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梅雨明けは まだまだ遠いと 京の空

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 京都府地方は梅雨前線や南からの暖かく湿った空気の影響で、雨が降っていたが、雲空の一日になった。気温は22度から27度、湿度は96%から88%と高かったが、体感的には涼しい一日になった。ただ、身体を動かすと、どっと汗が噴き出してきた。風は1mから5mの南南西の風が涼しかった。明日の京都府は、日本海に停滞する梅雨前線や南からの暖かく湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 朝の所用をすませて、9時前に奥方に送ってもらって、高速の「大内(おおち)BS」に着いた。朝から激しい雨が降ったり、雷鳴が轟いていたりで高速バスは動くのだろうかと心配したが、雨は小降りになって落ち着いてきた。

 

 午前10時には鳴門海峡を通過し、11時過ぎには明石海峡を通過する。

 

 この頃には雨も小降りになってきた。

 

 JR京都駅烏丸口には12時20分に到着。駅前で簡単な昼食を食べて・・・・。

 

 東本願寺さんへ参詣。阿弥陀堂と御影堂門を修築中。御影堂におまいりさせていただいた。中は「撮影禁止」になっている。

 

 だから・・・手前の方から静かに・・・撮影。おまいりは真ん中まで進んで、親鸞聖人さまにお念仏申し上げてきた。

 

 しかしのかかし、このお賽銭箱は時代を感じさせる品物だなぁと思う。お買い物センターにも寄ったけれど、紋所が違うし、お経が違うもので・・・ながめて通っておしまい。

 

 そこから、てくてく、のろのろ・・と歩いて・・・下京区花屋町にある法衣屋さんに寄って、夏物のお襦袢を買った。そこで、高松自動車道でバスとトラックの事故があったと聞いて驚いた。私の乗ってきたバスの運転手さんも、しきりに欠伸ばかりを繰り返し、時計をはずしたり腕に通したりと落ち着かないので心配したことだった。

 

 で、次にやってきたのは本願寺さん。この頃になると、長い傘が邪魔になってくる。あたりを見回しても、誰も傘など持っていない。この梅雨空なのに・・・。

 

 すると、突然、ブックセンターから続々と割烹着姿の「念仏奉仕団」の一行が続々と続々と・・・・。手には真新しいタオルを握っているから、畳のから拭きでもするのだろうか。私も明日の朝は御影堂の畳掃除だな。

 

 国宝の「唐門」も曇っていては精彩ががない。若いアメリカ人夫婦も残念そうに見上げているばかりだった。

 

  そして、目的地の「興正寺」さん。挨拶をしておいてから宿舎に入る。今夜こそは休肝日にして、今夜は絶食だな・・・と決めていたのだけれど、夕方になってくるとおなかがぐるぐると騒ぎ出してきた。コンビニでものぞいてくるとしようか。

 

 今日の掲示板はこれ。「雑用などない。用を雑にするから雑用が生まれる」というもの。ノートルダム清心学園で理事長を務める渡辺和子さんが、ここまでの人生のなかで綴られた言葉は、多くの人びとの “心の支え”となってきた。85歳の今も女子学生たちと親しく会話し、慕われている渡辺さん。今なお輝きを失わない珠玉の言葉、多忙な毎日を送る私たちがつい忘れがちな“大切なこと”を、まとめた本の中にあったことばだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨さなか 今日の一歩が 重すぎる

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 京都地方は梅雨前線や南からの暖かく湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っているところがあったり晴れたりもした。気温は24度から32度、湿度は98%から61%。風は2mから4mの南南西の風だった。明日の京都市は、暖かく湿った空気が流れ込むため、雲が広がりやすく、夕方からは南部を中心に雨の降るところがある見込みらしい。

 

 おなかが張るようなので、昨夜はアルコールなしで寝たら、これがなかなかに寝つけない。ようやくに眠ったと思えば部屋の仲間が戻ってきて、賑やかに話すので午前1時過ぎまで寝たり起きたり・・・。眼が開いたら5時だった。5時半開門の本願寺さんの「おあさじ」に行った。

 

 こういうタスキをかけた「念仏奉仕団」のご婦人たちが続々と続々と・・・。このタスキの色でお寺さんが違うらしい。そら、迷子捜しみたいなもんだ。

 

 6時前になると「おあさじ」がはじまる。阿弥陀堂では「讃仏偈」のお勤め。それが終わると御影堂で「お正信偈」のお勤め。私もそうそうはゆっくりとはしていられない。だが、おなかの調子がよくないので、朝食はパス。野菜ジュースだけを流し込んだ。

 

 さて、今日は奈良県御所市(ごせし)へのバス・ツワーに参加することになっている。大型バスに30人ほどだからゆったりとしたもの。さすがに、寝不足なのかうたたねばかりをやっていた。

 

 途中、橿原市にある「ダイヤロイヤルホテルズ」というホテルで昼食。

 

 中華風なランチ。おなかがすいていたもので、勢いよく食べたら、今度はおなかがぱんぱんになってしまった。こんな昼食なんぞ食べたことがないからなぁ。とにかく、お米のご飯は苦手だが、こういう旅には決まりがあって、「一粒一滴みなご恩 不足言ってはもったいない 感謝でおいしくいただきましょう」という挨拶をしなければならない。だから、残してもいけないのだ。

 

 食後は、ホテル内で行われていた新車発表会なんぞをのぞいていた。最近の車はすごいなぁ・・・・。この車はみんなの注目の的だった。

 

 今日の目的地がここ。御所市柏原にある「水平社博物館」。私の博物館巡りも、とうとう奈良県まで来てしまった。最近は女性蔑視のヤジが話題になっているが、いつになってもそういうものがなくならない。こうした、水平社運動の先人たちの爪の垢でも飲ませたいものだ。

 

 ここには「水平社」の歴史や、全国の水平社の記録などが展示されている「人権運動のふるさと」である。定規というものは人が作るから、どんなに作っても「差」が出てしまう。でも、どんな人が作っても「水平」は「水平」で「差」がないのだそうだ。

 

 このお寺は、その「水平社宣言」を起草した「西光万吉」の生家である「西光寺」さん。ここにもおまいりさせていただいた。

 

 みんなでそろって「讃仏偈」のお勤め。江戸時代からのお寺だそうで、外観は新しいが、中は古くて重厚なしつらえになっていた。

 

 これが、その「西光万吉」のお墓。有名な「水平社宣言」の末尾にある文字が刻まれている。「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ。」

 

 今日の掲示板はこれ。「丁寧に生きればきっとどこかにつながる。心を込めた仕事をすればきっと結果が出る」という、エッセイストの佐々木志保美さんの言葉から。今日の水平社を作り上げた、柏原の若者たちのように熱意をんもって丁寧に生きれば、きっとどこかにつながってくるし、心を込めた仕事をすれば、きっと結果が出てくるのだと確信したことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨半ば 今日は旅装を 解いてみる

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 神戸市地方は梅雨前線や南からの暖かく湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となっているところがあるらしい。今夜の兵庫県は、梅雨前線や台風からの暖かく湿った空気の影響で雲が広がりやすく、雨や雷雨となるところがあるとのこと。気温は26度から28度。湿度は94%から72%。風は1mから2mの南風が少し。明日の兵庫県は、台風の接近により暖かく湿った空気が流れ込むため雨が降りやすく、南部では雷を伴い激しく降るところがある見込み。

 

 さて、今日は宿舎の片付けをして帰宅準備。と云うてもさっさと帰れる訳ではない。朝の6時半からは御堂(みどう)の清掃活動。阿弥陀堂と御影堂の畳のから拭き作業。

 

 それが済んで一休みしたら、今度は7時から朝食。二日間、アルコールを控えたせいか、どうにか胃の痛みもおなかの膨満感もなくなった。

 

 ということで、朝食はこんなもの。20年前だと、ご飯は三杯ほど食べたし、味噌汁もおかわりしたけれど、今はそんな元気はない。これだけで十分な量になった。

 

 で、うちのお寺の「晨朝:じんじょう(おあさじ)」。こちらは御影堂でお正信偈のおつとめ。

 

 参拝者は私らだけの20名ほど。身近で親しみのある「ご晨朝」である。

 

 今日の講義はこの方。大谷大学の水島見一教授の「大谷派における同朋会運動の淵源を尋ねる」という講義だった。僧伽としての浩々洞のお話・・。暁烏敏 多田鼎、佐々木月樵などのお話から、曽我量深、金子大栄、安田理深・・・・などという大谷派の求道に生きんとする人たちのお話であった。

 

 だから、大谷大学の学生さんらしき若者数名も聴講にやってきていたのが、新鮮で初々しかった。

 

 ともかくも、今週前半の予定はここでおしまい。台風が接近しているというので、本山興正寺を後にすることにした。時間は14時過ぎ・・・。今日の昼食はない。

 

 で、京都駅前の地下街で水分補給。これが今日の昼食になった。

 

 JR京都駅から京都線の新快速に乗ってJR神戸駅までやってきて、そこから快速電車でJR須磨駅まで。ここからは、タクシーに乗って、けいこばぁの実家の塩屋台の家までやってきた。16時前だった。

 

 今夜は、けいこばぁのお父さん・お母さんの写真の下で、誰にも邪魔されずに大いびきで眠るぞ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「いがみ合うと おがみ合う 一字違いの大違い」と云うもの。いつもの「赤松先生」のお寺にあった掲示板。「いがみ合うとおがみ合う 一字違いの大違い」というもの。確かに・・・いがみ合うと拝み合うでは大きな違い。いがみ合うのは簡単だけれど、拝み合うのは難しいね・・・。心して、拝み合うことができればいいのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

