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ほたる来て 今日のざれごと 捨ててくる

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は14度から28度、湿度は79%から53%。風は2mから4mの東南東の風がやわらかく・・・。明日の29日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は弟と「退院祝賀会」をやっていたが、ふと、窓の外を見るとホタルが飛んでいた。それも数匹がユラーリ、ユラリー・・・と飛んでいた。もう、そんな時期になったのかと月日の早さに驚いたもの。やがてには、我が家の部屋にまで飛び込んでくる。

 

 さて、心臓の調子も良くなったことだし・・・と云うことで、久々に遠出をして徳島県の阿南市まで車を走らせてきた。ここは四国霊場22番札所の「平等寺」だが、お参りにやってきた訳ではない。

 

  山門をくぐると正面に本堂が見えてくる。右手にはお地蔵さん、左手には閻魔さんのいる十王堂や空海さんが掘ったと云う「加持水の井戸」がある。

 

 本堂の中は折り鶴などの奉納物がいっぱい・・・・。この反対側にあるのが、今回のお目当てのもの。

 

 これ、何だと思うかな・・・。犬小屋みたいだし、祠(ほこら)みたいだし・・・。お神輿のようだが、お神輿でもない。

 

 実はこれ、「箱車」というもの。ここに奉納されているものは車輪が外されている。足の不自由な人がこれに乗ってお遍路をしていたのだという。この前の扉が開くようになっている。屋根があるから雨が降っても大丈夫なように考えられたもの。

 

 昔のお遍路さんや邊土(へんど)は、こうして旅をしていたと云う。病気を治したい一心であったり、死に場所を求めての旅だったり、住む場所を無くしての放浪の旅であったりした。ご承知のように、昔の四国は山道や海岸沿いの道を歩いての旅だった。こうした旅がいかに大変な旅であったことか。

 

 88番札所の大窪寺の本堂上部には、こんな車も奉納されている。これらの車を、家族・親戚や友人たちが押したり引いたりしたり、難儀をしている箱車を隣のムラまで押していくのが慣わしであったところもあったと云う。これは車いすのように座って乗った箱車だった。

 

 これは愛知県の札所に奉納されている箱車。通称は、そこに書いてある「躄車」という。今は死語になったのかも知れないが「放送禁止用語」になっているらしい。だから、あえて、読み方は書かない。

 

 平等寺の場合は、大師加持水を患部に塗ると良くなったので奉納したと云われているが、多くは満願・結願を果たせずに亡くなった方がたも多くいたに違いない。

 

 今は福祉が行き届くようになって、また、マイカーなどで気軽にお遍路に出られるようになって、こうした箱車を見ることはなくなったが、私らが子供の頃にはあちらこちらで見掛けたもの。

 

 先日の室戸岬では、二人の初老の男性が、大きな荷車に家財道具を山積みにして引いて歩いていたが、国道の海岸線では楽かも知れないが、山道や坂道になるとどうするんだろうか・・と他人事ながらに思いやったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「こだわりを捨てれば心は五月晴れ」と云うもの。 「邪念を捨て、こだわりを捨てよ」 これを、禅門では放下著(ほうげじゃく)と云う。中国の言葉だが、要するに”捨ててしまえ”ということ。人生の苦しみの多くは執着の心より起こるもの。執着の心とは、つまり、”こだわり”。仏教はこの”こだわり”を捨てよと説いている。こだわりがないといけないこともあるし、こだわりが良い結果を生むこともあるけれど、往々にして、人を出口のない欲望と迷いの渦中に巻き込んでいくこともまたあるもの。どうしたら、様々なこだわりから自由になれるのか?どうしたら、仏様のような柔和な心になれるのか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


雲のない 空いっぱいに ほととぎす

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。また、昨日から黄砂を観測している所があったらしい。気温は17度から29度、湿度は86%から56%。風は2mから3mの南南東の風が少し。明日の30日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。引き続き、黄砂を観測する可能性があるらしい。

 

 我が家の前の山の工事も着々と進んでいるらしい。今日は切り倒した木材をクレーンで下に落とし、それをチェーンソーで切り分けているらしく、チェーンソーの音が響き渡っている。

 

 午前中は、この「巡礼の文化人類学的研究」ということで、「オヘンロサン」と「ヘンド」の相違点や違う点などを聞き書きや取材を通して調べたものの電子化作業。四国の中でも、曖昧な地区もあれば、はっきりと区分されている地区や、言葉にできない地域などさまざまであった。その赤裸々な言葉の数々が生々しい。この本を電子化するのに三日もかかってしまった。

 

 お昼前には、さぬき市前山地区にある「遍路資料展示室」をのぞいてきた。ここは一般的は「前山おへんろ交流サロン」というが、本来の目的は「前山地区活性化センター」と云うもの。

 

 ここにはさまざまなお遍路に関する資料などが展示してある。

 

 今日の目的物はこれ。「往来一札之事」と題する毛筆で書かれた文書で、一般的には「往来手形」とか「往来切符」とかいう。私らはこれを「捨て往来」と呼んでいる。これを昼食まで読んでみた。

 

 「越後の国の百姓五郎右衛門の弟、毎太(23歳)が神社仏閣拝礼の旅に出るので国々の関所を通して下さい。もし行き暮れた時には御慈悲をもって一夜の宿をお願いします。宗旨は代々禅宗にして円通寺の旦那に間違いありません。もし、いずこかの国で病死した時はその所の作法で葬って下さい。その節には国元への届けは不要ですので、念のため往来手形一札を入れておきます」という内容の文書である。

 

 一方、こちらも越後の国の女性、片桐屋三九郎の母が巡拝に出た時のもの。「代々浄土真宗拙寺旦那に紛れなく御座そうろう。祖師(親鸞)聖人御旧跡(二十四輩など)拝礼ニ罷り出そうろう」とあって、以下、「捨て往来」の記述がならぶ。東浄土真宗というのは大谷派の寺院であろうか。

 

 江戸時代には何人たりとも、国外へ出ることは許されなかった。そこで、神社仏閣拝礼とか四国霊場辺路とかの口実で旅に出たもの。伊勢参りや金比羅参りも同じような口実だった。

 

 これは四国遍路が札所に収めた「納め札」と云うもの。天保十一年のものである。隣は弘化四年のものである。その時代は飢饉や地震が相次いで、多くの人々が南国四国へ逃げ込んできた時代だった。

 

 これは安政三年というからオランダで咸臨丸が建造中の時期。いわゆる幕末期のことである。黒船来航などで世情が混沌としてきた頃で、人々は温暖な四国目指して、和歌山や堺あたりから小松島などに上陸してきたのである。

 

 午後からは奥方のお供で夏用の衣服や食材の買い出しに出たが、途中からエアコンを稼働させた。窓を開けても信号待ちで止まれば汗が噴き出してきた。あの頃は30度を超えていたんじゃないかなぁと思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「私のものさしで問うのでなく 私のものさしを問うのです」というもの。これも正行寺さんの門前にあったものだろうか。仏教で説かれる智恵というのは、自分の物差しを問い正せる智恵であり、自らの愚かさに目覚められる智恵だとも指摘される。自分の物差しが絶対的なものではないということに気づけない状態こそが無智であるということである。 とかく、私たちは、自分の物差しだけで物事を見聞きし、考え、行動することが多いもの。そして、それが苦しみや迷いのもとになっている。 人間は、エゴ(自我、我欲)、つまり、その人の好みや癖、偏りに影響されながら、観たり、聴いたり、嗅いだり、味わったり、触れたりして、外界の世界を認識している。それ故に、なかなか真実の姿(実相)を認識することはできないもの。選り好みや思い込みにより、真実の姿を歪めて取り入れてしまうからである。「心こそ 心まどわす心なれ 心に心 心許すな」という古歌もよく紹介されるが、このような特質をもつ、心の危うさを詠ったものだと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

花しょうぶ 今夜の客が 気にかかる

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。また、今日も黄砂を観測している所があるらしい。今朝は瀬戸内海?松港付近では濃霧が発生して停船勧告が出されていたが、午前10時前には解除された。気温は18度から30度、湿度は89%から62%。風は1mから2mの北北東の風が少し。明日の31日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、午後は雲が広がりやすく、引き続き、31日にかけて黄砂を観測する可能性があるらしい。

 

 電子化の終わった本を返却するために、香川県立図書館に寄ってきた。あと、何冊か借りて来たが、あんまり参考にはなりそうもないので、早く返却して来なければ。さて、空海さんは、幼名「真魚:まお」のままで、18歳とか20歳まで過ごしたんだろうか。「空海」を名乗る前に、「無空」とか「教海」とか「如空」と名乗ったという記録もあるのだけれど・・・。

 

 今日は坂出市川津町まで走って、「かわつ花菖蒲園」をのぞいてきた。この日曜から開園すると云うものだから・・・。ここは使われなくなった四つの濾過池に72種16、500株66,000本の花菖蒲やあやめなどが植えられている。

 

 早生の品種がぽつぽつと咲いている程度、次の7〜8日あたりがいいかも知れない。まだまだ花は少なかった。開園されるのは、6月1日から15日までの9時から16時まで。

 

 場所がわかりにくいし、住宅地の中にあるので、気をつけて花菖蒲を鑑賞して欲しい。

 

 それでは・・・とやってきたのが、さぬき市長尾東にある「亀鶴(きかく)公園花しょうぶ園」。ここも日曜の6月1日から「ショウブまつり」が始まるらしいが、花の方はちらほら・・・。

 

 ここには15万本の花ショウブなどが植えられていて、県下一の花ショウブ園だと云うことだ。

  

 こうして見るとたくさんの花が咲いているように見えるが、実は・・ここだけ咲いている。あとはほとんど咲いていない。

 

