定かなことはわからない。大分県の出身である「後藤 静香(ごとうせいこう)」さんは昭和44年に84歳で亡くなられた方だが、その教えは現代にも生きているようだ。

 本気
  本気ですれば、大抵なことは出来る
  本気ですれば、何でも面白い。
 本気でしていると、誰かが助けてくれる。
  人間を幸福にするために、本気で働いているものは、
   みんな幸福で、みんな偉い。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

深緑に 言葉が濡れる ふいの雨

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 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がり、雨の降っている所があったが、夕方からは次第に晴れる見込とか。気温は15度から20度、湿度は96%から78%。風は1mから3mほどの南西の風が少し。明日の16日は、東シナ海に中心を持つ高気圧に覆われて晴れる見込みなんだとか。

  

 先月の28日に心臓エコー検査をした結果を受けて、次のステップのために、今日は心電図検査の日。朝の間は曇っていて肌寒い朝になった。今の時期に・・・と思ったけれど薄手のセーターを着ていった。

 

 私の場合、30歳代半ば過ぎから、「不整脈(心房細動)」が出ているということで、高松日赤とかNTT高松病院などで薬による治療を行ってきた。だから、30年余、こうした検査を受け続けている訳だ。

 

 その結果、約10日後の26日に「電気的除細動治療」というものを受けることにした。いわゆる「電気ショック治療」。ドクターによると、心房細動の場合の電気ショックは一応の麻酔操作を行ってからのショック治療で、電流量は少ないものだそうだ。これによって、心房細動を停止させて心臓のリズムを正常化させることができれば、その後はリズムを維持するための治療に入ることになる。

 

 心房細動はよくみられる頻度の高い不整脈で、自覚的な症状はないとのことだが、血栓ができやすいので、脳梗塞を心配しなければならないとのこと。リズムが正常化すれば、その心配は遠のくことになるが、そうはならないこともあるらしい。ただし、リズムが正常化しなければ、抗凝血薬を長い期間、飲み続ける必要がある。

 

 ま、この前の「天皇の執刀医・天野篤医師」ほどではないが、立派なドクターらしいので「命を預ける」ことにした。奥方は「やめておいたら・・・」という心配性なんだが、患者は医師を信頼するしかない。いざとなったら、外科の医師もスタンバイしているので大丈夫。

 

 ということで、病院を出たのが11時半。微妙な時間だったのだが、久々にここに寄ってみた。同じ町内にある「手打ちセルフ・**」というお店。お昼前の微妙な時間帯に車が数台しかいない・・・というのは不吉な予感。

 

 で、さりとて食欲もなかったのだが、とりあえず・・ということで「わかめうどん小」をお願いした。これで330円というのは少しお値段するなぁと思った。鳴門わかめがこれでもか!と入っていたが、麺もお出汁も・・・・味がわからない。すっかりと「うどん音痴」になってしまった。まだ、風邪が治りきっていないのかも。

 

 こんなことを云うと失礼なんだが、12時前に店内がこんな状態・・・というのはやや不安な気がする。普通の食堂やレストランでも、こんなお店は見たことがない。ということで、半分も食べられなかったが、「せっかく330円も払ったのに・・」と思う気持ちで、なんとかおうどんだけは喉に流し込んだ。おうどんのせいか、私の体調が悪いのか・・・。

 

 その頃から雨が降り出してきた。大きな雨にはならないで、やわらかな雨が霞のように降ってくる。

 

 そうそう、心臓の電気ショックの件だけれども、その治療の説明書には、「電気的除細動治療」と書いてあって、静脈麻酔で鎮静を行い、体外から電気ショックを与えて心房細動(不整脈)を停止させる。ということは「AED」みたいなものらしい。らしいが、あちらは「心室細動」、つまり心不全を除細動させるものらしい。

 

 で、このまま放置しておくと、動悸・呼吸苦・倦怠感が持続し、不整脈により、脳梗塞・心筋梗塞や心不全・意識消失・突然死を発症することがある・・・とのこと。そこまで云われると「やるしかない」と思ったわけだ。ま、効果は高い治療だけれども、それで完全に「不整脈」が停止させることができる訳ではないし、再び、不整脈が戻る場合もあるらしい・・・。

 

