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来てみれば ムクゲの色と 伊予の空

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 足摺地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後は大気の状態が不安定となるため、雲が広がってきて、一時は雨も降ったが、たいした雨にはならなかった。高温が予想されるため、熱中症などに注意するようにと、気象庁が呼びかけている。気温は26度から37度、湿度は88%から60%。風は3mから4mの南南西の風が少しばかり。明日の28日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 ノートPCは持って来たのだが、肝心の通信アダプターを忘れたためにブログの更新ができなかった。足摺岬の朝は5時半くらいだろうか、それなのに、3時過ぎから起き出す老人がいて、なんだか寝不足気味。朝の朝食は6時半。それなのに、4時半にはもう、起き出して散歩するもの、シャワーを浴びる者などさまざま。おちおち寝てもいられない。

 

 予定を1時間前倒しにして7時に宿を出発。高知県最後の札所、39番延光寺さん参拝。日曜日のせいかおへんろさんが多い。39番延光寺から40番観自在寺まではおよそ31Km、バスで1時間弱。

 

 この寺のシンボルの赤亀が運んで来た鐘。現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起からひも解こう。時代は平安中期、延喜11年(911)のころ、竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたという。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤亀山延光寺」に改めた。この梵鐘には、「延喜十一年正月…」の銘が刻まれ、総高33.6cm、口径23cmの小柄な鐘で、明治のはじめ高知県議会の開会と閉会の合図に打ち鳴らされていたともいわれ、国の重要文化財に指定されているそうな。

 

 愛媛県は「菩提の道場」。その最初の霊場は40番札所の観自在寺で、一番霊山寺からもっとも遠くにあり、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる。寺があるこの町は、美しいリアス式海岸の宇和海に面した最南端で、海洋レジャーの基地、真珠の生産地としても知られる足摺宇和海国立公園の景観を存分に楽しむことができる。

 

 とにかく暑い・・・。七月の炎天下を歩いて研修するのだから大変だ。意識がもうろうとする。ここはバスの駐車場から細い路地をくねくねと歩いてお寺まで進む。弘法大師が大同2年に平城天皇(在位806〜09)の勅命を受けてこの地を訪れ、1本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造して安置し、開創したとされている。このとき、残った霊木に「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝判を造って庶民の病根を除く祈願をなされた。この手ぬぐいを1500円で授与しているが飛ぶように「売れていた」。

 

 宿舎を1時間早く出たために、食事時間も早まったが、しばらく待たされて、このお弁当になった。作りたてだろう、温かくておいしかった。量も少ないせいか、ぺろりと完食した。ここは愛媛県南宇和郡愛南町御荘というところ。近くの海で「紫電改」が引き上げられて近くに展示されている。

 

 40番観自在寺からは海岸線近くをひた走り、41番龍光寺に向かうが、前方にバスが数台。そこで、一つ先の42番仏木寺に入った。この間の距離は4Km、バスで数分の差だ。ここの鐘楼は珍しい茅葺き屋根。ここの梵鐘の音色が良いとかで鐘撞きをするにも順番待ち。熱心なおへんろさんたちだ。

 

 大同2年のころ、弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会った。誘われるまま牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって、光を放っているのを目にした。よく見ると、これは唐から帰朝するときに、有縁の地が選ばれるようにと、三鈷とともに東方に向かって投げた宝珠であった。大師は、この地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心した。大師は自ら楠で大日如来像を彫造、眉間に宝珠を埋めて白毫とした。これを本尊として安置し、「一山仏木寺」と名づけ、草字体で書写した『般若心経』と『華厳経』一巻を奉納されたと伝えられる。

 

 そこから引き返して、41番龍光寺に入った。ここは珍しく(と言っても、土佐はお寺と神社が並ぶ札所が多い)、「神仏習合」ということで、お寺の中に神社がある・・・と、いうよりも、神社の中にお寺ができたというもの。宇和島は伊達家十万石の城下町、その市街地から北東に10kmほどのところが三間平野。地元では「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれているのが龍光寺で、往時の神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。その象徴ともいえるのが、山門は鳥居であること。この山門をくぐると仁王像に代わる守護役・狛犬が迎えてくれる。境内には狐とお地蔵さんの石像が仲良く並んでおり、仏と神が同居している。

 

 ここもおへんろさんがいっぱい。この暑い中、ごくろうさまなことだ。そんな中に、こんな普通のおじさんやおばさんが混じっているのがおかしいのか。創建のころから神仏習合の寺であった龍光寺は、稲荷寺として信仰され維持されてきたが、明治新政府の廃仏毀釈令により旧本堂は「稲荷社」となった。新たに本堂が建立されて、ここに稲荷の本地仏であった十一面観世音菩薩像が本尊として安置され、その隣に弘法大師勧請の稲荷明神像も一緒に祀られて鎮座している。

 

 今回の最後のお寺になる明石(めいせき)寺。このあたりのお寺の本堂や大師堂には、このような「唐破風(からはふ)」の建物が多い。これは伊達藩が特に許可し、寄進したものだという。ここはオレンジ色の本瓦葺きであるが、近年新しくされている。

 

 弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興した。その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずいて、山号の現光山を「源光山」に改めた。以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられる。

 

 41番龍光寺と42番仏木寺は約4Km、車で5分の距離、そこから43番明石寺までが約15Km、バスで30分の距離。宇和島からは工事中の部分なども含めて高速や自動車道を乗り継いで松山自動車に乗り込んで・・・豊浜SAで休憩してさぬき市へ・・・。我が家に着いたのは6時半過ぎ。予定より早くに帰ることができた。

 

 今日の掲示板はこれ。観自在寺あたりで見掛けた掲示板。「みずから光らないものは 他から光を受けて光る」というもの。 詩人の坂村真民さんの「光る 光る すべては光る 光らないものは ひとつとしてない みずから 光らないものは 他から 光を受けて 光る」という詩からの言葉である。「すべてのものは光る」「光らないものは他から光を受けて光る」という言葉に感銘を受けた。あるものは光って、あるものは光らないとなると不公平だが、「すべてが光る」「他から光を受けて光る」というのである。 阿弥陀仏の救いの光は、何ものにもさまたげられず、また、分けへだてなく、あらゆる生きとし生けるものを照らしている。苦しみ悩むすべてのものに「必ず救うぞ。浄土に生まれさせ仏にならしめるぞ」と誓われた阿弥陀様のお心は私にも注がれている。 私は自ら光る力は持ち合わせていないのだが、月が太陽から光を受けて輝いているように、私のいのちも周りの方々のいのちも阿弥陀仏からの光を受けて、いま、共に輝いているのであると思っていたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


借り物の いのち尊し 夏のつゆ

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 さぬき市地方は日本海の高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は20度から29度、夜明け前は寒くなって窓を閉めてしまって寝た。午前中もエアコンなしで作業ができた。湿度は82%から54%。風は2mから1mの北の風が少しばかり。明日の29日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、高知の旅から戻って来たら、夏の高校野球香川大会は終わってしまっているし、大相撲名古屋場所も終わってしまっていた。早くも夏が終わってしまったような印象・・・。明日から、何を、どうしようかと思案してみたり・・・。

 

 さて、土日の高知旅行に行くのに、ノートPCは入れたのに、この「通信アダプター」を入れるのを忘れてしまって・・・。これがなければただのパソコン、古くには「スタンド・アローン」なんて言われたもの。民宿だから、インターネット環境くらいあるかなぁと思ったけれど、そんなものはない、ただの「おへんろ宿」だった。

 

 そこで、朝の間は、デジタル画像の整理やら縮小やらをやったり、ブログの更新をやったりして昼が来る。今回は高知県窪川から足摺岬方面という長距離コースから、四万十市経由の宇和島地方までのハードなコース。なんという場所のなんというお寺を廻ったんだろうか・・・と意識がはっきりとしなくなった。

 

 で、ふと、カレンダーに目をやると、怒濤の七月も今週でおしまい。それに八月がもう、まもなくだ。あれあれ・・・ということで、「まほろば自然博物館(本館):HP版」の九月の行事予定表を作成しなければならない。あっという間の一月だったなぁと思った。

 

 七月上旬は、地区の会堂周辺の掃除から女体山の夏の例祭、それが終われば京都での住職研修会、その後の神戸での博物館巡りを経て、本山での研修会があり、帰宅すると、これまた夏休み特集の博物館巡り、そして昨日・一昨日の高知バス研修・・・。30日の県立病院での予約診察が終われば七月もおしまい。

 

 八月になれば、またもお墓周りやら自宅周りの草刈りをやらねばならない。恒例のしわく広島でのお盆休みも、今年は受験生を控えての缶詰猛勉強になるらしくて予定は全くの未定。八月は「夏休みの自由研究」に没頭することになるのかも。

 

 最近はアブラゼミの声を聞かなくなった・・・という声を聞くが、我が家周辺では連日アブラゼミの声がにぎやかに聞こえる。朝夕は「カナカナカナ・・・」というヒグラシが聞こえて来るし、セミは温度を感じて鳴く種類も変わってくるものらしい。さすがにこのあたりでは「シャカシャカ・・」というクマゼミの声は聞こえない。

 

 朝、迷犬ごんの散歩に行ったら、不動堂の外灯周辺に、蛾の羽やカブトムシとカミキリムシの頭が五つほど散らばっていた。何がそんなものを食べるのかが疑問になった。でも夜中に出掛けて行く元気はない。夕方の散歩では、それらがきれいに無くなっていた。アリが運んでしまったんだろうか。山の自然もまたミステリアス。

 

 高知でもきれいに稲が実っていたが、まだ、刈り取りはやっていなかった。このあたりでも、次第に稲穂が垂れては来たが、収穫はお盆過ぎだろうか・・。

  

 とんぼの姿を見掛けると、いよいよ秋かなぁとは思ってしまうが、本当はこれからが真夏になってくるんだなぁ。

 

 今年はまだ、入道雲らしい雲を見ていない。今日はおどろくような涼しい日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「時が来ればお返しせねばならぬ 財産も借りもの 命も借りもの」というもの。 人の命はいつかは尽きる時が来る。それは誰しも理屈ではわかっていることだろうが、俺は死んだ後にも財産を持っていくぞと言わんばかりに金を稼ぐことにあくせくしている人がいる。地獄の沙汰も金次第だとうそぶく人もいる。しかしのかかし、人は裸になって死んでいかねばならない。「無常たちまちに至るときは 国王大臣親じつ従僕妻子珍宝たすくる無し ただ独り黄泉に赴くのみなり」と『修証義』にあるとおり。大臣になろうが、資産家になろうが、それはこの世の中でしか通用しないもの。だからこそ「相続」とか「継承」という概念があるわけだ。逆にいえば、貧しくても、出世しなくても、何も悲観する必要がないというもの。その人はその人なりの花を、この世で咲かせることができれば、仏さまのものさしで言えば、「一所懸命に生きた、素晴らしい人生」なわけだ。だから、明るく、気楽に生きたいものである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