 これが花ショウブというもの。

 

 ショウブというのがこれ。葉っぱも花も全く違うもの。ショウブは五月にこんな花が咲き、この葉っぱをこどもの日にお風呂に浮かべて「しょうぶ湯」にしたりする。

 

 ところが、ここでは堂々と、「ショウブまつり」と銘打ってイベントを起こしている。ま、日本人は、こういうことには寛大な国民なのかも知れない。

 

 「約1万5千株のハナショウブが宮池の周辺に紫・白・黄・ピンクと色とりどりに咲き誇り来場者の目を楽しませてくれます。よさこいおどり「さぬき舞人」ライブ、サウンド三木ライブ、白鳥ふれあい動物園他、各種バザーやお茶席を予定しておりますのでお誘い合わせの上、御来場下さい!」と、さぬき市では呼びかけている。

 

 このイベントは、2014年6月1日(日曜日)9:00〜15:00 と、2014年6月8日(日曜日)9:00〜15:00の二日間行われる。しかし、花しょうぶを楽しむのはいつでも無料で見学・鑑賞できる。

 

 ここも6月8日あたりが見頃になるのかも知れない。

 

 帰りに山の旧宅近くの竹藪で「ハチク(淡竹)」を見つけたのでカマで刈り取ってきた。この竹は根っこが硬くて食べられない。だから、地上部分を鎌で刈り取って、荒縄でしばって帰るもの。今日はそのまま車に投げ込んで帰って来た。さっそくに大きな鍋でゆがいておいて、冷凍にするか天ぷらにして食べるという。

 

 今日の掲示板はこれ。「生まれを選ぶことはできないが 生き方は自分で選ぶものです」という荒了寛さんのことばから。私たちは、どこの国のどこの誰の所に生まれるかを選べない。親もまた、どんな顔の、どんなこころの、どんな身体を持つ子が生まれるかを選べない。大会社の社長の子に生まれる人もあれば、内乱の続くヨーロッパの貧しい夫婦の家に生まれる子もいる。私たちは自分の生まれを選ぶことはできないけれど、貧しいままで終わるのか、働いて働いて大会社をつくる生き方を選ぶのかは自分で選択できること。明るく楽しく生きるのか、辛く悲しい人生を生きるのか、それさえも自分で選ぶことができるもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

突き抜ける 五月の空は 今日限り

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。今日もまた、黄砂を観測しているらしい。気温は18度から32度、湿度は96%から52%。風は2mの東北東の風がときおり・・・。我が家では初めてエアコンを冷房モードで動かせた。一気に暑くなってきた。明日の6月1日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みとか。四国地方では、引き続き6月1日にかけて黄砂を観測する可能性があるとのこと。

 

 今日は我が校区、母校の小学校の運動会。名目は「春季大運動会」だがささやかな体育大会みたいなもの。児童数63名、職員数14名で、保育園・幼稚園児、保護者・地域の方なども混じって、午前中に13種目、午後から6種目の演技や競技があるらしい。

 

 小学校の運動会なんて何十年ぶりだろ。PTAの役員をしていた頃にたまに顔を出したくらいなもので、娘が小学校にいた頃だった。そのころはまだまだ児童数も保護者の数も多かったように思う。

 

 来春には、隣の「富田小学校」と統合されるので、今年の運動会が最後になるのだという。閉校まで300日を切っている。今日は閉校記念の人文字航空写真の撮影をするそうで、人が足りない・・・というので応援に駆けつけた・・と云うわけ。

 

 で、お弁当をいただいて、少しばかり競技を見せていただいたが、誰が誰やら、どこのどなたか、まるで浦島太郎症候群・・・。まるでよそさまの運動会だからちんぷんかんぷん。辛うじて、同じ自治会の役員さんを見つけて一安心。

 

 地区それぞれに役員さんがいるらしくて、ここに何名、こちらに何名・・・という割り付けで並ばされるが、これが、どんな模様で、どんな字の一部なのかはわからない・・・。

 

 私らのチームは何かの「字」の一部らしいがわからない。で、青い色画用紙を一枚ずつ持たされて顔の前に並べるのだと・・・。その様子をラジコン・ヘリを使って監視しながら、「東の二列目、人が一人空いています」とかの指示が出る。

 

 12時40分から準備をして、チェックして、13時丁度に飛行機がやってきて、三回ほど西から東に上空を旋回する。その後、大きく南に旋回する間に撮影画像を確認して、南から北に飛んできて、私らの上空で翼を上下にバンクさせて撮影終了。その間、10分。それでも、今日は暑かった・・・。

 

 これは、数年前の母校・大川第一中学校の閉校記念の人文字の航空写真。今度の小学校は、この校舎の跡に建てられるそうだ。

 

 これが、私らが通っていた頃の「松尾小学校」。だから、新しい鉄筋の校舎が閉校になると云われても、何の感慨もわいては来ないし、寂しさも悔しさもない。

 

 今日も校舎のあちらこちらを覗いてきたが、「ふーん」という程度で、まるでよその小学校。こういう校舎の思い出の片鱗すらなかった。

 

 私らのころは、「大川町立松尾小学校」だったから、なおさら、ここは「よそ(他所)の小学校」みたいだった。

 

 だから、今日の航空写真の予約も、「閉校記念誌」の予約もしなかった。棺桶に持って行くような思い出もないし・・・。

 

 午後からは、今年のテーマの「四国辺路の闇と陰」という、「職業遍路」「病気遍路」「棄民遍路」などの、「お四国さん」でない遍路・邊土・辺土の研究をまとめていた。飢饉や事業失敗や犯罪や・・・古里を追われ、故郷をなくした人々がたどった過酷な人生の旅・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるとは何かに一所懸命打ち込んでいく、命を燃やしていくこと」という登山家・栗城史多さんのことばから。栗城さんは云う。「生きるとは、長く生きるかどうかではなく、何かに一所懸命打ち込んで、そこに向かって命を燃やしていくことだと思います。たとえ90歳まで生きたとしても、夢も目標もなく、何にもチャレンジしない人生はつまらない。大切なことは、登頂までの過程で、いかに自分の100%を超えた、110%、120%の未知なる領域に辿り着けるかということです」と。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

水無月の 風とは思えぬ 草の丈

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。また、黄砂を観測しているらしい。気温は18度から32度、湿度は74%から57%。真夏のような暑さだ。いきなり、こんな気温になると身体がついていけない。風は2mから0m・・・。北東の風が気休め程度。明日の2日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷の接近で夕方からは雲が広がる見込みらしい。引き続き1日にかけて黄砂を観測する可能性があるとのこと。

 

 さて、いよいよ今日からは6月、水無月に入った。ま、農家でもないので、だから、どうしたと云われるとなんでもない。このブログ、今日で開設から、3,333日目なのだそうだ。ま、一般的な通過点だから、これまた、なんでもない情報だったりする。

 

 お山から「真宗公論」という「興正学会」の機関誌が届いた。うちの宗派のお勉強会の本だ。

 

 昨年に発表した、私の論文が掲載されている。今年は「体調不良」で学会はお休み。「安居」もお休みさせていただいた。で、「じゃぁ、再来年は「法然さん」ですね」と云われたので、来年の発表用の論文を用意しないといけない・・・。

 

 これが昨年にまとめた「讃岐における法然聖人足跡巡拝指南書」と云うもの。この中に掲載されている「主題論文」を加筆修正して、そこそこのページ数に調整して提出することにしたい。

 

 これも、この秋頃までに提出だったかな。調べてみると、来年の三月末が提出期限らしい。まだ、間があるといえば間があるけれど。優先順位をつけないと・・だな。

 

 我が家のビワもほんのりと色づいてきたが、食べられるようになると、山のお猿が食べてしまうに違いない。先週だかに高知に行ったら、ちょうどいい具合に色づいて、あちこちで売ってはいたが買って食べたいとも思わない。

 

 今日は娘と孫のなぎちゃんがやってきて、お昼はこの、「さわらの押し寿司」というものを、なぎちゃんが作ってくれた。

 

 このさわらの押し寿司を食べると、「さぁ、田植えをがんばれよ」という合図だったと云う。「春祝:はるいを」と云ったが、食べたいが、食べたくないなぁ・・・という気分にはなった。PTAの総会後の懇親会にも「サワラ」の料理が出た。「あ、ハルイオやな・・」と聞いただけで、任期の終わった者は良かったが、新しく役員になったものは、「・・・・」と云う気持ちになった。

 

 しかし、云うと云わんと、少し動くと汗が流れるようになった。これから数ヶ月が大変だ。暑さになれてしまえば、そうでもないのだろうけれど、梅雨を乗り切るまでが心配ではある。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の幸せは自分で決めていい 今のまんまそのまんま だからあなたはそのまんまでいいよ」と云うもの。「遊書家 とし」さんの言葉から。 「自分の幸せって自分で決めて良いんですよねぇ〜。だから、今のまんまの自分でも幸せだったりするんですよねぇ〜。だから、そのまんまの自分でいられることが幸せだったりするんですよねぇ〜。なぁ〜んて、ふと思ったトシでした♪。みなさんに幸せな事が起きますように♪  」と云うことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ほたる草 いとしき人を 待つように

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 さぬき市地方は気圧の谷の影響で薄雲が広がっている。気温は19度から29度、湿度は98%から68%と蒸し暑かった。風は3mから7mの南東の風が・・・。明日の3日は、引き続き気圧の谷の影響で雲が広がり、夜には雨が降る見込みらしい。

 