タチアオイ 今年の梅雨は どうなった

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 神戸市地方は、九州にある台風第8号の影響で、大気の状態が非常に不安定となっているため、雲が広がり雨となっている。気温は25度から28度、湿度は96%から88%。風は1mから2mの南南西の風が少し。明日の近畿地方は、台風第8号や気圧の谷の影響で、明け方頃まで雨となり、雷を伴って激しく降るところがあるらしい。

 

 台風8号だ、大型台風だ、大きな台風だと云うわりにはおとなしそうな空気が漂っていて、それらしい気配は感じられない。

 

 で、奥方の実家の仏間が私の部屋として準備されていて、この手前に布団を敷いて寝たのだけれど、台風が来るというのと、治安対策に全室雨戸を閉め切っているもので蒸し暑い。エアコンを入れると、なんだか空気の流れが気もち悪い。止めれば暑い。動かせば寒い。そんなこんなで寝付かれなかったが、連日の寝不足で、朝の7時まで爆睡をしていたようだ。

  

 台風接近中だというのに、この部屋のテレビが映らない。原因を調べてみると、アンテナに接続するケーブルのコネクタ内で、芯線が折れ曲がっている。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。いろいろとやってみたが、まっすぐには伸びてくれない。

 

 そこで、壊れたコネクターを切り離して・・・。

 

 で、芯線の銅線をテレビのアンテナ端子に差し込んで、シールド網線を束にして、コネクター端子に巻き付けて、テープで固定すれば、当座はこれでテレビは映る。明日にでも天気が回復すれば、正規のコネクターを探してこようと思って居る。

 

 ちょうど、正午のニュースに間に合った。今日のお仕事はこれくらいなもの。あとは、食べて休んで、台風情報をワッチして・・・。

 

 詳しいことはわからんが、それでも四国や神戸あたりでは直撃されずに済んだ様子。雨も風もあんまり影響ないのかなぁと・・・。

 

 ここのおうち(けいこばぁのお兄さん夫婦の家)の玄関にはこんなものが・・・。ゴーヤーかなぁと思ってみれば、なんとキュウリなんだ。それも20センチほどのキュウリが数本、ぶら下がっている。なんとまぁ、田舎風の玄関飾りだとこと。

 

 台風だからと、部屋の中ばかりではつまらない・・・ということで散歩に出てみたが、このあたりは住宅地で、自動販売機すらない。ちょうど、須磨浦公園の北側の裏手にあたる場所らしい・・・。

 

 今日は、神戸市内の三宮や元町あたりの散策やら博物館探訪を考えていたのだが、台風接近中と云うことで、今日は全面待機にになったが、明日には天気も回復しそうなので、明日は舞子や明石方面へ出かけてみようかと考えている。暑くならなければいいのだけれど。

 

 で、小さなスーパーを見つけて、缶ビールやら清酒や焼酎あたりを見繕ってきた。今夜の一人反省会用(微笑)。ここの兄貴夫婦は「アルコール禁止」なのだ。

 

 ということで、今日は「台風休日」ということで、のんびりモード。台風が呉れた休日になった。あれ、夕方になると、雨戸の隙間から太陽の光が差し込んできたぞ。

 

  今日の掲示板はこれ。「今から一年もたてば、私の現在の悩みなど、およそ下らないものに見えるだろう。」というもの。サミュエル・ジョンソン (イギリスの詩人・批評家)のことばらしい。呑気そうな今日のブログなんだけれど、そうは云いつつ、机の上には「浄土真宗聖典(注釈版)」だの原稿用紙だの参考書などが山積みになっている。来週の研修用の課題がまだでき上がっていないのだ。今夜と明日とで、目途をつけねばと追い込み状態になっている。そういう意味で、ついつい選んだ言葉になっている。来週の研修が終われば、もう、こんな悩みなど味わうことはまずないのだろうなぁ・・ということで。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

思い出を たよりに歩く 梅雨の街

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 神戸市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っているところもあった模様。気温は25度から32度。湿度は90%から67%。風は3mから4mの西南西の風が涼しかった。明日の神戸市は高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みで、高温が予想されるとのこと。

  

 今日は台風一過とまではいかないが、概ね、良い天気になったもので、久びさに神戸の街に出てみた。何十年ぶりかの三宮の街には多少戸惑い気味。で、馴染みのある場所を歩いてみた。生田神社の狛犬さんも久しぶり。この本殿の裏にあったこれは「鎮墓獣」だろうか。

 

 備前焼の宮獅子にもよく似ているのだけれど。耳がピンと立っているのが印象深い。それにユニコーンがとがって高いのも特徴。

 

 久々に、東急ハンズにも寄ってみたのだが、おとなしくなっていてつまらない。しばらく、そのあたりを歩いてみたが馴染みのないお店が増えて興味が薄れてしまった。あそこもここも・・と考えていたが、高架下を歩いて元町駅まで出て、そこから明石に向かった。青春時代の甘い思い出はどこにもなかった。神戸は18歳から22歳までを過ごした街。

 

 本当は義姉さんに三宮やら元町やらを案内してもらう筈だったのだが、用事ができたというので、私一人で出かけたら、何がなにやら、どこがどこやらさっぱりとわからない。で、やってきたのはJR明石駅。

 

 JR明石駅の構内の「たまご焼き=お好み焼き」のお店で「うどん焼き」に生ビールの昼食になった。だから、お客さんは、たこやきのようなお好み焼きを注文するばかり。私のような客は少ないらしい。

 

 で、若い頃にお邪魔した、明石市立博物館に寄ってトイレ休憩。ついでに常設展示室も見せていただいた。ここでも「65歳以上の証明書」を見せると半額になった。ま、200円が100円になるのだけれど。

 

 これは「アカシゾウ」で、ステゴドンという絶滅種に属するもので、日本にしかいなかったものらしい。アケボノゾウが正式名称なのだとか。この常設展示室では、明石の歴史などが時系列で展示されている。

 

 FBFのお寺を訪ねてみた。十数年ぶりだったが、なんとなく、ここにたどりついた。ニフティーサーブとかFBUDとか・・・数十年ぶりになるのかも・・・。

 

 どうやら新築工事をやっているらしい。それにしてもずいぶんと大きな工事をやっているみたい。昔は小さなお寺であったような気がしていたのだけれど。手前の観音さんはそのまんまだった。

 

これが明石市の汚水マンホール。「東経135度の子午線が通る街、明石天文科学館」がモチーフになっている。

 

 明石を歩いたあとは、JR舞子駅まで移動して、舞子公園に向かった。明石大橋ができてからは、このあたりもすっかりと変わってしまっていた。舞子公園にできている「橋の博物館」で明石大橋の勉強をしたあと、この「橋のプロムナード」を歩いてみた。この一帯では、「65歳」の証明書を見せればお安くしてくれる。

 

 その後は「孫文記念館」と、「旧武藤山治邸」を見学する。

 

 どちらも明治・大正時代の豪華な建築方式によっていて、家具や調度品も立派だった。

 

 再び、JR舞子駅に戻って、そこからJR垂水駅に移動して、タオルやら衣料品の調達。とにかく汗だらけになってしまったので下着などの増量が必要になって・・・。その前に、駅の中にあった中華料理店で「ビールセット」720円で水分補給をしながら休憩。云うと云わないと、今日はずいぶんと歩いて、すっかりと汗を流したような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「志を高く 目標を立てて人生にとりくんでいれば 日々の仕事にも遊びにも意味が出てくる」という、いつもの荒了寛さんのことばから。自分の心掛け次第なんだろうけれど、何からでも、どこからでも、そこから何らか気づくことができれば自分の行動に無駄なんてないのだと思う。とにかく、何からでもアンテナを高く張って、少しでも多くの情報を集めておけ・・と、先輩の布教使さんは教えてくれた。志を高くして、それを胸にため込んで、仕事にも遊びも一生懸命頑張るぞ〜と、今日は思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

夏の日は 海と船とに あこがれる

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 神戸市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は24度から32度、湿度は96%から49%。風は1mから4mの南西の風が少し。明日の近畿地方は、気圧の谷や南からの湿った空気の影響で、大気の状態が不安定となるため、昼頃からは南部を中心に雨や雷雨となる見込みらしい。

  

 今日も良い天気らしいので三宮まで出た。今日は土曜日のせいか、電車も空いていて人出も多くなくてゆったりとできた。JRの三宮からはタブレット端末のナビゲーションで、「神戸市立博物館」に向かった。そんなところに行くには初めてだったのだが、案内標識そのほかで迷うことなくたどり着いた。

 

 住所は神戸市中央区京町というから、少し海側に下がったところ。さすがに昨日の今日だから足のふくらはぎが痛いなぁと感じたが、歩くのに支障はなかった。

 

 で、今回の企画展は「ギヤマン展」。16世紀から17世紀ころのガラス製のグラスや洋皿などがたくさん展示されていた。当時の日本人からすれば魔法の食器に見えたに違いない。

 

 だから、立派で頑丈な木の箱に保管されている。少しでも破損しないようにとの配慮がしのばれた。

 

 こういう色つき、金色つきのギヤマンは驚きの目で見られたことだろう。

 

 その後は常設展「南蛮美術展」や神戸港開港資料展なんぞを見た。昔、教科書で見たような「南蛮屏風」や「フランシスコ・ザビエル」の絵図には足を止めてしまった。

 