堂々と 悩んで生き抜く さるすべり

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、午後からは大気の状態が不安定となるため雨や雷雨の所がある見込みだとか。そう言うわりには雨は降らない。気温は21度から34度、湿度は94%から61%。風は2mから5mの南東の風が吹いていたこともあった。明日の30日は、南から湿った空気が流れ込むため雲が広がりやすく、午後は雨や雷雨の所があるらしい。

 

 今日は久々に香川県立図書館に行ってきた。ここのクマゼミは元気で朝から「シャンシャンシャン・・・」と、大合唱。

 

 ここへ網や虫かごなどを持ってこどもを連れてくる母親がいる。それほど多くのセミがいるのだが、こういう場所で、虫取りをしてもいいんだろうか・・・という疑問を持った。昨年だかに、仏生山法然寺の池で鯉を網ですくう母と子を見た。「それはあかんやろう・・」と思ったが、注意する権利があるんだろうかと思って眺めて通ったが・・・。

 

 いやに子供が大勢いるなぁと思えば、そうなんだ夏休みに入っているんだ。ま、とりあえず・・・と、入ってみたけれど、冷房はあんまり効かせていないようだし、こどもがうろうろしていたりしてなんだか落ち着かない。

 

 専門書コーナーへは子供は寄りつかないだろうと「空海コーナー」に廻ったが、さすがにこれは難し過ぎて眠たくなってきてしまう。

 

 と言うことで、今日は先日の高知方面へのバス研修のレポート作成をやっておく。早めに記録をしておかねば右から左へと抜けてしまって忘却の彼方へと消えて行く。

 

 毎年、この時期になると、セミの鳴く時期、鳴く時間帯、鳴く温度・・・というものが話題になって、それらをどこかに書いた筈だと思って探すのだが見つからない。また、グーグル検索などで調べてみても曖昧なことしか出て来ない。こういう時代「地球温暖化」とか「生物の多様化」などで公式というか対応とかが変化してきたのだろうか。

 

 我が家の場合、朝方は「カナカナカナ・・」というヒグラシの声で起こされる。おそらく20度前後の気温と思う。セミは17度以下では動けないとか聞いた。でも、20度前後に温めると、再び飛び上がるのだそうだ。

 

 それから、「ジジジジ・・・・」と鳴くアブラゼミ。これも午前中いっぱいだった。「シャンシャンシャン」と鳴くのがクマゼミ。これもほぼ午前中。午後からも鳴いているのも聞いたことがあるから流動的かも。

 

 そうそう、今日の夕方の「迷犬ごん」の散歩の時にはしばらくだけれど、「ミーン、ミーン・・・」と鳴く、夏を代表するセミの声、「ミンミンゼミ」を聞いた。その後・・・・

 

 わずか、数分だったけれど、「ツクツクボーシ・ツクツクホーシ・・・」と鳴く、「ツクツクボウシ」の声も聞いた。「お、いよいよ、おまえの出番なんか・・・」と思ったことだった。その後は「カナカナカナ・・・」というヒグラシの声。今日はそれでおしまいみたい。暗くなれば虫の世界の音楽会。

 

 しかしのかかし、昨日の涼しさとは打って変わって、今日は暑い一日になった。真夏だ、土用だと言われれば仕方がないのだが、とにかく暑くなった。暑いときに暑くならないと水稲とかの生育には不都合が生じるらしい。

 

 そうそう、昨日、奥方のけいこばぁの知り合いの農家で、早くも稲の収穫をする様子がテレビで放映されていた。東かがわ市小砂(こざれ)の丸山繁さん(51)が、「アキタコマチ」の収穫をやって、そのあとに田植えをして、讃岐では画期的な米の「二期作」をするのだそうだ。小学生の頃には、高知の二期作を勉強したけれど、讃岐でも二期作とは頑張るなぁ・・・。

 

 その小学生のころ、「二毛作」と「二期作」との区別がよく判らずにいて、いつもテストでは「ペケ」がついていた。二毛作というのは、麦を作ったあとに稲を植えることだと、親父に教えられたのだが、いつも左の耳の穴から右の耳へと抜けてしまうのが常だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「念仏は悩みをなくすのではなく 堂々と悩んでいける道である」という曽我量深先生の言葉である。妙好人といわれた庄松さんはまさしく安心して悩むことができる道を見出された。「(悩みを)持ったまま」「邪険という角を持ったまま」、安心して堂々と悩んでいける道しか、私たちがすくわれる道がないと仰せになったのは法然上人さん。そこには、いのちを我が物にして苦しんでいたことから解放された法然さんの喜びがある。思いどおりにならない状況のなかに、実は光輝く世界があるもの。法然さんは、「真宗の教えは立派な人になっていく教えではない。人間は愚かであるがゆえに、はかりしれないいのちからの呼びかけを常に聞いていかなくてはならないのだ」と言われている。この呼びかけを忘れて、自分の思いにとらわれてしまうのが凡夫とよばれる私たちのあり方なのであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

病院の くすりぶくろに セミの声

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 さぬき市地方は南から流れ込む湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となっている所があったようだ。気温は朝から27度で最高は34度、湿度は94%から70%と蒸し暑い午後になった。まるでサウナ風呂みたいな熱い空気に取り囲まれたみたい。風は3mから8mの南南東の風が吹き荒れもした。明日の31日は、引き続き、南から流れ込む湿った空気の影響で、雲が広がりやすく、午後は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 本当は7月14日が予約診察日だったのだが、京都に7日から17日までいたために、予約を変更してもらって、今日の30日になった。

 

 朝方はよく晴れていて気持ちの良い朝だった。水曜日だということもあってか、駐車場も患者さんの数も少なかった。例によって、受付を済ませると「中央処置室」前で待っていた。血液検査の採血を待っていたのだが、いつまで待っても呼んでもらえない。15分ほど待っていたのだが、ふと、受付票を見ると、「中央処置室」ではなくて「生理検査室」だった。呼ばれないはずだ。

 

 この部屋へ行くと、「お待ちしていました。その部屋に入ってください」と即座にベッドに寝かされて心電図の検査。数分ほどで検査も終わる。以前には長いテープのような記録用紙を渡されたものだが、電子カルテになってからは何も手渡されなくなった。

 

 電子情報がサーバーに送られて、電子カルテとして登録されるのだろう。

 

 この方が私の担当ドクター。で、相変わらず、心臓のカテーテル手術をさかんに勧めるのだが、夏場の暑い時期は勘弁してもらった。ここの病院には風呂がない。希望者はシャワー室が使えるのだが、それも週に1度か2度。気候が良くなってからにしたいとお願いした。

 

 予定通りに10時30分から45分までに診察終了。この時間帯ではおなかもすかないので、しばらく走りながら、うどん屋さんを探して回った。

 

 このお店の前で11時になったので、ここに入った。さぬき市長尾東笠堂という地区にある「笠堂や」というプチセルフのお店。カウンターで注文して、できあがったおうどんを受け取って、会計をすませて、好きなトッピングを乗せて食べる。食べ終われば食器は返却口へ戻しておしまい。

 

 今日は夏らしく、「梅おろしぶっかけうどん小(一玉)の冷や」をお願いした。これで330円。ドクターに肝臓の数値が高いのと中性脂肪値が上がっているので要注意と言われたが、肝臓はわかるとして、中性脂肪というのはどうして溜まるんだろうか。たいしたものは食べていないのだけれど。これもお酒かな。

 

 11時過ぎだから、お客はパラパラ・・・。

 

 で、二階の書斎に戻ってみて、「テ!!」と思った。少し前なら「じぇじぇじぇ・・」だった。な・なぁんと、温度計が37度を指している。室内で、しかもパソコンの陰でである。これはアカン!!と思って、エアコンをつけた。

 

 あつい!あつい!と騒いでいる間に、今度はサル軍団の襲来。けいこばぁ農園に十頭ほどが潜り込んでいる。

 

 このロケット花火で迎撃。「ピュ〜〜〜・・・・バァン!」を数発。サル軍団は蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまったが、もう、これだけで汗まみれ。

 

 ようやくに涼しくなった書斎で、昨日の続きでレポートの作成をやっていると・・・

 

 いきなりの雨・・・・。遠くで雷も鳴っているが、ほどなく雨も雷も姿を消した。

 

 今日の掲示板はこれ。「あなたが生まれなければ、この世に生まれなかったものがある」というもの。考えさせられる言葉だが、これ、実は、「アミューズメントメディア総合学院」のキャッチコピーなのである。「夢を夢で終わらせない」。上手いなぁと感心した。誰が考えたんだろう。何かを生み出したいと苦しんでいる私たちには勇気づけられる言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

セミの声 言葉もよどむ 昼下がり

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている所もあったが、湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所もあった模様。気温は24度から34度、湿度は90%から67%。風は1mから6mの南東の風が吹いたりもした。「高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意してください」と気象庁は呼びかけている。明日の8月1日は、引き続き湿った空気の影響で雲が広がり、午後は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 ドーナツのドがつく田舎だから、二階の窓は網戸だけ。だから朝方は肌寒い・・・。最近は「トウキョウトッキョキョキャキョク・・・」の声にカナカナゼミの声が混じって賑やかな朝だ。朝方は涼しくて、よく晴れて気持ちのいい朝になった。それならば・・・ということで出掛けた先は・・・。

 

 我が家のお墓。このお墓は親父が亡くなってから建てたもの。それまでは?松の仏生山法然寺に納骨をしてきた。旧宅の元屋敷周辺には自然石のお墓が十数基並んでいたように思う。

 

 明日の八月一日が、その父の祥月命日に当たるので、今日はお墓の草刈りやら掃除やら・・・。ここの草だって、五月の連休前に刈ったのに、草はすっかりと伸びていた。8時の朝食を食べてから、ここに来たら、一気に気温が上昇してきて暑くなった。やはり朝早くに草刈りをしなければ。

 

 こんなボトルなんぞ一気に飲み干してしまった・・・。

 

 昭和四五年(1970)というから四四年前の写真ということになる。私がまだ23歳(野辺位牌を持っている)、次男(写真を持っている)が21歳、母(骨壺を持っている)はまだ43歳だった。親父は46歳であった。三男は就職試験に出掛けていて不在。だから、この写真の人の多くもお浄土に還ってしまった。*背後の家は我が家ではない。

 

 お仏壇のお掃除は大丈夫。明日は兄弟ほかが集まっての祥月命日のおつとめを、夕方18時から行う予定。導師はもちろん、この私。

 

 今日も、先日の高知研修のレポートの修正やら追加やら前書きやら後書きやら奥書やら参考文献なんぞもつけたりして・・・。

 