 今年もゴーヤーでグリーン・カーテンを作って欲しいとケイコばぁが云う。苗をたてたのも、プランターに植えたのもケイコばぁだから仕方がない。朝方から曇っていて、昨日のようなカンカン照りではないので、重い腰をあげて工作(?)に掛かった。

 

 手近にある竹の竿やのぼり用のポールやらを利用して大まかな柱を立てる。その間に、園芸用の支柱を立てていく。そして、ネットを貼り付ければできあがり・・・。

 

 このネットは昨年も使ったもので、今年の費用はゼロ円。時間も20分ほど・・・。

 

 早くも蔓がネットにからみついている。目がついている訳でもないのに、素早く見つけるものだ。

 

 今朝は気温も高くないし、曇っているので、久しぶりにお墓の草刈りでもやっておこうか・・・と出掛けたのだけれど・・・。なぜだか、草刈り機のエンジンが動かない。始動はするのだが、回転が上がらない・・・。20分ばかり悪戦苦闘してみたが、回転が上がらずに草が刈れない・・・。

 

 仕方がないので農機具屋さんに走って見てもらった。燃料タンクからキャブレターに向かうビニールチューブが裂けているとのことで部品交換。一発でエンジン始動・・・。わずか5分の修理で1,000円の支出。背に腹は替えられない。

 

 その頃になると気温がぐんぐんと上昇してきて25度台から26度・・・。汗が流れて目に入る。メガネが曇る・・・・。わずか・・・30分でギブアップ。最近、熱中症で倒れるお年寄りが多いらしい。こんな山の中で倒れていても誰も気づかない・・・。早々に撤収・・・。

 

 先の電気的除細動治療では、こういう「EDパッド」という電極を張られた。右上の肩先のパッド部分の跡が「やけど」状態になっていて、これが痛かゆいのだ。そこに汗が染みこむものだから・・・痛い・痛い・・。

 

 すぐさま・・・シャワーを浴びようと家に戻ったら・・・先客のケイコばぁが・・・。奥方も畑仕事が終わったところらしい・・・。ま、シャワーを浴びて缶ビールで水分補給して一休み・・・。

 

 その後は、例の「ヘンド」の原稿の整理。昔のお坊さんは「行乞:ぎょうこつ」をして修行した。だから、昔のお遍路さんも「行乞:ぎょうこつ」しながら札所を回った。ところが、いつごろからか、「行乞」だけして回る人が出てきて、それが増えた・・・。それが「ヘンド」だというのだ。昔は「勧進」とか「法謝」とか「喜捨」とか云ったが、四国では「ヘンドをする」とか「ヘンドに行く」とか云うようになった。今はカッコ良く「職業遍路」と云うらしいが、要は「ものもらい」。最近は不用意にことばを使えないから「ホームレス」なんて云うが、彼らはホテル住まいしながらの「職業遍路」で、自宅にはきちんと送金しているのだと云うからややこしい。

 

 それとか「病気遍路」のこともまとめておきたいものだし・・・。お遍路の闇と陰の部分などなど。こういう、「絶対に売れない本」を作るのもまた大切なことだと思っている。絶対に売れないから作らない。だから読まれない。私は「世界に一冊だけの本」を作りたいのだし、「どこの本屋にも売っていない本」を作りたいのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。私は掲示板を管理していないので、同じことばが何度も出て来るかも知れないが、それはご容赦。その時々のことばを選んでいるだけのことだから。「いい仕事をしている人はいい顔をしています 仕事を楽しんでいる人の顔は輝いています」と云うもの。いつもの「荒良寛」さんのことばから。まさに、今日の私はいい顔をして、輝いているに違いないなぁと思ったことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨となり 今日の予定を ひるがえす

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 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がり、雨の降っている所がある。気温は21度から27度、湿度は90%から84%。風は8mから4mの南南東の風から南の風。朝方は寒いくらいの風が吹き荒れていた。明日の4日は、四国沖を東へ進む前線の影響で雨が降り、夜は雷を伴う所がある見込みなんだとか。

 

 四国地方は、本日梅雨入りしたとみられると気象台から発表があった。現在雨雲は、沖縄から四国と中国地方にかかっていて、九州南部では、夜は雷を伴って非常に激しく降る所があるらしい。西日本の太平洋側では、明日にかけて大雨の恐れがあるので要注意。

 

 本来ならば、今日から京都に向かい、今日は前泊、明日から「安居」で、明日の夜は「興正学会」に参加する予定だったのだが、心臓の電気ショック治療以降、あまり体調が芳しくない。微熱も続いているようなので、大事をとって、今回はお休みすることになった。最近の気候の影響なのでは・・・と思ったりしている。

 

 で、気分がすぐれないならば・・・と云うことで、香川県立図書館にでも行って気分転換でも・・・とおもって、1時間もかけて出掛けたのに、今週は「資料整理」とかでお休み。がっかりのガックリで、またも1時間をかけて戻って来た。なんたるこっちゃ、サンタルチア〜。

 

 麦が収穫前・・・。そろそろだなぁと想っていたら・・・。

 

 麦刈りをやっている田んぼもあった。今日の午後からは雨になるぞと、急いで収穫にかかったのかも。そろそろ麦を片づけて田植えの準備もしなくてはならない。このあたりはどんな麦を作っているんだろうか・・・。農家の事情にもうとくなってしまった。

 

 で、例の通りの「四国遍路の闇と陰」のお勉強。「職業遍路」でググッてみたら・・・出るわ出るわ・・・。今でも、そんなに「職業遍路」がいるのか。法律で「こじき」などは禁止されているが、白衣を着て菅笠を被っていれば、「ものもらい」ではなくて「行乞」や「托鉢」になるのか・・・。「接待」という文化の衣を身にまとっていれば、それなりに喜捨がもらえて、生活できるというのだからおかしな話だ。

 

 これが「職業遍路」。確かにお遍路の姿をしているが、白衣がきれい過ぎる。ま、これが汚れていれば、余計に「汚い」とかで追い払われるんだろうけれども。これで、二千円でも三千円にでもなったら、やめられないだろうなぁ・・・。でも、お経もあげずに無言で立ち尽くす・・・というのも、この時期からは重労働になるな。

 

 同年11月には再び遍路取り締まり令が布告された。遍路の風体をした者が各地に姿を見せ奇妙な行動をしている。医師のまねごと、占い師めいた仕業で庶民の悩みに乗じて金銭を詐取する者があるし、または弘法大師の灸点(きゅうてん)などと唱えて人心を惑わす者もある。これは風教の上にも甚だ好ましからぬことであるから、遍路街道はいうに及ばず、脇道であっても取り締まりを厳重にするようにと、地下(ぢげ)一般(一般領民)に戒告したものであった。

  

 四国のこうした風土だから、今も昔も、こうした辺土というか、遍奴というか「職業遍路」というものが存在し続けられるんだろう。

 

 これだけ、福祉、福祉と叫ばれながら、子供に食事も与えずに餓死させたもまま放置するような親もいるし、介護介護と云われながら、徘徊したまま行く目不明の老人が何十人もいるという現実・・・。「お四国病院」という医師の居ない病院に転がり込んだままの人がいる。

 

 さて、今夜は奥方が泊まり勤務。洗濯物とかを取り込んで、お風呂の用意をして夕食の準備でもするとしようか。

 

 今日の掲示板はこれ。「子は親のいうようにはしないが親のするようにはなる」というもの。生活態度も、思想信条も、仏縁を結ぶにつれても、何においても同じこと。親(オトナ)が大切にしているものを子は大切にし、親(オトナ)が疎かにしているものを子は疎かにするのである。さしずめ、今は前者が「カネ」で、後者は「仏縁」でないことと思っていたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

あじさいに 今日の怠惰を 叱られる

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 さぬき市地方は気圧の谷や前線の影響で雨が降るというたけれど、少しも降らない。気温は22度から26度、湿度は88%から90%。風は3mから5mの南南東から南の風が・・・。明日の5日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、明け方にかけて雨となり、雷を伴う所があるらしい。

  

 今日は気圧の関係か頭が重い・・・。天気も良くないことだし・・・と云うことで、今日もデスク・ワークになった。で、今日は「へんろの墓」。

 

 こういう立派なお墓もあれば・・・、

 

 こういうものもある。遍路は懐中に、「もし死んだ場合その土地の習慣で葬ってほしい、故郷への連絡は不要である」との手形を持って、巡礼をしている。しかし、死者に接した地元の人は、多くの場合丁重に遍路を葬った。その際、死後に石碑を建てるだけの金銭を所持していた遍路には、その金で墓碑が建立された。着のみ着のままで死んだ遍路は路傍に土饅頭をこしらえ、所持していた杖を墓標にし、笠を土饅頭に乗せたと伝えられている。

 

 だから、こんな、何もないお墓もあちらこちらに残されている。特に88番大窪寺周辺には異常に多い。結願(けちがん)満願を目前にして力尽きてしまったのだろうか・・・。

 

 このあたりは、まだ、木の枝でも供えてあるから立派なもの。花も花筒も何もないところが多い。多くの行路死した遍路は現在では自然の景色の中にまぎれてしまってもうその所在すらわからなくなっているのが実情。

 

 この人は四国順拝二百八十回を達成し、二百基に余る道標石を残した中務茂兵衛義教で、下の歌を添えた石を二基立てている。これらの道標石を自身の墓標とみなしていたので、実際に自身の墓はない。

 生れきて 残るものとて 石ばかり 我身は消えて 昔なりけり

 

 四国へんろは結願寺、大窪寺をめざして四国中を歩いてきた。江戸時代の遍路は、旅の苦難のために命を落とす者もあったという。一部の裕福な階層の遍路をのぞいて、多くの遍路は多くの路銀を持たない貧しい人々であったという。遍路道の沿線にある家々の門前に立ち、遍路の修行と称して門付けし、その家の祖霊を拝み読経した。そしてその家から接待という何がしかの喜捨をうけた。これを旅の費用とした。