 ということで、その26日は一泊のお泊まりにしていただいた。安全なところで一泊してから帰ったほうが安心かなぁと思って・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は曲がりなりに折れながらだが まっすぐにひたすらに」という荒了寛さんの言葉から。荒了寛さんの明るくて温かい仏画と一緒に読んでいると、じんわり心が癒される気がしてくるもの。誰だって辛くてたまらない時はあるのだけれど、自分だけが苦しんでいるのではない、皆も同じように苦しんでいるんだと思えるようになってくる。「人間の迷いは尽きることはない。人生はウェアから内ことばかりだ」というわけだ。さらに「生きるとはそういうものだ」と納得するところから前が開けて来ると云うのである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

浅学を 見透かされている 麦の秋

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は13度から26度、湿度は79%から30%。風は3mから6mの西北西の風がやや強かった。明日の17日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は「望」ということで満月だった。昨夜は雲もなくて月もきれいに見えていた。

 

 昨日は病院の予約診察日、明日の土曜日は孫の運動会と云うことで、今日はその間にはさまった中途半端な一日。そこで「おへんろつかさの会」用の資料の中を整理していたら・・・

 

 こういうグラフがあった。四国遍路をやった人からのアンケート調査である。一般的に、お遍路さんというのは「弘法大師空海さんを慕って、その遺跡を巡る旅」だと云われているが、真言宗の方は四割ちょっとしかいない・・・という図である。で、二位には、なんと「浄土真宗」の方が14%近くいるということになっている。前に読んだ本には22%という数字だったから、概ね、そのあたりで二位につけているのが興味深い。

 

 だから、浄土系のお遍路さん用に、「名号入り御詠歌布」や「集印軸」「名号入り白衣」なども用意されている。この上に朱印を頂いて回るということらしい。一般的な「納経帳」には「浄土系」というものはなくて、「四国八十八ヶ所霊場会」などの納経帳が使われている。

  

 で、「どこから来たの?」と尋ねると、中部地方、関東、近畿、北陸からの方が目立つ。中国や九州が意外と少ないなぁと思った。四国の人はもっといるかと思ったが、意外や意外・・・。

 

 「四国には関係あるの?」と尋ねると、65%ほどの方は四国には無関係な方がおいでになっている。上のグラフで見たように関東や中部の方がおいでになっているんやからねぇ。

 

 ということで、お天気が良いのにパソコンかたかたの引き籠もり状態。

 

 昨日、「新しいお薬が追加されたものが入荷していませんので・・・」というので、保留にしてあった内服薬を受け取りに行ってきた。35日分で12,750円だった。この金額は年金生活者にはこたえるなぁ・・・。ま、半分以上は「プラザキサ」という血液をサラサラにするお薬が占めているんだろうと思う。

 

 その後、ものはついでと云うことで、87番札所の長尾寺と88番の大窪寺を覗いてみたが、こちらは今日はお遍路さんの姿が見えなかった。おうどんを食べているお遍路さんが3人見えただけ。先日の徳島の1番さんから5番さんまでの、あのにぎわいはどこに行ってしまったんじゃろ・・・。明日の土曜日にはお遍路さんも増えるかも知れないけれど。

 

 阿波国は「発心(ほっしん)の道場」と云う。「お遍路をやろう・・・」と云うことで、衣装から金剛杖から菅笠から納経帳から納め札から・・・と云うと数万円以上になるらしい。まずは10番、11番までは歩いても大丈夫だけれど、12番の焼山寺の「遍路ころがし」の難所でギブアップする人が多いらしい。それを過ぎて、徳島市内は難なく過ぎるが、21番太龍寺、23番薬王寺までが遠くて・・・阿波一国で納経帳を放棄してしまう人が出てくる。

 

 ここでは資料を出さないが、「遍路に出た理由」には、「先祖や死者の供養:53%」、「家内安全:40%」、「修行・信仰:31%」、「健康祈願:30%」(複数回答あり)などがあって、「やむにやまれず・・」みたいな悲壮感はない。

 

 次に「遍路に出るきっかけ」を聞いたところ、「自分の健康上の理由:22%」、「毎年の恒例で:19%」、「身近な人の死:17%」、「人に勧められて:16%」、「退職したから:15%」などが続く。こころやからだの問題が、お遍路に出るきっかけになるのかも。

 

 私も、こころやからだに不安はあるが、退職して時間もひまもあるけれど、「四国遍路」に出かける勇気も元気もお小遣いもない。石段や坂道や山道を登ったり下ったりする足腰がない。

 