 その後、そこからさらに海側に進んだ、メリケンパークまで歩いて行った。前から一度は尋ねてみたいと思っていた「神戸海洋博物館」という文字が案内板にあったからだ。

 

 タブレット端末を頼りにてくてくと歩いて行くと、ようやくに、この奇妙な建物が見えてきた。

 

 ここにはたくさんの船舶の模型が大きなものから小さなものまで並んでいる。ま、船舶の場合、実物は大きすぎて展示できないのだけれど。

 

 咸臨丸や観光丸の姿もあった。

 

 建物の半分は「カワサキワールド」というコーナーになっている。ここには「川崎重工業」が作り上げた新幹線から潜水艦・ヘリコプター・自衛隊のジェット戦闘機などの模型も展示されている。

 

 これがヘリコプターの実物らしい。川崎バートルKV-107?型ヘリコプター。で、若者や子供に任期があるのが、なんと云ってもオートバイ。

 

 時間は12時少し前。しっかりと歩いたからおなかがすいたのと喉がからからになった。ところが、このあたりには食べる場所がない。そこでお隣にある「ポートタワー」に登ってみた。

 

 こういうところで贅沢を言うても仕方がないので、そこにあった「ビーフカレー」(800)と瓶のラガービール(600)をお願いした。

 

 その後は中華街を散策したり、元町商店街を散策して戻って来た。今日もしっかりと歩いて汗を流した一日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「運によって生き方が変わるのでjはない 生き方によって運が変わるのです」というもの。ご存じ、荒了寛さんのことばから。

 こころが変われば 態度が変わる
 態度が変われば 行動が変わる
 行動が変われば 習慣が変わる
 習慣が変われば 人格が変わる
 人格が変われば 運命が変わる
 運命が変われば 人生が変わる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨の日は 控え目にして 箸を置く

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 神戸市地方は梅雨前線の影響で雲が広がり、雨の降っているところがあった。気温は22度から27度、湿度は82%から96%。風は2mから4mの南南西の風だった。明日の神戸市地方は、梅雨前線が西日本に停滞するため雲が広がり、明け方にかけて雨の降るところがあるらしい。

 

 今日はいかにも梅雨らしいお天気になった。雨の音も久々だなぁと思ったのだが、すぐにやんでしまった。おかげで午後からは蒸し暑くなった。

 

 ここ、奥方の実家は浄土宗で、ずっと尼寺さんのお世話になっているとのこと。この尼さんも若い頃には剃髪姿だったのだが、しばらく見ないうちに髪を長くしてしまっている。庵主さんも介護施設にお世話になっているとか云うてはった。

 

 この人のお作法を見ていて、一つ、気づいたことがある。讃岐だけかも知れないのだけれど、「おりんを張る」という言葉がある。全国的に云うのかも知れないが、真宗では使わないと思うのだが、余宗が使うものだから「習慣上」使うのかも知れない・・・。

 

 この「おりん」の七時の位置を、「下から上」に「張り上げる」動作をする。そうすれば、音が下から上へ・・・「かぁぁぁ・・ん」とわき上がる音になる。これを「おりんを張り上げる」と云うのだそうだ。真宗ではそのような「きん」を打つ所作はみたことがない。

  

 今日は午前中は雨だったもので、今日はお出かけはなし。明日からの本山での研修のために、今日はしっかりとお勉強の予定であったのだが、なんとはなしにぐうたらな日になった。

 

 これが神戸市の雨水用マンホールのフタ。神戸港とポートタワー、風見鶏、市章山と錨山がデザインされている。それにカモメも。

 

 これは新しい神戸の汚水用マンホールのフタ。ポートアイランドと六甲山の市章山、錨山がデザインされている。

 

 こちらは神戸市の消火栓のハンドホールのフタ。これも神戸港と風見鶏と旧居留地あたりの風景をデザインしたものらしい。

 

 これは神戸市内で見かけた「唐獅子」で、中華料理店の店先においてあるタイプ。左右、同じタイプで狛犬のように「あうん」にはなっていない。原型は中国の「紫禁城」にある「天子諌言の唐獅子」である。決して「狛犬」と混同してはいけない。ルーツは同じだが、こちらは「正統派」である。

 

 梅雨時だからと、部屋に籠もってばかりもいられない。少しばかり散歩をしてきたが、このあたりは住宅地なので、しばらく歩かないとお店らしきものも見当たらない。

 

 で、おそば屋さんに入ってビールをお願いしたら、缶ビールしかないと云う。それじゃぁダメじゃん、春風亭昇太。缶ビールだけを頂くことにした。どうにもおそばは食べる勇気がない。

 

 公園の木下でこんなものを見つけたが、これは「事故死」なんだろうか・まだ、セミが啼くような時期ではないし、蝉の声も聞いたことがない。啼く前に、寒さか何かで絶命して落下したのかも知れない。

 

 こちらはちゃんと脱皮をして飛び立ったようだが、姿は見えなし、鳴き声も聞こえない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生における幸せは 成功ではなく成長にある」と云うもの。佐藤剛史著 「夢と希望の人生学」より を、みやざき中央新聞スタッフ、刀根淑子が描いた書である。「変わることがなければ成長することもない。 成長することがなければ真に生きていない」(ビル・ゲイツ)。成長と変化は同義語だ。変化したからといって成功するとは限らないが、変化せずして成功した人がいないのも事実だ。チャールズ・ダーウィンの言葉のように、『最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるでもない。 唯一生き残る のは、変化できる者である』 のごとく、だ。たとえどんな小さな努力であろうと、それを日々継続し、変化し続けることができるかどうか。人生の本質的なゴールは「成功」ではなく、自己の魂の「成長」。成功ではなく、成長を目指したいものである。

    じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

梅雨さなか お山に一人の 夜が来る

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 京都市地方は梅雨前線の影響で雲が広がり、雨の降っているところがあった。気温は25度から29度、湿度は96%から88%。風は1mから2mの南南西の風が少し。明日の京都市は、南からの湿った空気の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 今日はJR塩屋駅からJR三宮駅まで普通電車でやってきて、そこからJR京都駅までは新快速に乗ってお昼前に京都に着いた。そんなに早くに着かなくてもいいのに早くに着いてしまった。かと云って、寄り道する場所も理由もないし。

 

 もっと、京都て遠いところだと思って居たし、須磨から京都って、時間がかかるものだと思っていたのに、急がなくてもいいときには早くに着いてしまうものらしい。

 

 今日は単なる「移動日」。お昼から奥方の実家を出る予定だったのに、お義姉さんが、「出かける用事ができたから・・」ということで、9時半には追い出されてしまった。仕方なく、のんびりとやってきたつもりが11時半前。

 

 2時間も電車に乗っていたのでのどがからから・・・ということで、京都駅前の地下街に入って、とりあえず生ビール。そして、今日は「サラダ冷麺」というものを注文した。冷麺は815円とかと書いてあった。ま、汗まみれのからだにはおいしいと感じられた。

 

 その後は、いつものように「東本願寺」さんの散策。一週間ぶりだからそんなに変化はない。

 

 今日は少し踏み込んで御影堂を撮影したら、ガードマンさんらしき制服のおじさんに制止された。でも、すでにシャッターは下りた後だった。正面の黒いものが親鸞聖人のお木像。

   

  いつも持ち歩いている手提げ袋の中のお念珠が、携帯電話やお財布に引っかかって切れてしまったので、明日からの勤行用にと思って、お買い物広場でお念珠を買った。桐の箱に入っているみたいなので買ったのだけれど、中身はプラスチックのお念珠だった。しまったしまった、島倉千代子。

 

 京都の空は梅雨空で曇っていてかんかん照りではないし、そんなに蒸し暑くもなくて、やや涼しい・・・という空気なのに、少し歩くと汗が噴き出してくるし、肩から背中から汗まみれになっている。

 

  15時過ぎに本山「興正寺」に到着。休み休みしながらのお山入り。ところが、どこにも張り紙がない。私が止まる場所はどこ?

 

 いつもの部屋に入ってみると、いつものようにおふとんが準備されていて12人分。たぶん、ここだろうなぁとお布団を用意してカバーをかけて寝る支度・・・。でも、ここでいいんじゃろうか・・・。

 

 ここは、17時を過ぎると阿弥陀堂も御影堂も扉が閉じられてしまうし、三門も阿弥陀堂門も閉じられてしまって、宗務所も閉じられて職員も帰ってしまう。で、ここには私一人がぽつんと居る・・・。本当に、私はここにいてもいいんじゃろうか・・・。

 

 今夜の夕食はこれ。あんまり食欲もないし、まだ、課題の法話の原稿も仕上がっていないし・・・。なんか、今回は長期間のだらだら旅行みたいで盛り上がりに欠けている。明日になって、みんなが揃えば、それなりにモチベーションも上がるのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「一切は縁において生まれ、縁においてあり、縁において去っていく」という宮城?(みやぎ しずか)先生のことばから。宮城さんは昭和六(1931)生まれ。大谷大学卒業後には、大谷専修学院講師や教学研究所所長などを歴任しながら、真宗大谷派本福寺の住職でもあった。先生は、平成十七(2005)、東本願寺で開かれた「親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」の真宗本廟お待ち受け大会で「汝、起ちて更に衣服を整うべし」と題した記念講演をされた。その直後から三年の闘病生活に入られ、平成二十(2008)年、78歳で往生された。

 

