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梅雨避けて お遍路ぽつんと 眠りこけ

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 さぬき市地方は気圧の谷や前線の影響で雲が広がり、雨が降ったり止んだりの一日になった。気温は18度から25度、湿度は82%から72%。風は1mから3mの南風が少し。明日の18日は、前線上を通過する低気圧の影響で雲が広がり、昼前にかけて雨となる見込みらしい。

 

 しわく広島の「英国士官レキの墓に関する統括的考察」の試作版ができあがったので、関係者に郵送することにした。県立図書館や国立国会図書館への贈呈版はこの秋を目途に準備する。

 

 その準備ができたら、今日は観音寺へ向かうことにした。長距離のドライブのため、奥方に同乗してもらうことにした。最近は「徘徊」するようになって、山の中に迷い込んだりすることがあるもので。ま、迷ったら、奥方だってどうにもならんのだけれど。

 

 で、およそ1時間40分ほどかかって、観音寺市粟井町にある粟井神社に着いた。ここが香川県では一番多くのアジサイが見られるところだという。ここにはおよそ3,000株のアジサイが植えられており、種類も豊富だし、色もまたさまざま。

 

 今日は雨になったけれど、大勢の見物人が集まっていて、幼稚園児もいるし、介護施設のマイクロバスも次から次へとやってくる。拝観コースは、右に進んで、神社拝殿脇から本殿裏手の遊歩道を上って、藤目城址を見て左手の坂道を戻ってくるもの。

 

 ここには三対の狛犬がいるが、この狛犬が、香川県では一番不細工な狛犬。彫りも浅くて、手抜きをしたような狛犬。硬くて掘れなかったのかなぁとも思ったりする。全体にずんぐりとしていて、バランスも落ち着かない。

 

 この頃からお昼前にかけての雨が激しかった。

 

 ダムマニアの私は、久々に「粟井ダム」を見るために山道をくねくねと登って行った。この道筋は、四国霊場66番札所雲辺寺からのへんろ道があって、歩き遍路のお四国さんが降りてきていた。雨具を着てのお遍路も大変だ。

 

 『柞(くに)田川』の支流である『粟井川』は雲辺寺山に端を発する流域面積12.9k?、総延長6kmの二級河川である。『粟井ダム』はこの川に2001年に新造された21世紀生まれのダムであり、重力式コンクリートダムとしては香川県で一番若いダムである。ここは、四国堰堤ダム88ヶ所巡りの72番堰堤でもある。ちなみに、我が家近くの「大川ダム」は、第85番堰堤となっている。

 

 ダムから下がってきて、国道377号線を琴平方面へ戻って来る途中で、なつかしいお店を見つけた。こちら方面に来たらここに寄る仲間も多かったお店だ。

 

 国道377号線沿い、三豊市山本町財田西にある「まなべうどん」という一般店。そんなにおいしいお店でもないのに、駐車場はいつもいっぱい。お店の中も満席状態。どこがいいのかよくわからない。

 

 時間も時間だし、場所柄食堂もレストランもない所なので、久々にここに寄ってみた。私はわかめうどん小(330)にした。奥方はいつもの「かけうどん小」におでんを幾つか・・・。でも、相変わらず、味がわからない・・。お店の麺がよくないのか、私の舌がいけないのか。

 

 今日の掲示板はこれ。「未熟ということは大切なんだよ。僕だって未熟。天狗になったらおしまいだよ。」という歴史小説家の池波正太郎さんのことばから。「未熟だ」という自覚があるから、自分を成長させようと心がけるもの。また、未熟だから、成長する余地もある。そして、今は成長の途中なのだから、多少問題があっても、「まだしかたがない」と思えてくる。でも、「いつかは・・・」という希望もあって前進するるわけだ。 『自分を実際以上に考えることと、真価以下に見つもることとは、共に大きなあやまりである』と、ゲーテも言っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨空に 山は寝込んでばかりいる

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丸亀市地方は低気圧の影響で、雨が降っている。気温は18度から22度、湿度は94%から72%。風は4mから2mの北の風が少し。明日の19日は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

  

 明日、明後日は天気も回復しそうなので、島の家の草刈りと浄化槽回りに除草剤をまく作業をやりたいと考えて、9時過ぎに我が家を出た。今日は小雨が降っているが、移動日だから雨でも大丈夫と出発をした。

 

 途中、香川県立図書館に寄って、数冊の本を返却して、新たに三冊の本を借りて出た。このわずかな時間の読み違えが少しばかり失敗した。丸亀港発の11時10分の高速艇にわずかの差で乗り遅れてしまったのだ。

 

 次は・・・14時10分まで船は出ない。およそ3時間待ちだが、仕方がない。おうどんでも食べるとするか・・とお店を訪ねたら、そのあたり一帯は「水曜日が定休日」。仕方なく、この「麺輝屋」というセルフのお店に入った。ここは年中無休らしい。

 

 16日の検診で「糖尿病の値が急上昇している」と告げられた。昨年の夏は正常値だったのに、秋からぐんぐんと右肩上がり。まだ、正常値の範囲だが、要注意だと云われた。食生活で変わったこと・・・と云えば、うどんを食べなくなって、三食、ご飯を食べるようになったことだけ。だから、たまにはうどんを食べてみようと、昨日からうどんを食べることにした。今日は、「肉ぶっかけうどん小の冷や」で420円は少しばかり高いなぁと思った。

 

 ここは、元有名書店だった場所。だから店内は広い・・・。朝の6時からやってるので、近所のおじいさんたちが、おでんをつまみながらビールを呑んでいたりする。ここだと安上がりでいいな。

 

 そこで、市内をぐるりと走ってみた。ここは本願寺塩屋別院。中仏のスクーリングで何度もお世話になった場所。今日は会合でもあるのか、札幌ナンバーなど県外ナンバーの車が多かった。

 

 13時過ぎに丸亀港まで戻って来た。ここで荷物を下ろして、車は駐車場に預けておく。次の船も高速艇という客船だから、自転車以上は乗せてくれない。過疎と物価高騰の影響で4月から何便かが減らされた。

 

 これは次の次の便になる「しわく丸」というフェリーボート。給油のために待機している。

 

 これが、今回、乗ることになっている高速艇の「ニュービサン」。この航路は「備讃フェリー」という会社が運行している。その「備讃」である。

 

 高速艇は、丸亀港としわく広島の江の浦港を15分で結ぶ。フェリーだと45分だったと思う。

 

 後方、かすかに見える三角の山が「讃岐富士」こと「飯ノ山」。島の自治会長さんとばったりと出会って、「どなんしよんな」、「草刈りに行っきょんやがな・・・」という会話・・・。前回は4月の「おせったい」の日に帰ってきたのだから、4月20日だった。ほぼ2ヶ月ぶりの島帰りになる。

 

 こうして見ると、さほどでもないように見えるが、長さ20Cmほどの草がびっしり。

 

 おせったいの前に草刈りをしたのだから、2ヶ月で草まみれになっている。明日にはこれを刈り払ってしまわねばならない。ま、19日、20日を予定しているので、余裕はたっぷりとある。

 

 千葉の高橋(無邪鬼)さんの作品の「暁光庵」の扁額。もう、20年にもなって深みが出てきたように思う。裏面には珍しい「ひげ名号」が刻まれている。あの日蓮宗の「ひげ題目」を「南無阿弥陀仏」に表現してある。だが、珍しいからと云って、なんでも鑑定団には出せそうにはない。

 

 今日の掲示板はこれ。「樹は光に向かって伸びていく その本能の美しきかな」というもの。とある日めくり法語集からの言葉である。樹木に限らず、植物はみな、光に向かって伸びて行く。それが自然のあるべき姿。

 

 先日に紹介したこのしわく広島にあるヤシの木。基礎台が砂の流出で傾いてきているのに、頭はまっすぐに伸びようとして曲がっている。その向こう側も同じ・・・・。とにかく太陽の方向に向かって伸びて、少しでも多くの光を浴びて光合成をしたい・・・と願っている。それが生物の本能のたくましさ、美しさ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

梅雨晴れ間 アカディミックな 午後がある

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 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていて、いっぺんに夏がきたかのように暑くなった。気温は17度から28度、湿度は94%から56%。風は2mから1mの西北西の風が少し。明日の20日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後からは南から湿った空気が流れ込むため、雲が広がりやすく雨の降る所がある見込みなんだとか。

 

 さて、今回もたくさんのミッションを抱えてやってきたが、そのメインは、この島の家の草刈り。昨日も書いたけれど、5月中旬に草刈りをしたのに、来て見れば元の木阿弥状態。

 

 こんな感じとか・・・。

 

 こんな感じとか・・・。これを朝の間の涼しいうちに・・・ということで作業開始。

 

 で、長い草を刈り払っておく。

 

 これで草が乾いて小さくなればすっきりとする。本当は、この草を集めて燃やしてしまえばいいのだが、こんな暑い日にはそれも面倒くさい。

 

 ミッション?は、この浄化槽の周辺に除草剤をまいて、草の根が浄化槽内に入らないようにする。ま、一回や二回では草の根の侵入は止められない。

 

 これを薄めてジョウロでかけておいた。結果次第で何度でも・・・。

 

 ミッション?は、前回修理したトイレの接続箇所で、部品の長さの違いから漏水が見つかったので、補修剤を用意してきたので、それで修理して漏水対策完了。

 

 ミッション?はこれ。裏庭に植えてくれてある梅の実の収穫。
 二月・三月花ざかり
 咲いた咲いたよ 梅の花
 うぐいす鳴いた春の日に
 たのしい時もゆめのうち

 五月・六月実がなれば
 枝からふるい落とされて
 きんじよの町へ持出され
 何升何合はかり売り。

 という歌にあるように、枝から梅の実をふるい落とすらしいが、これがなかなかうまく落ちてくれない。で、既に落ちている梅の実と、今回ふるい落とした梅の実が混じってしまってわからない。「えいやー」ということで、みんなまとめて拾ってしまった。

 

 ま、これと山の家にある梅の実を合わせたら一年分くらいにはなると思う・・・。

 