 今日の掲示板はこれ。「世の中には二つのタイプの人がいる。一つは何かに挑戦しようとする勇気をくれる人。もう一つは何かに挑戦しようとするときにその勇気を削ぐ人」と云うもの。おるやろ・・・、そんな人。「やったらええがなぁ、君ならやれるやろ・・」と、勇気をくれて応援してくれる人。うれしいなぁ・・・。でも、反対に、「やめときぃ・・。そんなアホすんのは損やでぇ・・・。やめとき・やめとき」などと、はなからやる気を止めてしまう人・・・。なんぼ、くやしい思いをしてきたことか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

芍薬に 今日の感謝を 述べてみる

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は12度から26度、湿度は82%から40%。風は1mから3mの北北西の風が少し。風が止むと暑い日差しになった。明日の18日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は孫の「なぎちゃん」の小学校最後の運動会だというので、カメラマンとして出かけて行った。朝の間は雲がかかっていたので、楽な運動会になるなぁと思ったのだが、すっきりと晴れ渡って運動会日和になった。

 

 私らが子供の頃には保護者や親戚の人たちはゴザや敷物を敷いて応援したと思うけれど、テントの下に座れるのは児童だけ。ここだけなのかも知れないが、みんな、こうして立って演技を見ている。これも疲れるものだなぁと思った。

 

 それだし、「秋季大運動会」などと云うておったのだけれど、今は「初夏」にやるようで、秋には何をやるんだろうか・・・。娘の運動会などの記憶は全くなくなってしまっているし・・。

 

 新しい演技や競技も入って居るし、相変わらずの「玉入れ」や「騎馬戦」も残っていた。

 

 運動会の記憶もほとんどないのだが、何種類もの競技に次から次に出たような印象があるが、そうでもなかったのか。今回の孫の場合、「徒競走」と「騎馬戦」と「組み立て体操」の三度だけだったような・・・。ゆとりだろうかねぇ。クラスが多いせいもあるのかも知れない。

 

 こういう、流行の演技もあって、なかなかに盛り上がりもあって退屈はしなかったけれど。

 

 今日のお昼は娘の作ったお弁当。今年は私と娘と孫の三人だけ。三人でこれだけ。小学校の学校行事だから「禁煙・禁酒」のお願いがあった。でも、小学校の運動会でビールや焼酎・・・というのは記憶にはない。昔からそうだったのかも。

 

 ま、実にかわいいお昼ご飯になった。おいしいビールは我が家に帰ってから・・・。

 

 こういう組み立て体操もやったなぁ・・・と思いつつ。孫のなぎちゃんの思い出作りの写真撮影・・・。 これが「メイン・イベント」だった。

 

 と云うことで、すっかりと日焼けをしてしまって真っ赤になった顔に驚いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるとは何かに一所懸命打ち込んでいく、命を燃やしていくこと」という言葉である。、栗城さんはこう云っている。「私は決して死というものが悪いものだとは捉えていません。終わりがあるからこそ、いまがあることに感謝し、一所懸命生きることができると思うんです。生きるとは、長く生きるかどうかではなく、何かに一所懸命打ち込んで、
そこに向かって命を燃やしていくことだと思います。たとえ90歳まで生きたとしても、夢も目標もなく、何にもチャレンジしない人生はつまらない」と。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

山あざみ 洗濯物の 揺れる午後

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 さぬき市地方は朝方は薄曇りだったが、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13度から25度、湿度は94%から42%。風は1mから3mの南の風が少し。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 本来ならば、今日は所属寺院の「春期永代経法要」の日だったのだが、明日の19日に順延になって、ぽっかりと予定の空いた一日。さて、今日は何をして過ごすべぇかと思ったところに・・・。「ちょっと、お願いがあるの!」と地上から携帯電話が・・・。

 

 なんだろうと、外に出て見ると、みずやり用ひしゃくの柄が折れた・・・とのこと。「すぐに直して欲しいの・・・」と仰る。それも2本も・・・。

 

 「はいはい」と、直したら、今度は、水やり用ホースが短いので、長いものと交換して欲しい・・・という注文が・・・。体のいい「便利屋」さんではないのだろうか。

 

 さて、我が家の横のこの水路。今日は当番さんがやってきて水路掃除の日らしい。

 

 と、このようになった。

 

 こちら側の水路も・・・。

 

 このようにきれいにしてくれた。実はこの水路は・・。1828(文政12)年に有馬胤滋によって津田川・砕石(われいし)から弥勒池まで全長2.6km の大掛井(導水路)が完成しても、漏水が多く十分な水が弥勒池に届かなかった。

 