 

  貧しい遍路は基本的に四国の沿線の人々の行為に頼って巡礼を続けていた。そういう貧しい遍路は総じて栄養事情がよくなかった。そのために、普通の人には何でもないところでも、落命につながる変事になったという。河川を渡っていて足をとられ流されたり、岩山で転落したり、山越えの道でも命がつきることがあった。また寒い冬に仮の宿とした橋の下で遍路が明け方に冷たくなっていた、というような話は、遍路沿いで数多く語り継がれてきた。

 

 遍路墓の建立はひとり、死んだ遍路の問題だけでなく、地域を巻き込んだ一大事でもあった。地元の者は、遍路のことをヘンドと物乞いをする乞食のように一段と低める呼び方をして冷遇する一方で、別には弘法大師の化身の聖者であるかのごとく扱う見方もあったため、死んだ遍路の存在はその処置をめぐって地元の人々にも大問題であったという。 

 

 こう暑くなってきて、夏草が伸び出してくると、お墓探しもできなくなってしまうので、梅雨の間や夏場には資料整理になってしまう。

 

  梅雨になるとアマガエルが賑やかになった。このあたりは過疎と高齢化でたんぼを作る人が少なくなって、水田というものが見えなくなってきている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間にとって いちばんひどい病気はだれからも必要とされないと感じることです」というマザーテレサさんの言葉から。マザーテレサさんの遺言からです。

 「私たちは忙しすぎます。ほほえみを交わすひまさえありません。
 ほほえみを、ふれあいを、忘れた人がいます。
 これはとても大きな貧困です。」

 「多くの人は病んでいます。
 自分が全く愛されていない、関心を持ってもらえない、
 いなくてもいい人間なのだと…。

 人間にとって
 いちばんひどい病気は、だれからも必要とされていないと感じることです。」

 「どんな病気に対しても、医薬品や治療法があります。
 けれど、だれからも必要とされないという病気は、
 喜んで差しのべられる奉仕の手と、
 愛するための愛の心があるところでない限り、
 癒されたことはないと、わたしは思います。」

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


夜が来る 梅雨のしずくの あいだから

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 さぬき市地方は四国沖に停滞する低気圧や前線の影響で雨や雷雨となっている。大雨が降ると聞いてはいたがこぬか雨のような小さな雨が降ったりやんだり。気温は17度から25度、湿度は92%から84%。風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の6日は、四国沖の低気圧の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 まさしく梅雨だなぁと思う雨。奥方のけいこばぁは野菜に水やりをしなくて楽だと喜んでいる。ご近所の田んぼでは田植えの準備が進んでいる。この上流の県営ダムの放流が例年、10日に行われて、一斉に田植えが行われるらしい。

 

 さて、この週末から千葉のほうへお出かけするので、その準備が始まった。法要のための色衣や袈裟、着替えなどの荷物を先に送ったり、お土産を送ったり。午後からは弟が迷犬ごんを預かってくれるというので引き取りに来る。3日か4日の旅なんだが、なんだかんだとやることがいっぱい。

 

 この教区の機関誌の原稿依頼が早くも来た。6月末ということだったが、旅行に行く前に片づけておかねば・・ということで、朝の間はこの原稿書き。

 

 ま、ひな形もあるし、資料もたくさんあるから悩むような作業ではないが、何カ所の記事を、どのくらいの分量で配置するか・・・みたいなささやかな心配。ま、編集担当に調整していただくことにして、記事と写真とをメールで送っておいた。旅先で何が起こるかわからん時代だ。

 

 前の山の掘削工事は、今日もお休みだ。そんなに工事を止めるほどの雨でもないのだが、それなりの「段取り」というものがあるのかも知れない。

 

 けいこばぁは、できあがった荷物を宅配屋さんに持って行ったり、自動車屋さんに行ったりと、これまた準備に余念がない。来週の月曜・火曜のお仕事の振り替えとかもあって。

 

 昼前に弟がやってきて、ごんの手入れとか食器を洗ったり、ドッグフードの準備とか・・・。ねぇ、3泊4日の旅なのにてんやわんや・・・とやっている。その後、3人での昼食会。

 

 迷犬ごんは、何もわからずままに、車に乗せられてレオマワールド近くの綾歌町に連れて行かれてしまった。ま、7日から10日まで、犬の散歩とエサやりのために通ってくれ・・というお願いをするけいこばぁもけいこばぁだ。

 

 午後の3時過ぎにようやく準備が終わって、けいこばぁはお昼寝タイム。私はやり残している作業を始めた。昨年の研修で頂いた資料を電子化する作業・・・。スキャナーで読み込んだり、「読んでココ」というアプリで資料を読み込んで電子化してしまう。

 

 「この金剛杖といいましたらね、これは生きてるときは大師です。ほいで我が身で同行二人といいますけどね。まあ、お四国まいる方はね、これはもう有難い有難いいうてね、宿へ行ったらね、杖の先、足を洗いましてね、床の間に置くんですわ。誰もお茶蕩も線香も供える人はおらんわけです。金剛杖にはね。普通はありがたいから供えるのが本当ですけどね、それはそれでかまんのです。ここにこれ四つきずがあるんです、金剛杖にはね。ここには、きゃ、か、ら、ば、と書いとるわけですね。これは真言宗で四角塔婆です。塔婆に書く文字を書いとる訳ですよ。この四国の霊場まいるからね、お大師さん御利益をくださいと。くださらなくなったらね、自分は死んでもかまいませんと。死んだときはどうぞこの枚をね、自分の石塔のかわりに立ててくれとね。自分の石塔をもって歩いとるわけですよ。」                                      語り・文殊院荒井浩忍 採録・大塚実

 

 遍路が金剛杖を大事に扱う気持ちは現在でも変わりがない。遍路を迎えいれる宿の側でも、金剛杖をたてておく設備を宿の玄関や部屋のなかにもっているほどである。金剛杖は大師の分身と考えられ、道をゆく遍路にとって心身両面の支えである。あえぎつつ難路をゆく遍路はこの杖にすがり.「南無大師遍照金剛」と唱えていく。そして彼らはみずからの墓をもたずさえて道を歩んでいるのである。

 

 本当は、その前にあった、遍路の死とその処理・・なんぞを載せたかったのだが、あまりにも生々しいので割愛したら、なんということのないお話になってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。少し読みにくい画像になっているが、「人は生まれによって尊からず その人の行いにより尊し」というもの。あるバラモン青年が、「バラモンは生まれによるのでしょうか、それとも行いによるのでしょうか」と問いかけた。仏陀は「草や木や昆虫や動物や魚や鳥には、生まれによる種類の区別がある。しかし、人間には生まれによる区別は存在しない」と説かれた。さらに「牛によって暮らす人は農夫であり、技能によって暮らす人は職人であり、売買によって暮らす人は商人であり、盗みによって暮らす人は盗賊である。このように、人はその行いによって、それぞれの名称で呼ばれるだけである」と教えられた。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

旅支度 なぜだか重たい 梅雨の空

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 さぬき市地方は四国付近にある低気圧の影響で雲が広がり、雨は降ったり止んだりの状態の1日。気温は18度から25度、湿度は96%から77%。風は2mから4mの東北東の風が少し。これが梅雨なんだなぁと思う今日このごろ。明日の7日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨となる所があるという予想だった。

 

 さて、明日の朝、LCCで?松から成田に向かうのだけれど、24時間以内に手続きをしておくこと・・・と娘に言われているのだけれど、何をやっとけばいいものかと思案しながら、あれか、これかとやっていた。何かのバーコードとかを打ち出してカウンターへ持って行くこと・・・という伝言だったけれど。

 

 どうにかこうにか、バーコードまでは印刷できたけれど、「これは搭乗券ではありません」と書いてあるが、これでいいんだろうか。「旅程表」と書いてある。GRコードはどこにも印刷されていないが。

 

 とにかく、早めに空港に着いて手続きをしておけば成田までは行けると思う。思うが、千葉も明日は雨だろうか・・・。雨の日の旅はどうにも苦手なんだけれど。

 

 それに、成田空港からお施主さんの家まで、どうやっていけばいいものか。ある程度のルートとか電車の時刻表は送られてきているのだが、どうにもこうにも感覚がわからない。「スカイアクセスの特急に乗って新鎌ヶ谷に行き、東武アーバンパークラインに乗って江戸川台へ・・・」田舎者には外国へでも行くようなもんだ。

  

 それにしても、あれほど邪魔くさかった迷犬ごんがいなくなると手持ちぶさたでどうしようもない。散歩に行くのも面倒だったのに、いざ、いなくなると・・・部屋の中を歩き回って手持ちぶさたを解消している。ま、明日になれば、それどころではなくなるのだけれど。

 

 さて、昨日は金剛杖のことを書いたが、この笠もまた大切なものらしい。この笠は「菅笠」というもので、上になっている梵字の書いてあるほうが前。同行二人の字が後ろ。笠の四方に以下の文字が書かれている。

 

「迷故三界城」:まようが ゆえに さんがい は しろ
「悟故十方空」:さとるが ゆえに じっぽう は くう
「本来無東西」:ほんらい とうざい なく
「何処有南北」:いずくんぞ なんぼく や ある 
<迷っているが故に私達を取り巻く環境はまるで堅固な城郭に閉じ込められているかのような圧迫感がある。その迷いを突き抜けて悟ってみれば、もう十方世界は大空と同じように自由で伸び伸びとしている。>

 