 ミッション?は、おまけなんだが、時期的にバッテリーが上がってしまった島の軽トラ。充電器で充電して修理完了。

 ほかに、おこたの片付け、多量のアブの侵入とその防除。洗濯・炊事・掃除もろもろ・・。

 

 やれやれ・・・というところに、突然のお客さん。弟のたっくんと、その長女のひとみさん・・・。なんでまた急に、突然に・・・。何の連絡もなく。

 

 今日の掲示板は軽めにこれ。「ころんだら、起きればよい。」というもの。ころんだら、起きればよい。 鬼塚喜八郎「失敗の履歴書」より。鬼塚喜八郎は、毎年新入社員を前にして、古代から近代へ引き継がれたスポーツマン精神の5か条を、いつも声高らかに読み上げていた。「そして、ここに新たな条項をひとつ、加えたい。」と云って、 
 「(第六条)
 スポーツマンは、ころんだら、起きればよい。 失敗しても成功するまでやればよい。」を、追加した。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

飄々と 生きる覚悟の たちあおい

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 さぬき市地方は薄雲が広がっているが、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後は気圧の谷や湿った空気の影響で大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は17度から29度、湿度は90%から66%。風は1mから3mも北東の風が少し。明日の21日は、前線や低気圧の影響で雲が広がり、夜は雨が降る見込みなんだとか。

 

 昨日は、草を刈ったところでやめたのだが、お隣の方が、草は早めに燃やした方が次回に来たときに楽になる・・・と言うので、今朝は5時から起きて作業開始。刈り払った草を集めて少しずつ燃やしてみた。とりあえずは、人目に付く部分だけ。裏手はそのまんまにしておく。

 

 で、剪定もやって、さっぱりとした。弟と二人でチョキチョキと・・・。

 

 ほぼ1時間ほどでさっぱりとした。これで、「ミッション・クリア!」

 

 これで見違えるほどすっきりとしたので7時過ぎから朝食。弟の長女、つまり、私の姪が、しばらくこの家でゆったりとしたい・・というので、私と弟の二人は10時45分の高速艇で帰ることにした。それまでに空き缶や生ゴミ、燃えるゴミなどを片づけておく。

 

 これが島の家「暁光庵」のご本尊の阿弥陀如来。あの筑後誠隆先生が、新築祝いにご恵贈くださったもの。裏面には、「方便報身尊形」と、「本願寺々務釋即如」の字と御判がある。立派なものである。このご本尊にご挨拶して帰宅準備。

 

 帰りもこの「ニュービサン」。江の浦港から丸亀港まで、おとな料金は570円。今朝の乗客はわずかに4人だけ・・・。

 

 今日も晴れると言うていたけれど、空は曇ったまんま・・・。

 

 で、向かった先はここ。仲多度郡まんのう町にある「満濃池」は、日本最大の灌漑用のため池である。空海が改修したことでも知られ、周囲約20km、貯水量1,540万tである。また満濃太郎とも呼ばれるが、この水が専用の水路で運ばれて丸亀市まで届き、それがさらに備讃瀬戸の海底を通って、塩飽本島(ほんじま)、牛島、広島、手島、小手島の五島に給水されているのはあまり知られていない。つまり、私が朝に飲んだ水やお風呂の水も、この満濃池の水なのである。

 

 この島のようなところが、空海さんが護摩を焚いたという「護摩壇跡」とされている。

 

 そうそう、この水の一部が、瀬戸内海の小島にまで通水されているというのは不思議な気がするもの。だから、決まって、この時期にはここに来て感謝するのである。

 

 ここから、瀬戸内海の島々まで・・・と思うと感慨深い風景になる。

 

 さて、今日のお昼はここになった。仲多度郡まんのう町吉野にある「木の崎うどん」というプチセルフのお店。朝は思い切り働いたもので、このお店をみたらおなかが空いてきたので入ってみた。

 

 で、夏らしく、「おんたまぶっかけ小の冷や」をお願いした。単に麺の上に温泉卵が載っているだけ。それにぶっかけ出汁をかけただけ。ネギとおろしショウガはフリートッピング。田植えの最中らしいご夫婦がうどんを食べているのが讃岐らしいなぁと思った。

 

 お店の入口にはこんなものがある。犬だろうかの剥製みたい。それが麺を打っているところらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「たった一つしかない自分を たった一度しかない人生を 本当に生かさなかったら 人間に生まれてきた甲斐が無いではないか」という作家・山本有三のことばから。路傍の石に、この一節がある。
たった一度の人生だから、大切にしたい
たった一度の人生だから、やりたいことをやってみたい
たった一度の人生だから、夢をもって生きたい
たった一度の人生だから、出会いを大切にしたい
たった一度の人生だから、いっぱい幸せを感じたい
たった一度の人生だから、・・・
「たったひとりしかない自分を、
  たった一度しかない一生を、
 ほんとうに生かさなかったら 
 人間生まれてきたかいがないじゃないか」
は、まさに自分がこの世に生を受けた証しを、「どのように活かすか」の一言に尽きると思う。何も名を残すことが大切だとか重要だとは思わないが、誰も知らなくても良いから、「これは自分がやったのだ」という足跡だけは残したいもの。それが私の、「世界に一冊だけの本作り」「どこの本屋さんにも売っていない本作り」。そんなことを、66歳の誕生日に当たって、再確認するところである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

六月の 風とは思えぬ 草の丈

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 さぬき市地方は九州南部に停滞する梅雨前線の影響で雲が広がり、夜は雨が降るらしい。気温は21度から25度、湿度は87%から71%。風は2mから4mの東南東の風が少し。明日の22日は、前線や低気圧の影響で朝まで雨が降る見込みらしい。

 

 毎年のことだが、昨日はメールの嵐で嬉しい悲鳴があがった。Facebookからのお知らせは受けとらない設定にしてあるので、通常は30通くらいのメール受信なのだが、昨日は一気に330通にもなった。誕生日のお祝いが300通にもなったらしい。

 

 それにそれぞれのコメントを返すのだから、まさに嬉しい悲鳴である。

 

 今日も朝から雲がかかったまま。奥方のけいこばぁが、「梅をちぎるから草を刈ってよぉ〜」と言うので、仕方なくオーバーオールに着替えて庭に出た。そこに二本の梅の木があるのだが、その下には草がいっぱい。足下がわからないから、梅の実が採れないのだという。

 

 少し前に、下側は刈り払ったのだが、上の部分が少しだけ残してあった。そこがちょうど梅の木の下になるらしい。ここは昔の田んぼの法面(岸)で急角度になっている。だから、ついつい、残してしまうのだ。

 

 だから、スパイク付きの長靴で、足をふんばってずり落ちないようにしながら刈り払うのだから重労働だ。朝は肌寒いと思ったのだが、流れるように汗が噴き出してきた。

 

 それでも30分ほどでさっぱりとした。草刈り機の入らないところは手刈りになる。

 

 梅の色づきがまだのようなので、弟のために残しておくことにした。弟は梅酒を作るらしいので青梅がいいということだ。

 

 作業が終わると、今日は休息日。シャワーを浴びて、缶ビールを飲んで読書をしたり、昼寝をしたりと骨休め。「一病息災」ということで、心臓をいたわりながら休みながら・・・。

 

 午後からは「英国士官レキの墓」の資料整理をやっていた。これを和綴じにする作業。「イギリス士官レキ研究会」も一段落。しばらく研究会は休会になるらしい。そこで今までの研究したものを資料集にまとめておくことにした。

 

 この表紙は和紙で自作したもの。それを市販のたこ糸で綴じてゆく。

 

 最後に「題箋」を貼り付けてできあがり。

 

 そろそろと、来月の京都研修の準備も始めなくては。と、云うことで、高速バスの予約も入れておいた。そんなこんなで、7月も予定が詰まってきたところ。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の言葉は善意に取れ。その方が五倍も賢い」と云うシェークスピアの言葉から。ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)は、イギリスの劇作家で詩人。ストラトフォード・アポン・エイヴォンの生れ。エリザベス朝演劇の代表的な作家で、最も優れた英文学の作家とも言われている。人からかけられた言葉を、善意に取って、プラスに受けとめられるようにしていきたいものである。その言葉の真意はどうであれ、プラスに受けとめたほうが自分のためにもなる。人の言葉を悪く取ると、自分がイヤな思いをしてしまうもの。人の言葉を善く取ったほうが、自分のためにはいいのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

老眼鏡 懸けて外して 梅雨の午後

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 さぬき市地方は四国の南海上に停滞する梅雨前線の影響で雨が降っていたが、午後からは雨は止まった。気温は18度から25度、湿度は96%から66%。風は2mから1mの北北西の風が少し。明日の23日は、上空の寒気や湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 さて、弟のたっくんがやってきて、昨夜も宴会になった。「毎日が 忘年会です ぼくの家」的な最近の我が家の様子。雨を気にしながら朝食を食べたが、雨は止む気配がない。

 

 で、雨具を着込んで梅の実の収穫作業を始めた。梅シロップにするとかで青梅がいいというので、高枝切りばさみや剪定ハサミなんぞを使っての収穫。

 

 枝を剪定する「夏剪定」をしながらの梅の実の取り入れ。三人はたちまちにしてずぶ濡れ状態。雨と汗とが混じってくる。

 

 今朝の収穫はこんなもの。赤い小さな箱を弟が持って帰ることになった。

 

 我が家もこれだけあれば充分・充分。我が家は梅干し用だから、もう少し熟れてから漬けることにする。

 

 これは殻を置き忘れた「でんでん虫」で、殻が小さくなって体内に入ってしまったのだそうだ。ま、普通の「なめくじ」。田舎でも、こんなものを滅多に見ることがなくなった。

 

 こちらは「でんでん虫」。人の気配で小さくなっているが、これも普通のカタツムリ。

 

 一休みした弟が、「大窪寺に行ってみようか・・」というので出掛けてきたが・・・。あいにくと、「秘仏本尊御開帳」は、8日から12日だというので、あきらめて戻って来た。私は前に拝観したことがあるが、せっかくだからとやってきたもの。普通の薬師如来は「薬壺」を持っているが、ここのお薬師さんは珍しいものを持っている。

 