 ということで、レポート集の完成。明日にでもさぬき市観光課に提出しておこうと思う。明日からはいよいよ八月だな・・・。

 

 午後になると雲が広がってきて、蒸し暑くなってきた。ここの工事現場でも、朝の涼しいうち、7時半から作業をやっているが、だからと言って16時半に帰るかというと、そうでもない。昼間の休憩時間を永くしているのかも・・・。

 

 だんだんと工事の様子が見えて来るようになった。三台のバック・ホウがいて、上段できれいに掘削するものと、中間でそれを下へ投げ降ろすものと、下でダンプカーに積み込んで運び出すものと分担して作業している。

 

 青空に元気なのはセミとサルスベリの花。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、できることに集中することであり、できないことを悔やむことではない」というもの。アインシュタイン以降の物理学、宇宙論の第一人者、スティーブン・ホーキング博士。幼少の頃から数学や物理学に才能を発揮していた彼は、17歳でオックスフォード大学に入学。その在学中に、筋萎縮症性側索硬化症という難病にかかり、大きなショックを受ける。しかし、博士の強固な意志と周囲の協力により、精力的に研究を続けてきた。ケンブリッジ大学院の研究生として本格的な宇宙論の研究を始め、1960年後半に「宇宙にはブラックホールが存在する」ことを示した。1980年代になってからは、宇宙の起源や量子力学が宇宙の運命に及ぼす影響について研究を開始。まだ、どうやって宇宙ができたかは解明されていないが、博士の功績はじつに大きなものである。

 

 筋萎縮症性側索硬化症は、筋肉に血液がうまく供給されず、次第に全身の筋肉が衰えていくというもの。さらに1985年に患った肺炎により、24時間介護が必要となった。喋ることもできなくなった。しかしスピーチ・シンセサイザーやポータブル・コンピュータを駆使し、大学等で講演活動を行っている。周囲の理解、協力が博士にとって大きな存在であることは間違いないが、そして、それらを無駄しない、まさに「できることに集中する」人生を送っているといえるだろう。宇宙は無限かもしれないが、人の一生は有限。後悔の時間は、反省点を拾い上げる程度に切り上げ、できることに集中して仕事、生活、人生をこなしていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

音のない 川の流れに 合歓の花

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 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり雨の降っている所があった。雲が厚く蒸し暑い一日になった。気温は26度から34度、湿度は90%から64%。風は3mから6mの東南東の風。明日の2日は、引き続き湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今朝は気温が高いのかひぐらしが鳴いていない。あぶらぜみも鳴いていない。しかしかのかかし、刈り払っておかねばならないこの水路脇。当然、我が家のものではないのだけれど、これでは我が家がうっとおしいではないか。

 

 ここも五月の連休前に刈り払ったばかりだから、草はやわらかい。長靴を履いて、水路の中をざぶざぶと歩きながら借り倒してゆく。

 

 30分ほどで、こざっぱりとした。正式には、このブロック塀からが我が家の敷地になるものらしい。

 

 反対側はこんな程度なのだが、ここもついでに刈り払っておく。

 

 6時半から始めて7時過ぎには草刈りが終わった。

 

 ふと見ると、もう、あぶらぜみの死骸がころがっている。はかないセミの一生であることか。

 

 ”TUNAMI”、”MOTTAINAI”の次に、日本語がアジアをはじめ多くの国で使われ始めたのが、”UITEMATE”(浮いて待て)だという。浮いていれば助かる確立が高くなるのだという。だが、これも、いくらか練習しないと、着衣のママでは浮かんではいられないそうだ。

 

 さて、今夜は父親の「祥月命日」。こどもの頃には、「おしょうつき」だというと、親戚一同が集まって、子や孫ほかが集まってにぎやかなものだった。娯楽もない時代、親戚一同が集まるのも珍しかったのか、たいそう、楽しみにしたものだった。悪いことをすると「そんなことしたら、オキャクには連れて行かんぞ!」などと言われたものだった。とたんに私たちはおとなしくなった。それほどに「おきゃく」は楽しみだったもの。いつごろからか、そんな習慣もなくなってしまった。

 

 ま、法事奉賛が楽しかった訳ではない。いとこや親戚の子供と遊べるのが楽しみだっただけ。長いお経は退屈なだけだった。オキャクが始まると、「こどもらがオキュジをするもんで」と、ご飯やお味噌汁の給仕をさせられたもの。それも遊びのうちの一つだったのかも。

 

 今夜も、こういう風景がみられそう。

 

 今日の掲示板はこれ。「やりたいことはできる できないのはやりたくないから」という福島正伸さんんの言葉から。逆立ちをやれ・・と言われたら、「やったことがないから」とか「できないから」などとやらない人が多い。「裸になれ」と言われたら「できない」と答えてしまう。単にやりたくないからだ。好きなことだと朝早かろうが、夜遅くまでだろうがやり続けることができる。やったらできることでも、単に「できない」と逃げてしまっている自分がいる。こんなにすばりと言ってのけられたらやるしかないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ヒグラシに ここまでおいでと 誘われる

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 さぬき市地方は南から暖かく湿った空気が流れ込み、雨や雷雨となっている。香川県では、土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水、竜巻などの激しい突風、落雷に注意するように呼びかけている。気温は24度から31度、湿度は90%から75%。風は5mから6mの南東の激しい風が吹いてみたり。明日の3日は、引き続き暖かく湿った空気が流れ込む影響で雨が降りやすい見込みらしい。

 

 大型の台風第12号の影響で、3日にかけて、九州北部地方・四国地方を中心に非常に激しい雨が降る見込み。また、九州の海上では非常に強い風が吹き、大しけとなるらしい。土砂災害、低い土地の浸水、河川の増水やはん濫、暴風、高波に警戒して欲しい。

 

 今日は一日中、雨になって降ったり止んだりを繰り返していた。昨夜は弟が二人と、いとこ夫婦と叔父さん(父の弟)がお参りしてくれて楽しく賑やかな夜になった。いとこ夫婦以外は我が家でお泊まりになって、今朝早くに帰っていった。今夜は奥方も夜勤に出掛けて、今夜は一人きりの夜になる。

 

 台風の通過中ではお出かけもできず、今日は先の研修会のレポート書きになった。今回は「宗教概論」(400字以内)、「歎異抄」(800-1000字)、それと「本山史」(990字以内)の三本。

 

 字数の少ないものを選んだけれど、800字に届くだろうか・・・。提出期限は9月末。

 

 ゴーヤーも一度に実って、最近は少し食傷気味。それとキュウリも・・・。採れるとなると一度になって、それからまたもや頂き物もまたキュウリとゴーヤー。

 

 こんな台風接近中というのに、山を削る作業が粛々と行われている。いつもは土日には休んでいたのに、急に慌てだしたみたい。掘削した赤土が雨で流れ出さないように処分しているのだろうか。

 

 夕方の迷犬ごんの散歩はお休みになった。

 

 レポートも、おおまかなストーリーで書きあげたものを提出用紙(複製版)に転写して字数の計算。宗教概論の「人間にとって、なぜ宗教は必要か」を400字でというのは辛い。1000字ほどになって大幅に整理しないと。

 

 さすがに今日の津田川は増水して音も少しばかり大きくなったけれど、まだまだ心配するような水量ではない。

 

 こんな雨が降っていても、ミーン、ミーンというミンミンゼミやカナカナというヒグラシは元気よく鳴いている。

 

 まるで梅雨時期に戻ったようなジメジメ感と蒸し暑い一日。風もなんだか蒸し暑い。気温は相変わらず32度もある。

 

 今日の掲示板はこれ。「口が濁れば愚痴になり、徳が濁れば毒になる」と言うもの。「くち」にテンテンをつければ「グチ」。 いくらすばらしい言葉を口にしても、心の中に嫉妬や欲得が満ちていたならば、その口から出てくる言葉はいつか「愚痴」になってしまうもの。「いし」にテンテンをつければ「イジ」。 意志を強く持って仕事を成し遂げ、人生を送ったとしても、自分本意で周囲のことを考えなければ「意志が強いんじゃない、あの人は意地になっているんだ」と思われてしまったりする。「とく」にテンテンをつければ「ドク」。 いくらよい事をし徳を積んだとしても、「あれはおれがやってやったんだ」と自慢して鼻に掛けるようになったら、それは「徳」ではなく、周りの人にも不快な「毒」になってしまうというもの。お互い、気をつけたいものである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

うたたねを ダリアの花に 叱られる

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 さぬき市地方は、南から暖かく湿った空気が流れ込み、雨や雷雨となっていて、一日中、振ったりやんだりを続けていた。気温は25度から29度、湿度は84%から70%。風は3mから6mの南東の風。明日の4日は、引き続き南から暖かく湿った空気が流れ込むため雨が降りやすく雷を伴う所がある見込みなんだとか。

 

  総務省消防庁は3日、午前11時時点の台風12号の被害状況を発表した。鹿児島県で4人が負傷し、このうち1人が重傷。建物の一部損壊が15棟に上っている。床上浸水は徳島県で15棟、高知県で10棟。床下浸水は徳島県で127棟、高知県で124棟、鹿児島県で1棟という。避難指示や避難勧告は徳島、高知、宮崎3県で計約22万4千世帯・約49万5千人に達している。すごい状況になっているなぁと驚いているが、香川県東部の雨はたいしたことなく、梅雨時と同じようなもの。

 

 普段にはテレビなんぞ見ないのだが、昨夜は奥方も居ないのでのんびりとしてテレビを見ていた。少し前にも見たような気がするのだが、話もストーリーも忘れてしまっていたように思う。

 

 おかげで朝は7時前まで寝てしまっていた。ま、雨がしとしとと降っているのだから、早くに起きても致し方ない。小降りになったのを確かめて、迷犬ごんの散歩、空き缶の片づけ、生ゴミの処理なんぞをやっておいた。

 

 午前中、娘婿のかねちんと孫のはやて君、なぎちゃんの三人がやってきた。むすめは福岡へ同級会というか女子会に出掛けているのだという。

 

 で、みんなで、さぬき市造田宮西にある「溜(たまり)うどん」にみんなで行った。日曜日だと言っても、それぞれにご用があって、忙しいらしい。最近は、奥方のけいこばぁはここがお気に入りみたいだ。

 

 で、私はお決まりの「たまりうどん」の小の冷やをお願いした。たぶん、350円だろうと思う。梅干し入り山かけうどん削り節化粧付き・・・みたいなおうどん。で、出汁醤油を掛け回して食べるもの。

 

 元醤油醸造所を古民家うどん店に改造している。そんなにお安くはないが、場所がいいのか、いつも大勢の人が並んで待っている。ここで「かねちか一家」とはお別れ。今日、かねちかパパは大阪へ戻り、明日からかねちかママとなぎちゃんは神戸に出掛けるので、けいこばぁがお泊まりに屋島に向かう。一人残ったはやて君のお世話係だという。私一人が残される・・・。あ〜あ〜。