「四国遍路」(辰濃和男.岩波新書)では次のような、うまい訳をつけている。
<迷えば狭い枠のなか、悟れば宇宙のただなかだ、風にまかせて歩くだけ。>

 

 真言宗と禅宗では死者を収める棺に書く文字らしいが,遍路が亡くなった時,この菅笠で死者を覆い、棺の代わりとする。これを被っている遍路は死者であることを表している。つまりは、遍路は棺桶をも背負って歩いているというわけだ。遍路が終わって、杖を納め、笠を納めたら、すなわち、死の世界から再生することが遍路の意味であるという。

 

 これは、「白衣」とか「おいずる」で、白衣は、袖のあるもの。笈摺(おいずる)は、袖のない法被。白衣も「びゃくえ」と呼んだり「はくい」と呼んだりしているが、決まりはないらしい。「死に装束」で遍路が他界(聖なる世界)を行く者であることを象徴している。身体には死に装束をまとい、ふところには「捨て往来」を持ち、棺桶を背負い、手には墓標を持っての、つまりは、「お遍路さん」は形も精神も「死出の旅」であった。

  

 ということで、明日の7日からしばらく、ブログの更新はお休みになる。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分をかえたいと思ったら 思い切って新しいことをやってみるんだね」というもの。このままじゃダメだ、どうにか自分を変えてみたい・・。何度も何度も考えたものだった。でも、なかなかに、自分を変えるなんてできないもの。個人的には、新しいことより、興味があることには行動を移していきやすい。そして「やれること」と「やるべきこと」は区別するようにしている。なぜなら「やっている(やっていない)」ことより「できている(できていない)」自分を客観的に確認できるからだ。いまの自分に感謝しながらも、前向きに生きていくことは、常に新しいことにチャレンジしていくことなのかもしれない。
 If you want to change yourself, do something completely new.

 

 それではしばらく、ごきげんよう・・・。

旅に出て 梅雨のしずくに かすむ明日

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。今朝も朝の5時前に起こされて旅の支度を確認して、朝の7時過ぎに家を出た。迷犬ごんがいないから朝の散歩も必要ないし・・・。

 

 高松空港に着いたのは8時過ぎ。チェックインも難なく通過し、8時半の搭乗時間までおみやげを買ったり、トイレに行ったりとしておくが、今日は「利尿剤」がよく効いているのか何度もトイレに駆け込んでいた。

 

 メールで送られてきた予約票を提示すると、すぐに搭乗券が発行された。LCCということもあってか、周囲には若者が多い。

 

 八時半前に成田からの飛行機がやってきて、乗客が降りてきて、機内の清掃などがあって、8時40分に搭乗開始。この時には一番で乗り込んだのだが、成田で下りるのは最期になった。当然にそうなるのか。座席は25のAとB。後ろの法である。機内はほぼ満席状態。

 

 下界は雨模様らしいが上空は青空。雲の下には何も見えない。10時前から着陸態勢に入ったが、着陸したのは10時20分過ぎ。この頃、猛烈にトイレに行きたくなるのだが、着陸態勢に入っているからと・・・・。着陸してからもエプロンを右に左と走り続けて、今度はバスに乗り換えてしばらく走る・・・。

 

 成田空港は激しい雨が振り付けている。ここではタラップを踏んで下りるのだが、傘を開く間もないので、濡れながらバスに駆け込む。空港ビルに到着したら、けいこばぁと二人はトイレを捜して走る走る・・・。

 

 ようやく安心した二人は、昼食を食べるお店探し・・・。けいこばぁの好みで、おそば屋さんに。

 

 私はネギトロとおそばのセット。お店の中には「讃岐うどん」のお店もあったが、ここまで来て「讃岐うどん」でもあるまいということで即座に却下。それだから・・・と言う訳でもないが、「おそば」にしたのだが、これは全く口にあわずに、ほとんどを残してしまった。

 

 やっぱ・・・口にあうのはこれだな・・・。ごちそうさまでした。

 

 このお店からはLCCが離発着する様子が見られたのだが、激しい雨ではどうにも景色にはならない。昼食が終わってもまだ12時前・・。することもなく、行きたい所もないので、ターミナルビルをぐるぐると歩いてから電車乗り場に向かう。

 

 成田空港駅から京成電鉄スカイアクセスに乗って新鎌ヶ谷駅まで。田舎のおばさんのけいこばぁは誰にでも話しかけて、乗り場を聞いたり、尋ねたりして、どんどんと進んでいく。若い娘さんはスマホでてきぱきと調べて答えてくれるから、私のタブレットなんぞ出る暇がない。

 

 新鎌ヶ谷駅で下車して、今度は東武野田線に乗り換えて柏駅まで乗る。そこで別の線に乗り換えて・・・すんなりと、目的地の「江戸川台駅」に13時過ぎに着いてしまった。夕方までに着けばいいのに、4時間も早くに着いてしまった。

 

 ここでお施主さんがお出迎えに来てくれて合流。少しも迷うことなく、時間のロスもなく、お小遣いも使うことなく・・・・目的地に到着。あとはゆっくりと缶ビールをいただいて一休みして、夜の食事会になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「ほんとに忙しい人は 忙しいなんて云わないものだよ」という荒了寛さんの言葉から。。「本当にお金持ちはお金持ちだなんて言わないものだよ」、「本当に賢い人は 賢いなんて云わないものだよ」、「ほんとうに幸せな人は幸せだなんて云わないものだよ」・・・と、いくらも似たようなバージョンは作れそう・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨ごもり 「花は咲く」ばかりを 聞いている

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 千葉県流山市は雨の一日になった。夜中には激しい雨が降っていた。気温は18度から23度、湿度は100%から92%。風は2mから1mの東北東の風が少し。明日の9日も雨が降るらしい。日本列島、梅雨まみれ・・・。

 

 さて、なんで私が千葉県にいるのかというと、話がずいぶんと長くなる。奥方のけいこばぁのお父さんの妹、つまり、けいこばぁの叔母さんという人が七年前に亡くなった。その叔母さんの遺骨を引き取ったのが長女だった人。ということで、今日は叔母さんの七回忌・・・ということで、はるばると千葉県流山市まで呼ばれてやってきたというわけ。

 

 ここのおうちは、特に宗派はないそうで、たまたま、叔母さんの葬儀をされたのが浄土宗だった・・ということから、浄土宗経典による真宗的なお勤めになった。ま、浄土三部経は同じなもので。そんなことから、私が七回忌の法要をお勤めすることになった。けいこばぁの実家が浄土宗だったという関係もあって・・・。

 

 

 午前十時からご家族たちが集まっての法要になった。ここのおうちの息子さんや娘さん家族だけだった。

  

 浄土宗・・・ということで、ご法話は急遽、「「法然上人のご生涯」ということで、パワーポイントでの電子紙芝居になった。

 

 その後はお墓参りに出かけた。こういう霊園でも、お参りの人がいないのか草ぼうぼうのお墓があったり、中には木が伸びている区画もあった。お墓を建てても、おまいりの人がいなくなるとさみしいものだなぁと思ったりした。

 

 この頃には雨も小休止だったのがうれしかった。

 

 後ろの方のお墓に、草ぼうぼうのお墓が見えるけれど、管理組合が、除草なんぞしてくれないのだろうか。管理料というものを徴収してるはずなんだが。

 

 その後、みんなでそろって「おとき」で、中華料理のお店に案内された。お店の方は中国の方かな、「王」さんという名札の人だった。台湾の方かも知れないという話だったが・・・。

 

 12時半から14時までのお食事会を楽しんだことだった。こうして家族が集まる機会も少なくなった・・・という話だった。叔母さんのおかげで、こうして私もみなさんとお会いできてお話ができたことだった。

 

 この日の参列者は全員で九人ということだったが、皆さんの食べっぷりも見事だった。

 

 こうした料理はよくわからない。でも、出されるお食事は完食してしまうメンバーだった。

 

 こうして、私のお役目はおしまい。明日からは観光旅行になるらしい・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「夢はある程度大きい方が良い さもないと追いかけているうちに見失ってしまうから」と云うもの。オスカー・ワイルドという人の言葉らしい。確かに、小さな些細な夢は、うかうかとしている間に忘れてしまう。「大工さんになりたい」とか「左官屋さんになりたい」などという夢は・・・おとなになると忘れてしまって・・「会社員になりたい・・」とかで終わってしまう。かと云って、「宇宙飛行士になりたい」とか、「アラブの石油王になりたい・・」という夢はまた・・・大きすぎて潰されてしまうのかも・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨もまた 旅のみやげと してみたい

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 千葉県流山市は朝から曇ったまんま。ときおり、小雨がぱらついたりした。気温は18度から25度、湿度は78%から88%。風は3mの東北東の風が少し。

 

 8時から朝食のパンを頂いてから、9時過ぎに近くの公園を散歩することになっていた。流山市の道路一本隔てれば、柏市ということで、県営の「柏の葉公園」を散歩することにした。

 

 公園の中ほどにあるバラ公園を散策したり、日本庭園を回ってみたりとのんびりムード。ここも実に広い公園で、柏レイソルのサッカー場があったり、野球場があったりと・・・。付近にはガンセンターだの東大の柏キャンパスもあったりするところ。

 

 ついでに、色衣や五条袈裟などの衣類などを自宅へ返送しておく。LCCは、お荷物1個でいくらだというのが面倒だから・・・。

 

 お昼は焼きそばに缶ビールを何本かいただいて、13時過ぎに流山を出て、バスでJR柏駅に向かう。施主さんのご夫婦と、お姉さん、それに私たち夫婦の五人連れの珍道中。目標は成田空港近くの「成田ビュー・ホテル」。

 