 こうしたありさまを憂慮した富田中村の庄屋であった軒原庄蔵は,弥勒池と津田川を隔てる尾根の地下に石穴(隧道,トンネル)を通して導水すれば水不足が解消できるのではないかと考えた。尾根部の地下は固い岩盤なので大掛井のように漏水する心配が殆どなくなるほか,水路の距離が短くなるので,水路の勾配を大きくとることができて水が通りやすくなるという利点もあったようだ。
http://doboku7.sakura.ne.jp/kikou/dobokukikou84.pdf

 

 これが「みろく石穴」と呼ばれるもので、中は人がしゃがんでようやくに通れるほどの狭くて低いもの。
http://ew.sanuki.ne.jp/rekimin/ikemiroku.html

 

 江戸時代末期ごろのことだから、こうした工事風景だったのだろう。

 

 こうして、昔の富田中村・富田西村・田面(たづら)村あたりの水田が潤ったのだという。そういう歴史的な水路だから、今も受益者たちの手で、この水路が守り継がれているというわけ。だから、私も年に数回は、我が家の周辺の水路掃除をお手伝いさせていただいている。

 

 午後からも「お遍路学」というか、「遍路の闇と陰」の部分についての資料集めをやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「いまから ここから。あしたはあてにならぬから」という「相田みつを」さんの言葉から。最近、似たような言葉を選んでいるような気がしないでもないが、深い意味などあるはずもない。年がいくと物忘れが多い、気のついたときすぐに処理しておかないと忘れてしまう。思い出そうと思っても、どこの引き出しに入れたのかがわからないから出てこない。思い出したときには手遅れで、それが他人に及ぼすときはなおさら困る。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

初夏や 庄松の寺の 鐘の音

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 東かがわ市地方は朝方は薄曇りであったが昼前からは高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は14度から24度、湿度は86%から57%とやや高めで蒸し暑かった。風は2mから4mの南南東の風が少し。明日の20日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方からは雨となる見込みらしい。

 

 今日は所属寺院の「海暁山海暁閣勝覚寺」の春季永代法要の日。例年は5月18日となっていたのだけれど、今年はなぜか19日になっていて、少し予定が狂ってしまった。ま、私の予定なんぞあってないようなものなんだけれど。
http://user.shikoku.ne.jp/s2521/history.htm

 

 法要は13時半からだけれども、私たちはいつも10時半くらいに出仕する。ところがどうしたことか兄弟子の弘昭さんがやって来ない。急遽、18日から19日に変更になったからお仕事の段取りがつかなかったのかと心配をしたものだった。

 

 この人が私どもの寺の有名人「庄松(しょうま)同行」。いわゆる「妙好人(みょうこうにん)」と呼ばれた人の一人。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E5%A5%BD%E4%BA%BA

 

 ま、それはさておき、今日は春の永代経の法要日。兄弟子の弘昭さんも「わっせとった〜(忘れていた)」と、法要ぎりぎりに駆けつけて来てくれた。

 

 予定通り、想定通りに法要も終わって、柴田先生のご法話になる。柴田先生は高松市西植田町「花の寺」で有名な「勝名寺」の住職さん。
http://uetakouku.com/shomyoji.html

 

 お寺でしか聞けない、お寺でしか話せないような、そんなお話を堪能したことだった。ま、お寺に来ているのだからあたりまえのことか。お寺でTPPの話をしても仕方がないし。でも、お浄土に渡る「弥陀の願船」には「往復切符がある」と云うのは新鮮なお話。普通は「死んだらおしまい」って、ことで、「お浄土に往った人は戻ってこない」というお話なんだけれど。

 

 「弥陀の願船」に乗って、西方浄土に行くのだけれど、そこには「往復切符」があって、お浄土に往っても「往還回向」という報復切符で戻って来て、生きている人のこころに戻って来る・・・というお話だった。

 

 話はそれとして、昨年までは会うこともなかった、お寺の次男坊の英海さんと三男坊の善海さんに会って一緒にお仕事ができた。二人とも学生さんとかで京都に出かけていて、全く顔を合わすことがなかったのだけれど、みんな大きくなって戻ってきていた。時の流れだなぁとあらためて自分の歳を教えられた。

 

 うちのお寺もこうした若い力でやっていくんだなぁとしみじみとしたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「一人では何もできないが 一人から初めなければ何もできない」と云うもの。