 

 午後、台風情報でも見ようかとテレビをつけると・・・見慣れた方が映っている。あれあれ、みな子さんだ・・・。

 

 ああ、先週の7月26日放送のフジテレビの「チャンネルΣ」の再放送だ・・・。先週土曜日の朝・だとは聞いてはいたが、先週は高知へバス旅行に行っていたもので見られなかったのだ。今日はBS・フジテレビでの放送だった。

 

 「幕末高校生」という映画のPR番組みたいなことだったと思うのだけれど。たまにはテレビも見てみるもんだ。我が家は新聞をとっていないものだから、番組表がないので、どんな番組があるのかわからず、ほとんどテレビを見ることがない。ケチだから新聞を読まないのではない。ネット情報で世の中のうごきは見られるものだから・・・という節約型言い訳。

 

 テレビの情報では四国は大雨や土砂災害に警戒するようにと盛んに放送しているらしくて、あちらこちらから電話やメールを頂くのだけれど、我が家あたりは、ちょうどいいお湿り状態。隣の津田川の水位もそんなには上がっていない。ダムの水位が回復する程度か、それ以下くらいなものかも。ダムからの放流はまだない。

 

 今日の掲示板はこれ。「顔がたくさんあるように心もいろいろやそれでいいんや」という原田大助くんのことばから。原田大助くんは 「大ちゃん」 と呼ばれる男の子。6年生の時、大阪の養護学校から石川県の養護学校に転校した。現在は成人されているだろうが、彼が中学部になった頃から詩を書くようになった。それは転校した養護学校で、すてきな先生との出逢いがあったことで、彼の才能が開花したのだと聞いた。

 

山元加津子先生は大ちゃんと仲良くなりたいと思ったのになかなかこころを開いてもらえなかった。でも、山元先生はあきらめないで、大ちゃんに話しかけ続けた。やがて大ちゃんは「山元せんせい」と呼ぶようになり、「やまもっちゃん」と呼んで何でも話してくれるようになった。そんな先生と生徒とのすてきな時間を大ちゃんは詩で綴っているのだ。こころを見失ったとき、大ちゃんの言葉にハッと我に返る人が多い。原田大助君の詩に錆び付いていたこころがピカピカになったみたいだという人が多くなった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


我が心 台風一過の 風に酔う 

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 さぬき市地方は南から暖かく湿った空気が流れ込み、瀬戸内海側を中心に雷を伴って激しい雨の降っている所があった。気温は24度から31度、湿度は84%から64%。風は5mから8mの南南東の風が吹き荒れていた。明日の5日は、引き続き暖かく湿った空気の影響で雨が降りやすいらしい。

 

 台風12号の影響による荒天は3日も続いて、四国を中心に猛烈な雨が降った。総務省消防庁や各警察のまとめによると、徳島県美馬市の吉野川で男性が流されて行方不明になったほか、高知県では外の様子を見に行った80代の女性が転んで軽いけがをしたと聞いた。高知、徳島、愛媛、宮崎4県の計約55万人(3日午後5時時点)に避難指示や避難勧告が出たと言う。

 

 そんな台風12号は朝鮮半島で熱帯性低気圧になったとか。それなのに、気温は下がらずに湿気も多くなって蒸し暑い一日になった。

 

 それだし、後続の11号が一直線に北上してくるらしい。これまた大変そう・・・。

 

 今日は市役所へ用事があった関係で、久々にここに寄ってみた。さぬき市志度にあるプチ・セルフのお店、亀城庵志度店である。

 

  本当に久々だったもので、何を注文すればいいかがわからない。で、迷ったあげく、この、冷やかけうどん小・250円にナンキンの天ぷら70円を乗せたのは見栄。おいしいだろうと思ったけれど、冷やしうどんに天ぷらを乗せたみたいで、全くおいしくない。結局、この天ぷらは食べずに残してしまった。

 

 で、山道を走っていると、こんなものが・・・。

 

 犬のようだが犬ではなくてイノシシ。二頭いたのだが、車の音で逃げてしまった。昼間でも歩き回るとは勇敢なイノシシだ。

 

 我が家の近くにある県営大川ダムの貯水量は90%ほどだろうか。

 

 我が家近くの津田川の水量もそんなに増えていない。だから、このあたりの降雨量も多くなかった模様。大川ダムの放流もまだない。

 

 時間があったので、家電量販店を覗いてきたが、欲しいものもないし、買いたい物もない。デスクトップ・パソコンが欲しいかなぁと思っているが、その理由は?と考えると・・・必要な理由がない。小型軽量のノート・PCがあれば・・・とも思うが、タブレット端末もあるのに意味がないなぁとかと考えて。

 

 午後からはひとしきり雨が降ったが、まるきり「梅雨」状態。降ったり止んだりしてムシムシ感いっぱい。県あたりは打ち水を勧めていたが、雨が降っても少しも涼しくはならない。

 

 今日の掲示板はこれ。「わが心 にご(濁)せばにご(濁)る す(澄)めばす(澄)む すむもにごるも 心なりけり」というもの。江戸時代後期の遊行僧・木喰さんは和歌もたしなみ詠んでいる。晩年には多くの仏像も彫った。その歌は600首余が残っているという。和歌と云うより「ご詠歌」と言った方が適切かもしれない。

  『わが心 濁せば濁る 澄めば澄む 澄むも濁るも 心なりけり』
  『丸々と まるめまるめよ わが心 まん丸まるく まるくまん丸』
  『みな人の 心をまるく まん丸に どこもかしこも まるくまん丸』

 木喰上人は、文化7年6月5日(1810年7月6日)、93歳でこの世を去ったことになっている。 最期の地は、木喰戎を受けた水戸の羅漢寺ではなかったかと言われているが、確証はない。遊行僧らしく念仏行者らしく、旅の空の元で行き倒れで亡くなった・・・ と思っていたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

夏草の 中にうつろな 検針員

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 さぬき市地方は、引き続き南から暖かく湿った空気が流れ込み、雨や雷雨となっている。気温は26度から33度、湿度は82%から61%。風は2mから5mの南東の風が少し。明日の6日も、引き続き暖かく湿った空気の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 朝方は台風一過だなぁと思うような青空が広がっていて、さわやかな空気が流れて、いよいよ夏本番だなぁと思ったのだが・・・。

 

 そこで、今日はここまでやってきた。仲多度郡多度津町家中にある「多度津町立資料館」。ここで行われている「戦争資料展」を見るためである。この企画展は、8月1日から31日まで行われているもの。

 

 戦争資料展と言っても、華々しい戦争の資料が並んでいる訳ではない。痛々しい写真やがれきが並んでいる訳でもない。

 

 これが、昨日、掲載した「一太郎やあい」の銅像の写真と、その原型である。戦争中に銅像は供出されて台座だけになっていたのを、昭和18年に、町内の彫刻家・神原象峰がコンクリートで作っている。それが現在の「軍国の母像」である。

 

 これが、その、軍国の母こと「岡田カメ」書になる「忠孝」の書である。その軍国の母の美談はこうである。出兵する軍人を運ぶ船が香川県多度津港を出るとき、見送りにきた兵士の母が「天子様によく御ほうこうするだよ」と叫んだ情景が、師範学校での講演で語られ、東京の図書監査官に伝わって、国民精神を涵養するものとして1918年の国語教科書に使われた。これによって全国的に有名になり、雑誌・新聞記事、伝記物などが出るようになった。その後物語の本人探しも行われ、苦しい生活をしていることが分かると、激励や義援金を送る運動も行われたが、教科書の次の改訂から掲載されなくなった。教科書に掲載されるのは、華々しく散った兵士や活躍した勇士でなければならなかったのだ。

 

 尋常小学校国語読本巻七・第十三 「一太郎やあい」には、「日露戦争当時のことである。軍人をのせた御用船が今しも港を出ようとした其の時、「ごめんなさい。ごめんなさい。」といひいひ、見送人をおし分けて、前へ出るおばあさんがある。年は六十四五でもあらうか、腰に小さなふろしきづつみを結びつけてゐる、御用船をみつけると、「一太郎やあい。其の船に乗ってゐるなら、鉄砲を上げろ。」
とさけんだ。すると甲板の上で鉄砲を上げたものがある。おばあさんは又さけんだ。「うちのことはしんぱいするな。天子様によく御ほうこうするだよ。わかったらもう一度鉄砲を上げろ。」 すると、又鉄砲を上げたのがかすかに見えた。おばあさんは「やれやれ。」といって、其所へすわった。聞けば今朝から五里の山道を、わらじがけで急いできたのださうだ。郡長をはじめ、見送の人々はみんな泣いたといふことである。」とあった。

 

 これは、戦争によって金属を供出したため、貝や木を使った代用鍋や代用しゃもじ、上のヘルメットは紙製である。湯たんぽも金属製から陶器になり、鍋や釜も陶器で代用された。

 

 で、今日のお昼はここになった。綾歌郡綾川町羽床にある「本格手打ちうどん・はゆか」である。

 

 ここも半年ぶりほどだったから、何を食べようかと悩んだが、ついつい、「わかめうどん小」と言ってしまった。できあがったうどんを見て後悔した。この暑い時期に、なんという熱いおうどんを頼んでしまったんだろう・・・。見ているだけで汗が噴き出た。これで270円だった。

 

 あんまり熱いので、氷水を麺の上に振りかけたらお出汁は冷えたけれど味が薄くなった。そこで、醤油を掛け回したら・・・妙なお出汁になって食べられなくなった。こっそりと返却口に戻したけれど、丸残りのどんぶりをしっかりと見られた。

 

 午後からは雨が降ってきて、さらにさらに蒸し暑くなってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「走ることに疲れたら休んだらいい 休むことに疲れたら また走りたくなるから」というもの。作詞 中山真理/作曲 中山真理 「Message」からの言葉。

1.人生の中で こうでなきゃいけないことなんて 何一つないよ
走ることに疲れたら 休んだらいい
休むことに疲れたら また走りたくなるから
きみのこと 遠くから 見てるだけしか
できやしない 頼りない ぼくだけど
それでも いつの日か君が 心から笑う日がくると信じてる
それでも いつの日か君が 心から笑う日がくると信じてる

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

原爆忌 極細麺の 味を知る

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 さぬき市地方は気圧の谷や南からの暖かく湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨のところがある。気温は24度から30度、湿度は86%から92%。蒸し暑い一日になった。風は3mから1mの南南西の風が少し。明日の7日も、引き続き南からの暖かく湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降る所があるらしい。

 

 今日は所用があって、所属寺院の勝覚寺にお邪魔していた。たまには御用聞きというか、ご挨拶までに。そこで、新しく開店したというおうどん店の話をきいて、今日はそこに行くことにした。ところが、そこは午前11時からの開店というから、どうしようかと考えた。