 お釈迦さまの教えを要略した「因縁法頌(いんねんほうじゅ)」と呼ばれるものに、「諸のものは因縁によって生じ、因縁によって滅す」という言葉がある。私たちは、不思議な因縁によって生まれ、因縁の中で歳を重ね、どこか病みながら、臨終の一念を迎えるのである。この「生・老・病・死」こそが私のいのちの姿なのであるが、このことを自覚できているのだろうか・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ようやくに 友の集まる ハスの寺

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 京都市地方は梅雨前線の影響で晴れのち曇り。お昼過ぎから雲が広がってきた。気温は24度から33度、湿度は96%から68%。風は1mから3mの南西の風が少し。明日の京都市地方は、梅雨前線や上空の寒気の影響で雲が広がりやすく、北部を中心に昼頃から雨や雷雨となる見込みらしい。

  

 今朝は5時半の本願寺さんの梵鐘の音で眼が覚めた。気がつけば、相変わらず、私一人だけが寝ていた。そこから歩いてゆっくり本願寺さんに行ったが、おまいりの方はわずか・・・。珍しいこともあるもんだ・・・と眺めておった。まずは阿弥陀堂から。

 

 ここは、いつもは「讃仏偈」のお勤めだが、今日は珍しく「漢音小経」のお勤め。仏説阿弥陀経を漢音で読み上げるもの。みなさん、おあさじ用の経本をあちらにめくり、こちらにめくっても、これは載っていない。で、一様にぽかーーん。

 

 続いて御影堂(ごえいどう)でのおつとめは「正信偈」のはずが、今日は「礼讃:らいさん」。これまた、聞いたことのないお経なので、やや、パニック気味。どなたかの「祥月命日」のお勤めらしい。

 

 今日の京都はいい天気で、暑くなりそうな気配。コンビニでパンとコーヒーを買って朝食。そうこうする間に7時半。すぐに和装に着替えて8時からの「ご晨朝:じんじょう」、「おあさじ」である。

 

 ところが、相変わらず誰もおまいりには来ない。阿弥陀堂での「讃仏偈」のおつとめも、

 

 御影堂での「お正信偈」のお勤めにも誰も来ない。相変わらず、私一人だけ・・・。さすがに、これには焦った・・・。「まさか、私が日程を間違えているのではないのか」と・・・。

 

  でも、9時を過ぎると、一人、二人とやってくる人が増えてきて、9時半になると全員が揃った。おもわず、やれやれである。

 

 これがお昼の昼食タイム。食前の「閑話:感話」と食前の言葉の唱和。

 

 これがお昼のお弁当。お米のご飯は苦手なのだが、ここでは文句が言えない。「一粒一滴、みなご恩。不足言ってはもったいない。感謝でおいしくいただきましょう」なのである。

 

 午後からは「法話実習」。この日は終日、法話実習。

 

 夕食もお弁当・・・。さすがにおなかがぱんぱんになったような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷ったままでは生きていけませんが 迷っていることがわかると 道は見えてきます」というもの。誰の言葉かはわからないが、最近の徘徊とか認知症のお年寄りを連想してしまった。それと同じように、人生もまた、こういうことだなぁと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

P/s 私の携帯電話が壊れたので、奥方に連絡ができない。どなたか、奥方に無事なことを連絡しておいてくださいな。

明けぬ梅雨 明けないままに ハスの花

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 京都市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、暖かく湿った空気が流れ込んでいるため、雲が広がり雨の降っているところもあったらしい。気温は26度から34度、湿度は86%から52%。風は4mから6mの南南西の風。明日の京都市地方は、梅雨前線や上空の寒気の影響で雲が広がりやすく、午後は雨や雷雨となるところがあるらしい。

 

 研修の二日目の朝。6時半に起床。7時15分から御堂のお掃除。阿弥陀堂と御影堂の畳のから拭き。

 

 7時半にはお掃除もおしまい。今度は和装に着替えて、「ご晨朝:じんじょう」に出る。

 

 今日は研修生全員と担当者ほかが参加。8時からは阿弥陀堂で「讃仏偈」のおつとめ。

 

 8時15分からは御影堂で「正信偈」のおつとめと「仏説観無量寿経」のおつとめ。

 

 今日と明日はにぎやかなご晨朝になる。

 

 で、朝食は「お仏飯」のお相伴で和食の朝ごはんである。

 

 みんなで手分けして朝食を準備して、食後もみんなで片付ける。

 

 今日は「真宗教義」の中の「歎異抄」の講義。「熱血原田塾」の「原田先生」の講義が朝と午後の二回の講義があった。

 

 間に、「宗教概論」の講義で、西讃教区の「大塚芳明」先生の講義が60分、あった。

 

 今日もお昼はお弁当。食事の前の「閑話」と食前の言葉の唱和。

 

 これがお昼のお弁当。おいしいと云えばおいしいのだけれど、あんまり、ご飯はうれしくない。なぜか、おなかが張ってしまうのだ。

  

 午後からも「法話実習」がずんやりと・・・。お互いが批評しあって反省し、参考にする。

 

 これが研修室の様子。今回の研修生は11名。

 

 で、今日の夕食は恒例のビュッフェ形式のお食事にカレーライス。

 

 たまには温かい夕食を・・・ということらしい。

 

 さすがに若者はおかわりを繰り返している。

 

 今日の掲示板はこれ。「努力だけで道が開けるとは限らないが、努力なしでは道は開けないよ」といういつもの荒了寛さんの言葉から。確かに、今回の研修でも、いろいろと私なりに努力も大いにしたつもりで臨んだのだが、結果としてはおもしろくなかった。でも、努力をしてこなかったら、もっと悲惨な結果になっていたのかもしれないと思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

旅終えて 野菜ずくめに 虫の声

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 京都市地方は朝から晴れて暑い一日が始まった。気温は26度から34度、湿度は86%から94%。風は2mから4mの南南西の風。夕方からはぐんと蒸し暑くなってきた。

 

 6時起床。起きると早々に寝具を片付けて荷物をまとめる。時間的には短いのだが、早くも今日は三日目になる。

 

 7時10分から両御堂のお掃除。主に畳のから拭き。こちらは御影堂。

 

 掃除が終われば着替えて8時からの「ご晨朝:じんじょう」こちらは阿弥陀堂。阿弥陀堂での「讃仏偈」が終われば御影堂での「お正信偈」と「観無量寿経」、「ご勧章拝読」。

 amida

 9時からが朝食。ここでは食事前に必ず順番で「かんわ」がある。不思議なことに、誰も、この「かんわ」をどう字を書くのか知らない。それなのに「今から”かんわ”を行います」などと云う。どんな字なのかわからないのに、あたりまえのように「かんわ」を行っている。

 

 本願寺さんやお東さんの布教使さんなどは「感話」という字を使っているが、ここでは「感話」という字は使わない。そもそも「感話」などという日本語はない。それでは簡単な話の「簡話」かというとそうでもない。そう、「閑話休題」の「閑話」なのである。とりとめのない話とか無駄話とかの意味があるらしい。

 

 九州南部は梅雨明けしたいらしいが、京都あたりの梅雨明けはまだまだのような気がする。

 

 今日の講義は「本山史」。大原先生の集められたデーターベースを元に、江戸時代と明治以降の真宗寺院の数的変動とか檀家数の変異についての解析と考察。浄土真宗の多い地区、ほとんどない地区の理由や政策の理由など・・・。

 

 特に明治以降の北海道や鹿児島・香川での浄土真宗寺院の数が一気に増えているのが興味深い。それに対向するように、関東地方は日蓮上人の開教折伏の成果で真宗寺院は空白地帯に近い。 

 

 15時過ぎに閉会式が終われば解散。荷物をまとめてようやくに長いロードが終わる。

      

  京都駅前のお店で休憩。久々の生ビールをお茶代わりに立て続けに三杯を一気のみ。高速バスの発車時間は16時50分。約1時間の休憩タイム。                                                                                                                                                                                                                                                                                

 

 定刻の16時50分発の高松エクスプレス京都号は京都駅烏丸口を出発して、高速大内には19時50分に到着。奥方のお迎えで20時過ぎにはわが家に帰宅。11日間:248時間の長期ロードは終わりを告げた。

   

 わが家の食卓は野菜ずくめ。奥方と二人で350mlの缶ビール12本がすっかりと空き缶になっていた。外では早くも「くつわむし」が鳴き出している。 

  

 今日の掲示板はこれ。「何が起こるかわからないのが世の中 何をしでかすかわからないのが自分」というもの。 妙好人の源左さんの、こんな話を聞いたことがある。ある人が、「村の者がお爺さんを妙好人伝に載せるというがのう」と言うと、源左さんは、「いやいや待ってつかんせい、死ぬるまでは何をするか分からんでのう」と応えた。 「何が起こるか分からないのが世の中。何をしでかすか分からないのが自分」。「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いもすべし」(『歎異抄』) 何かが起こったときに、どうするかは、実は、そのときまで分からないもの。そのときに頂いている、気づきの深まり具合に応じて、自ずとすることが決まるもの。人生にシミュレーションなどない。人生は、つねに本番である。

    

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

ひまわりに 明日の予定を 聞いてみる

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で、瀬戸内側を中心に雲が広がっていた。気温は24度から30度、湿度は93%から69%。風は1mから3mの南南西の風が少し。明日の19日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 この左端の方の略袈裟と取り違えが起こっていて、その交換のために「まんのう町」まで行ってきた。

 

 昨日は、バタバタと帰り支度をしていて、うっかりと略袈裟を取り違えていたみたい。席も前後だったし、寝る場所もお隣だったし・・・。色も形も紋所も、全く同じ物であったからだし。

 