 一人の手
作詞:Pete Seeger・日本語詞:Rutsuko Honda
作曲:Alexis Comfort

一人の小さな手 何もできないけど
それでも みんなの手と手をあわせれば
何かできる 何かできる

一人の小さな目 何も見えないけど
それでも みんなの瞳でみつめれば
何か見える 何か見える

 そんな感じの言葉です。

https://www.youtube.com/watch?v=PRSvfT3y-V8

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


石楠花が 投げ入れてある 遍路塚

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていた。朝方は少しばかり雲がかかっていて、お布団を干す元気が出なかったが、お昼前からはきれいに晴れた。気温は15度から25度、湿度は80%から58%。風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の24日は、引き続き、高気圧に覆われて、晴れる見込みだとか。

 

 すっきりと晴れてまさに「五月晴れ」。今朝も救急車で前のおうちのおじさんが運ばれたらしい。野次馬のけいこばぁが駆けつけてお世話をしていたらしい・・・。ま、いつもお世話になっているおじさんだからね。

 

 今日のお山はこんな風になってきた。重機一台で簡単に地形が変わってしまう。

 

 奥方のけいこばぁが、血相を変えて走って来て、「掃除機が壊れたの。どうしたらいい??」と云うのだが、別に慌てることはない。二階専用の掃除機を持って下りればいいじゃないか。「そうじゃなくて・・・」私に修理しろ・・・と云うてるんだ。

 

 調べてみたらば、筒の部分に何やらプラスチックくずが詰まっているらしい。園芸用のパイプを突っ込んでみたら、アリ退治用の薬のケースが飛び出した。それで一件落着。「さすが電気屋さん!!」とお褒めの言葉を頂いたが、私は元は「電話屋さん」。

 

 昔のお遍路さんは、こういう車を引いて回っていた。この車に生活用具一式を積み込んで歩いていた。いわゆる「ヘンド」と呼ばれた人たち。札所を回ることなく、裏道や脇道を歩いて喜捨を貰って歩いていた。今なら、マイカー遍路と云うんだろう。

 

 今日も四国巡礼と、レキ墓研究のまとめなんぞを細々とやっていた。こんなにいい天気なのに行くアテがないのもさみしいものだ。藤の花は終わったし、花菖蒲やあじさいはまだだし・・・。アイリス園やシャクナゲ園も見て来たし・・・。

 

 このあたりに「芍薬園」と云うものは聞いたことがないな。我が家の花も一応は終わったみたい。奥方のバラ園は虫に食べられたと憤慨していたが・・・。裏庭のあじさいのつぼみが膨らみ始めてきている。

 

 とにかく花の名前は聞いても聞いても忘れてしまう。花だけではない。人の名前も出て来なくなったし、食べモノの名前も出てこない。

 

 最近は近所で工事をしているもので、サルも近寄らないのかと思っていたが、敵もサルもの。工事現場のすぐ下で堂々と草を食べている。ずいぶんと人馴れしてしまっている。近くまで行っても逃げたりはしない。むしろ、大きな歯を見せて威嚇するのだから、それはさすがに怖い。噛みつかれたら大けがしそうだ。

 

 このあたりの水田の稲はしっかりとしてきた。これから気温が上昇するとぐんぐんと伸びて来る。お盆を過ぎたら収穫だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「欠点は直さなくて良い。見方を変えれば個性になる。持ち味になる。味わいになるから。」と云うもの。私たちは自分の「欠点」を嫌い、そのままでは人に嫌われてしまう、と思って、何とかそれを直そうとしたり、隠そうとしたりしてしまうもの。しかし、そういう態度は私たちを完璧主義に仕立て、むしろ、人との間に壁を作ったり、遠ざけたりしてしまうようになってしまう。実は「欠点」そのものが問題ではなく、「欠点をどう扱っているのか?」がとっても大切なことで、つまり、隠すのではなく、オープンに、直すのではなく、受け入れることが大切なことなのである。オープンになれなるほど、その欠点は嫌われることなく、あなたのひとつの個性として受け入れられ、愛されるようになっていくものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

五月晴れ 犬に散歩を せがまれる

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。だから、ようやくにお布団を干した。気温は13度から27度、湿度は90%から65%。風は2mから4mの東南東の風が少し。明日の25日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日もいい天気だが、明日のバスアツーの準備やら26日の心臓電気ショック(電気的除細動)治療のための入院準備ほかでバタバタとしていた。

 

 明日の高知へのバスツアー研修は朝6時半に市役所集合ということで、5時半には起きないといけないし、戻って来るのは20時過ぎになるという。で、26日の朝に入院するというのだから慌ただしい。そんなに永くは入院する必要はないと聞いたけれど。

 