 JR柏駅から成田線で成田駅まで。そこからさらに乗り換えて空港第2ターミナル駅へ。ここまでで3時間ほどを費やしている。

 

 この頃も、雨が降ったり、止んだりだが、私たちは電車の中だから心配はいらない。このあたりは四国香川と変わりないような風景。

 

 電車の中もこんなもの。私たちの借り切りみたいなもの。成田空港駅で降りて、今度はバスターミナルで待つこと20分。ホテルの送迎バスがやってきて、それに乗ると、ホテルまで無料で連れて行ってくれる。

 

 お施主さんのおなじみのホテルらしい。外国のCAとかクルーとかがロビーにあふれていた。外国からのキャプテンやコーパイ(副操縦士)たちがにぎやかに談笑している。さすが、成田のホテルだなぁと思った。

 

 こういう、温泉、「美湯温泉」がウリらしい・・・。

 

 露天風呂というか「岩風呂」もあって入ったが、それなりだなぁ・・と思った。

 

 で、今日のメイン・イベントの夕食会。飲んで食べて、楽しいひとときを過ごしたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸せそうな顔をしていれば 幸せになります」という荒良寛さんの言葉から。普段にはパソコンに向かって、むつかしい顔をして一日を過ごしているのだけれど、今回の思わぬ旅で、飲んで食べて、大声で話して、笑って・・・・。ずいぶんと顔の表情が変わった気がする。明日はまた、どんな旅になるのだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

あじさいに 旅の終わりを 話しかけ

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 成田市の朝は曇っていたが、やがてには晴れてきた。気温は18度から25度、湿度は76%から82%。風は2mから3mの南南東の風が少し。

 

 旅はおおまかでアバウトなところがいいのかも知れないが、いつものくせで6時前に目が覚めるがすることがない。テレビはカードを買わないといけないが、わずか1時間か30分ほどしか見ないのにもったいないと言うし、散歩をすると言っても山の中のホテルだし・・・。

 

 7時半から5人は揃って1階の食堂に降りてバイキング方式の朝食。洋食系の人が多いなぁと思った。

 

 ゆっくりと食べましょうね・・・と言われても、そうそうは食べられない。30分もすればおなかがいっぱいになる。三日目ともなると、面白い話も出て来ないし。30分ほどで失礼して旅のまとめの支度。JR成田駅に向かう送迎バスは10時10分だというので、これまた・・・手持ちぶさたな時間。ここは朝のお風呂がないのだそうだ。

 

 11時前、JR成田駅からは、お店のならぶ参道を歩いて、「成田山新勝寺」に向かう。ま、成田といえば「成田山」なのだろう。この頃になると空は晴れてきて暑くなってきた。ま、雨に降られるよりかはマシだなぁ・・という声があちらこちらで。ここは外国人の観光客も多かった。

 

 で、ここがお土産物屋さんの「米屋総本店」。羊羹がおいしいのだとか。ここでは無料のお茶が飲み放題で、休憩しながら試食品を食べながら休憩している人が多い。けいこばぁはお土産用の羊羹をたくさん買っていた。

 

 成田山新勝寺は真言宗智山派の大本山だとか。だからと言う訳でもないが、あんまり、お寺や建物などには興味がない。ま、でかいなぁ・・と思う程度。この仁王門の大提灯は大きくてものすごく重いらしい。この提灯は「魚がし講」が寄進したもので、「魚がし」と書いてある。800Kgもあるそうだ。

 

 これは狛犬というもの。普通は「神社」の参道に座っているものだが、ここにはあちらこちらに狛犬が奉納されている。このカラフルな狛犬は一級品。火消しの組が寄進したものらしい。

 

 これは「獅子山」という形式。溶岩を組み合わせて岩山を作り、そのあちらこちらに獅子を配置してある。山のてっぺんに親獅子がいて、そこから突き落とされた子獅子がよじ登っている様子が再現されている。こういう狛犬が、これでもか、これでもか・・と並んでいる。讃岐のこんぴらさんよりも数は多い。

 

 このドハデな建物は三重の塔。まぁ・・・というような感想。

 

 正面にそびえているのが「大本堂」。ちょうど、「御護摩」のおつとめ中だった。お坊さんが大きな御幣でお祓いをしているのが印象的だった。ここはなんでもアリなんだなぁと思った。

 

 おつとめの終わった法中がお戻りになるところ。

 

 お昼は参道の古いお蕎麦屋さんに入って、さっぱりとざるそば。ここには冷房がなくて、古めかしいウチワを貸してくれたのがおかしかった。このお店はおじいさんとおばあさんの二人だけでやっているものだから、実にのんびりとしたお店だった。

 

 昼食が終わると、JR成田駅から成田空港・第二ターミナル駅に向かって、そこで皆さんとお別れ。時間は14時半。出発時間は18時10分。4時間ほどの待ち時間。することもないし、行きたい所もない。ただ、待ち続けることしかない。

 

 フライト3時間前になると、この端末機で自分で発券する。予約番号や手荷物の数、預ける荷物の有無などをタッチしていけば「搭乗券」が出て来る。その後、保安検査を受けて、ただ、時間を待つばかり。

 

 フライト30分前になると搭乗手続きと言っても、搭乗券のバーコードを読み取るだけ。送迎用のバスに乗って、臨時駐機場に並ぶ一群の航空機の中の一機の前でバスを降りて搭乗する。

 

 これからが大変。フライト予定は18時10分だが、この時間帯は離陸ラッシュらしく、プッシュバックが始まったのが18時20分。そこからエプロンを右に左に走って走って・・・。各社の飛行機が大名行列みたいにエプロンをのろのろと・・。離陸したのは18時50分。?松に着陸したのが20時。ようやくに戻ってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「実行するところに成功があり これを忘れるところに失敗がある!」というもの。安田不動産の創始者安田善次郎は生前、処世に関する様々な本を書いている。その中で彼は、自分がお金持ちになれた理由をいろいろと述べている。善次郎は最晩年「この二十年間守り通した処世の信条は?」という雑誌社の質問に対して、「勤倹、克己、一にもってこれを貫く」、また別のところでは「人生は克己の二字にある。これを実行するところに成功があり、これを忘れるところに失敗がある」と答えている。現代人はとかく、自分のいまあるがままの姿をめてもらいたいといった風潮が見受けられるが、立派な人間になったり、成功したりするためには、自分に打ち克つという意志の力を持たなければいけないということを、善次郎は教えているのだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

睡蓮の その張り切りように 教えられ

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前を中心に雨が降っていた。気温は20度から26度、湿度は92%から74%。風は1mから2mの北西から北東の風が少し。明日の12日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、午後を中心に大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 年寄りは朝が早いと言うけれど、外が明るくなったら寝ていられないのも事実。ま、最近は曇り空だから6時前までは寝てられる。でも、6時に起きたからと言って、とくにやることもない。迷犬ごんさまは弟の家に預けられていていない。朝の散歩も仕方がないから一人で行ってきた。

 

 そうそう、千葉に出掛ける前にびわの実が色づいていたので、心配しながらの旅行だったが、案の定、戻ってみたら一粒も残っていなかった。幸いに、ジャガイモは無事だったので、けいこばぁは雨が降る中、ジャガイモを収穫していたので、朝食は9時からになった。

 

 で、迷犬ごんを連れて帰るのに、けいこばぁの車に乗せて弟が帰ったもので、奥方は私の車に乗ってお仕事に出た。おかげで私は一人、軟禁状態。ま、行くアテもないからかまわないだが、なんとなく・・手持ちぶさた。

 

 すると、誰もいない筈の玄関あたりでガサゴソと・・。「何だろう・・・」と出て見ると、宅配便屋さんが、千葉からの荷物を持ってきてくれた。お袈裟や着替えの入ったお荷物だった。これで、私のお仕事はおしまい。それと、親戚からの「クール・宅配便」も一個、届いた。

 

 今日の読書はこれ。これは郵便受けに投げ込んであった。amazonで注文したんだと思うが記憶にない。でも、私宛に送られてきているのだから間違いはない。うっかりと買ってしまったのかも知れない。

 

 でも、薩摩の隠れ念仏は本願寺も認めていたらしいが、仙台あたりの「隠し念仏」はおどろおどろしい、「秘事法門」、「異安心」などと言うことばが並ぶから普通のお念仏でないことは確か。そういう、陰の宗教にも興味がある。なんで、そこまでしなければ、お念仏ができなかったのか・・・などと。

 

 ま、夏休みの自由研究としては、こちらのほうが優先しそう。「四国遍路の闇と陰」・・・。大きく捉えれば、「人間性の確認作業」。平たく言えば、あまり知らない分野の聞き書きの記録集。

 

 今月の29日の日曜日にも、拘置しない・・・・・高知市内へバスツアー研修に行って来る。「現地に行こう」、「現物にさわろう」だ。土佐藩の四国辺路に対する処遇や対処は異常ともいえるほどの厳しさだった。そういう痕跡探しができればいいなぁと考えている。

 

 目が見えるうちに、指が動くうちに、おつむが働いている間に、記録を少しでも残しておきたいと考えている昨今。そうそう、「英国士官レキの墓研究」の資料作成も梅雨の間には片づけておかなければ・・・・。

 

 夕方に、迷犬ごんが戻って来た。弟と私とけいこばぁの三人の夕食会も千葉の話題で盛り上がった。これで、いつも通りの生活に戻る。いなければいないで手持ちぶさた。居ればいるで邪魔くさい犬だが仕方がない。

 