  雨がひときわ強くなってきたので、あじさい園もあきらめて戻ってきた。こんな日にも雨具を着ての「歩き遍路」が何人もいた。

 

 梅雨時に雨が降らないと、「水不足になる」と心配するし、降ったら降ったで「雨ばっかりやな」と心配する。自分のこころ一つの問題だけれど。でも、挨拶するには便利な雨で、「よう降りますなぁ」とか「雨ばっかりでかないませんわ〜」と、雨のせいにしておけば話もはずむと云うものだ。

 

 水田があった頃には、雨だ、嵐だ、水不足だと一喜一憂したけれど、今の所に引っ越してきてからは、そういう心配もなくなって、雨だろうと、晴れだろうとそんなに気にしなくなってしまった。

 

 で、午後からは役所に提出する書類作りをやっていたし、来月に京都に行くので高速バスの予約をしたりで日が暮れた。

 

 今日の掲示板はこれ。「根無し草に花は咲かない。信念がなければ人生に花は咲かない」という、経営の神さまこと松下幸之助さんの言葉から。どんなに立派な茎を持った草であっても、根がなければ水や養分を吸い込むことができない。だから花を咲かせることはない。人間に置き換えると、どんなに立派な地位につき、どんなに裕福な状態であっても、心がなければ、心が腐っていたら、成功とは言えない。今は見かけ上成功しているように見えたとしても、いずれ朽ち果ててしまうだろう。人生に花を咲かせるには、たとえ見かけは小さな体であっても、自分自身の価値を見出し、価値を信じる力が必要である。それが信念というものに結晶化され、志という確固としたものに昇華する。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

そうめんに こころの乾きを 拭われる

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっている一日になった。雨が降ることはなかった。気温は20度から27度、湿度は90%から48%。風は1mから2mの南南西の風が少し。明日の24日も気圧の谷や上空の寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は月曜日ということで、事務処理を何件か。県立病院の予約診察日の変更とか国民保険の限度額適用申請とかもろもろ・・。最近の役所は「クールビズ」のせいかカジュアルな服装で、これまでの役所とは打って変わってフリーな服装になっている。

 

 その途中で聞いていたラジオから「アリの通販業者」という話があった。日本ではここだけらしいが、アリの家族を売っているらしい。女王アリと働きアリ五匹前後で一万数千円もするんだそうで、これで生活ができているんだと・・・。高いものだと数万円もする。アリがペットになっているらしい・・・が、アリえない話でない。

 

 アリならばどこにでもいると思うが、女王アリを見つけるのがなぁ・・。ま、私は睡蓮とメダカで充分。アリを飼ってみたいとは思わない。

 

 それにアリのエサやりも大変らしい。同じ物ばかりだと飽きてきて食べなくなって死んでしまうそうで、野菜や果物や小昆虫などと雑食性なんだそうだ。角砂糖だけではダメだそうだ。

 

 我が家の緑のカーテンのゴーヤーの背も伸びて、黄色い花が数輪咲いている。

 

 さて、先週、ドクターに「糖尿病の値が上がっている」と云われたので、清酒や米飯を減らして、昼はそうめんやラーメンやうどんにしているが、効果があるもんだろうか。

 

 夏はあっさりさっぱりがいいとは思うが、それだけではパワーが出そうにない。

 

 午後からはまたもデスク・ワーク。四国遍路の電子化作業。相変わらず、「四国遍路の思想」という項目の中でも、「職業遍路」と「病気遍路」に眼が向いてしまう。今日は、それプラス「御利益」というお話。

 

 「目からウロコが落ちる」というのはイエスの奇跡の一つであるのは有名。イエスがその弟子アナニアを遣わして、かつてユダヤ人を迫害した盲目のサウロの目を開かせたという奇跡を起こした。「するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった」(「使徒行伝」第九草)。サウロとはパウロのことである。合理的な宗教と考えられがちなキリスト教ですら奇跡は山ほどある。いわばご利益や奇跡は宗教にはつきものらしい。

 

 そういえば、法然上人も舟を動かす「櫂:かい」で砂浜を掘ったら清水が湧いたとか、杖で岩をどかすと清水が吹き出たとか言うし、親鸞聖人も「国府の片葉の葦あし」・「田上の繋ぎ榧がや」・「小島の八房梅と珠数掛け桜」・「保田の三度栗」・「鳥屋野の逆さ竹」・「川越波切の名号」など多くの不思議な話が残されている。

  

 我が家でも今朝、梅を塩漬けにした。青いものもあったが、熟してきたものが多くなったので漬けることにした。あれだけの量で20Kgというのは意外だった。もっと、あるかなぁと思ったのだけれど。

 

今日の掲示板はこれ。「またひとつしくじった しくじるたびに目があいて 世の中少し広くなる」という榎本栄一さんの言葉から。仕事で失敗したことは、とり返しのつかない嫌な気分に陥るもの。しかし、そのことによって自分というものが照らされ、気づかされて、自分中心の狭い世界が破られてゆくならば、この失敗でこんなことが教えられ、学ぶことができ、却って人生の味わいが深まり、世界が広くなったと気づかされて、そこに少しだけ広がった世界が見えてくる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

今の世の 色でありたい ねむの花

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、上空の寒気や湿った空気の影響で、午後は雲が広がってきた。気温は19度から29度、湿度は94%から56%。風は2mの南南西の風が少しばかり。明日の25日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は涼しいかなぁと思ったもので、山の旧宅の草刈りに出掛けてみた。山の旧宅跡も五月の連休前に一応は草刈りをやったのだけれど、ここ最近の雨と気温でぐんぐんと草が伸びていて、草を刈らねば・・・という気持ちばかりが先行していたのだが。

 

 県道から我が家に入る進入路は草まみれで進めない。県道脇に車を止めて、ここから草刈り開始。進入路はコンクリート舗装だが、その痕跡すら見えないほど。

 

 左右は先が見えないほどに伸びている。これを刈り分けていかねばならない・・・。

 

 約1時間ほどで、燃料が切れて作業終了。最近は、この1時間ほどが限度。気温も上昇してきたし、太陽の光も強くなってきて暑い。続きをやろうと思ったが、今日はタオルを忘れて来たので汗まみれ。だから残りはまた明日。明日がなければ、それでおしまい。

 

 空はすっかりと夏の雲。梅雨明けはまだまだ先になるのかな。

 

 帰宅後はシャワーを浴びて着替えをして、作業着なんぞを洗って干して、明日の準備。それから昼食の準備も・・・。

 

 お昼は軽めに「冷やかけうどん」。もちろんご褒美の缶ビール付き。水分補給という名目もあったりして。

 

 午後からは昨日の続きの電子化作業。スキャナーで読み込んでOCR読み取りアプリで認識してワード文書に変換して保存する。今日は高知土佐藩の遍路排斥論。明治になると新聞を使って社説で遍路批判もしたらしい。今だったらたいへんなことになるところ。

 

 これがそのソフトで、OCR(光学文字認識( optical character recognition)は、活字の文書の画像(通常、イメージスキャナーで取り込まれる)をコンピュータが編集できる形式(文字コードの列)に変換するソフトウェアである。一般にOCRと略記される。

 

 もう、このネムの花が咲く時期になった。若い頃、けいこばぁが、いつも口ずさんでいたのが「ねむの木」という山の歌だった。

 ねむの木のその下で ほろほろと泣いた人
 風もない夕暮れに ゆれていた黒髪よ

 ねむの木を見下ろして またたいた青い星
 星よりもまだ遠い ぼくたちの道だった

 ねむの木をひっそりと 包んだ白い霧
 誰にも知られないで 涙をふいたあなた

 ねむの木の葉のように 今はただ眠ろうよ
 別れても離れても 夢ならば会えるから

 http://ontake.daa.jp/kashu/kashi/nemunoki.html

 

 今日は無性に眼が乾いていたくてたまらないので、早めにお休みすることにした。

 

 今日の掲示板はこれ。「成功すればおれがした 失敗すればあれがした」という荒了寛さんの言葉から。会社にいた頃、嫌と言うほどこの言葉の例を見て来た。成功したら何人もが「私の成果です」と名乗りを上げたが、失敗したら責任者は私一人だった。だいたい、オレがオレがと言う人間に限って自分の手柄にしたがっていた。『手柄は自分の物。ミスは部下のせい!』そう言う人間に限ってそういう事を言うものだった。同じような格言は一杯ある。自分はそんな事をしないでおこうと思っていたが、できないままに定年退職になった。

   

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨晴れ間 旅への夢が 燃え上がる

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18度から29度、湿度は96%から65%。風は1mから3mの南南東の風が少しばかり。明日の26日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、午後は雨の降る所がある見込みらしい。明日からしばらくは曇ったり雨になったりする予報。

 

 朝の間は少し雲が広がっていたので、涼しいうちに草刈りをやっつけておこうと、山の旧宅跡に向かった。今日はタオルもお茶もしっかりと持った。すると、空は晴れ渡り、夏の太陽がギラギラと輝きだしたではないか。

 

 山の屋敷跡もこんな状態。右の建物は昔の母屋。旧宅は左手の更地になっている部分にあった。

 

 これが、昔の我が家・・・と、云うても平成十六年まではここにあったもの。右の屋根が見えているのが現存する母屋の建物。

 

 草を刈ったら、こうなった。

 

 南から北方面を見るとこうなった。明日は、この手前側あたりを刈り払えばおしまいになる。今度は(月遅れの)お盆前かな。今日も1時間ほどの草刈り作業になった。さすがに上半身は汗まみれになった。

 

 昨日、草を刈った進入路はこうなった。この左右の草も、明日のお仕事に残しておいた。明日から天気は崩れそうだが、朝の間に片づけてしまえば大丈夫。

 

 今日も昨日と同じように、シャワーを浴びて、作業着を洗濯して干して・・・。明日からは曇りや雨になるというので、お布団も干した。時々、「奥さんはいないのか・・」と云われるが、奥さんは奥さんのお仕事をやっている。洋裁に、ピアノのレッスンに、デザインに、小遣い稼ぎに・・・。

 