 電気的除細動(じょさいどう)は、不整脈に対しての治療の一つで、電気的な刺激や薬物等の外力によって異常な電気信号経路を遮断し、正常の電気信号経路への改善を促す方法。いわゆる「電気ショック治療」。ドクターによると、心房細動の場合の電気ショックは一応の麻酔操作を行ってからのショック治療で、電流量は少ないものだそうだ。これによって、心房細動を停止させて心臓のリズムを正常化させることができれば、その後はリズムを維持するための治療に入ることになる。

 

  その合間に集落内の散歩をしてきたが、1時間ほど歩いたら汗が流れるほどに気温がぐんぐんと上がってきた。いよいよと夏になってきたなぁと思ったことだった。今日はこの工事現場はお休みだった。

 

 明日の高知の旅も暑くなりそうな予想。バスの中は快適なんだろうが、石段や坂道は苦手だが、石段や急な坂もあるというのだから最初から気が重い。

 

 ま、室戸岬から国道55号線の海岸線を楽しんで来ることにしよう。さて、ある時期、土佐藩と大洲藩あたりは「遍路禁令」と云うものが出されて、「遍路狩り」と云うものが行われたと聞く。名目上は「道路の損壊」とか「災害のために道路が封鎖されたとか・・・。土佐ではいかなることがあったのか・・・。それも明日、肌で感じてきたいものだ。

 

 こういう納経帳を見ると、阿波の霊場を打ち終えると、石鎚を超えて、伊予の霊場を目指している。つまり、土佐藩は遍路を追い返したり、捕縛して追い返しているのである。

 

 これは、いわゆる「邊土」と呼ばれる「似非遍路」や「病気遍路」を通さなかった文書である。

 

 このように、本来の「お四国さん」でも、土佐藩や大洲藩には通行が許可されなかった。こういう悲しいお遍路の歴史もまたあったのである。そうした事跡を尋ねてきたいと思っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人と同じきものを着ても 人と同じにはならない」というもの。いつもの荒了寛さんのことばから。人と同じ物を着て、同じ物を食べて、同じ物を飲んでも、同じ人にはならないし、なれない。人と同じ学校で、同じ先生に、同じ教育を受けても、同じ人にはならないし、なれない。十人十色のオンリーワンである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

夏遍路 石段続く 寺ばかり

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 高知方面は晴れのち曇り。高気圧に覆われておおむね晴れていた。気温は15度から25度、湿度は84%から62%。風は1mから2mの東北東の風が少し・・・。

 

 今日は、「おへんろつかさの会」おへんろバスツアーの研修旅行。これまでに徳島を回ってきて、今回から高知に入る。朝の6時半出発の20時半過ぎに帰着という遠い旅になった。

 

 今日は高知県の室戸岬からの打ち始めになるという。近くには「御厨人窟:みくろど」と呼ばれる約1200年前の平安時代、青年時代の大師が悟りを開いたといわれる洞窟があり、内には五所神社と呼ばれる社がある。“空海”と名前をつけたのも、ここから見える空と海に感銘を受けたからと言われている。

  

 今回のバスツアー研修には37人が参加し、「おへんろつかさの会」専属の櫻谷権大先達が案内してくれる。

 

 ここは24番札所の「最御崎寺:ほつみさきじ」。この人たちは別のバス遍路の方々。大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創建した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。

 

 当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している26番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。

 

 室戸岬から海岸沿いを6Kmほどゆくと町中に小高い山があり、その山上に本堂がある。ここが25番札所の「宝珠山津照寺:しんしょうじ」で、参道右に大師堂と本坊。本堂へは125段の急な石段があり、ご本尊は大同二年、弘法大師が巡錫されたときに刻まれた延命地蔵菩薩。秘仏で拝観はできないが、海上の安全と火難除けの霊験あらたかという。

 

 慶長六年十月、国守の山内忠義は室戸岬を航行中、突然暴風におそわれた。そこへ大僧があらわれて船の楫をとり、全員無事、室戸港へ避難することができた。港につくと僧の姿が見えないので後を追うと、津寺の本堂の中へ消えた。ご本尊を拝したら、全身潮でびしょぬれで、それ以来楫取地蔵(かじとりじぞう)とよばれ、多くの船人から信仰されるようになった。また、寛保二年の大火の時も、ご本尊が僧の姿となって、人々を避難させたという。境内に立つと眼下に室津港がある。野中兼山の部下一木権兵衛が難工事の築港を命じられ人柱となっており、参道沿いに一木神社としてまつられている。

 