 

 そこで、東かがわ市小砂(こざれ)にある庄松堂(正真同行墓所)に寄ってみた。「小砂説教所跡」とも言われるところ。少し前までは「正真講本部」などという看板が掛かっていたが、今はもうない。

 

 こちらが、「釋正真(庄松の法名)同行の墓」である。「オラは石の下には居らぬぞ」と庄松さんは言ったが、庄松さんを慕う人々が「報恩感謝」のこころで建てたもの。ここに遺骨が納められているかどうかは、誰も知らないという。140年も経てば、そんなものだ。

 

 そこへ「塩飽史談会」の幹事さんから、「入江先生が亡くなった」という訃報が・・。先生からはいろんなことを教わったが、「折り紙」「切り紙」という言葉が印象に残っている。昔の公文書は用紙を上下に二つ折りにした。これが「折り紙」。「折り紙付き」という言葉はここからだという。一般の書簡や書類は折らずにそのまま使った。これが「切り紙」。惜しい方をなくしたが、ま、仕方がないと言えば仕方がないことだ。

 

 で、これが、そのおうどん屋さん。高松市香川町川東上、マルヨシセンター南側にある「うどん酒房ひなた」というお店。聞けばオープンは昨年末だという。だとすれば、8ヶ月もここの前を通りながら気が付かなかったというわけだ。ま、うどん屋らしくないお店ではある。

 

 一見すれば居酒屋さん。メニューも飲み物も居酒屋さん。その居酒屋さんが昼間はうどんを食べさせる・・・というイメージ。もちろん夜の部でもおうどんは食べられるらしい。讃岐では以前には喫茶店でもうどんが食べられたのだから、居酒屋さんでラーメンを食べる感覚でおうどんを食べるらしい。

 

 で、珍しく「平日ランチ」というのを選んでしまった。今日も大きなミスを犯した訳だ。なんとなく「これ」と選んだのだが、おにぎり付きには困った。ご飯を食べるとおなかが痛くなるのだ。それにおでんが二本。小さなおなかにはこれが実に大きな負担になった。いやいや、お店が悪いんじゃない。私の選択が間違っただけ。参った、参った、マイケル・ジャクソン。

 

 麺は「極細麺」で、2.5mm。普通の麺は約4mmほど。そうめんよりもやや太くて、妙な感覚。これは一気に食べてしまったが、おにぎりが重い・・・。

 

 という、うどん屋らしくないうどん屋さんであった。あ、このランチで500円。奥方が、「明日には必ず連れて行け!」と言うてはる・・・。

 

 その後、高松市御厩町にある専光寺さんを訪問。これまた、ちょっとしたご用。本堂でお茶をいただいた。

 

 東讃教区の教務所長さんは若い修行中からお茶が好きで、おいしいお茶をいつもいただいている。で、しばらく、庄松同行150回忌法要についてのお話になった。明治四年没だから、あと7年で150回忌ということになる。

 

 今日の掲示板はこれ。「どこか何か人の世狂い 原爆忌」というもの。今日はヒロシマの原爆忌。四十何年ぶりかの雨だと聞いた。私も15回ほど、つまり、15年、ヒロシマの「平和祈念式典」には出掛けたもの。いつもいつも暑い熱いヒロシマだった。こんな雨のヒロシマは始めてだ。

 

 それにしても、最近のニュースは異常だと思う。各地で戦闘は続いているし、爆撃も砲撃も行われている。自死や殺人は後を絶たないし、盗撮や詐欺が日常化してきている。どこかで私たち人類は「こころ」を失ってしまったのではないか。どこかで、アクセルとブレーキを踏み間違えたのではないのか。「平和」とは一体、何なのか・・・。そんなことを考えた今日だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

雨模様 立秋という 田舎道

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 さぬき市地方は晴れている所もあるけれど、気圧の谷や南からの湿った空気の影響で雲が広がっていた。一時、雨が振ったりやんだり雷雨がある所もあった。気温は24度から30度、湿度は94%から74%。風は1mから4mの南東の風がときおり。明日の8日は、台風第11号が九州の南海上を北上するため、雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 今日は早くも「立秋」で、大暑から数えて15日目頃。朝夕が涼しくなり、秋の気配が立つ日だが、これからが夏本番という今頃。立春からちょうど半年が経過して、この日から立冬の前日までが秋。暦の上では秋になるそうだが、日中はまだ残暑が厳しくて、1年で最も気温が高くなる時期となる。この頃は、月遅れのお盆を前に各地で夏祭りが開催されるころでもある。

 

 ということで、このブログは開設から3,400日目ということになった。10年目となる3,650日まで250日。8ヶ月後ということはやっぱり4月か。そらそうだ、4月上旬に始めたのだから・・・。3,400日は通過点ながら・・・よくも継続したものだと思ったりする。もちろん、その間に一日の空白もない。

 

 奥方のけいこばぁが「うどん酒房ひなた」へ連れて行って欲しい・・・というものだで、出掛けたのだけれど、11時の開店まで少しばかり時間があったので、ここで休憩することにした。高松市香南町由佐にある高松市香南歴史民俗郷土館である。

 

 ここでは先月末だかに紹介した船のプラモデル展が行われている。こういうものも作ってみたいという気持ちにはなるが、左目が見えなくなったのと手が震えるようになったのと根気が続かなくなった。先日もグフだかガフだかのガンプラを孫のはやて君に譲ったばかり。

 

 それだし、保管場所にも困る。そのままだとホコリが溜まってしまうし、掃除はできないし、広い場所が必要だし・・・。

 

 ということで、11時過ぎにお店に入ったら、大阪ナンバーの家族連れのお客さん4人と香川ナンバーの4人のご婦人が先客だった。言うては悪いが、駐車場はないに等しいほどの猫の額。3台か4台程度。こんなんでやっていけるのだろうか・・というお店。

 

 けいこばぁは、かけうどん小の温いん+おでん1本+かきあげ天ぷらで、300円+100円+120円=520円。讃岐ではオーソドックスな食べ方。

 

 私は昨日の失敗を考えて、温玉ぶっかけ小の冷やで480円。一般店としてはお得ねぇと、奥方は言うていたが、お得かどうかはわからない。やはり、冷やで食べるとコシというかしたたかさがわかる。かけ出汁だから、少し味は強いなぁと思うが、あんまり薄いと麺にからまないかも・・・。しっかりと計算されているんだろうとは思う。

 

 昨日、お寺で、「木村さんは有意義な毎日を送られていますねぇ〜」 と言われたので、気を利かせたつもりで、「余生ですから・・」と答えたのだけれど、これが気になって仕方がない。調べてみたら、”盛りの時期を過ぎた残りの生涯。残された人生。「静かに余生を送る」「余生を楽しむ」などと使う・・・”とあった。なんだか、わびしい言葉ではないか・・・。私は、自由時間だから余裕なんですよ・・みたいなことを言いたかったのだけれど。

 

 現役時代、朝の朝礼で、「余生とは『残された命』ということだから、この命が誕生したときからが『余生』なんですよ・・」みたいな話をしたことがある。生まれた時からが余生なんてことを言うと、セミみたいで、はかない命を考えてしまいそうになるのだが、「余生」と言う言葉の響きは悪いなぁと反省したことだった。

 

 ま、宇宙とか天文学とかから考えれば、人間の人生なんてはかないものではあるのだろうけれど。

 

 午後からは、研修会のレポートをいじくって半日が過ぎた。とにかく、午前中がメインになって、午後は15時までで、15時からは犬の散歩、お風呂の準備に洗濯物の取り込み片づけ。ブログ用の画像処理、アップロード、ブログの更新をすれば入浴と夕食になる。まさにあっという間の一日である。まさに時速66Kmの速さである。それから、facebookへの投稿となるのが19時前後。

 

 今日の掲示板はこれ。「私の人生を変えられるのは私だけ。 誰も私のためにそんなことやってくれないわ。」という、キャロル・バーネットさんの言葉から。キャロル・バーネットさんは、アメリカのテレビ・ミュージカル女優でコメディアンでもある。ブロードウェイで舞台デビューし、テレビへと活動の場を広げて行った。いくつかのテレビバラエティー番組のレギュラーを経たのち、CBSで自らの番組キャロル・バーネット・ショーを受け持った。同番組は12年続く長寿番組になったという。

 

 自分の人生は自分で切り開くしかないし、自分で振り返りながら歩きつめていくしかないもの。誰もそんなことをしてくれないもの。幾つかのアドバイスや忠告や助言をいただくこともあるかも知れないが、それを受け入れるか受け入れないかを決めるのは自分であって自分で行動しなければ変革はない。自分の人生は自分のもの。それを決めるのは自分しかいない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

静けさに 嵐の前の 武者震い 

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 丸亀地方は、台風第11号が九州の南海上を北上するために、南からの湿った空気の影響で雨が降り、激しく降っている所があるらしい。気温は25度から28度と高くなく、湿度は92%から87%と高かった。風は1mから3mほどの北東の風が少し。台風11号(ハーロン)は、7日13時現在、奄美大島の東約220Kmを北に向かって進行中。中心気圧は945hPa、強さは「強い」、最大瞬間風速は55m/s。明日の9日は、台風第11号が四国地方に接近するため、大荒れの天気となる見込みらしい。 

 

 いよいよ、台風直撃だな・・・ということで、朝から大慌てしながら旅の準備。7時出発で丸亀に向かった。朝のラッシュて、こんなだったのか・・・と思うほどの渋滞で、丸亀港には9時前に着いた。食材や缶ビールも買っておきたかったが、まだ、スーパーは開店していない。

 

 このときは、まだ、空に青空が見えている。ラジオのニュースでは、昼前から雨になるという。ここが思案のしどころだった。9時25分のフェリーにするのか、11時15分の高速艇にするのか・・・。雨になってはノートPCやタブレットが危ない・・・ということで、食材なしでフェリーに乗った。

 

 この便は、手島や小手島(おてしま)を回ってきたので、大勢の人が降りてきた。病院や買い物に行く人や台風で本土へ避難する人もいるのだろう。そのかわりに、この船に乗ったのは10人ほど。

 

 そうは言っても、昨夜の夕食の残りや漬け物や生玉子などは用意してくれた。お米があれば2日や3日は食べられるのだが、お飲み物がやや不安・・・。空はだんだんと雲が厚くなってきたし、風も出てきて波が目立つようになってきた。

 

 10時過ぎに江の浦港に着くと、すでにお隣さんの「よこせ丸」さんがロープを張ってくれていた。一足、遅かったのか・・・。ご覧のように、キャビン(操舵室)が箱のようになっているので、風が吹けば、キャビンが風圧を受けて船が岸壁に激突する。そのために、後方(写真手前側)にロープを張って固定する訳だ。前は前でも固定してある。