 その後は、またも香川県立図書館に向かった。昨日で、「四国遍路の思想」という本のスキャニングが終わったので、新しい資料を探すためだ。梅雨の日は読書や研究で過ごせばいい。

 

 香川の図書館らしく、ここは「空海コーナー」。これは専門書すぎてさっぱりわからない。「曼荼羅論」や「密教真理」などという本ばかりが並んでいる。漢字を見ただけで頭痛と耳鳴りがする・・・。

 

 で、またも、こういう本を選んでみた。人はなぜ、巡礼に出るのか・・・。人はなぜ、旅に出たがるのか・・・みたいなことだ。

 

 15時を過ぎたら、迷犬ごんの散歩だが、野サルがいるようで動かない。サルの気配だけで足がすくんでしまうようだ。だから、昼間は私の車の下かベランダの床下に潜んでいる。

 

 ジェット花火を数発打ち上げたら、サル軍団は退却したが、迷犬ごんもまた犬小屋で震えている。ごんは、雷や雨の音にも怖がるのだから情けない・・・。もちろん、花火は大嫌い。

 

 今日の掲示板はこれ。「確かな一歩の積み重ねでしか遠くへは行けない」という、「イチロー」がTV-CMの中で語った言葉。ある日、突然、思い描いていた未来がやって来るなんてことは、残念ながら、ない。未来というものは、今、目の前で起きている瞬間の積み重ねでしかないからだ。しかし、さすがにイチローが言うと、コトバに重みがある。・・・とは言え、人間、そんなに強くないから、イチローみたくストイックにはなかなかなれないけど、でも、笑顔で、頑張り続けることができたらいいなと思う今日このごろである。

  

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

たちあおい まだかまだかの 背比べ

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 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がり、雨や雷雨の所があるらしい。香川県では、26日夜遅くまで急な強い雨や落雷に注意するようにと呼びかけている。気温は21度から30度、湿度は86%から67%。風は2mから4mの南東の風が吹いていた。明日の27日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、午後は雨の降る所がある見込みとか。

 

 今日は雨になるというので早めに山の旧宅跡に行ってみた。雨になる前に草刈りを終えてしまいたかった。

 

 ここにもイタドリの親が背を伸ばして前が見えないほど。

 

 これを刈り払うとこうなった。一本だけ残っているのは「タラの木」。来春のタラの芽を採るために残しておいた。

 

 旧宅跡地もこのようにさっぱりとした。逆から見ると、こうなる。手前側が昨日に刈った部分。

 

 南から北を見ると、こうなる。手前側が今日、刈り払った部分。けっこう広い敷地である。

 

 STIHL社製の刈り払い機の「一文字仕様」で、斜面、急傾斜地などで使うもの。このあたりの中山間地ではもっぱら、こうした刈り払い機を使っている。このタンクに混合油を満タンにすれば、およそ1時間の草刈りが可能。

 

 ということで、6月期の「山の家」・「島の家」・「山の旧宅跡」の三ヶ所の草刈りはおしまい。まだまだ、刈り払う場所はいいくらもあるが、キリがないのでこのあたりで打ち止め。次は8月上旬の「月遅れのお盆前」までお休み。

 

 今日も昨日と同じように、シャワーを浴びて、作業着を洗濯して干して・・・。一休みしてから少しばかりお勉強をしておいてお出かけ・・・。

 

 毎度おなじみになった、四国霊場88番札所大窪寺の門前にある「八十八庵」というお土産屋さん。別にお土産を買うためにやってきたのではない。

 

 このお店ののれんの字が読めるだろうか。「打込うどん団蔵うどん」と染め抜いてある。今日は、そのお話。麺が細めの夏の風物である冷やしうどん。 今から約48年前に、 今は亡き歌舞伎役者『市川団蔵』が、四国霊場八十八ヶ所巡礼の旅を終えた後、このお店に立ち寄り、 「時間がないので早くできるうどんを」と注文されたので、短時間で茹で上がるように初代店主がうどんを細切りにして出したところ、 「とてものどごしがよくて美味しい。こんなうどんは今までに食べたことがない。 はじめて、うどんの味がわかりました。」と感嘆してお店を後にして小豆島の島四国を廻った後、大阪行きのフェリーボートから身を投げて亡くなった。お店では市川団蔵さんを偲んで「団蔵うどん」と名前をつけたのだという。48年前の6月のことだった。

 

 これが、その「団蔵うどん」。四国遍路の途中、「我死なば 人に迷惑 かけるなよ 仏頼まず さらば地獄へ」と、さらりといってのけた。そして旅の途中にこの歌を、「我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」と変えたとも話した。これが市川団蔵の辞世の歌になった。おそらく、「老醜をさらしたくない」という思いと、歌舞伎界への決別の意味での四国遍路であり、居場所のなくなった男の覚悟の旅であったのだろう。

 

 団蔵は「わたしが死んでも墓はいらない」と漏らしていたそうだ。都会のわずらわしさをのがれて、旅に出た団蔵は、巡礼の日程も終り、思い残すこともなく、小豆島にたどりついた。そして、この自然のふところで、満足しきった心境になり、海に飛込めば、葬式もいらない、人々もいつかは自分をわすれるだろう―と、死を選んだのではないかと考えられている。団蔵が最期の夜を過ごした、小豆島たちばな荘の門内には、勘亭流で書かれた「八代市川団蔵之碑」が立っている。

 

 例年、金毘羅歌舞伎を終えた一行は、この場で団蔵の追善供養を行ったという。芸道に徹して80年もの長い間打ち込み、しかもその半分は老け役で通してきたという歌舞伎界にとって驚異的存在だった老優が、四国遍路で見つめ続けたものは何だったのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「屏風は折れるから立つんだよ 突っ張っているとじき倒れるよ」という、荒了寛さんの言葉から。ひとりりよがりにならずに楽しむ事は、これが簡単そうで難しい!自分の意見の前に相手の気持ちを思いやる。正しい事でも相手の事を考えてから意見する。屏風って知ってるよね。絵画を飾る額縁とは違って、壁に立て掛ける物でも吊す物でもない。屏風だけで立てる物なのだけど。その屏風は、折れるから立つんだよね。突っ張っていると、じきに倒れるんだよなぁ〜。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨ごもり 「野バラ」ばかりを 弾いている

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は22度から27度、湿度は92%から68%。風は1mから4mの南東の風が吹いていた。明日の28日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 天気予報では雨が降る、強い雨が降る・・と云うのだけれど、パラパラと小雨程度で雨らしい雨にはなっていない。ただ、ねっとりとするような空気がまといつくばかり。

 

 草刈りという肉体労働が終わったもので、これからはアカデミックにと、香川県立図書館にやってきた。このかまぼこ形の建物は「文書館」で、図書館はこの左手に似たような建物がある。

 

 新聞閲覧台にはずらりとおじさんたちが並んでいたが、こういう「郷土コーナー」にはほとんど人が来ない。私はもっぱら、ここが安らぐ場所。先日にも紹介したが、左手が「空海コーナー」で、密教関係の本がずらりと並んでいる。右手には「市史」や「町史」などの郷土資料が並んでいる。私の本も、この郷土コーナーに並んでいる。

 

 今日はこのような本とか、

 

 このような本を借りてきた。「遍路」と「辺路」、「辺土」や「ヘンド」の違い。「遍路」と「お四国さん」の違い・・・などの「比較遍路学」というか「遍路分類学」みたいな「比較分類学」的研究。元々の「修行僧」は「行乞」をしながら、食料や旅費を喜捨していただきながら修行してきた。

 

 それがいつの間にか、信仰遍路と乞食遍路に別れ、幾つかの分類に別れてきた。所によれば、「遍路」と「お四国さん」に別れたり、「お遍路さん」と「職業遍路」に別れたりもする。この日曜日には、さぬき市のバス研修で高知方面への「フィールド・ワーク」に行って来る。その資料整理も大変だ。

 

 今日は早くも千葉の無邪鬼さんかのお中元が届いた。お中元第一号だ。ボーナスをもらえなくなって久しいから、その感覚が薄れていたからひどく驚いたもの。そんなにもお世話も「いいね」もしていないし、ましてや「シェア」や「コメント」もしていないのに・・・。本物の缶ビールだというから、今夜は「ののさま」にお供えして、明日からおいしくいただきたいもの。

 

 さて、今日のお昼は久々にここになった。さぬき市志度にある「こがね製麺所志度店」というプチ・セルフのお店である。ここも昨年から来ていないように思った・・・。

 

 こういう夏場にはおいしい、「おろしぶっかけ小の冷や」で300円。消費税アップ分くらいは値上げしたのかな。わかめだのねぎだのはフリートッピング。少しずつ、うどんの味が復活してきているみたい。味がわからない・・というのも「お年」なのかも知れないのだが。

 

 天気予報を見てみると、明日の土曜日は雨のち曇りだが、日曜日には曇りのち晴れになっている。雨だったら傘がいるのか、雨具がいるのかと考えていたが晴れて暑くなりそうな31度。ま、明日は明日の風任せにしかならないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「奪いあえば足りず分かち合えば余る 一人勝ちしようとすると絶対に長続きしない」という、浅利妙峰さんのことばから。浅利の店は、江戸時代から300年以上続く老舗のこうじ屋。今も代々伝わってきた手仕込みの伝統を守り続けている。しかし、浅利はその伝統をただ守っているわけではい。肉も魚も簡単においしくできるという“塩こうじ”を使ったレシピを1000以上考案。その魅力を伝えようと定期的に料理の講習会を開催する。今年はなんと、ニューヨークにまで出向き、その良さを伝える活動を行った。浅利は今、各地のこうじ屋に足を運び、これからの「こうじ屋」のあり方をともに考えようとしている。ブームを一過性で終わらせず長く定着させるには、浅利の店だけが一人勝ちするのではなく全国のこうじ屋全体が良くなることが必要だと考えるからだ。店先で料理講習会を無料で開いたり、客を呼ぶ工夫を伝えたり、そして何より自信をなくしている仲間たちが前向きになれるよう共に考え、励ます。(NHKプロフェッショナル・仕事の流儀より)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