 次に向かったのが26番札所の「金剛頂寺:こんごうちょうじ」。津照寺をあとに、室戸から西北へたどると土佐湾に向って小さくつき出した岬がある。硯の産出で知られる硯ケ浦のある行当岬で、海抜200mの頂上に金剛頂寺がある。室戸岬の最御崎寺と相対しているので最御崎寺を東寺、金剛頂寺を西寺ともいう。山麓からの急勾配の参道を70mほど登ると山門になる。広い境内をおおう椎の大木。弘法大師は若かりしころ、この山で修行され、大同元年には勅命を帯びて鎮護国家の道場として寺を創建し、ご本尊の薬師如来を刻まれた。

 

 その後、七堂伽藍は整備され、寺領三千五百石を有し後に長曽我部元親や山田忠義からも保護されている。文明と明治の火災のため、堂塔を焼失するが、いずれも再興され、昭和58年に、本堂が新しく建立された。霊宝館には、大師が背負って歩いた旅壇具や真言八祖像など重要文化財六点のほか、古美術六十点が保管され、境内の鯨昌館には泉井守一氏関係のめずらしい捕鯨具類などが展示されている。

 

 ここまでは室戸市の札所だったが、奈半利町、田野町から安田町へと戻ってくる。ここまで国道55号を海岸線を走って大型駐車場にバスは止まる。ここからはタクシーで山中に入る。

 

 山道などをおよそ4Kmほどタクシーで登ると「神峰寺:こうのみねじ」に着く。神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、20km離れた家から急な坂道を21日間(三・七日)日参し、息子の出世を祈願した話は、いまも伝わっている。
 縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。

  

 明治初期、新政府の神仏分離令により、天照大神などを祀る神峯神社だけが残り、本尊は26番金剛頂寺に預けて一時廃寺の悲運に遭った。明治中期に、もと僧坊の跡に堂舎を建立して本尊を帰還させ、霊場は復活した。だが寺格がないため、大正元年、茨城県稲敷郡朝日村の地蔵院を移して認可を得るなど、苦難の道を歩んで今日にいたっている。昭和30年代、愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放されたが、夫婦はこの峰で霊験を得て奇跡的に全治したという実例がある。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

新緑を 濡らして走る ふいの雨

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 今日のさぬき市地方は低気圧の影響で雨が降っていた。気温は13度から19度、湿度は88%から94%。風は1mから3mの東北東の風が少し。明日の27日も低気圧の影響で雲が広がるが、午後からは晴れて来る見こみ。

 

 今日はかねてから予約されていた「電気ショック治療日」。不整脈を止める治療の日だというので、朝から落ち着かない。奥方のけいこばぁ同伴というので、8時過ぎに我が家を出て、東かがわ市にある県立病院に向かった。

 

 毎度おなじみになった県立病院。今日は診察券を通さずに、「入院受付」窓口で入院関係の書類を提出する。家族の同意書とか、身元引受人とか病院代を払わない場合の支払い人とかなんとかの書類一式・・・。

 

 で、手続きが終われば病室へ向かう。この「2病棟」というのが「心臓病センター」。ここに入院する全員が心臓病の患者かどうかは知らないが、それなりの人が入院しているのだろう。

 

 病室は4人用の部屋で、先客が一人いたが、あとの2ベッドはあいたまんまだった。

 

 治療は午後からだというので、午前中は検査だの注意だのがあって、やや、リラックスモード。今回はノートパソコンは持参せずに読書モード。でも、その合間に心電図計をつけたり、血圧や体温を測ったり、問診があったりと、落ち着いて読書ができるような状況ではない。

 

 で、朝昼の食事抜きの水分補給も禁止・・・と云う状態から、血液をサラサラにする点滴を注射。11時過ぎだった・・・。血液中の血栓も溶かす役目があるのだとか・・・。仕方がないからお昼寝タイムになった。昨日の高知の旅の疲れからか、ぐっすりと眠ってしまっていた。

 

 個人情報保護のため、部屋の表示は「在室」の表示だけ。入院患者の名前は公表されない。

 

 この先生が私のドクター。この先生にお任せして「カウンター・パンチ」を受ける。13時になると看護師さん数名が、病室からベッドごと治療室に運んでくれる。まさに「まないたの上の鯉」。女性のチーフがてきぱきと指示して心電図計や血圧測定器なんぞを装着する。看護師さん」数名の声がする。

 

 「回数は三回まで。一回でダメなら二回、二回目でもダメならば三回目。それでダメなら治療はやめます・・・」日浦ドクターの声が聞こえたのが最後・・・・。

 

