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まどろみを みんみん蝉に 破られる

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 さぬき市地方は、西日本に停滞する前線や南からの湿った空気の影響で、雨や雷雨となっている。気温は25度から28度、湿度は94%から87%。風は1mから3mの南南東の風が少し。明日の17日は、前線がゆっくり北上するが、南から暖かく湿った空気が入り、大気の不安定な状態が続くため、雲が広がりやすく、雨や雷雨となる所がある見込みとか。

 

 朝方は賑やかな「カナカナカナカ・・・」という、ヒグラシの声で起こされたし、なんだか蒸し暑くなって6時過ぎに起き出した。天気が良ければ、もっと、早くに起きられるのだろうに。セミが鳴いているのに雨も降っている。やがてにはみんみん蝉が鳴き出した。

 

 さすがのけいこばぁも、「湿気が多くてベトつくわ〜」と、エアコンをドライモードで運転しながら、ピアノのレッスンをやっている。スリッパがベタベタと床にくっつくような感じで気持ちが悪い。いつまで梅雨状態が続くのだろうか。

 

 あっという間にお盆も終わってしまって、雨の土曜日になってしまった。今年は海水浴ができたのは夏休み直後の7月の20日前後だけではなかったのか・・・。それに今年の海の水も冷たかったように思ったな。

 

 さてさて、宿題の研修会のレポート、そろそろと仕上げなければ・・・ということで書き上げようとしたが、提出間際になって、「これは意味が違うんじゃなかろうか」とか「これは意図するレポートにはなっていないんじゃないか・・」と考えると、またまた書き直しになってみたり。

 

 でも、あれこれと迷い過ぎても仕方がないと、「えい!やぁ!」と、提出することにした。迷えば迷うほどに訳がわからなくなってしまう。

 

 さて、暦に依れば、今日は京都の大文字焼きの日だとか。で、月遅れ盆の送り火の日でもあるらしく、近くにある棚岩地区の墓地では送り火用のマキが用意されていた。我が家のある集落とか、その上の集落は真宗なんだが、不動堂から北の集落には真言宗が多いらしい。いや、そういうことよりも、その地区の習俗・習慣なのかも知れないのだけれど。

 

 そうそう、今朝方から一日中、雷光が光ったり雷鳴が轟いたりと不穏な一日。少し前までは雷さんが鳴ったら、コンセントから電気器具を外せだのブレーカーを落とせだのと大騒ぎしたし、確かに真っ黒になった電話機やらテレビを見たことがあった。私んちのモデムも雷の雷害で燃えたことがあった。今は、あんまし、そんなことを聞かなくなった。避雷装置や保安装置が良くなったのだろうか。

  

 今日は珍しく「半田そうめん」のお昼になった。半田そうめんとは、徳島県つるぎ町の半田地区(旧半田町)に伝わるそうめんの一種である。この吉野川のもたらす肥沃な堆積物が小麦を育てると共に生産に欠かせない良質な水をもたらし、そこに吉野川と剣山に挟まれた山間に故に吹く寒風と合わさって素麺作りには好条件となっていることも半田で素麺作りが盛んになった要因の一つとされている。三輪や播州、小豆島などの他の産地では手延べ素麺は1.3mm以下というのが一般的であるが、半田素麺は0.1〜0.3mm太い28番手と呼ばれるが標準となっており、そうめんとひやむぎとの中間ぐらいの独特の太さという特徴で知られている。(Wikipediaより)

 

 この前に食べた、香川町の「うどん酒房ひなた」の極細麺が2.5mmだったから、この半田そうめんと変わらないほどの太さ。そうめんとうどんの違いは太さだけだったんだろうか。ということで調べてみた。

 

 広辞苑にはつぎのように記述してあった。「うどん」:〔饂飩〕小麦粉に少量の塩を加え、水でこねて薄くのばし、細く切ったもの。ゆでて汁にひたして食べる。「ひやむぎ」:〔冷麦〕細打ちにしたうどんをゆでて冷水でひやし、汁をつけて食べるもの。「そうめん」:〔索麺・素麺〕小麦粉に食塩水を加えてこね、これに植物油を塗って細く引き伸ばし、日光にさらして乾かした食品。ゆで、または煮込んで食す。とあった。そうめんとうどんは製造過程に於いて違いがあった。

 

 さらに歴史的にみてみると、そうめんは奈良時代に中国より、麺に打ち粉をして手延べする「索餅(そうぴん)」が伝わり、日本では「麦縄(むぎなわ)」と呼ばれていた。その後、鎌倉から室町時代に、中国で開発された麺の表面に油を塗って細かく長く手延べする新技術が伝わり、「索麺(そうめん)」が誕生した。 その後「素麺」と言う漢字になった。