タチアオイ 妙に寝不足 ねこの足

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、雨が降ったりもした。気温は20度から27度、湿度は94%から68%。風は2mから1mの南南西の風が少しばかり。明日の29日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 来週の7日の日曜日に、あの山の頂上にある「女体山」のお宮さんの例祭があって、うちの班が当番になっているのだという。

 

 で、7日の朝の間、集会場の周辺の掃除や草刈りをして、代表者がこの山頂のほこらにお参りするのだが、そのしめ縄や御幣を作らないといけないという。いつもは「農林大臣」役の長老がなわをなったり、御幣を作っていてくれたのだが、今年は寝込んでしまって動けないという・・・。

 

 で、その役が私に回ってきた。廻ってきたが、私だって子供の頃に遊びでやっただけで、50年余りも、縄ないなんぞしたことがない。わずか1,5mほどのしめ縄がうまく作れない。御幣は見よう見まねで切れて、代表者にはお渡ししたけれど、とてもじゃないが人に見せられるものではなかった。

 

 秋にも山の神神社の例祭があるので、それまでには「縄ない」と「しめ縄」の作り方をマスターしておかないと。ここしばらく、「あの方が亡くなった」とか「あの人もいよいよらしい・・」、「あのおばさんもずいぶんと弱っているらしい・・」という話を聞くようになった。せめて、しめ縄作りくらいはマスターしておかねば・・・。過疎と高齢化の限界集落に近い田舎では、なんでもできないとやっていけない。

 

 さて、今月の上旬に千葉で法要があったのだが、その時に、「法話をお願いしたい」ということだったので、急遽、ノートPCで、パワーポイントを使って、電子紙芝居をやったのだけれど、戻って来てから、「あれ? せっかく、大きなテレビがあったのに、あれを使えば良かったんだ・・・」と思った。

 

 パワーポイントによるスライド映写は、これからは必須なんだけれど、いかんせん、プロジェクターとスクリーンが要る。このスクリーンが重いのだ。プロジェクターは最近は小型軽量化されているが、うちのはけっこう、大きくて重い。

 

 最近はどこの過程でもテレビは大型になってきているので、テレビとノートPCを繋げばいいじゃないかと気がついた。そこで、こういうものを買って来た。HDmiケーブルである。

 

 このケーブルでPCとTVを接続する。

 

 もちろん、HDmi端子がPCにもTVにもあることと、大きさを確認しておくこと。

 

 こうすると、手前がノートPCで、向こう側がテレビで、うまく接続ができて、パワーポイントが使えるようになった。

 

 これは小型のテレビだが、大きなものだと充分に多くの方にも見てもらえるようになった。

 

 このタチアオイの花が先端まで登ったら梅雨が明けると云われるが、この状態だとまだまだ、梅雨明けは先だなぁと思う、今日このごろ。

 

 今日の掲示板はこれ。「ああでもない こうでもないで日が暮れて 今あることのありがたきかな」と云うもの。これもまた、どなたの言葉かわからないが、何かを考える時に、考えに迷って何度も何度も考え直したり、また、議論を行う際にもなかなか結論が出ずに、何度も話し直したりすることが良くあるもの。そして結局のところ、先送りということで一応の結論を出してしまうこともあったりする。ともあれ、今日も元気で一日過ごせたことに感謝したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

半夏生 土佐のめぐりの しずしずと

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 高知県地方は高気圧に覆われてたが、気圧の谷の影響で薄雲が広がっていることもあった。日中はかんかん照りで暑くて汗が流れるほどだったが、木陰に入ると涼しくて気持ちのいい1日だった。

 

 さぬき市観光協会の「おへんろつかさの会」の研修バス旅行ということで、高知県に向かった。さぬき市役所を六時半集合で、?松西インターで高速に上がって、高知自動車道で南国インターで降りてのフィールド・ワーク。もう、高知では稲の穂が出ている。

 

 今回は特に「五台山竹林寺」の宝物館と庭園鑑賞が印象的だった。 館内には、竹林寺に古くから伝わる藤原時代から鎌倉時代にかけての仏像17体(すべて国重要文化財指定)を安置、展示している。その数は県下の国重文指定仏像のおよそ三分の一に相当するといわれるこの大日如来座像は鎌倉時代のもの。十一面観音立像は貞観時代のものとされている。

 

 竹林寺の本尊は獅子に乗った文殊菩薩という珍しいもの。これは本堂で霊場開創1200年の特別公開になっている。

 

 これは竹林寺の庭にあった「ハンゲショウ」。もう、この花の時期になったのか・・と驚いた。ハンゲショウは「半夏生」と書いて、天球上の黄軽100度のテンを太陽が通過する日とされ、毎年7月2日ごろにあたる。この日に降る雨を「半夏雨といい、大雨になることが多い。この草は「カタシログサ(片白草)」といい、この頃に花が咲く。葉っぱの半分が白くなることから「半化粧」とも呼ばれる。

 

 これも竹林寺で見掛けた犬だが・・・・。犬もお参りにきているのか・・・。

 

 今日のお昼はここになった。高知市仁井田にあるドライブニン・レストランの「かつお船」。お昼を過ぎて13時近かったけれど大勢のお客さん。観光バスも十数台・・・。一階の土産物売り場は人でいっぱい。

 

 お食事はこんなもの。かつおのタタキがでっかくて分厚い。あとは・・・。これにご飯とお味噌汁。

 

 午後のメインは「雪蹊寺」。これは、その手前にある長曽我部元親の銅像。若宮神社の境内にある。雪蹊寺の縁起の1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。

 

 長曽我部信親は長宗我部元親の長男。豊臣秀吉の九州征伐に従い、豊後で家臣700人と討ち死にした。

 

 宝物館には、運慶作の本尊、薬師如来、日光月光両菩薩、湛慶作の毘沙門天、脇士の吉祥天女、海覚作の十二神将十体などが収められている。鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山し、慶運寺と改められ、運慶、湛慶、及び一門の作による主要文化財が16体も残されている。その後、一時廃寺となっていたのを、天正の未に月峰和上が住職になり、長宗我部元親の援助を得て、臨済宗として再興されたもの。

 

 これが、湛慶の作になる毘沙門天像と脇士の吉祥天女。湛慶作は四体とされ、京都の三十三間堂にある一体と、ここの三体だけだとされている。

 

 なぜ、このような場所に、これらがあるのかは不明。

 

 今日の掲示板は、途中で見つけたこれ。「なんでもいいじゃないですか その道で一ばんになれば」という荒了寛さんの言葉。誰しも一番になりたいと願ってはいるのだろうけれど、一番がいれば二番がいて三番がいてビリがいる。なかなかに一番にはなれないもの。グズの一番、泣き虫の一番、弱虫の一番・・・。何かの一番になれればいいのだろうけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨明けを 待つ勢いの たちあおい

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 さぬき市地方は高気圧に覆われていたのだが、気圧の谷の影響で薄雲が広がっている。気温は20度から29度、湿度は96%から68%。風は1mから3mの東北東の風が少し。明日の7月1日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 いよいよ、今日で六月も終わり、一年の半分が終わった。何かをしたという印象はないが、あっという間の半年だったなぁとは思う。よく、年齢時速の法則というらしいが、若い内は時速10kmとか20Kmの一日だといい、60歳台は60Km、70歳台は70Kmで過ぎてしまうというらしい。

 

 そういうことで、毎月の月間予定表があっという間に終わってしまって、早くも7月分、8月分になってしまう・・・。午前中はその予定表の更新作業をやっていた。

 

 ま、これも生存証明みたいなことで、「今日も生きておりました」という「フラッグ立て」、「安否確認」である。

 

 この更新が止まれば、入院したのか事故があったのか、それとも往生してしまったのか・・・。そういう「生きていますよ」という黄色いハンカチのサインになっている。

 

 野生動物も暑くなってきたものか、山から下りてきて水浴びなんぞをやっている。このあたりは、本来は野生動物のものだったに違いない。それを私らが後からやってきて「ここはオレんちだぞ」と言っているに過ぎないのかも・・・。

 

 今日はあっさりと冷たいそうめんでお昼にした。昨日のレポートもまとめておかねばならなかったし。しかしのかかし、歴史の勉強の中に、「TQC」を取り入れて、Plan(プラン)・Do(ヅゥー)・Check(チェック)・Action(アクション)の「P・D・C・A」のサイクルを回そう・・・という講師の先生の話には驚いた。ま、研究の計画を立てて、やってみて、チェックして、改善してやってみる・・・という手法には納得できるのだけれど。

 

 ?Plan:まず目標を設定し、それを具体的な行動計画に落とし込む。?Do:組織構造と役割を決めて人員を配置し、組織構成員の動機づけを図りながら、具体的な行動を指揮・命令する。?Check:途中で成果を測定・評価する。?Action:必要に応じて修正を加える。 一連のサイクルが終わったら、反省点を踏まえて再計画へのプロセスへ入り、次期も新たなPDCAサイクルを進める。こういうことは、工場や生産ラインあたりではさかんに行われてきたが、これを歴史の研究にも応用しようという発想には驚いた。

 

 で、やってきたのは四国霊場の一つの「屋島寺」、84番札所になるのかな。ここの宝物館にお邪魔した。

 

  宝物館には、屋島寺に伝わる数多くの寺宝の他に、源平合戦に関する宝物などを多数展示してある。那須与一の子孫が寄進した「源氏の白旗」、「源氏の勝臼」、土佐光起筆「屋島合戦屏風」、「源平盛衰記絵巻」狩野深信筆「源平合戦絵図・那須与一の扇の的」などの絵画が所像されており、屋島寺と屋島の歴史がうかがえる。有料500円 9:00〜17:00 無休 文は屋島寺パンフレットより転載した。屋島寺本尊、木造千手観音坐像=重要文化財(彫刻)もここに収蔵している。昭和30年2月2日指定。

 

 ここは源平の古戦場として知られる屋島の山上にあり、第84番の札所である屋島寺に伝わる宝物を収蔵・展示する宝物館で、源平盛衰記絵巻物、弁慶が勝利の餅をついたといわれる「源平の勝臼」、土佐光起・光信の筆と伝えられる屋島合戦屏風など、源平合戦の遺品や寺宝を数多く所蔵し、歴史ロマンの宝庫として知られている。一階が仏具や仏像を展示してあり、二階に源平の戦いの遺品などが展示されている。