 気がつけば元の病室で眠っていた。「目が覚めましたか?一回で正常な脈になりました」と云われてもなんのことやら・・・・。13時半過ぎのできごと。まだ、夢見心地の寝ぼけ眼・・・。奥方も安心して帰った様子・・・。

 

 この日、はじめての食事が18時からの夕食。心臓病食ということで塩分がほとんどない味のわからない食事。これが終われば・・・また、寝るしかない。

 

 何年か前に、カテーテルアブレーション手術を受けたが、それ以降、不整脈という自覚は全くない。だから、今回の「電気的除細動治療」と云われてもいたくもかゆくもないし、それで正常になったと云われても、何がなんだかわからない。ともかく、これで一つの峠を越えたのかな・・・という程度。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生の旅路において二度と通れぬ「今日」というこの道」と云うもの。

 私は 人生の旅路において
 「今日」というこの道を再び通ることはない
 二度と通らぬ「今日」というこの道
 どうして ウカウカ通ってなろう
 どうして 無意義に通ってなろう
 二度と通れぬ「今日」という道

 という「言葉の散歩道から」 (寺川幽響著『日々の糧』参照) 

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

咲き出した ほたる草あり 古い墓

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 さぬき市地方は、気圧の谷の接近で雲が広がっている。気温は16度から26度、湿度は90%から52%。風は2mから2mの東北東の風が少し。少しばかり蒸し暑い一日になった。明日の28日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 病院の朝は静かだ。昨夜の19時半から横になったものだから、ほぼ1時間ごとにトイレに起きる。利尿剤のせいもあるし、となりのおじさんの咳やいびきがうるさいし・・・。で、朝の5時には目が覚めた。かと云ってすることもないので、またも寝ていた・・・。

 

 病院の中は感染症予防のために、こんなかっこう・・。ま、友人・知人なんぞいる筈もないし。

 

 朝食はこんなもの。一汁二菜に牛乳付き。病院だから間食はないし、アルコール類は全くない。それでも寝られるのならば、毎日を休肝日にすればいいのだが、自宅にいると、そうは問屋がおろさない。

 

 昨日の電気ショックを受けて、今日は心電図検査。「きれいな波形ですか?」と聞くと、やや、間があって、「昨日の波形を知りませんので・・・」と検査員。おいおい、治っていないんじゃないのかな。普通の人の波形をいつも見てるでしょうに。

 

 それが終われば退院準備。荷物をまとめてナース・ステーションへ。会計は来月の検診日に精算とのこと。10時過ぎには病院を出た。簡単なもんだ。でも、入院した時と、そんなに変わらないのに退院というのも変な気分だ。まるで、一日、寝るために来たようなもの。施術も治療も何も記憶にないし、気分が変わった訳でもないし、痛みが消えた訳でもないし・・・。

 

 そうそう、帰りに薬局に寄ってきたが、9種類もある薬のうちの、たった1錠だけが1個が半分になっただけ・・・。不整脈がなくなったら、どっと減ると思ったのに。来月の検診日には半分くらいに減るといいのだが、「やっぱり、元に戻っていますね」なんて云われないように・・・。

 

 自宅に戻って、祝杯をあげていたらば、下の弟がやってきて、昼から祝杯の予行演習をやった。お茶代わりに缶ビールを2本ずつ。そういえば、「退院療養計画書」なるものには、「アルコールは避けて(!)ください」「暑いお風呂や長風呂は避けましょう(これはOK)」「適度な運動を毎日続けて下さい(ぽちの散歩でOK)」「こまめな水分を取るように心がけましょう(これもOK)」「定期的に外来通院してください」ということで、「適度なアルコール」にしたいものだ。

 

 ということで、食後は、県営大川ダムまで二人で散歩してきた。

 

 このダムの急な階段もそんなに苦しまずに堰堤まで上れた。心臓は大丈夫だったが、足の太ももの筋肉が悲鳴をあげた。急に運動はよくないな。

 

 ということで、「心房細動:不整脈」の「電気的除細動」騒動はこれにて一件落着。明日からはまた、別な問題に取り組んでいくことにしたいもの。とりあえず、今夜は、けいこばぁがお泊まり勤務なもので、弟と二人でゆったりと「この世への生還祝賀会」をやりたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「すぐに広がる不足の心 すぐに忘れる感謝の心 心のけいこは繰り返し」と云うもの。どこの誰さんの言葉かはわからない。とかく私たちの心には不足の心が広がるものだし、感謝の心は忘れ去ってしまうもの。いかりやそねみやねたみやうらみの心もまた、私の心の繰り返し。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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