 で、すぐ近くにあったこの「梅木」といううどん屋さんに入ってみた。一応はセルフ形式で中高年のご夫婦でやっているお店。

 

 今日も暑いことだし・・・ということで、「冷やかけうどんの小」をお願いした。200円だった。消費税が上がっても、このかけうどんは変わらないみたい。

 

 けっこう、地元の方が頼りにしているようなお店だった。気楽に、我が家のような感覚で休んだり食事をしたりしている観じ。

 

 ついでに、「まんのう町帆の山地区」に行ってみた。ここのひまわり畑は満開状態。今月いっぱいまでは楽しめるらしい。

 

 今日は平日なのだが、いるわ、いるわ・・。大きなカメラをかついだ中高年の方々などがわんさかと・・・。私もその中の一人なのかも知れないけれど。ここの種類は「ホクレン」というもの。

 

 ここのひまわりは、種を収穫して「ひまわりオイル」を作るのだそうだ。栽培面積は町内全域で500〜600アール程になっている。帆山団地では帆山地区内の9割近くの面積が団地化され、毎年500〜550アールに作付けされ、約25万本が開花する予定。人を引き付け、元気を与えてくれる花「ひまわり」の魅力を町内外の人々に見ていただきたいと、関係者は話しているそうだ。

 

 ついでに、ここにも寄ってきた。仲多度郡まんのう町にある「満濃池」は、かんがい用ため池として名実ともに日本一である。満濃池の歴史は、大宝年間(701年〜704年)にはじまり、讃岐の国守道守朝臣(みちもりあそん)が築いたといわれている。しかし、弘仁9年(818年)に決壊、朝廷の築池使真人浜継(まびとはまつぐ)が復旧に着手したが、改修がならず、空海が築池別当(つきいけべっとう)として派遣され、わずか3ヶ月足らずで周囲2里25町(約8.25km)面積81町歩(約81ha)の大池を完成させた。

 

 その後、450年近くを経て、鎌倉・戦国の混乱期もあって、放置されたままとなっていた満濃池の修復を、生駒讃岐守が家臣西嶋八兵衛に命じた。寛永8年(1631年)に修復事業は完成し、再び33郡44ケ村の田を潤すことになった。その後も、安政元年(1854年)の大地震で再び破堤し、高松藩執政(しっせい)松崎渋右衛門(まつざきしぶうえもん)の支援のもと、榎井村の長谷川佐太郎(はせがわさたろう)らの尽力によって明治3年(1870年)に復旧、その後数回のかさ上げ工事を経て、昭和34年(1959年)、現在の満濃池となった。

 

 次にやってきたのが仲多度郡まんのう町追上にある「二宮忠八飛行館」。明治20(1887)年、忠八は21歳で徴兵され、丸亀歩兵第12連隊に入隊した。その2年後、野外演習の帰り道のこと、仲多度郡十郷村(現在のまんのう町)もみの木峠で昼食をとっている時、ふと霧の中から残飯を求めて滑空してくるカラスに注目する。カラスは翼を広げ、羽ばたくことなくすべるように舞い降りてくる。飛び立つときには何度か大きく羽をあおって、すぐに谷底からの上昇気流に乗って舞い上がっていく。その様子を見ながら忠八は、向かってくる風を翼で受け止め、その空気抵抗を利用すれば、翼を羽ばたかなくても空を飛ぶことができるのではないか、と考えた。飛行原理の発見である。

 

 その日から忠八は空を飛ぶことの研究に没頭。休みのたびに研究を重ね、ついに1年後、「カラス型模型飛行器」を完成させた。飛行実験では、10メートル飛んだ。その後、自由に空を飛べる二枚翼の「玉虫型飛行器」の実用機の完成を目指し、何度も軍に上申して、日夜研究を重ねたが、あと一歩のところでライト兄弟が有人飛行機を飛ばし先を越されてしまったのであった。

 

 晩年は、自らの考えていた飛行機が現実に世界の空を飛び交うようになったとき、その事故による犠牲者の多さを嘆き、自宅に「飛行神社」を建立し、航空界の安全と航空殉難者の慰霊に一生をそそいだ。 忠八の功績は、有人飛行機を飛ばすには至らなかったが、ライト兄弟が成功する14年も前に飛行原理に着想していたこと。また、忠八が研究に費やした時代背景は、まだ日本に電気はなく、動力もままならない時代でもあったにもかかわらず、夢の実現に向けて研究に没頭した人生は、近年「日本の航空機の父」または「飛行機の真の発明者」と称されるようになった。(同館HPから)。

 

 その「玉虫型飛行器」をモチーフにした、旧仲南町のマンホール。特産品のタケノコと梅があしらわれている。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」と言うもの。真宗大谷派の「祖父江文宏」先生のことばである。この言葉を残された祖父江文宏さんは、長年、児童養護施設「暁学園」の園長を勤められた方だという。祖父江さんは子供を尊重し、「子供」と言わず、「小さい人」と呼んでおられたそうで、体を張って虐待をうける子供を保護してこられた、その姿勢は子供たちに伝わり、子供たちから親しみをこめて「園長すけ」と呼ばれていたとも聞いている。この掲示板の言葉は、その祖父江さんの姿勢をつらぬく芯のようなものではないかと思っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ひまわりは 東ばかりを 向いている

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がってはいたが、案外と晴れていた。気温は24度から31度、湿度は98%から68%。風は1mから2mの北北東の風が少し。明日の20日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、午後からは晴れる見込み。

 

 さて、かねてからご案内をいただいていたプラモデル展示会をのぞいてきた。場所は高松市牟礼町牟礼の山間にある「高松市石の民俗資料館」の企画展示室。

 

 ここは駐車場がこの芝生のさらに下にあって、階段をえっちら・おっちらと登って来る。で、さらにここから進んで、向こうに見える石段を上って行く。前期高齢者のおじいさんには石段はきつい。

 

 プラモデル・・と言うても、これはプロの作品だなぁと思った。?松ニッパーズ代表の「ダッズ松本」さんは、幼少よりウルトラマン、ヤマト、ガンダムと順当にそっちの道を歩み、何度か人の道を踏み外しそうになるも、手先の器用さが幸いし、かろうじて一線を越えず現在に至る。雑誌や実演では香川県民であることをネタにしている。グラフィックデザイナーを経て模型誌のライターをやっている。

 

 模型造りに対するポリシーとして、「模型は格好のコミュニケーションツール」を信条としており、わかりやすく、閾値(いきち= 生体に興奮を引き起こさせるのに必要な最小の刺激の強さの値。刺激閾。)の低い2WAY指向の作品を得意とする。そのためモデラー的日常ごくありふれた生活描写や風景などのジオラマが多く、それらの作品は模型誌のみならずトークイベントや模型実演で発表されることも少なくない。無類のクルマ好きであり、カーモデルではしばしばプラ材やケミカルウッドを用いたスクラッチ工作や光沢塗装への強いこだわりが見受けられる。

 

 だから、今回の展示会でも「空母赤城」や空自や戦前の戦闘機、戦車など車の模型が目に付いた。

 

 細かなディテールや細やかな塗装は「さすが」と思わせてくれる。

 

 なかなか、細かな部分の塗装は難しいもの。

 

 こんなものも展示されていた。月面着陸の時のものか。

 

 ちなみに、私の作品はこんなもの。いわゆる「ガンプラ:ガンダム・プラ模」と呼ばれるもの。たくさんあったのだが、台風で家が流された時、不要品として処分されてしまった。これは、ここに引っ越してきてからの作品。

 

 これは初代ガンダム。塗装がいかにもまずい・・・。リアリティがない。

 

 ここ、石の民俗資料館では常設展示で石材の切り出しの様子なども展示してある。これは石を割る作業で、矢穴にタガネを打ち込んでいるところ。

 

 こちらは切り出した石材をろくろを使って運び出しているところ。オープン当時は本物らしく動いていたが、壊れたのか節約なのか動くことはなかった。

 

 石切の道具や、その道具を作る鍛冶屋のような作業用道具なんぞも展示されている。

 

 さすがに「石の民俗資料館」だけあるなぁと感心するばかり。ついでながら、私どもの島、「しわく広島」の青木集落にも、これと似た「石の里資料館」があって、こうした石材採掘用の工具や道具類が展示されている。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は手を出さないで 人のやったことに口を出すな」という、荒了寛さんの言葉から。嫌と言うほどこの言葉の例を見て来た。自分は逃げてばかりで仕事にも企画にも参加せずにいて、私の成果に対してあれこれと口出しをする上司や同僚がいた。私が成果をあげるとやっかみになったし、そんなものはおれにもできるさとうそぶいた。実際、支店長に言われて、やると言って手を挙げたら部長から電話がかかってきた!「やる言うたんか!勝手にやるんやな!」と一方的に言われて電話を切られた。なんとか友人らの努力により何とかなりそうになると、とたんに手のひらを返したようになった。『手柄は自分の物!ミスは部下のせい!』 そう言う人間に限ってそういう事を言いだしたもの。同じような格言は一杯ある。自分はそんな事をしないでおこうと思っていた。できないままに定年退職になったけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨明けて 雲まで高く 見えるもの

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、大気の状態が不安定となるため雨や雷雨の所がある見込み。気温は22度から29度、湿度は96%から60%。風は2mから3mの南南西の風が少し。明日の21日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後は大気の状態が不安定となるため雨の降る所があるらしい。それはそうと、本日11時に、「中国・四国地方は梅雨明けした模様」という発表があった。昨年よりも18日遅いというのだが、今日も明日もすっきりしない天気なんだけれど。