 

 この宝物館所蔵所蔵の宝物リストは以下の通り。

http://www.boukaiso.com/punf-siryo/a-yashimadera-02.html

 

 ということで、六月も終わってしまう。七月は京都にお出かけして大きな峠を越える。それが過ぎたら、各種論文の総整理に入るつもり。暑い夏をどう乗り切って過ごすかがこれからの課題でもある。

 

 六月も最終日だから、期限ぎりぎりでの今日の掲示板になった。「欲を減らせば苦しみも減らせる」というもの。苦しみの原因は、無知と執着であると言う。知ることは、苦しみを減らすカギになり、人それぞれが抱える苦悩を知ることで、和らぐ苦しみがある。失敗から学ぶことによって、追い払える苦しみもある。執着とは、不要なものに、しがみついているところから生ま出て来る。思い込みや執着を手放せば、苦しみが減るかも知れない。執着をゼロにすることはできなくても、減らすことは可能であり、苦しみをゼロにはできなくても、減らすことは可能にはなる。でも。欲を持ったまま、苦を持ったまんまの生き方もまた、大切ではないのかと思う今日このごろ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

野あざみに 時の流れを 教えられ

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 さぬき市地方は高気圧に覆われてよく晴れている。気温は19度から29度、湿度は90%から60%。風は2mから1mほどの南南西の風が少しばかり。明日の2日は、午前中は概ね晴れるけれど、気圧の谷の接近で次第に雲が広がる見込みらしい。午後からは大気の状態が不安定となるため、雨の降る所があるらしい。

 

 来週からはお出かけするもので、県立図書館で借りていた本を返却しに行ってきた。スキャナーでの読み込みもすでに終わっていたものだし。今日は奥方が「一緒に行くわよ」というので、ついてきた。

 

 今日の目的地はここ。高松市亀水(たるみ)町と言うても、坂出市と高松市の境目近くの五色台山上にある「瀬戸内海歴史民俗資料館」。瀬戸内海歴史民俗資料館は、瀬戸内地方の歴史、民俗等に関する資料の収集や保管、展示や調査及び研究を行う資料館で、瀬戸内海沿岸地帯の歴史や文化財に対する認識を深めることを目的として設立されらしい。

 

 いやいや、今日は船を見に来た訳ではない。奥方も「何のためにここに来たの?」と首をかしげている。

 

 今日はこのテーマ展「布をめぐる知恵 布に込めた思い」を見学にきたもの。ここが所蔵する国重要有形民俗文化財のドンザ(漁民の仕事着)、そして農村歌舞伎衣裳、香川県立ミュージアム所蔵の着物や布団地、風呂敷などの布製品を展示し、布をめぐる知恵や布に込めた思いに迫るというもの。瀬戸内海の「ドンザ」は、鯛しばり網の指揮者である網元が着る晴れ舞台用の着物で、仕事着でもあり、よそ行き、晴れ着としての役目もあったから、親が一針ひとはりにこころを込めて刺し子されたもの。母親の強い思いがしのばれる。

 

 また、瀬戸内海の東西に位置する兵庫県淡路市(淡路島)の刺し子ドンザや愛媛県伊方町(佐田岬半島)の裂織りなども展示し、瀬戸内海の布をめぐる優れた技についても紹介している。

 

 そのほか、瀬戸内地方を中心とする祭礼や芸能に見られる布のしつらえや衣裳などの写真もパネル展示し、派手な布や着物で神様や見る人を喜ばせた「風流(ふりゅう)」の心や日本人の美意識の一端も紹介されている。

 

 この前期展は、7月27日(日)まで開催されており、後期展は7月29日から9月28日までとなっている。

 

 こうした衣類は、ほとんど家から出ることはない。高級な晴れ着や布製品は大切にタンスにしまって置かれて家の宝物となっている。万一の場合にはお金に換えることのできる貴重品だから博物館などに寄贈されることはない。また、普段着や仕事着も家から出ることはなく、ぼろ布として保管され、最後はおむつや雑巾として使えるだけ使ったから、こうした資料館にもほとんど収集されることはないのだと言う。

 

 奥方はここに来るのが初めてらしく、船の作り方とかロやカイの種類、農具や船具などに眼を輝かせており、建物の広さや立派さにも驚いていた。

 

 で、今日のお昼はここになった。坂出市高屋町にある「さぬき麺匠・はま弥」という一般店。

 

 私はここに来ると、この「いまだけ」メニューにしている。だから、「温泉卵入りサラダぶっかけうどん並の冷や」をお願いした。けいこばぁはいつだって、どこだって、「かけ小」オンリーワン。

 

 麺もマイルドでやさしい味だし、おつゆもおいしいものだった。

 

 お店も広くないし、駐車場も数台分しかない小さなお店だが、ひっきりなしにお客さんが入って来てはどんどんと食べて出て行くから、狭くても大丈夫みたい。

 

 今日から七月、文月である。今日から法務省による「社会を明るくする運動」が始まっているし、山開き・海開きの日でもある。富士山の山開きも今日だった。まだ、梅雨明けはまだらしいが、いよいよ、本格的な夏の到来という時期にもなってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「正しいことを言うときは少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」と言うもの。

 「祝婚歌」(しゅくこんか)

           吉野弘

 二人が睦まじくいるためには
 愚かでいるほうがいい
 立派すぎないほうがいい
 立派すぎることは
 長持ちしないことだと
 気付いているほうがいい

 完璧なんて不自然なことだと
 うそぶいているほうがいい
 二人のうち どちらかが
 ふざけているほうがいい
 ずっこけているほうがいい

 互いに非難することがあっても
 非難できる資格が自分にあったかどうか
 あとで疑わしくなるほうがいい
 正しいことを言うときは
 少しひかえめにするほうがいい
 正しいことを言う時は
 相手を傷つけやすいものだと
 気づいているほうがいい

 立派でありたいとか
 正しくなりたいとかいう
 無理な緊張には色目を使わず
 ゆったりゆたかに
 光を浴びているほうがいい

 健康で風に吹かれながら
 生きていることのなつかしさに
 ふと胸が熱くなる
 そんな日があってもいい
 そしてなぜ 胸があつくなるのか
 黙っていてもふたりには
 わかるのであってほしい

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


半夏生 折り返し地点で 立ち止まる

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、一時、雲が広がり雨の降っている所があったという。気温は21度から31度、湿度は94%から63%・風は1mから4mの南東の風が吹いたりもした。明日の3日は、前線や低気圧の影響で雨が降り、昼過ぎからは雷を伴う所がある見込みとか。

 

 今日は「半夏生」の日。半夏生(はんげしょう)は雑節の1つで、半夏(カラスビシャク)という薬草が生える頃。一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも言う。本来は七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっていて、毎年7月2日頃にあたる。この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言うらしい。

 

 昨日、瀬戸内海歴史民俗資料館で、このパンフレットを見つけたので、今日は高松市玉藻町にある「香川県立ミュージアム」に行ってみた。高松城の東手、香川県民ホール近くにある建物で、少し前までは「香川県立歴史資料館」とか言うておったような・・・。

 

 すると、県展をやっているというので、順路上だからと、まずは県展から見ることにした。

 

 これは、65歳の誕生日になればいただける「長寿手帳」。これを受付で提示をすれば、このミュージアムは無料で見学できる。

 

 今季の県展は「書」の部門。これでも「書」なのか?と思うような作品が眼に付いた。当然、普通の楷書体とか草書体とか隷書体とかの作品も並んではいる。これは書ではなくて「絵」だろう・・と思うようなものもあった。でも、どの作品も「落書きだな」と思うようなものは一つとしてない(当然なのだが)。

 

 香川県美術展覧会(通称「県展」)は、県民の日頃の創作活動の成果である優れた美術作品を展覧し、美術に対する理解と鑑賞の機会とするため、昭和9年から始まっている全国で最も歴史のある、地域に根ざした公募展で、今年で79回目の開催となる。

 

 その後、常設展示の空海展を見たあと、今回の特別展示の「撃てっ!」の火縄銃の展示を見た。戦国時代に普及し、強力な兵器として定着した火縄銃。大名家の軍団に大量の鉄炮が配備される一方、将軍や大名自身が鉄炮を愛用するということも行われた。鉄炮を所有したのは武士階級の者だけではなく、江戸時代の農村や山村にも多数の鉄炮が存在し、その総数は武士階級のそれをはるかに上回る数であったともいわれている。

 

 この展覧会では、このミュージアムが収蔵する火縄銃やその他の鉄砲を展示し、古文書や古記録から近世において鉄砲がどのように位置づけられ、取り扱われてきたのかを見せてくれている。(写真は図録から)

  

 毎年7月2日頃に暦の上の「半夏生(はんげしょう)」が来るが、この日を「うどんの日」と1980年に香川県生麺事業協同組合が制定し、以来「半夏生」の日が「うどんの日」になっている。農家においては田植え終了の目安の日。半夏生(はんげしょう)のころは、天から毒気が降るという言い伝えがあって、井戸に蓋をしたり、酒や肉を断ったり、野菜や筍を食べるのを控えたりする風習が各地にあった。讃岐地方の農家では半夏生のころ、田植えや麦刈りが終わった労をねぎらう為に、うどんを打って食べる風習があった。それにちなんで「うどんの日」の由来となったということだ。

 

 ということで、久々にここにやってきた。さぬき市長尾西笠堂にある「笠堂や」というプチセルフのお店。ここも半年ぶりくらいになる。

  

 で、夏らしく、「梅おろしぶっかけうどん小の冷や」をお願いした。ま、早く言えば、普通のぶっかけうどんに大根おろしと大きな南校梅を乗せたもの。大根おろしに梅の酸っぱさが混じって、暑さを忘れるような味だった。これで330円。そろそろとうどんの味にも慣れてきて、おいしくうどんが食べられるようになった。

 

 火縄銃つながりで、鎌田共済会郷土博物館にも寄ってみたかったのだが、少し方角が違うもので、明日にでも行ってみようと思っている。それに、東かがわ市歴史民俗資料館にも・・・。