 今日の掲示板はこれ。「この泥が あればこそ咲く 蓮の花」というもの。ありふれた、おもしろくないことばではあるが、これこそ真実のことば。泥の中にあっても、泥から生まれたとは思えぬほど美しい花。私たちの人生も同じ。たとえ、どれほど煩悩にまみれた暮らしであったとしても、煩悩の泥に染まることなく、美しい心の花を咲かせることができるもの。また、泥があってこそ、蓮はあれほど綺麗な花を咲かせることが出来るともいえる。清水には蓮の花は咲かない。私たちの人生を振り返れば、苦労し悩む日々があればこそ、他人の苦悩も理解でき、やがて豊かで静かな心を持つことが出来るというもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


睡蓮の その明るさが ほしい時

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は20度から26度、湿度は92%から71%。風は2mから4mの北北西の風がゆるやかに吹いていた。明日の13日は、寒気の影響で雲が広がりやすく、未明まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨夜は弟と旅談義なんぞをやりながら呑んだもので、今朝は幾分か、頭が頭痛で痛かった(笑)。しかしのかかし、弟もけいこばぁも朝の5時から起き出して犬の散歩やら畑仕事・・・。私は6時過ぎに起きたのだけれど、頭が重たいし、眼が霞んでねぼけまなこ状態の夢うつつ症候群・・・。

 

 今日からは通常モードにシフト・チェンジすべく、高松市林町にある香川県立図書館に行ってきた。先週は「資料整理」ということで休館だったもので、借りていた本を大至急で返却しなければならなくて・・・。確か、期限は昨日までだった筈。

 

 開館10分後はこんなもの。それでも早い人は行列して待っていたのだとか・・・。熱心な方もいるものだ。そういう私もその仲間みたい。

 

 今日は気分を入れ替えて、「讃岐の民衆史」なんぞを読んでみたくなった。ここは「郷土資料」のコーナー。私は歴史学でもなく、民俗学でもなく、一般社会大衆学・・・みたいなものが好みかなぁとは思ったりする。

 

 続いて専門書のコーナーに行ってみる。哲学だの仏教だのというコーナーは閑散としたもの。

 

 それとか・・・昨日の続きの「かくれ念仏」と「かくし念仏」に関するものも・・・。

 

 九州南部は「かくれ念仏」。山の中や、船の上や、地面の下で真宗の教えを守り続けた人たちがいた。私たちは「キリシタン」の弾圧とか殉教というのは歴史の教科書の中で習ったけれど、それと同じように、一向宗・浄土真宗の門徒たちもまた石責めや拷問などで改宗を迫られ、従わない者は処刑されたことは教えられなかった。

 

 一方、親鸞聖人の一子善鸞らの教えの流れを汲む教えは仙台藩や南部藩に伝わり、「隠し念仏」となって根を下ろし、本願寺からも弾圧され、仙台藩からも弾圧されるという二重の苦しみを与えられたという・・・。それが今もなお、残されているというのだから、根深い信仰になっているらしい。興味のある方は以下の動画をご覧あれ。

https://www.youtube.com/watch?v=e_N1WTAskJ8


 

 その中から参考になりそうな部分をスキャナーで読み込んで電子化しておく。画像はスキャナーで、文字は「読んでココ」というアプリを使って、ワード文書にまとめてしまう。

 

 こうしておけば、読みたい時に、調べたいときに開けば読める。ただ、これも手間な作業で、誤変換をなおしたり、変な文字が入っていたりと、一日かかっても、そんなには読み込めない。

 

 ワード文書で40ページも読み込めば、これまた、頭が頭痛で痛くなる(笑)。

 

 弟は朝早くに帰ってしまい、奥方は訪問介護に出掛けてしまい。迷犬ごんの散歩や、洗濯物の取り込みとかお風呂の準備とか・・・夕方になると、全くの日常のパターンに戻ってしまった。

 

 梅雨らしく、夕方からは雨になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「わたしたちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません でも、その一滴の水が集まって大海となるのです」というマザーテレサさんのことば。マザー・テレサはインドの修道女、「死を待つ人々の家」創立者、ノーベル平和賞受賞、(1910〜1997)。自分のしていることが、世間から見れば小さいことだからといって、自分の無力さを嘆くことはない。少なくともその分だけは周りに貢献しているのだから。私たちのしていることは大海の一滴(ひとしずく)に過ぎないけれど、私たちがやめてしまったら、確実にその一滴は減ってしまうことだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

睡蓮に 寝ぼけまなこの 眼をこする

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がっている。気温は18度から27度、湿度は90%から62%。風は1mから5mの西の風が気持ち良かった。明日の14日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 家の前の山はどのようにしようとしているのか、重機が上がったり下がったりを繰り返している。

 

 とにかく、風化している部分を削って落として、植栽をするのだろうが、なんだかわからない動作を繰り返している。ま、私が心配するようなことでもないのだけれど。

 

 10日間で、ゴーヤーが1mにも伸びてきた。まさに、ぐんぐんと伸びているようだ。

 

 さて、我が家の東側には草がこのように伸びてきた。これも5月の連休前に刈ったのだけれど、40日か50日で元の木阿弥で、草まみれになってきた。朝方は寒いほどの天候だったので思い切って草を刈ってみた。

 

 そうそう、草刈り前の朝食時に、「景気づけに一杯!」と、500mlの缶ビールを取り出したら、「ダメダメ!」と取り上げられた。「我が人生に悔いはない!」と、350mlを呑んで元気を出して草刈りに臨んだ。奥方は「私にも少しは楽をさせてよ〜」と言うのだけれど、私が草刈りをやっている間中、ピアノを引いているのだから、ずいぶんと「楽をしてる」じゃないか。

 

 1時間弱で、予定通りに刈り払ったが、刈った草はそのままにしておく。乾けば土に戻ってしまうだろうし。上のほうの高い所はまたの機会に残しておいた。さすがに気温が上がると汗まみれになってしまった。

 

 シャワーを浴びて一休みしてから、昨日の続きのスキャナーでの読み込み再開。今日は「隠れ念仏」のページだったのだが、いきなり「カヤカベ教」が出てきた。薩摩の隠れ念仏はガマと呼ばれる洞穴や地下室でのお念仏だが、この霧島の「かやかべ」はまた異質。カヤでできた壁に向かって、ご本尊なしでお念仏するのだそうだ。

 

 「かやかべ教」をグーグルで調べてみたら・・・「通称「カヤカベ教」といわれる秘密の信仰集団が世間の注目を浴びたのは第二次世界大戦後のことである。調査を行った元龍谷大学学長、千葉乗隆五木寛之に語ったところによると、鹿児島県旧牧園町の小学校給食牛乳をどうしても飲まない児童がいた。不思議に思った担任教師が家庭に連絡すると、保護者は自分たちの宗派では、日によっては牛乳を飲まない習わしであると答え、日本では珍しい食物タブーを持つ集団の存在が浮かび上がったという。これを機に1964年(昭和39年)、龍谷大学宗教調査班が、鹿児島大学京都女子大学などの協力を得て、調査に乗り出した。」とあった。隠し念仏のことも、五木寛之は千葉乗隆先生から教わっている。そうなのか・・・。

 

 そのカヤカベ教の入力が終わって、昼食を食べて戻ったら、web検索を切ったつもりが、ワード文書のほうを落としてしまって、午前中の作業は痕跡も残っていない・・・。いつもは保存しながら読み込みを続けるのに、しまった、しまった、島倉千代子。

 

 ばかばかしくなって、昼寝をしてしまった。30分ほど寝たら、気分も戻ったので、最初からやり直し。わずか15ページほどの文書を一日がかりで電子化することになってしまった。

 

 なぜ、隠れてまで、弾圧されてまでお念仏を守ろうとしたのか?という私の疑問は、「極楽羨望」ということばで氷解した。妙好人と言われた人々も、一様に「地獄」を極端に恐れていた。薩摩の人も、仙台藩の人も、「地獄には落ちたくない」「極楽浄土に生まれたい」という願いから、ひたすらに命がけで信仰を守ってきた。昔の人は、それほどに「地獄」というものが怖かったそうだ。

 

 今の人たちは、地獄だの極楽だのと言っても相手にはしてくれない。私にしても、地獄・極楽の話をするけれど、本当の地獄や極楽を知らないから、本物のお話にはならない。

 

 今日の掲示板はこれ。「身近な人の死に逢うたびに 人のいのちのはかなさと 今ここに生きていることの尊さを味わいました」という「相田みつを」さんのことばから。

 つまづいたり ころんだり したおかげで 物事を深く考えるようになりました あやまちや失敗を繰り返したおかげで 少しずつだが人のやることを 暖かい眼で見られるようになりました 何回も追いつめられたおかげで 人間としての自分の弱さとだらしなさを いやというほど知りました だまされたり 裏切られたり したおかげで 馬鹿正直で親切な人間の暖かさも知りました そして・・ 身近な人の死に逢うたびに 人のいのちのはかなさと いま ここに生きていることの尊さを 骨身にしみて味わいました

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

花菖蒲 今年の雨は どうなった

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 さぬき市地方は高気圧に覆われているらしいが、上空の気圧の谷の影響で薄雲が広がっている。気温は18度から27度、湿度は88%から59%。風は2mから4mの北北東の風がときおり吹いていた。明日の15日は引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は曇っていて満月は望めないかなぁと思って、数匹ばかり飛んでいるほたるを眺めていたら、少し遅くなって山陰から月が昇ってきた。

 

 少しばかりオレンジがかった満月だった。

 

 坂出市川津町にある「かわつ花菖蒲園」が15日までだというのを思い出して行ってきた。ここは坂出市上水道課川津浄水場の中にある。ここには、72種類16,500株(約66,000本)が咲き誇る。 また,かわつ花菖蒲園では毎年,早生(わせ)・晩生(おくて)など,開花時期の違う品種を混生させていることにより、開放期間中,咲き具合が移り変わっていく様子を楽しむことができるが、もう、終盤というところ。