 

 ということで、「暑中お見舞い申し上げます。」これからが夏本番。暑さに負けずにご自愛くださいますように。

 

 さて、私はさぬき市観光協会のボランティア・ガイド「おへんろつかさの会」に入って、お遍路文化の研究や継承活動をやっているのだけれど、「お遍路は誰が始めたのか」ということが基本的な問題になる。もちろん、弘法大師空海が始めた・・・というのは有り得ない。そこで浮上するのが、「四国辺路の父」とも言われる「真念」という僧侶。

 

 この石碑に刻まれている「真念」という人だ。四国八十八ヶ所を特定し、現在の「発願の寺」1番札所から結願所の88番札所までの巡礼の札所番号を定めたのは「大坂」の宥辨真念だといわれている。江戸時代にあっては、大坂から四国へ渡るには淡路島を経由し鳴門から四国入りするのが普通であったことから、撫養(むや=徳島県北東部、鳴門市の中心地区。旧板野郡撫養町。撫養川河口にあり、古くから畿内〈きない=奈良県の全域と、京都府の南部、大阪府の大部分、兵庫県の南東部〉と阿波〈あわ=徳島県)を結ぶ交通の要地であった)の港に最も近い霊山寺を第1番札所と定めたという。

 

 明治時代まで版を重ねる一大ベストセラーとなった本格的なガイドブック「四國邊路道指南(へんろみちしるべ)」の後の書きに発刊の願主として「仝所(どうしょ)寺嶋 宥辡真念房」と、また「四國偏礼功徳記」のそれに『大坂寺嶋頭陁(ずだ)真念 宥辡』と記されているところから、真念は大坂寺嶋(現・大阪市中央区空堀商店街付近)を本拠として活躍した頭陀聖(ずだひじり=日本の中世において、真言宗に属し、寺も師ももたず、高野山から諸地方に出向き、勧進と 呼ばれる募金のために勧化、唱導、納骨などを行った修行僧)であったと思われる。

 

 これが、その、真念のお墓とされるもの。現在は八栗山麓にある「州崎寺」の境内に、そのお墓があるというので行ってみた。現在の四国辺路を作り上げたという人のお墓である。この写真は元の位置、牟礼の塩屋の南三昧「さんまい:墓地」にあったもの。

 

 これが、その真念房のお墓である。近年、ここの場所に移転されている。その説明版によると。

 

 こういうことらしい。つまり、今年が「四国霊場開創1200年」と言われているのと少し趣が違うことになる。四国遍路のために多大な功績を残した高知出身の大坂(阪)で活動した真念が、「四国中興の祖」とか「四国遍路の父」といわれる由縁は、自ら20回以上も四国を訪れて弘法大師が修行したと伝わる霊場を巡って、「四國邊路道指南」や「四國偏礼功徳記(しこくへんろくどくき)」等の道中記や霊場記(ガイドブック)を刊行したうえに、遍路宿(屋)の建立や遍路道に標石を設置したためである。

 

 なお、お墓にはこのような字句が刻まれている。

 

 さらに真念は、各札所で取材し、四国遍路を同行した小沙弥(こしゃみ)洪卓(こうたく)が書いた札所の絵図と共に、高野山・宝光院の学僧であった寂本(じゃくほん)阿闍梨(あじゃり、あざり)に霊場記の編集を依頼して、1689(元禄2)年に「四國徧礼霊場記」(しこくへんろれいじょうき)を刊行している(これで江戸時代の遍路案内書は、ほぼ完成したといわれる)。

 

 つまり、それまでは修行僧や修験者などが四国の山中を歩いて修行していたものを、真念たちがガイドブックを作り、案内用の石碑や遍路宿を作り、お接待などの仕組みを作ったといういことらしい。こうして、一般民衆も四国遍路の旅に出掛けるようになったということだ。

 

 州崎寺は、源平の戦いの時、負傷した兵士たちを、「戸板:雨戸を外して」、その上に人を乗せて担架代わりにして収容したところだと言われている。

 

 一方、こちらは、土佐の長曽我部元親軍が讃岐へ侵攻した時、宿舎になったとされる「六萬寺」である。ここものちに火災にあって規模は小さくなったということである。

 

 

 今から約1280年前の天平2年(730年)聖武天皇が讃岐の国主高晴公に禄を増し、新たに領地六万戸を御下賜になった。高晴公は大変喜び、国家の豊穣を祈り大恩に報いるため牟礼の郷に寺院を建立し、これをお聴きになられた帝より『国豊寺』という寺号の勅額と新羅王から献上の阿弥陀仏を本尊にせよと賜ったのが寺の始まりであると伝えられている。その後40年ほど経って宝亀年中(770〜780年頃)に国内に流行した疫病を鎮めるため当寺にて一大祈祷会を修したところただちに治まりまった。これを喜んだ高晴公は六万戸の領民に一戸一躯の銅の仏像を奉納せしめたため六萬寺と呼ばれるようになった。その霊験あって以来、多くの信心を集め七堂伽藍を備え、今の琴電八栗駅から大町駅にもおよぶ壮麗な寺院となったという。

 

 今日の掲示板はこれ。「欠点は直さなくて良い。見方を変えれば個性になる。持ち味になる。味わいになるから。」と云うもの。私たちは自分の「欠点」を嫌い、そのままでは人に嫌われてしまう、と思って、何とかそれを直そうとしたり、隠そうとしたりしてしまうもの。しかし、そういう態度は私たちを完璧主義に仕立て、むしろ、人との間に壁を作ったり、遠ざけたりしてしまうようになってしまう。実は「欠点」そのものが問題ではなく、「欠点をどう扱っているのか?」がとっても大切なことで、つまり、隠すのではなく、オープンに、直すのではなく、受け入れることが大切なことなのである。オープンになれなるほど、その欠点は嫌われることなく、あなたのひとつの個性として受け入れられ、愛されるようになっていくものである。

 

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

あきらめも ほどほどが良い 蝉時雨

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 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、雲がかかっていることが多かったが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨の所がある見込みとか。気温は22度から31度、湿度は94%から69%。風は2mから」3mの北北東の風が少し。明日の22日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 今日の満濃池の水位はこんなもの。だいぶ、水位が下がってきたなぁと思う。

 

 今日のまんのう町帆の山地区の「ひまわり団地」は大混雑。なんでだろ・・と考えてみたが、今日は海の日で三連休の三日目になるのか。とにかく、大きなデジイチを抱えた人がどっさりとやって来ているし、若者達や家族連れらしい人もいっぱいいた。そうなんだ、今日は「海の日」なんだ・・・・。

 

  毎年、海の日からは一週間とか十日間とかは夏休みということで島の家に行くことにしていた。しかしのかかし、今年はなぜかスイッチが入らない。そこで、今日は海の日にちなんで、「海の科学館」に行ってみた。

 

 この「海の科学館」は、仲多度郡琴平町という町にあって、あの、「こんぴらさん」の裏参道沿いにある。今日は「海の日」だから、入場料は無料だろうと思って入ったら、小学生から高校生までは無料だが、おとなは450円の入場料がいると仰る。

 

 海の科学館というわりに、船の展示が多い。これは有名な帆船の「カティーサーク」これも作ったことがある。

 

 これは航海練習船の「日本丸」。多くの船員を育てた船だ。

 

 意外だったのがこれ・・・。幕府軍艦「咸臨丸」だというのだが、どうにもイメージが違う。セールを全て畳んでしまったら咸臨丸らしくなるのかな。こんな形のセール(帆)を見たことがない。

 

 これは実際に動く操舵席。夏休みで観光に来ている子供達のために譲ってあげた。わいわいと舵輪を回したりしてにぎやかだった。

 

 これは南極探検に使われた「開南丸」。明治45年に南極探検隊・白瀬中尉を乗せて行った船である。

 

 で、たくさんのおみやげをいただいた。DVDも三セットも無料で頂いたし、資料は厚さ三センチを超えていた。

 

 このシールもいただいたもの。「UW旗」という国際信号旗を使ったもので、「安全なる航海を祈る」という」意味である。返礼は「UW1」を掲揚して答礼する。

 

 今日のお昼はここになった。丸亀市綾歌町栗熊西にある準セルフのお店で、評判の三人姉妹のいるお店である。店に入ると、「今日はなんにするん?」と元気な声が飛びかかってくる。

 

 昨夜は弟やいとこらが集まっての「夏まいり」をやって、大いに食べて飲んで歌ったものだし、朝ご飯もしっかりといただいたもので、お昼は簡単にあっさりと食べたかったもので、「ひやかけうどんの小」をお願いした。ここはセルフといいながら、「おねぎ入れてもええんかいな」「おショウガも入れるんな?」とサービスしてくれるが、たくさん入れないようにするアイディアなのかも知れない。これで180円だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「気にせず 苦にせず あてにせず」という「スミレとぉちゃん」の「楽書きメッセージ」からのことば。とは言うものの、あれこれと気に懸けてばかりいて、あれこれと苦しんでばかりいて、あれこれとアテにしてばかりの私たちである。ま、そういう煩悩を持ったまんまで救われるしかない私たちなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


乗り越える 壁の大きさ かたつむり

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、薄雲が広がっているという空だった。気温は23度から31度、湿度は86%から64%。風は2mから3mの東南東の風がときおり・・・。明日の23日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 我が家のゴーヤーのグリーンカーテンはすっかりと成長して、あちらこちらにゴーヤーが実っている。

 

 すっかりと成長してすでに幾らかを食べている。こればかりはサルも食べには来ないみたいだ。

 