 

 今日の掲示板は右側のこれ。「命には所有権もなく価格もつけられないからこそ尊いのです」というもの。これまた、意表を突くような言葉。ググってみても出典も出拠もわからない。「いのち」の所有権とか、「いのち」の価格・・・というのは民事裁判を連想するんだけれど、この場合にはそういう話ではない。命の大きさとか、いのちの重さとか、いのちの形とか・・・、とにかく、そういうものではかることができないから、いのちって、尊いのだと思うし、それぞれに違っているからこそ、尊いものだと思う・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

振り返る 先人の夢 梅雨の中

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 さぬき市地方は気圧の谷や梅雨前線の影響で雨が降っている。気温は21度から25度、湿度は92%から96%とムシムシとする空気。風は3mから18mの南東の強い風が吹き荒れていた。電線がピューピューと騒いでいる。明日の4日は、梅雨前線は南下するが、気圧の谷の影響で雲が広がりやすく、未明にかけて、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 先日に、このようなパンフレットを頂いたもので、けいこばぁと弟のたっくんを誘って出掛けてみた。朝から雨が降っていたので、こんな日には家にこもっているしかないなぁと思っていたので、仕方なく、二人ともついてきた。

 

 この郷土博物館は、坂出の実業家鎌田勝太郎(1864年〜1942年)が1918年(大正7年)に育英奨学と社会教育を目的に設立した財団法人鎌田共済会の図書館として、1922年(大正11年)に、香川県の技師・富士精一監修の下、竹中工務店の設計施工で建設された。地上3階建ての鉄筋コンクリート造の建物で、外壁はモルタル塗の掻き落し仕上げと思われ、半円形の窓や石造風の壁面、2階上部の波を打ったようなコーニスに施された半円形の装飾に特徴があり、初期の本格的鉄筋コンクリート造図書館建築としても貴重な建物である。(同館HPより)

 

 久米栄左衛門通賢 (1780〜1841年)は讃岐の生んだ科学者、技術者、塩田開発の事業家として卓抜・多彩な活動を行い、天文観測、測量、銃砲の製作・改良、各地の土木工事等においても多くの業績を残している。これは測量用具の「地平儀」というもの。この展示会では久米通賢の活動の軌跡を、残された多数の器物・絵図・地図・文書・記録等から公開しているもの。地元では「讃岐のエジソン」として尊敬されている。

 

 栄左衛門は安永9年(1780)、讃岐国大内郡馬宿(現在の香川県東かがわ市)の農家に生まれる。幼少のころから利発で学問好きな子だったため、引田港から大坂に向かう船の舵取りも務めていた父の嘉兵衛は、大坂に行くたび栄左衛門のために書物を買ってきていた。また、手先が器用で熊や獅子を粘土で作るのが得意だったため「獅子熊」と呼ばれていた。7歳の頃、栄左衛門は父に連れられ大坂の町の時計店に行く機会があり、当時最先端の機器であった時計の修繕を熱心に眺めていた。そこへ別の客がやってきて店の者に時計の修繕を依頼したが、店の者は誰も手がすいていない。そこで栄左衛門が店の道具を借りて見よう見まねで修繕をしてみたところ、時計は元の通り動くようになったため、皆大いに驚き喜んだという。

 

 1798年(寛政10年)、大坂へ出て暦学者の間重富の門下となり、暦学・数学等を学んだ。1802年(享和2年)父・嘉兵衛が逝去したため帰郷。その後も郷里で勉学に励んだ。江戸時代も末期になると、外国船が日本近海を訪れるようになっていたため、栄左衛門も兵法、オランダ流砲術等を学んでいる。1806年(文化3年)、?松藩藩の測量方に採用され、領内の引田から西へと実地測量地図の作成に従事した。この地図は伊能図より早い讃岐国最古の実測地図である。また翌年には軍艦の設計も行っている。1808年(文化5年)、幕府命令で日本地図を作成していた伊能忠敬一行が讃岐国を訪れ、栄左衛門もこれに協力した。(以上Wikipediaより)

 

 これは、そのときの様子を描いた絵図の一部。さすが、幕府御用というのはすごいなぁと思わせる大行列に大船団が組まれている。

 

 これも栄左衛門が作成した「百敵銃」というもの。06年(文化3)藩命で領内の海岸と街道の測量を行い,09年士分(天文測量方)に取り立てられ,久米姓を名のる。このときに「通賢」を名乗ることになった。銃砲発射機構の改良に努力し,12年輪燧佩銃(りんついはいじゆう)(歯車式撃発銃)を,24年(文政7)には風砲(ふうほう)(空気銃)を,39年(天保10)には〈ドンドロ付木〉(オランダ製マッチ)の製造に成功,39年以降これを発火装置に応用した多くの雷管式銃などを製作して,近江国の鉄砲鍛冶国友藤兵衛とならび称せられた。また,これらの発火装置を使用した大砲製作に努力し,発貢,無敵銃,百敵砲などの作品をのこした。(コトバンクより)

  

 館内の様子であるが、さりげなく、大正時代を思わせる調度品や建物の端々になつかしさと優雅さを感じさせてくれる建物であった。

 

 帰りには直売店で、鎌田醤油の「めんつゆ」をお土産として買って帰った。これがあれば、おうどんやそうめんのお出汁やタレには困らない。

 

 で、今日のお昼はここになった。坂出市富士見町にある「日の出製麺所」という数少ない「製麺所系」のお店。ここは昭和5年の創業で、昼間の1時間しか(11:30〜12:30)しか、ここで食べることができない。普段は製麺所ということで平成10年頃までは卸売りと店頭でのうどんの玉売りと生うどんの手土産や贈答品の販売卸しかやっていなかったのだが、その頃から店頭で「食べさせて欲しい」というお客様が来るようになり、最初はずっと断っていたのだが、ある日、どうしても断りきることができないことがあり、お出ししたのが始まりだという。

 

 さて、並んでいると店員さんがまずメニューを聞きに来てくれる。「ぬくいんな、つめたいんな。釜玉、大、中、小。」と、たった、こんだけ。私と弟は「釜玉中」けいこばぁは「ぬくいんの中」を注文。しばらく待ってると順番に案内されて、私たちは本店の隣の部屋へ入ることになった。テーブルとパイプいすが20席くらい用意されていて奥から詰めて座っていく。テーブル上にはラップのかかったネギとハサミが・・・。これを自分でハサミで切って麺にふりかける。

 

 最初の100食は「さぬきの夢2000」を使用するらしいが、私が丁度100食目。弟は当店ブレンドによる麺らしい。半年もの間に渡ってうどんが食べられなかったのに、目が覚めるほどのおいしさ・・・。普通は小(1玉)のうどんが食べられなかったのに、ここでは2玉をあっさりと食べてしまった。麺と生玉子としょうゆとネギとおろししょうがだけなのに。で、これで180円ですと・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「雨の日も風の日も また悩む日も それがそのまま人生なり」と言うもの。一度かぎりの人生、くりかえすことのできない人生。その人生を充実感を持って生きるか空しさと淋しさを持って生きるかは、全て自分自身の責任であろう。「花の生命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と言った小説家がいる。喜怒哀楽の交錯する人生であるが、思いおこされることは実に苦悩に類したものが多いように感じる。しかし、このことばには何かしら心ひかれる響きが感じられはしないだろうか。はかない青春の生命がかみしめた、ほろにがい甘さが感じられるように思った。苦しみは大切にしなければならない。悩みをそまつにしてはならない。雨にも風にも嵐にも、それぞれかけがえのない妙味がある。森羅万象、全てが私の人生を塗り替えてゆくクレヨンである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

欲しい雨 いらぬ雨あり 梅雨さなか

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 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がりやすいが、一時的にはよく晴れたりもした。気温は21度から30度、湿度は91%から62%。風は3mから1mの西南西の風が少し。昨日は涼しかったが、今日は蒸し暑い一日になった。明日の5日は、引き続き気圧の谷の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 来週からの京都行きの準備を始めたのだが、なんだか、京都行きのスイッチが入らない。この蒸し暑いときに京都に行くのか・・・と思うと気が重くなってしまうのだ。そんなことを言うと、京都に住んでいる人たちには申し訳ないのだけれど。

 

 と、言うことで、今日もまた郷土館めぐりに出掛けた。今日は?松空港近くの「高松市香南町由佐」にある「高松市香南歴史民俗郷土館」に行ってみた。ここは例年、この時期に「我が家のお宝展」というものをやっている。

 

 由佐城は、由佐氏の居城で、東は香東川、西に沼地の多い自然を巧みに利用した要塞であった。天正11年(1583)長宗我部元親軍が攻め入ったが容易に落城しなかったと伝えられる堅城であったという。城内には土塁が築かれ、櫓もあったそうで、由佐家の居宅とした屋敷内には内堀、土塁跡を見ることができたそうだ。今でも香南歴史民俗郷土館の敷地内、庭園西側には土塁の跡が残されている。周囲には南門という地名も伝えられている。

 

 高松市香南町歴史民俗郷土館は、由佐城跡に建設されたもので、郷土館の建物は、現存する最古の天守閣を持つ福井県の丸岡城をモデルに建てられており、館内には歴史展示室、民俗展示室、図書室を備え、地域の歴史を知ることができ、本格的なお茶室の拵えのある研修室もある。

 

 ?松市民のお宝というのだから、古伊万里の皿から書や額、軸に屏風、刀剣・鍔からブリキのおもちゃまでさまざまなものが展示されている。

 

 この六曲一双の屏風は?松藩士の藤沢南学の筆になるものだが、大正時代のものだからまだまだ新しい。

 

 私はこういうブリキのおもちゃが懐かしくていいのだけれど。こどもの頃にはたくさん買ってもらったのだけれど、なんで動くのだろうかと分解してしまって、元に戻せなくなって川の中に投げ込んでしまったらしい・・・。昨日の久米通賢とは大きな違いだ。

 

 で、いつものここにやってきた。ここは東かがわ市小砂(こざれ)にある「小砂(こざれ)説教所跡」で、この地区の真宗の道場であり、昔の集会所であった。ここが、今では「正真講本部」となっており、庄松同行の情報発信源ともなっている。