 

 島の家に着いたとたんに雨が降り出した。この前に草刈りをしたのは連休前だったのか、カレンダーが6月になっているから、6月にもやってきて草刈りをしたはず。調べてみたら6月の18日19日に草刈りに来ていた。しかしのかかし、元の木阿弥で草まみれ。

 

 冷蔵庫には缶ビールが30本ほどがあったし、日本酒も焼酎も残っている。三日間はなんとかなりそうだ。

 

 ここに来たらこれになる。特性カレーうどん。これを食べて、船の点検に行く。

 

 船首部分を「オモテ」というが、オモテには通常、三本のロープが張ってあって、真ん中、右方、左方へ引き分けてあって、これで船が揺れないようになっている。台風時期には、更に左右に一本ずつを張って補強しておく。

 

 ロープの結束部分も確認しておく。緩んでいると船が流されるおそれがあるからだ。

 

 雨は強くなったり弱くなったりしながら降り続いている。風はまだ、そう、強くはない。

 

 四国は9日から10日あたりがピークらしいが、とにかく落ち着かないことではある。

 

 島の漁師さんも集まれば台風の心配ばかりを話している。当面の話題は「台風11号」しかない。それが通り過ぎないと、次の一歩が踏み出せない。

 

 今日の掲示板はこれ。「大切なことは何年生きてきたかではなく 何をして生きてきたかということです」という、荒了寛さんの言葉から。人生に意味があるかどうかを考えればさまざまな考えに出会うのだけれど、その意味も考えることなく、ただ、漫然と年齢を重ねるだけの人生ではなく、この私が何を成し、何を発言し、どのように生きたのかが大切であるよ、と、言うている。昨日の「余生」という言葉にも関連するけれど、「静かな余生」も、それはそれなりの生き方だから尊いのだけれども、「私が生まれてこなければ、この世に生まれなかったものもある」という生き方もまた、尊いだと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ひまわりが うなだれている 午後である

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 丸亀地方は台風11号の影響で、雨や雷雨となり激しい雨の降っている所がある。香川県では、土砂災害や河川の増水に警戒するようにと呼びかけている。気温は22度から25度、湿度は94%から92%。風は3mから6mの東北東の風がときおり強く吹いていた。明日の10日は、台風第11号の影響で、雨や雷雨となり、明け方にかけて非常に激しく降る所がある見込みとか。午後は次第に回復するらしい。

 

 南備讃瀬戸も波が高くなって来た。海上に船の姿は見えない。しかし、雨はまだ多くないが、島では厳戒態勢。

 

 港付近の防潮堤や防潮扉は固く閉じられているし、午前8時35分発のフェリーが港を出てからは待合所も閉鎖されて欠航になった。これでしわく広島は孤島になった。

 

 島が孤立するだけではない。四国本土がまるごと孤島になっている。空の便も海の便も、高速道路もすべてが通行止めや欠航になっている。

 

 人影のいないフェリーの待合所。波よけ防護版が取り付けられている。わが家も雨戸を閉めて厳戒態勢。

 

 台風11号(ハーロン)は、足摺岬の南約230Km、北北東に15Kmで北上中。中心気圧は955hPa、中心付近の最大風速は40m/h、最大瞬間風速は55m/h。強い台風第11号は、9日夜から10日はじめにかけ、四国地方から九州南部へかなり接近し上陸するおそれがある。今夜から明日の朝がポイントらしい。

 

 西日本では猛烈な風が吹き、猛烈なしけとなり、西日本の太平洋側と東海地方を中心に猛烈な雨を伴い大雨となる見込みとか。暴風や高波、土砂災害、低地の浸水、河川の増水やはん濫、高潮に厳重に警戒するよう呼びかけている。

 

 そんな中で、タカサゴユリが清楚に花をつけていた。

 

 今回は時間的なこともあって食材を持ち込めなかったので、食事も滞在日数と食事の回数を考えて、節約しながら、消費を考えている。今日のお昼はそうめんになった。いざとなったら、乾麺もあるし、そうめんもあるし、冷凍うどんだってあるのだけれど。

 

 港に係留してある船も左右に大きく揺れているが、こればかりはどうしようもない。ただ、嵐の過ぎるのを待つしかない。

 

 私の住んでいるさぬき市大川町でも土砂崩れで県道が通行止めになっているし、わが家近くの県道2号線も通行止めになっているし、避難準備情報が出たらしい(15時20分)。けいこばぁはどうするんだろうか・・・。

 

 わが家の場合にはすぐ上流に県営ダムがしっかりと構えているし、津田川が増水しても護岸工事をしてもらったばかりだし、土石流が発生するような地形にはないので安心はしているのだけれど・・・。

 

 しわく広島は今のところ、そういう情報は全くないし、風も波も雨もおだやか・・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「あるがままに生きる ないがままに生きる」というもの。「あるがままに生きる」という本は幾つかあるが、「ないがままに生きる」が結びついていない。だから、誰の言葉だかはわからない。全てのものは、ああしよう、こうしようという主体性をもって生まれて来たわけではなく、「自然に」生まれて来たのである。全ての対象は自分も含めて観察するべき対象というよりも観察されるべき対象と言えるかもしれない。観察できる主体はどこにもない。あると思っているだけである。日本人は自然にまかせて、あるいは自然と同化してあるがままに生きるということを脈々と実行してきたのではないだろうか。また日本文化に大きな影響を与えた仏教の縁起説では(物事の発生と展開)において、全てのモノに「自性がない」ということがある。そんな難しいことを言わなくても、あるだけの食材で生きる。なければないで、なんとか食べて生きるのである。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。

台風の 過ぎて普通が ありがたい

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 丸亀市地方は、台風第11号の影響で雲が広がり、台風後の吹き戻しの風が強かった。午前中は小雨が降ったり止んだりを繰り返していたが、午後からは晴れ間も見えた。気温は25度から30度、湿度は92%から84%。風は9mから4mの南南西の風が吹き荒れていた。明日の11日は、次第に高気圧に覆われるため、概ね晴れるらしい。

 

 大潮と台風とで高波になるというので警戒をしていたが、かろうじて防波堤を越えることはなかった。

 

 台風11号が高知県安芸市に上陸直後の午前6時半ごろ、いきなりテレビの映像が切れて室内灯も消えた。久々の停電になった。私のこどもの頃だから50年ほど前は、台風になれば必ず停電になった。でも、最近はそんなこともなかったので驚いた。

 

 テレビが使えないとなると、ラジオもCDラジカセも使えない。パソコンもバッテリー容量が少ないのでバサバサとは使えない。いつまで停電が続くかわからないのだから・・・。そこで、読み残していた、この文庫本の続きを読んだり・・・

 

 思い出したように、この本を開いたりと、『晴耕雨読』になった。あたりまえのようにある電気だが、これがなくなると、とたんにすることがなくなってしまう。暑くなったからと扇風機を取り出そうとして気がついた。停電では使えない。電子レンジもお風呂もシャワーも使えない。

 

 することがないと、外に出たら雨と風だ。傘は役に立たないし、雨具を着るほどでもないし。濡れた衣服を洗濯しようとすれば、洗濯機は回らない。ドライヤーも使えない。電気が一日くらい無くても・・・と思ったけれど、なかなか・・・。2時間もすればグリコのマークで「ばんざーい」のお手上げ状態。

 

 パソコンを遠慮がちに節約モードで使ってはため息・・・。本を広げてはため息・・・。「ため息つくな 首振るな おんなじ昨日を演じるな」というのは、昔の漫才師のギャグを思い出しては、自虐モード。

 

 おとなりさんの雨樋が壊れて、水路に飛び込んでいる。昨夜の風はすごかったもの。昨夜は広島小中学校の体育館が避難場所になったらしいが、避難した人はいなかったみたい。

 

 島の道路上にはこのような落ち葉や木の枝が散乱している。そうそう、この島はセミが多い。雨があがったからか、クマゼミやアブラゼミやミンミンゼミなどがやかましいほど啼いている。いま、啼いておかないと啼く時はないぞ・・・というくらいにけんめいに啼いている。

 

 今日はまだまだ風が強いので、船の係留ロープを外すのを明日以降にすることにした。海も波が高くて大きなうねりが残っている。

 

 空には青空が戻って来たが、雲もまだまだ多くて厚い。それに風が強く残っている。

 

 何に驚いたのか、カメも移動中・・・。

 

 どうにか台風11号は通過して行ったみたい。そして、待望の電気が15時半に届いた。早速にお湯を沸かして温かいシャワーを浴びて、濡れた衣服のお洗濯・・・・。テレビやラジオが動作することを確認して、パソコンを充電、タブレットや携帯電話、デジカメにも充電中。やれやれだ。懐中電灯や乾電池式ラジオ、お仏壇のろうそくなども準備したのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「生涯 初体験の連続である」というもの。誰の言葉だかはわからないが、昨日、今日は、まさに、そんな初体験の連続であった。これだけ生きてきても、まだまだ、ドキドキすることがあるものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ヒグラシが 鳴いて予定を 忘れる日

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていたが、やがてには青空も見えていい天気になってきた。気温は22度から31度、湿度は82%から62%。風は1mから3mの東の風が少し。台風一過の秋晴れ・・・にまではならんかった。明日の12日は、引き続き湿った空気の影響で雲が広がりやすく、雨の降る所があるらしい。また、雨かいな・・・。

 

 昨夜、山の家から島の家に娘から電話が掛かってきて、「お盆明けの20日からお友達を連れて島の家へ行くけんね〜♪」というので、夕べからてんやわんや。空き缶・空き瓶・ペットボトル、余分な紙やら資料やら、洗濯物から私の衣類から・・・と大掃除の大片づけ。朝から家の周囲の草刈りをやったり・・・。

 

 8時過ぎからは、マイボートの緊急用係留ロープの撤去やら片づけ・・。おとなりの「よこせ丸」の船長さんと共同作業。

 

 このころになると、ほとんどの船の台風用係留ロープの撤去が終わっていた。いつまでも残っていると、他の船の航行に支障となる。

 

 今回のミッションが終われば撤収。10時45分の高速艇でしわく広島の江ノ浦港を出て丸亀港に向かう。まだ、幾分かの風が残っているらしく、小さな高速艇は微妙に揺れるし、波も飛びかかってくる。

 

 海上15分間で丸亀港に入港する。ここは船舶用の「煙突工場」。いろんな船の煙突ばかりを作っている。昔の煙突は黒い煙を吐き出す重要なものだったが、最近は「かざり」になっていて、「ファンネル・マーク」という「所属会社」を示す「顔」的な設備になっている。

 

 丸亀市にある丸亀港から食事もせずに走って向かったのがここ。さぬき市槇川にある四国八十八ヶ所霊場の88番札所の「医王山遍照光院大窪寺」に行ってきた。お遍路の最後の札所大窪寺は願いが成就する寺として別名、結願(けちがん)寺とも呼ばれている。