 

 この菖蒲園は,現在使用していない川津浄水場の4つのろ過池に花菖蒲を植え、のどかな親水空間“かわつ花菖蒲園”に生まれ変わっている。

 

 いよいよ明日が公開最終日。ここは浄水場という職場区域のため、通常は市民が立ち入ることはできない。明日の日曜日には臨時駐車場も開かれるらしい。

 

 こういうバルブやハンドルが浄水場らしい風景を作っている。今日は土曜日と言うことで、家族連れが眼に止まった。

 

 今日もデイサービスセンターの一行らしい一団が園内をにぎやかに歩き回っているのが印象的だった。

 

 しかしのかかし、梅雨だというのに雨は降らないし、梅の実も色づかない。聞けば「梅雨の中休み」と云うのだそうだ。紫陽花の色づきも今年は遅いような気がする。ま、自然が急ぎすぎるのも慌ただしくていけないが。

 

 思いがけなく、本山から「真宗公論」が届いた。「掲載誌」ということだろうと思う。少し前ならば、母や叔母や叔父さんやらが大喜びしたんだろうが、今となっては、これを喜んでくれる人もいなくなった。内容が内容だけに、誰しもが読んでみたいという本ではない。

 

 そういえば、4月以降、島の家にも行ってないが、島の家の草も伸び放題になっているのではないのか。来週の月曜日、16日の予約診察日で、異常がないと云われたら、島の家の草刈りにでも行って来ようか。気になると云えば気になることだ。

 

  今夜は奥方のけいこばぁが屋島の娘の家にお泊まりに出かけたもので、今夜も一人。今夜はお月様も見えそうにないし、ホタルの季節も終わったし、早めに夕食を食べて寝てしまおうか。

 

 今日の掲示板はこれ。町内の善楽寺さんにあったもの。「その人の都合でよい雨 わるい雨」というもの。昔、「泣きばばあ」という話があった。そのおばあさんには、二人の子供がいた。一方は、傘の職人になった。もう一方は、帽子の職人になった。そのおばあさんは、晴れると、「ああ、傘職人の息子の商売が悪い、、、」と嘆き、雨が降ると、「ああ、帽子職人の息子の商売がだめに、、、」と、嘆くのだった。真逆に考えれば、人生は楽しいのに。しかも、
悪い環境からは、改良や改善が生まれるのに。物事には、良い悪いどちらもない。起こったことに、「良し悪し」や「幸不幸」といった感情をつけるのは、いつもその人自身なのだ。という話だった。人生、「笑いばばあ」、「笑いじじい」でいきたいものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

薄曇り あじさい園でも 見てくるか

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 さぬき市地方は薄雲が広がっているが、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18度から28度、湿度は86%から65%。風は1mから2mの東北東の風が少し。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるものの、気圧の谷の影響で昼過ぎから雲が広がる見込みらしい。

 

 我が家の横の水路脇に草が伸びてきたので、ボランティアで草刈りをやっておくことにした。

 

 南側の水路も・・・。我が家の敷地の範囲は80mくらいである。だから、左右を刈り払うと160mほどになって、時間はおよそ50分。

 

 この水は「弥勒奥池」に流れ込み、富田中村一帯をうるおす農業用用水となるらしい。昨日から水が流れなくなったので、これ幸いと草刈りになった。ここに水が流れていると長靴で水の中での草刈りはなかなかに難しい。

 

 で、食後はどこに行こうかと考えたが・・・長尾町を南下して・・・前山ダムから多和地区を経由、大窪寺に抜けてみた。たいした目的があった訳ではない。

 

  その昔・・私がまだ小学生の頃・・・昭和30年代前半には、四国霊場88番札所大窪寺の門前にはきたない農家風の萱(カヤ)葺き屋根の建物がぽつんとあった。遍路宿とも木賃宿とも言われていたが、お遍路さんが寝泊まりする家だったが、土間があるばかりだったように思う。そこでたきぎを燃やして夜を過ごしていたのだと聞いた。

 

 その後、それを取り壊して、このような土産物屋ができた。昔も、こんな屋根の建物だった。これが四国霊場88番札所大窪寺前の最初の土産物店「八十八(やそば)庵」になった。戦後、人々の暮らしが落ち着いてきて、お遍路ブームがわき上がってきた頃。観光バスやら自動車でのお遍路も盛んになった。

 

 その後の「第一次うどんブーム」にも乗ってお店は繁盛し、近くにお店も次々とできた。だから、お店を東に増築してうどん席を大幅に広くしたし、裏手には宴席もできる部屋も作った・・・。この頃は、まだ、茅葺き屋根のまんまだった。

 

 近年になって、屋根が瓦葺きになっている。民主党の菅さんも鳩山さんもやってきておうどんを食べた。まだ、野田さんは来ていないみたい。それどころじゃなくなってしまったみたい。

 

 この裏手の山に、しゃくなげ園があるが、時期は終わったみたい。こんどはあじさい園だな・・・ということで、あじさい園に向かってみた。

 

 山の入口には、こんな看板がある。八十八庵の方に言えば「入園券」を渡してくれる。

 

 これが無料入園券である。八十八庵さんが手入れや管理をしているのだから、ご挨拶をしてからあじさいを見せていただきたいものである。私はおみやげを少し買ったが、何も買わなくても入園券はくれるみたい・・・。

 

 アジサイは途中の山道にもいくらかはあるが、本当のあじさい園の入口にはこんな箱があって、入園券を投入する。

 

 そのあたりの山肌に1500本のあじさいが植えられているそうで、多くの観光客やおへんろさんで賑わっているが、少し山奥にあるせいか色づきが遅いように思った。全体に花がまだまだ・・・というところ。

 

 日当たり部分は相当に色づいてきている。

 

 午後からは、ねっとりとした空気がまとわりつくような風がゆるやかに流れてくるようになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「言わないで後悔することが 一番よくない」という吉永小百合さんのことばらしい。言わないですむたくさんの言葉がある。だけど言わないとわからないたくさんの思いもある。言ってもどうしようもない言葉がある。だけど言わないでいると少しも前には進めないこともある。言って後悔する言葉がある。だけど言わないで後悔する方がもっと悲しい。簡単で難しいのが言葉。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

あじさいに 明日の予定を 訊いてみる

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 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は18度から29度、湿度は86%から57%。風は2mの北東の風は少し。蒸し暑い所と涼しいところがあって、梅雨だなぁと思う一日になった。明日の17日は、気圧の谷や前線の影響で雲が広がり、夜には雨となる見込みとか。

 

 さて、今日は県立病院の予約診察日。先月末に、心臓の電気ショック治療を受けてのその後の検査があった。電気ショックで正常な脈拍に戻った・・・ということだったのだが、はてさて・・・。

 

 採血の後、この部屋で心電図の検査があった。心電図検査も馴れたもので、要領もわかっているし、数分で検査は終わった。

 

 少し前にはアウトプットされた波形のグラフを持って、内科の診察に行ったものだが、最近は電子カルテだからそのまま内科の受付に行けばいいようになっている。

 

 内科で、私のバーコードを読み込んだら、上の画面に番号が反映される。その順番が繰り上がっていけば、自分の順番になる。

 

 診断の結果、やはり、不整脈は元通りになっていた。道理で心臓の動きがおかしいし、千葉の坂道を歩いたときの胸の苦しさを感じたし。それはある程度、想定されていたことだったが、その治療費や入院費の請求が3万を超えていたのがショックだった。

 

 普通、頼んだ品物が違うものだったり、効果のない工事だったりしたら、代金は弁償するもの。前と状態が変わらないのに治療費を支払え・・というのは弱い者いじめみたいだなぁと思った・・・。それに加えて、今度は「カテーテル」による心臓の手術をやらないか・・・と言われても、即答はできかねる。

 

 その上に薬代が12,000円。前よりも薬も増えているらしい・・・。

 

 気を取り直して、今日は「あじさいロード」なるものを訪ねてみた。東かがわ市入野山という町に、どんな「あじさいロード」があるんだろうと、興味津々で行ってみた。これが、そのあじさいロード。

 

 つまり、市営の「白鳥(しろとり)温泉」に向かう道路沿いに、あじさいが植えてあるというもの。

 

 ご丁寧に、街路灯にもアジサイの花の飾りがついている。

 

 ここも日当たりのいいところではきれいに花が色づいているが、木陰や日陰の部分では蕾さえついていない状態。ここは七月に入ってからかなぁと思ったことだった。

 

 ここまで来たのだから、温泉にでも入ればいいのだが、こんな蒸し暑い日のお風呂は心臓によくないかなぁと思って戻ってきた。こんなところで、脳梗塞や心筋梗塞になっても困るのことだし・・・。私の心臓は、いつ、止まるかわからない心臓なのだから。

 

 今日の掲示板はこれ。「失って初めて気が付く 当たり前の幸せ」というもの。幸せとは、「今、現在を満足すること」。「心で感じるもの」と言われるけれど、なかなかに理解出来ないし、意味が理解出来ない。そこで、厳しい言葉で、「あたりまえの幸せとは、失ってから初めて気が付くもの」と、叫んでみる。大切な人を亡くしてみて、亡くなった人が、いかに大切だった人だったことに気が付くのである。また、病気になって初めて、健康の有り難さがわかるもの。作家の三浦綾子さんは「不幸を感じたときが、大切な人生の曲がり角」と言っている。健康な身体で「幸せ」、楽しいこと、嬉しいこと、おいしいこと、仕事があること、そんな全てが、当たり前の幸せなのではなかろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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