 さて、NHKラジオでの「夏休み子供科学電話相談」が始まっているのだが、昨日あたりから夏の高校野球の香川大会の実況放送が優先されて放送されている。なんでも三回戦だとかで、勝てばベスト8入りするらしくて、今日の三試合で、そのベスト8が決まるらしい。

 

 そこで久々に「夏の県大会」をのぞいてきた。ここには毎年の「青春」がある。

 

 まさに彼ら達には「かけがいのない青春の一ページ」がここにはある。

 

 グランドにも応援席にも内野席にも、輝くばかりの若者の息吹がある。

 

 そして、これも青春の一コマ。県営球場で食べるうどんは格別の味がする。勝っても負けても、このうどんの味が忘れられない。

 

 私の今日の一杯はこれ。「ひやかけうどんの小」で、ここでは280円。ここしか食べる所はないのだから仕方がない。これにかきあげを乗せると400円になるという。

 

 今日7月22日は全国的に美術館・資料館・図書館・博物館などは休館日になっている。昨日が休日の月曜日だったから、自動的に「休日の翌日は休館日」になる仕組み。でも、そうでない美術館や博物館もあるにはある。そこで、以前から気になっていた美術館を訪ねてみた。それが、この、「歯ART(ハート)美術館。

 

 「歯ART美術館」などという名前がなんとなく怪しそうに思えるし、「歯医者さん」か何かがやっていそうな雰囲気が漂ってくるではないか。そこで、勇気を出して入ってみた。

 

 長い石段を下って玄関の受付にたどりついたら、そこが4階だという。入ってすぐの広い部屋が「企画展示室。今回は「?松工芸高校」のデザイン科を卒業した4人と地元出身の作家による合同展になっていた。「撮影禁止」のために画像はないが、よく見掛けたキャラクターとか2000円札や5000円札や切手をデザインした人とか、ゲームセンターに設置してあるゲーム機のデザインとか・・・身近な所に、この5人の作品があることを知らされた。

 

 階段を下って三階に降りると、そこは骨董品の世界。焼き物から仏像から置物から・・・。すごいのがこのクラシック・カメラの数。およそ数百台と言われる各国製の古いカメラがずらりと並んでいる。ここの館長さんの個人的なコレクションらしい。ここは、毎日元気に快適に食べることができる「良い歯」を作り続けている歯科技工の会社「和田精密歯研株式会社」が設立した、全国でも珍しい歯とアートの展示がある美術館。

 

 それと、これまた各国のお面。日本のものからアジアやアフリカのものまであるのだという。

 

 そして、いよいよ・・・二階へと下りると・・・。そこは「歯」の展示コーナー。インプラントから差し歯、入れ歯、総入れ歯などの様子や仕組み、加工状況などのものすごい展示。上の画像はわざと小さくしてあるが、クリックしてみれば・・。実は5000個の入れ歯で、総額が1億5000万円にもなるそうな。

 

この銀杯にも驚くが、その左には本物の頭蓋骨が無造作に展示してある。ま、こわくはないが、気持ちの良いものではない。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする」という仏教学者の安田理深さんの言葉から。自分がどこまで知ってるかを識別していないと、自分では知ってる範囲が全てで本当と思うと自認してしまうもの。大切なことは知っていることと、知らない事を分別する力、つまり知識だと思うのだ。本当のこと、これは「真実」とか「真理」ということを指すのではないだろうか。それが探索できないと、当然、自らが下す判断は誤りとなることが多くなり、自ずと良い結果は出ないくなる。問題とすべきことは、「本当でないものを本当にする」ということではないだろうか。私たちは、仕事や生活の中で、常に真実とは何か、真理とは何かということをしっかり学ぶ必要があると言うことだ。今回の口の中の不思議さと秘密を垣間見て、そんなことを考えたことであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

大暑とは 草にまみれた 墓そうじ

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れている。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意してくださいと気象庁は呼びかけている。気温は23度から34度、湿度は90%から60%。風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の24日も、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 すっかりと夏らしくなってきて、ミーンミンというミンミンゼミの声が朝から賑やかだった。先日の夏参りの時、弟が「アブラゼミの声が聞こえなくなった」と言うていたが、このあたりでは聞こえているように思ったが、昨日、今日はミンミンゼミの声と、朝夕はカナカナカナ・・・と言うヒグラシの声が聞こえるようになった。

 

 さて、今日はここに行ってきた。由佐城は、由佐氏の居城で、東は香東川、西に沼地の多い自然を巧みに利用した要塞です。天正11年(1583)長宗我部元親軍が攻め入ったが容易に落城しなかったと伝えられる堅城だった。由佐家にのこる由佐家文書のなかに「由佐城絵図」があり、それによると香東川の西岸に柳並木があり、それに接して「下之城」があり、その西に内堀を隔てて「上之城」が設けられていた。上之城を中心に周囲16町ばかりの中を外堀、内掘によって仕切り、各地区は橋で結ばれ、外との連絡も南、北、西に設けられた橋によって行われていたことがわかる。城内には土塁が築かれ、櫓もあったそうだ。由佐家の居宅とした屋敷内には内堀、土塁跡を見ることができた。今でも香南歴史民俗郷土館の敷地内、庭園西側には土塁の跡が残されている。周囲には南門という地名も伝えられている。

 

 ここは、そのお城があった場所に建てられた「高松市香南歴史民俗郷土館」という建物。

 

 ここで行われている「船の仲間プラモ展」を見るためにやってきたもの。ここは、毎年、こうしたプラモ展をやっている。

 

 旧軍や海自や各国の空母や潜水艦、軍艦、民間船など多数のプラモデルが展示されている。

 

 これは旧軍の潜水艦らしいが、やっぱり「船」の形をしているのが興味深い。

 

 これは民間船のフェリーボートの「さんふらわ」。これは大きなプラモデルである。私が作った戦艦大和は、長さが1m50Cmもあったが、大きい割に小さな銃座や艦載機などの細かな部品が多くあって、完成までに三年もかかってしまった。

 

 これは宇宙戦艦のコーナー。

 

 当然、「宇宙戦艦ヤマト」もしっかりといる。我が家にも、戦艦大和と宇宙戦艦ヤマトが並んでいる。

  

 これは昔の「木製」の潜水艦キット。昭和の初期のものだろうか。「潜水艦」という言葉の響きに憧れたのかも知れない。私も中学生の頃には木を削って船や飛行機を作った記憶がある。その頃にはぼつぼつと「「プラスチック模型」もお店に並んでいたようには思うのだが。

 

 もう、このあたりでも「出穂(しゅっすい)期」になって、花盛りが始まっている。月遅れのお盆を過ぎたら収穫かな。お盆前に収穫するとお値段が良いようだが、この状況では8月の終わり頃に収穫かも。

 

 今日の掲示板はこれ。「努力をする人は希望を語り 怠ける人は不満を語る」というもの。戦後の文壇をリードした一人、井上靖の言葉である。「希望を語っていれば努力する気持ちになり、不満ばかり言っていると怠けるようになってしまう」とも言い換えられそうだ。人生のすべてが順調ということはありえないが、常に希望を持ち続けているだけで、気持ちは前向きになれるというものである。

 

じゃぁ、また。明日、会えるといいね。

ひとしきり 三日三晩の 土用干し

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25度から35度、湿度は92%から61%。風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の25日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨の所がある見込み。

 

  いよいよと猛暑日がやってきた。こんな日はお出かけしたくはないが、エアコンを動かすのももったいないなぁ・・ということで、今日は丸亀に向かった。

 

 というご案内を頂いていたもので、丸亀市立資料館にやってきた。このパンフレットの左に見える一振りの日本刀、これが「ニッカリ青江」という刀で、これが豊臣秀頼から京極忠高に下賜されて400年目ということで、この展示会が企画されたとのこと。

 

 日本刀は「サムライの魂」と言われるが、それにふさわしい刀身だけでなく、鞘や束、目貫、鍔、小柄などの小物に至るまで細緻な彫刻や象眼などにも目を通したいもの。本物の質感や存在感や重量感など、ずっしりと内蔵に染みこむような圧迫感がある。

 

 この「四目結」が京極家の紋所。

 

 こういう形で、ここが所蔵しているものや金刀比羅宮所蔵のものとか、多くが個人所蔵のものが展示されていて、総数は57点。見応えのある展示になっていた。

 

 パンフレットにもあった具足はこれ。「肩白萌黄糸威朱塗二枚胴具足」というもので、京極家家老多賀家伝来になるもの。

 

 今日は時間的なこともあって、珍しく、こういうチェーン店に入ってみた。ここは丸亀市城西町にある「はなまる丸亀城西店」というプチ・セルフのお店である。普段には、こうしたチェーン店には入らないのだが、今日は背に腹は替えられないということで・・・。

 

 で、お店のあちこちに、「限定!とろたま」という掲示があったので、その・・・「とろたまひやかけ小」を注文してみた。つまりだ、つめたい麺に冷たいかけ出汁をかけて、その上にとろろと温泉たまごを乗せて、削りぶしとネギなどをトッピングしたもの。これで380円だった。これはテーブルまで運んで来てくれた。

 

 ま、変わった涼しさかなぁとは思った。

 

 我が家の梅も「七月八月あついころ、三日三晩の土用干し」をやっている。参考までに「うめぼしの歌」をば。

 二月三月花ざかり、うぐひす鳴いた春の日のたのしい時もゆめのうち。五月六月実がなれば、枝からふるひおとされて、きんじょの町へ持出され、何升何合はかり売。 もとよりすっぱいこのからだ、しほにつかってからくなり、しそにそまって赤くなり、七月八月あついころ、三日三ばんの土用ぼし、思へばつらいことばかり、 それもよのため、人のため。しわはよってもわかい気で、小さい君らのなかま入、うんどう会にもついて行く。ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし。