 

 ここでご本尊の特別開帳が行われている。今年の初めにも見せていただいたのだが、今回は別の視点から拝観してみたいものだと。

 

 大窪寺では、四国八十八ヶ所霊場開創1,200年記念事業として、2014年の毎月8日から12日、9:00〜15:00の期間中、本尊、薬師如来の特別開帳が始まっている。通常の薬師如来は左手に薬壺を持っているのだが、大窪寺の本尊である薬師如来はホラ貝を持っている。人々の悩みや心の霧をホラ貝で吹き払うためであろうか。秘仏であるので、通常は見られないが、前回は50年前だというから、今後、見られる可能性はまずないのかも・・・。この入口から入ると受付がある。この拝観の心得をしっかりと読み、拝観料1,000円をお支払いすると・・・。

 

 お寺のパンフレットと散華用の「ケバ」と「金剛線」と呼ばれるミサンガのようなものが授与される。この金剛線は仏様と結縁(けちえん)するもので、お守りとして使ってもいいそうだ。その後、塗香(ずこう)は、仏前に出る前や法要を執行する前に行われる。宗派により違いがあるが、一般に、先ず指ひとつまみの少量の塗香を左手に受け、右手の人差し指と中指に少しつけ、口に含む。次に香を両手で数度磨り合わせ、その後、その両手で胸(実際は衣の上)に当て塗る。身・口・意の三業を清めるとされる。仏前に進む場合に行う礼儀である。普通は、お線香や抹香で身を清めるのと同じ。

 

 その後、椅子に座り、住職さんのお唱えするご本尊の真言、「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」を唱えながらご加地を受ける。その後、奥のご本尊前に案内していただいて拝観をさせていただく。そこは、本堂の後部にある多宝塔の内部。こんな機会でもないとここには入れない。

 

 これはお寺からいただいたパンフレットにあったご本尊の「薬師如来座像」。このご本尊は、つい最近に修理された木像で、寺伝では弘仁年間 (810 - 823) に僧空海(弘法大師)が奥の院の岩窟で虚空蔵求聞持法を修し、薬師如来を刻んで安置したとされている。この時に空海が納めたとされる錫杖は、空海が唐から持ち帰った三国伝来のものと伝え、本尊とともにまつられている。

 

 ということで、貴重な体験をしたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「運によって生き方が変わるのではない 生き方によって運が変わるのです」というもの。荒了寛さんの言葉であるが、川の流れには素直に従ったほうが、抵抗もなく、速く進むことができる。それが「運を大切にする」ということである。運を大切するということは生き方を考えるということでもある。流れのままに生きることも大切なことではあるが、その流れをうまく使って生き抜くこともまた運を切り替えて行くことにもなるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ひと来れば あついあついと 言うばかり

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 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、小雨の降っている所があった。気温は23度から28度、湿度は96%から69%。風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の13日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。ようやくに夏らしくなるのかな。

 

 さて、娘家族のうち、娘だけが家に残っていて、残り三人が我が家にやってきていた。昨日のことだ。で、今朝の4時起きで、鈴鹿サーキットに向かって出掛けて行った。まるで嵐のような一家である。ということで、嵐の過ぎ去った我が家はぼんやりムード・・・。

 

 で、今日は特に予定もないので、本山宗務所からの宿題をこなしておくことにした。できることからコツコツと・・・。まずは「本山史」から。「真宗の地域的特性について、歴史的背景や各自の体験をふまえて述べなさい」というもの。これを990字でまとめるもの。一昨年の「讃岐における二十四輩遺跡調査」で調べた、香川の寺院数調査の結果などを参考にして、讃岐の真宗発生と伝搬についてまとめた。

 

 もう一本は、宗教概論。「人間にとって宗教はなぜ必要か」という課題。これは400字以内とすごく短い。人生には自分ではどうしようもできないことが起きるので、人間以上の何かの助けを必要とする「こころの杖」みたいなものだとまとめた。こういう分野は苦手な感性の部分だ。

 

 あと一つが「歎異抄」。「二章から八章までから一つを選んで内容を説明して、自由に感想を述べよ」というもの。800字以上というから・・適当な大きさの六章を選んだ。「弟子ひとりも持たず」という「師訓章」。本文・和訳まではできたが、自由な感想が浮かんでこない。これは、また、明日だな。

 

 今日のお昼は「そうめん」になった。夏場はこれがさっぱりとしていい。それにしても、年取ったなぁと思うのは高校野球。若い頃は有給休暇をはたいてしまって、甲子園球場に通い詰めたものだが、近年はテレビ観戦をする気持ちもない。ただ、騒がしいなぁ・・・と思うばかり。何の変化なんだろうか。でも、いまだにスコアーブックは付けられる。これは身体が覚えてしまっているんだ。

 

 この車、普通は、ここにスコップをつけるんだけれど、このくみ取りヒシャクみたいなものは何だろう。まさか、これでお墓参りをするんだろうか・・・。水たまりに車が落ち込んだ時のものだろうか。

 

 朝方は、「ミーンミーン」と鳴いていたセミも、昼間からは全く鳴かなくなった。気温は27度から28度あたり・・・。充分に鳴く気温なんだけれど。時期なのか、あちらこちらでセミの死骸を見るようになった。夏もそろそろ終わりなんだろうか。夕方になると、カナカナカナカナ・・・というヒグラシがわびしい声を響かせている。

 

 例年、12日あたりから16日あたりまでは、島の家で過ごしてきた。孫のはやてちゃんが生まれる前からだったが、今年は、そのハヤテ君が中学三年生になって、来年が受験生・・ということもあって、今年は「しわく広島」での夏休みがなくなった。神戸の「たっちゃん」も同じ受験生ということもあって・・・。だということは、私の島の夏休みもなくなってしまうということだ。

 

 奥方のけいこばぁは、若い介護士さんらが「お盆休み」をとるために、けいこばぁは・・・お盆もなしに働くのだそうだ。だとしたら、私一人が独居老人になってしまう。はてさて、どうしようか。

 

 とりあえず、明日13日はプラスチックゴミの回収日。生協さんの配達日でもある。14日は空き缶の回収日。先月、私が京都に出掛けていたから、二ヶ月分の空き缶が・・・。1日10本として600個の空き缶が。その上に4回の宴会があったから、プラス150個。概算で750個かぁ・・・。集積場が、我が家の空き缶でいっぱいになりそう・・・。

 

 とりあえず、17日の日曜日には、けいこばぁがお休みになるので、お盆のお仏壇参りには親戚の人が来るかなぁということで、「盆礼」の準備をしなくては。恒例の生ビールかな・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「何が起こるかわからないのが世の中 何をしでかすかわからないのが自分」というもの。妙好人の源左さんの、こんな話を聞いたことがある。ある人が、「村の者がお爺さんを妙好人伝に載せるというがのう」と言うと、源左さんは、「いやいや待ってつかんせい、死ぬるまでは何をするか分からんでのう」と応えたというもの。「何が起こるか分からないのが世の中。何をしでかすか分からないのが自分」(伝聞)。「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いもすべし」(『歎異抄』)何かが起こったときに、どうするかは、実は、そのときまで分からないものだろう。そのときに頂いている、気づきの深まり具合に応じて、自ずとすることが決まるのだという。私たちは、たいてい、「こんなときには、どうするのか、あんなときには、どうするのか」と、頭のなかの運動会に忙しく、人生を終えていくのかもしれないが、人生にシミュレーションなどありはしない。人生は、つねに本番なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

蓮の花 休みを提げて 客が来る

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 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。今日は晴れるかなぁと思ったけれど、一日中、どんよりとした天気だった。気温は22度から29度、湿度は92%から72&。風は1mから2mの南東の風が少しばかり。明日の14日は、湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝、facebookの、どなたかが「エアコンを掃除したらよく冷えるようになった」という投稿があったので、我が家のエアコンも10年間そのままだからと開いてみたら、フィルターにほこりが盛り上がっていた。そこで、一台分を水洗いしたらものすごいホコリが取れた。そこで、家中の6台のエアコンの掃除をしたら、どんぶり一杯分ほどのホコリが取れた。

 

 この部分の掃除の仕方がわからんので、これはまた後日。クリーニング用のスプレーがあるらしい。で、脚立というハシゴを使ったものだから、ついでに・・・。

 

 屋根樋の掃除もしておくことにした。先日の台風の時に、トイから水があふれて困ったわよ〜と、けいこばぁに言われていたもので。

 

 ここも10年もたてば落ち葉が詰まって水が流れなくなっている。

 

 しかしのかかし、どうにも高い所が怖くなった。「人に見上げられる職業」を選んで電柱に昇っていた私が、わずか2mほどのハシゴの上で足が震えて困るようになった。まさに「お年ですから」になったもんだ。

 

 で、これまたどなたかが、「こがね製麺所の肉ぶっかけを食べた」と、投稿していたのを思い出してここに行ってみた。さぬき市志度にある「こがね製麺所志度店」である。ここもずいぶんとご無沙汰をしている。

 

 で、「肉ぶっかけ小の冷や」をお願いしたら、しばらく待てとおっしゃる。セルフのお店にしては珍しいおことば。会計だけをすませて番号札を頂いて待つこと数分。ようやくにおうどんがいただけた。ネギとワカメとおろしショウガはフリートッピング。天かすは入れなかった。左にあるのは、時間が経った麺を無料でサービスしているものをいただいた。

 

 さすが、夏休みだ。家族連れが続々とやってくるが、「しばらく待って」を連発している。ここはシステムが変わったのかな。だが、いくら食べても麺が減らない・・・。上の方だけ食べて半分は残してしまった。確かに「小」をお願いしたし、小の分の420円を支払ったのだが、二玉(大)は入っていたような感じ・・・。

 

 世の中は「お盆」とか「月遅れのお盆」とかと言って「お盆休み」だと理解している。私もずっと、そのような感覚だった。「お盆だから休みにして実家に帰る」というサラリーマン時代。みんながあつまって食事会(盆礼)をするという感覚だった。ま、当番で出勤をしなければならない年もあったけれど。

 

 お坊さんになって、はじめて「歓喜会:かんぎえ」とか「盂蘭盆会:うらぼんえ」などと言う言葉を知った。みんなでお仏壇の前に集まっておつとめをしてから「お食事会」になるのだと知った。ああ、本末転倒の盂蘭盆会だったのだ。だから、お正月の「正月礼(しょうがつれい)」もまた、そういうことか。

 

 でも、子供の頃から、お正月やお盆に仏壇の前でお経を読んだような記憶はない。少なくとも、我が家ではそのような習慣はなかったし、親戚の「正月礼」や「盆礼」に言っても、仏壇にお参りし、合掌や礼拝はしても、みんなで読経したことはなかった。