 

 石段を登り切った左手にあるのが鐘楼。その先に墓石がいくつかあるが、その中に一段と高くなって花が供えられている石碑が「庄松同行の墓」で、「釈正真信士墓」と刻まれている。没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。

 

 庄松同行は讃岐の国大川郡丹生(にぶ)村土居(現・香川県東かがわ市土居(どい))に生まれて、父を谷口清七といい、真宗興正派の同市三本松にある海暁山勝覚寺の門徒であった。世にも稀な信者で、頑愚無欲で一生涯を独身で暮らし、東西に遊化し、よく人を諭し、その言うところは質素ぼくとつ、ありのままにして、しかもご法義にかない、おもしろくありがたくあったと言われている。

 

 で、今日も朝昼兼用のお昼ということで、ここに寄った。東かがわ市引田にある「本格手打ちうどん宮川」という半セルフのお店。食欲もないが、何か食べておかねば・・・ということで、今日はこれにしてみた。

 

 「ぶかっけうどん小の冷や」で400円。少しお値段するなぁと思った。今日も味がまったくわからなかった・・・。これは重傷だな。

 

  今日の掲示板はこれ。朝の「小砂説教所跡」にあったお皿に書かれていたことばで、「庄松いわく また生えにゃよいがのう 角(つの)があるまんまと聞こえなんだか」というもの。京都から名僧と評判の御使僧が来られたので、庄松さんもお参りしていた。すると、お説教を聞いていた隣の人が、涙を流して「いやぁ、今日のお説教はありがたかった。おかげで日頃の邪見の角が折れたわいなぁ・・」とつぶやきながらお念仏するのを、そばで聞いていた庄松さんの一言。「また、生えにゃよいがのぉ。わしは角があるままのお助けと聞いたがのぁ」と・・。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」という他力の大悲におまかせしてみると、悪業煩悩の角があるままお助けに預かっている悦びがある。凡夫のままに救われていく世界を庄松さんは感得されていたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

蓮池に 今日の苦悩が 染まる夜

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 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲の広がっている一日になった。気温は22度から27度、湿度は84%から61%。風は3mから1mの南南西の風が少し。少しばかり蒸し暑い一日になっている。明日の6日も気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方からは雨の降る所がある見込みとか。

 

 朝方はこのように青空も出て、いい夏の日になったなぁと思って出掛けたのだが・・・。

 

 今日は、ご案内をいただいていた、「高松市塩江美術館」の「いろとかたちの時空間」という現代アートの展示会をのぞいてきた。ここも入場料は300円なのだが、香川県発行の「長寿手帳」を提示したら無料で観覧できることになった。ま、おじいさんが一人入ろうが入るまいが、事務員さんにとってみれば何の問題もないのだろう。

 

 高松市塩江美術館は、1994年4月塩江町立美術館として開館し、2005年9月の市町村合併により、高松市で2館目の美術館として新たにスタートしたもの。香川県にゆかりのある作家の作品を紹介する企画展と、美術館のコレクションの中から構成される常設展を開催している。展覧会に関連したワークショップや講座、陶芸教室、コンサートなども開催しているらしい。

  

 企画展示の「いろかたち・・・・」の展示はこんな部屋で展示されている。ここでは、猪熊弦一郎・川島猛・四宮金一氏の作品が並べられている。この展示は平成26年7月4日(金)〜7月27日(日)。

  

 ここは建物自体がアートのようなつくりになっている。ここは撮影可能だったが、隣の常設展示室は「撮影禁止」になっていたので画像はないが、平成26年度第1期常設展は「画家の眼」という、熊野俊一のデッサン・スケッチが展示されていた。こちらの展示は平成26年4月19日(土)〜7月21日(月・祝)までとなっている。

 

 で、FBFの井川さんが、「団蔵うどん」を紹介していたので、今日もついでだからと、ここに寄った。四国霊場88番札所大窪寺の門前にあるおみやげ屋さんの「八十八(やそば)庵」という一般店。今日も朝食抜きの「朝昼兼用食」となった。

 

 で、店主さんから、おでんのお接待をいただいた。おおきにです。

 

 麺が細めの夏の風物である冷やしうどん。今から約数十年年前に、 今は亡き歌舞伎役者『市川団蔵』さんが、四国霊場八十八ヶ所巡礼の旅を終えた後、このお店に立ち寄り、 このうどんを食べ「こんなうどんは今までに食べたことがない。 はじめて、うどんの味がわかりました。」と感嘆してくださったことから市川団蔵さんを偲んで「団蔵うどん」と名前をつけたもの。麺は4ミリという細いもの。まるで半田そうめんかと思うような細さとなめらかさ。こんなにたくさんの量を食べられるかなぁと心配したが、なんなく完食してしまった。

 

 消費税が上がったせいか、700円になっていた。まだ、アジサイは残っているのだろうが、そうそうゆっくりとしてもいられないのでお店を出た。

 

 で、次にやってきたのは、東かがわ市引田にある「東かがわ市歴史民俗資料館」。古代・中世のころから、近世・近代・現代へと続く引田のまちの歴史を当時を語る収蔵物とともにパネル展示でわかりやすく展示している。

 

 今回の調査項目は「能代伝吉」という人物。能代伝吉(1820−1884)は幕府の海運業者。文政3年4月8日生まれ。北国廻りの海運に従事。慶応4年奥羽征討軍参謀大山綱良(つなよし)にたのまれ、軍の食料を出羽(でわ)能代(のしろ)港(秋田県)から越後(えちご)(新潟県)出雲崎(いずもざき)に輸送した。明治17年5月10日死亡。65歳。讃岐の三本松(さんぼんまつ)出身。

 

 この「澤殿」とは、幕末の公家の九条道孝のこと。権大納言や左大臣を歴任し、明治元年に奥羽鎮撫総督に就任した。戊辰戦争の際、新政府軍の物資輸送に尽力し、能代伝吉は九条道孝より、この旗・印鑑・金100両を賜った。これにより、伝吉の船は新政府軍の御用船となった。

 

 ついでに、隣にあった、久米通賢関連の「棒火矢」とか時計の部品とかも見学した。

 

 ということで、今日も京都行きの準備をなにもせずに暮れてしまった。今夜からでもすこしずつやってゆきたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生のお寺にあったもの。「転んで大地あるを知る」というもの。転んでみて、痛さとともに、初めて自分が大地の上にいたことを発見するように、失敗や挫折を体験してみて、今まで気もつかなかった大切なものに気づくということがあるもの。人は、目指すもの、珍しいものに気を取られて、自分を支えている大きなものに、なかなか目を向けようとはしないもの。転んでも、また立ち上がる時、その支えとなる大地がここにあったのだと、見つけられれば大収穫だろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨の日は 控え目にして 杯を置く

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は21度から28度、湿度は95%から72%。風は1mから5mの南南東の風が吹いていた。明日の7日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 今日は「市内一斉清掃日」ということで、自治会ごとに、集会場や神社や公会堂なんぞを総出で掃除をする日。七月の第一日曜日と決まっている。どこの集落でも、午前6時から7時までの作業と決まっているらしい。

 

 私らの自治会は、この集会場の周辺の草刈りや清掃などをやることになっている。でも、過疎化と高齢化の波で、今年は10戸10人の参加になった。でも、ベテランがいるもので、こうした雑草だらけの集会場もみるみるうちにさっぱりとする。

 

 草を刈り払うもの、草を集めるもの。要領のいい連中ばかりだ。実に手際がいい。

 

 ものの30分できれいさっぱりとなる。後片付けをしたり、雑談をしたりで、午前7時には解散。

 

 我が家のグリーンカーテンのゴーヤーも大きくなって、こんな風になった。

 

 まだまだ、小さいが、ゴーヤーの実も形になってきた。収穫はあてにしていないのだけれど、この緑のカーテンは涼しそう・・・。

 

 シャワーを浴びて、昼食と言うとき、ごほうびの缶ビールを飲んでから、急に頭痛がしはじめた。朝方、窓を開けて、網戸状態だったので、どうやら風邪をひいてしまったらしい。急遽、頭を冷やして薬を飲んで寝たら、頭痛も微熱もおさまった。

 

 お昼からは雨になった。一時的には激しい雨が降ったこともあったが、被害が出るほどでもなかった。

 

 15時からは、「女体山(にょうたいさん)」の例祭だった。私はここに来て間がないから、詳しい事情はわからないが、「雨乞い」の山らしい。昔は老若男女がお菓子やお酒をかついでみんなで山に登ってお祝いをしたらしいが、今年、山に登ったのは代表の三名だけ。

 

 あとの人たちは15時から集会場での「直来:なおらい」。つまり宴席である。神さんと一緒にお食事をすると言う意味だが、誰も神さんのことなど気にはかけていない。もう、「神さん」という観念の薄らいだ人たちばかりになった。

 

 だから、会話は、サルやイノシシの防除対策とか、小中学校の統合問題だとか、給食を払う・払わないの話とか・・・。昔はみんなが農家だったから、共通の話題があったけれど、近年は、それぞれが思い思いの職業に就いているから、話題の共通性が低い。

 

 それはそれとして、その直来の時にいただいたビールの影響なのか、日本酒の影響なのか、またしても頭痛がしてきたので、今日は早めにお休みする。明日の朝から京都に向かうのだが、大丈夫だろうか・・・。

 

 ま、京都や神戸では、おとなしくしてアルコールは控えるか、やめておかねばなるまい。特に後半の研修では「飲酒禁止」ということもあるし。それで、体調をなおして戻って、楽しい夏休みにしたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「どれだけ生きたかよりも どう生きたかを 自らに問え」というもの。これも誰の言葉かは不詳。よく、「長生きをしなければ・・」とか、「長生きをしてよ」とかと言われるのだけれど、永く生きたかという時間の長さよりも、どのような生き方をしたのかを・・自らに問いながら生きろ・・・という厳しいお言葉だ。時間の長さもさることながら、その人生の深さ、内容を問うているのである。90歳、100歳と生きることもいいことなのかも知れないが、60歳、70歳で、輝きながら辞世を全うしたいものだと考えている今日である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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