 

 今朝はカナカナカナ・・・というヒグラシの声で起こされたし、昼間はジジジジジ・・・というアブラゼミの声が聞こえていたが、まだまだ、ツクツクボーシの声には出会わない。

 

 今日の掲示板はこれ・・・。「子どもはやがて大人になる 大人はいったい何になるのでしょう」という、ある小学生の言葉から。仮に質問を受けた大人が30代・40代であれば、「やがてはおじいさん、おばあさんに」と何とか答えられるけれど、質問を受けた大人が60代・70代、いや、それ以上だった場合はもうその先がない。どうしようか。

 

 その先は当然わかっている。やがては死人であろうか、それともお骨になるのだろうか。いや、この問いはそのような短絡的な答えを求めているのではないように感じる。もし、あなたが仏教徒であるならば、ぜひとも「大人は、やがて仏様にならせていただくのですよ」と答えていただきたいと思うもの。仏教徒のやがては、死人でもなくお骨でもなく仏様になるのである。しかしのかかし、その仏様になるはずの自分自身の生活を少し振り返ってみたいもの。本当に仏様になるような日暮をしているであろうか。つい、欲にかられ、愚痴、不平、不満、怒り、腹立ち、妬み、おごりの日暮をしているのではないのだろうか・・・と。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

大楠に 人の声無く セミの声

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後は大気の状態が不安定となるため、雲が広がってきた。雨の降る所があるのだとか。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するようにと、気象庁が呼びかけている。気温は26度から35度、湿度は81%から63%。風は2mから1mの北北東の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、先日から気になっている場所をどうしても確認しておきたくて、またも琴平に出掛けてみた。いや、先日、「おもしろ博って、どこでやってるんですか?」と、琴平名物の「駐車場誘導員」に聞いてみた。いずれも、「そんなもんは知らん」とにべもない。要は車を預けた人がお客さんで、それ以外の人には聞く耳を持たないようだ。

 

 で、あれこれとWEBほかで調べて出掛けてみた。「KONPIRA昭和なつかし博」というものらしい。これがメインのポスターである。これを見ると、こんぴらの町の七ヶ所で、それぞれにイベントをやっているらしい。

 

 で、こういう古い町並みを歩いてみたが・・・やっていない。「ナツカシアター」には昔の映画ポスターなんぞを展示してあるはずだが、あかりもついていないし、入口はロックされている。よくよくポスターをみれば、「毎土日休日のみ開催」という小さな文字が・・・。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。

 

 ということで、今はここだけしかやっていないという、「ことひら浪漫館」。こんぴらさん(金刀比羅宮)の参道口にある、この「金陵の郷」は、酒造り創業当時(寛政元年(1789年))の白壁の酒蔵をそのまま復元している。大楠がそびえる「くすのき広場」を取り囲むように建つ「歴史館」「文化館」では、昔ながらの酒造りの風景を再現していて、酒造りの工程を人形の作業風景により紹介。ビデオ紹介や徳利、酒ビン、ラベルの展示、試飲コーナーもある(無料)。

 

 その入口にあるのが、この「ことひら浪漫館」。

 

 そこにあったものは・・・・。思わず、「なに、これ!」という、「ゆるぃぃぃ」品物。昭和の30年代から40年代のなつかしい家庭用品を集めたものらしい。「あなたが噛んだ、小指が痛い・・・」という伊東ゆかりの音楽も流れていたりする。

 

 手回し脱水ローラー付きの洗濯機や・・・・

 

 古い遊技機。俗にいう「パチンコ台」やスマートボール機もあった。一応、それなりのなつかしさは観じられるのだけれど・・・・。

 

 ま、一応、内部も見学させていただいて・・・。

 

 ま、ここは何度もお邪魔しているもので、さほど感じるものもない。

 

 さすがにここから先は無理。この暑さで大門まで行ったら熱中症になってしまいそう・・・。結局の薬局で、七ヶ所のイベント中、やってるのは浪漫館だけ。あとの六ヶ所は「土日休日限定イベントだった。

 

 午後からは、明日からのバス研修の準備。土佐藩・大洲藩・宇和島藩が、なぜにも遍路対策を強固にしたのか・・・という、最終のフィールドワーク。今回は夏場ということもあって、一泊二日の研修になる。そのお泊まりほかの準備。

 

 今日の掲示板はこれ。「目の前の苦しみに負けるな!! 近くにあるほど苦しい いつか過ぎて行くから 永遠の上り坂など無い」というもの。さだまさしの一所懸命日めくりカレンダーからの言葉である。最後の「永遠の上り坂など無い」というのが効いている。本当に苦しい時には、登っても登っても・・・いくら登っても下り坂にでないことがある。どれほど登っていくんだろうかと思うほど登っていくときがある。でも、下り坂のない上り坂はない。永遠の上り坂などない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

むくげ咲く 足摺の寺 杖の音

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するようにと、気象庁が呼びかけている。気温は26度から36度、湿度は84%から60%。風は2mから1mの北北東の風が少しばかり。明日の27日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、毎月恒例の「さぬき市おへんろつかさの会」の恒例バス研修の「櫻谷さんと巡る四国霊場」で、高知から宇和島に向かう旅の日。「土佐藩・宇和島藩は、なぜ、お遍路対策を強固に推し進めたのか」という研修。

 

 この方が「権大先達」の櫻谷和香さん。実は、私が某通信会社にいた頃、お世話になった「保険屋のおばちゃん」。今はこんなこともやってるんだ。近く「公認大先達」になられるのだとか。この方が、今回の旅のナビゲーター。

 

 さぬき市長尾の「亀鶴公園」駐車場から出発して?松西ICから?松自動車道−高知自動車道を経て土佐ICで降りて、途中マイクロバスに乗り換えて35番札所清瀧寺に向かう。この細くてくねくねした山道は絶叫マシーンみたいな道。私個人では、ここには行けないなぁと思った。

 

 次に向かったのが「36番青龍寺」。あの明徳義塾のある半島にあるお寺。あの横綱「朝青龍」がこの石段で猛特訓をしたというお寺。ゴルファーの「横峯さくら」もここで練習したのだとか。とにかくきつい石段だった。

 

 あの長曽我部氏が寄進して整備されたお寺らしい風格のあるお寺だった。35番清瀧寺から36番青龍寺までは約17Km、バスで30分だが、36番から37番岩本寺までは48Km、バスで1時間半。

 

 で、山からおりてきたところの海岸沿いにある「三陽荘」というレストランでお食事。マイクロバスの乗り場がこのレストランになっているという仕組み。朝が早かったために朝食抜きの私にはうれしい食事。すっかりと完食した。というても、そんなに量は入ってはいない。

 

 次に向かったのが37番札所の岩本寺。ここの本堂の天井、格天井(ごうてんじょう)の絵が有名。マリリンモンローとかネコとか尾長鶏とか馬とか・・・。

 

 天井ばかりも見つめてはいられない。

 

 どこのお寺も、「四国霊場開創1200年」ということで、きれいなお荘厳(しょうごん)が施されている。

 

 ここでは特別開帳ということで「矢負地蔵」を特別公開していた。当然、撮影禁止だが、それはきれいな輝くばかりのお地蔵さんだった。木造の地蔵さんに彩色を施したもの。この公開場所が売店の奥だというのもミソだなぁと思った。

 

 37番岩本寺からおよそ104Km、バスで2時間の距離にあるのが、38番金剛福寺。あの足摺岬の先端部にある。四万十市に入り、四万十川を越えて、土佐清水市に入り、細い山道の「スカイライン」を走り詰めて、ようやくに足摺に着く。山の頂上にあるお寺にはこんな池がある。今の住職さんが(実際は業者さんが)作ったものらしい。とにかく石ばかりの豪勢なお寺だ。

 

 ここでもご本尊を特別開帳しており、内陣に入り、住職さん、副住職さんの導師でおつとめ、勤行のあと、本尊や脇士のすぐ前まで入らせてもらって直々に説明を受けた。これはすごく得した気分になったもの。

 

 こういう場合、私は線香もおろうそくもあげないし、納め札も当然、納めないし、納経帳にご朱印もいただかない。自分の略袈裟に単輪念珠で合掌礼拝のみ。ま、私にすれば、「歴史散歩」的な感覚だが、大切にされている文化遺産と「聖地」であるという感覚は忘れてはいけないと思う。後ろ向きの銅像は「中浜(ジョン)万次郎」。

 

 ついでだからと、展望台に上って「足摺岬灯台」を眺めてきた。

  

 ここが、今夜の宿舎の「民宿西田」。先達さんご推奨の宿らしかったが、お世辞にも良い宿だとは思えなかった。

 

 汗をシャワーで流した(お湯は熱くて入れない「温泉だから水で薄めては効果が落ちると言う理由」ので・・)あと、しばらく休憩した後、お待ちかねの夕食。ご馳走に見えるが、食べたのはお刺身だけ。あと・・・、

 

 かつおのタタキ。ぜいたくを言ってはいけないが、高知ならば、もっとおいしいタタキがあるはずだが、「へんろ宿」だと言われれば仕方がない。

 

 ま、お食事会だと言っても、お勉強は寝るまで続いた・・・。

 

ということで、長くなったので、今日は掲示板はお休み。

 

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