 

 昨日も書いたように、我が家のお盆は今年はない。ただ、お仏壇参りにみんなが集まる「盆礼」は、今週末の17日に決定したようで、19リットルの生ビールを予約していた。これを10人ほどで飲み干してしまうのだ。ま、お昼前から飲み始めて、夕方には空っぽになる予定。

 

 今日の掲示板はこれ。「子を持って知る親の心 子を持って忘れる子の心」というもの。『親の心,子知らず』『親思う心にまさる親心』『子を持って知る親の恩』……。 いずれも『親の恩は山よりも高く,海よりも深い』と子ども達に言い聞かせる教訓であり,このように親の側から子どもに押し付ける《恩着せ》的な格言,箴言(しんげん:教訓)の類は数え切れない。それだけ人間というもの,親不孝な子ども達が多かったということなのだろう.さて掲示板の『子を持って忘れる子の心』というのは,明らかに先の『子を持って知る…』を踏まえた逆説的な箴言である。解説するまでもないが,「自分が親になるまでは子どものように自由な心を持ってのひのびと生きてきたのが,子どもを持ってしまうと,ついそのような心を忘れて,子どもを厳しく叱りつけてしまう」という反省や自戒の表現なのだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

気高くも 高砂百合の 花の白

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 さぬき市地方は、西日本に停滞する前線に向かって、南からの暖かく湿った空気が入っているため、雲が広がり雨の降っている所があった。香川県では、14日昼過ぎから急な強い雨や落雷に注意するように言っている。気温は24度から30度、湿度は92%から82%。風は2mから4mの南南東の風が少し。明日の15日は、南からの暖かく湿った空気の影響で、雲が広がり昼過ぎから夕方にかけて雨が降り雷を伴う所があるらしい。

 

 今日が空き缶類の回収日なもので、昨日の夕方に集積場に運んだのだが、背中から足腰あたりが引きつるようになったし、大粒の汗が噴き出した。「あ、あかん・・・」と、車に乗り込んでエアコンを最強にして安静にしていたら収まった。熱中症の前段階だったのかなぁと思ったことだった。

 

 さて、例年のお盆休みとは打って変わって、今年は静かなお休みになっている。奥方のけいこばぁは14/15/16日とお仕事、それも今夜はお泊まり勤務。若い介護士さんが盆休みや子供の夏休みほかで、お盆の間は人手不足になるらしい。そのリカバリーらしい。

 

 とにかく、このあたり・・(と、言うてもどこかわからんだろうが)では、「お盆だから」と言って、特に何もしない。よく、キュウリやナスで牛だの馬などを作るとか、迎え火をするとか、お墓に灯籠を吊すとか、マコモだのそうめん飾りだの・・・という、そういうものをしない。町ではお坊さんがバイクに乗って走り回っているが、こちらではそんな姿も見掛けないし、お盆つとめにお坊さんが来たこともない。

 

 よく、テレビなんぞではお墓参りをする画像を見掛けるが、そもそも、お墓なんてないおうちが多かった。京都の霊山別院の納骨堂や?松の仏生山法然寺に納骨するのが常だった。このあたりでお墓を作るのは昭和の後期になってから。我が家も昭和の45年に父親が亡くなってから、母が建てたもの。だから、墓参りの習慣もなかった。

 

 平成の7年に丸亀市沖の「しわく広島」に海の家を建ててからは、お盆休みと称して(当時の所属会社にはお盆休みはなかった。カレンダー通りの勤務だった)、島の家で魚を釣ったり、飲んで食べて遊ぶものだった。そこに娘家族や神戸からのお客さんなどで、十数名がわいわいがやがやと夏休みを楽しんだものだった。

 

 その頃に生まれた子供も大学生になり、その下の子は今年は中学三年生になった。島で遊ぶ余裕はないそうで、ついに「島の夏休み」もなくなった。おそらく高校生になると、勉強だ部活だと、島まで来る時間もなくなってしまうことだろう。入学金だ、授業料だと考えれば、親たちも遊んでばかりもいられない。

 

 それだし、20年もすれば、島の生活の新鮮さもなくなってきたし、海の魚もめっきりと減って、釣れるのはフグばかりになってしまったし、島の楽しみも激減してしまった。ただ、暑いばかりではたまらない・・・。

 

 だから、子供の頃から、お盆と言えば「盆礼」ということで、13日は母方の実家での盆礼、14日は叔父さんちでの盆礼で、15日が我が家での盆礼で・・・ということで、連日のお食事会で過ごすものだった。ま、飲んで食べてああだこうだと世間話を楽しむ毎日だった。それが親戚づきあいだと教わった。ま、今風に言えば「親戚の絆」なんだろうと思う。

 

 でも、今は、母方の叔父さんも叔母さんもいないし、親戚の多くの方がいなくなってしまって、そういう「盆礼」に呼ばれることはなくなった。ただ、今週末の17日の日曜日には、弟家族の二家族に娘家族やいとこ夫婦が集まる程度になった。

 

  と言うことで、今日は徳島県の10ヶ寺を回ってきた。観音さんがいた切幡寺から東に向かって、法輪寺・熊谷寺・十楽寺・安楽寺・地蔵寺・大日寺・金泉寺・極楽寺までやってきた。とすると・・・

 

 今日の旅の終わりはここ、霊山寺。ここは「れいざんじ」ではなくて「りょうぜんじ」と読む。

 

 その霊山寺の境内の池にあるこどもたちの像。

 

 今夜はこの花火を一人で見ることになりそう。

 

 今日の掲示板はこれ。「千万(ちよろず)のいのちの上にさづかれし 平らけき世を生きる悲しさ」という元西本願寺お裏方の大谷嬉子さんのお歌から。つい先ごろご往生なさいました大谷嬉子前裏方様のお歌で、数え切れないほどのたくさんの命を踏み台にして、今、この私がある、そのことがひしひしと伝わってくるお歌である。とかく私たちは、人さまには感謝しても他の命への感謝の気持ちは忘れてしまいがち。それは食事だけに限らない。たとえば病気が治ったとき、お医者さんや看護師さんなどの医療現場のかたがた、心配して見守ってくれた家族にはたいていの人が感謝をするけれども、ひとつの薬を実際に人が服用できるようになるまでには、幾万もの実験動物が尊い命をささげ、犠牲になってくれたことには思いがおよばない。「いただきます」の一言でも、そこに込められた意味をどのように受け取るかで、その人の生き方までがわかるように感じられたことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

正座して あがる花火を 箸で刺す

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 さぬき市地方は、山陰沿岸に停滞する前線や南からの湿った空気の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所もあるらしい。気温は26度から29度と高くはないが湿度が89%から94%と高くて蒸し暑いし、梅雨のようにベタベタ感がある。風は1mから4mの南南東の風。明日の16日は、南からの暖かく湿った空気や次第に四国地方に南下する前線の影響で雲が広がり、昼前から雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みとか。

 

 今日も朝から蒸し暑い天気になって、あの梅雨が再びやってきたような息苦しさ・・・。立秋を過ぎてからのこんな天気もおかしいなぁと思ったりする。それが明日も明後日もなんだって。

  

 最近はお盆だってお正月だって似たようなもので、単なる「お休み」ということで、本来の意味なんぞわからなくなっているように思うし、それを考える必要もないような時代になったのかも知れない・・・。

  

 お坊さんになるときに、教養課程だか教典解釈だかで勉強したと記憶をしているのだが、お盆のことを盂蘭盆(うらぼん)といい、正しくは梵語で「ウランバーナ」と訳し「倒懸」さかさまにつるされた苦しみという意味があり、このような苦しみを取りのぞく供養がお盆ということになるらしい。

 

 盆の由来は、お釈迦さまの十大弟子の一人である目蓮尊者(もくれんそんじゃ)が餓鬼道におちた亡きお母さんの苦しみを救った因縁によることが「盂蘭盆経」に示されている。

 

 ある時、目蓮尊者が亡き母の恩に報いたいと神通力をもってあの世を透視すると、こともあろうに愛するお母さんは餓鬼道におちていた。生前の面影はなく、すっかりやせ衰えて骨と皮だけになって飢えに苦しんでいる。目蓮尊者は嘆き悲しみ、お釈迦さまに母を救う教えを願ったところ、「七月十五日には厳しい九十日間の修業をおえて清浄になった僧達が帰ってくる。そのお坊さんたちに百味の飲食(おんじき)を供えて供養しなさい。修行僧たちは、ご先祖様や餓鬼道で苦しんでいる者のために喜んで回向(供養)してくれるであろう。そうすれば、その功徳によって、お前の母や、餓鬼道で苦しむ者も含めて、きっと母を救うことが出来るだろう」と教えてくれた。目蓮はお釈迦さまの教えに従って行ってみると、不思議にもその功徳によって餓鬼道の苦しみから救われたと「盂蘭盆経」に示されている。その「ウランバーナ」に漢字を当てたのが、日本では盂蘭盆会(うらぼんえ)になっているのだという。

  

 お昼前にけいこばぁが戻って来て、「お買い物他に行くの。一緒にお願い・・・」というので運転手になった。お泊まり勤務で疲れているのだから仕方がないなぁということで。で、郵便局やら銀行に行って・・・。今日は年金支給日ということで、どことも人が多い。駐車場がどこともいっぱい・・・。

  

 で、今日のお昼はここになった。さぬき市長尾東にある「笠堂や」というプチセルフで、カウンターで注文して製品を受け取って会計を済ませて、食後には食器を返却口に返しておしまいという形式。

 

  で、今日は珍しく「梅おろしぶっかけうどん小の冷や」で330円。黄色い物はおろしショウガ。ま、蒸し暑いときには冷たい物がおいしい・・・。けいこばぁは、いつものかけうどん+天ぷらを二つ。

  

 その後、こういうお店で、17日の「盆礼」のための食材の予約や調達。十数名用の食材だから、どっさりになる。

 

  ここは台湾料理のお店だが、ここで唐揚げとかの中華料理を作ってもらうことにしたのだそうだ。ペットボトルのお茶だ、ジンジャエールだという飲み物も調達して、車の燃料も入れたりして戻って来た。

 

 けいこばぁは、缶ビールをぐびぐびと飲んでお昼寝モードに突入。昨夜は泊まり勤務で、利用者さんのお世話をやっていたので、夕方の16時まではお昼寝。その後、我が家の夕食の支度。

 

 私はお仏壇周りの掃除や片づけ。ま、あらかたは12日に済ませてはあるのだけれど。 

 

  今日の掲示板はこれ。「おぼん 父や母に会いたいな ご先祖様にも会いたいな みんなに会える夏の盆 心を洗う ふるさとの盆」というもの。このことば通り。ご先祖様に感謝をしなければ。お盆に限らず、いつも感謝をしなければ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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