 

 今のうどんと同じように麺棒で伸ばし、包丁で切る麺も「索麺」とほぼ同じ時代(鎌倉から室町時代)に伝わり、日本では「切り麦」と呼ばれていた。これが後に食べ方によって「うどん」と「冷や麦」に分化していったのだという。そうめんがうどんの祖先だったのか・・・。つまり、●ゆでた麺を蒸籠(せいろ)に盛って食べるのが「熱麦(あつむぎ)」。●水で冷やして食べるのが「冷麦(ひやむぎ)」、●☆熱い湯(汁)に浮かせて食べるのが「温飩(うんとん)」といい、後に温が「饂」と書き換えられて「饂飩(うどん)」に変化していったのだという。

  

 今日の掲示板はこれ。「天気に良し悪しはありません 私にとっていい天気 仕事をするのにいい天気はありますが」というもの。天気予報や気象庁からの情報には、晴れだから良い天気になるとか、雨だから悪い天気になるという言葉は使っていない。晴れがよくないお仕事だってあるし、雨を待っているお仕事だってあるわけで、天気に善し悪しはつけられない。私が遊ぶのに良い天気だとか、仕事をするのに悪い天気だということはあるのだけれど。要は、その人、その人の、それぞれの考えだけで善し悪しというものが決まっていくものなのであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ものとせず 高砂百合の たくましさ

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 さぬき市地方は、西日本に停滞する前線や南からの湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は24度から28度、湿度は96%から89%。風は1mから2mの南東の風が少し。明日の18日は、湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 朝からムシムシとしていたが、今日は集落の地蔵祭の日だというので早めに起きた。関西あたりでは、8月の24日あたりが「地蔵盆」ということで、本来は8月の23日が「お地蔵さん」の日の予定だったが、今年はなぜか繰り上げての17日になった。こういう場合には「地蔵祭」というらしい。

 

 この石段の上にあるほこらがお地蔵さん。朝の7時からみんなで掃除をすることになっている。このあたりは、7時と言えば30分前の6時半あたりから人が集まりだす。

 

 地区総出・・・というても12軒しかないし、都合で出られない人も居て、この日は8人ほど。落ち葉などをかき集めて20分ほどでさっぱりとした。

  

 その掃除が終わればシャワーを浴びて着替えて・・・。今度はわが家の「盆礼」の準備。何度も「盆礼」については書いてあるので省略するが、要は正月とお盆の時期に親戚一同が仏さんまいりをして、食事会をすること。

 

 まずは酒屋さんがやってきて生ビールのサーバーをセットし、生ビール19リットルのタンクを接続する。けいこばぁは予約してあったお寿司やオードブルを受け取りにお買い物。

 

 その間に娘家族とか弟とかが来るが、その家族はやってこない。お盆休みが終わっての日曜日だから、早くもお仕事が始まっているみたい。

 

 こういうものとか、

 

 こういうものとかでのお食事会。でも、お盆休みの終わった日曜日ということもあって、都合が悪くなったとかで・・・結局の薬局で、弟二人と娘家族の三人、それに私たち家族の二人だけになった。ということはビールが飲めるのは5人だけ。それで19リットル・・・・。これでは三日ほどはかかるなぁと思ったのだけれど。

 

 このあたりでも「盆礼」や「正月礼」をする家が減ってきているらしい。事実、私は何処の家にも呼ばれることはなくなった。つまり、仏事がだんだんと減ってきているということになる。昨年は母が亡くなっての「初盆:新盆」ということもあって、たくさんの人のお参りがあったが、母という人がいなくなると、その縁者になる人が来なくなった。母となら会話が通じるが、私らになると話題に困るのだという。

 

 時代はそうやって動いてゆくものらしい。おとなたちは飲み出すと動かない。そこで孫のなぎちゃんが大活躍。「なぎちゃぁん、おねがい」とか、「こっちにも生ふたつ!」とかと。

 

 宴たけなわ・・・というところで、私は「お地蔵さん」のおまいりに行かねばならない。

 

 この「お地蔵さん」のおまつりはいつごろから始まったのかを知る人はいなくなったが、娯楽の無かった時代には大切な縁日であったようで、集落以外からもお参りの人が来ていたのだとか。戦後の一時期には盛大な盆踊りまで行われていたのだとか。戦後の昭和20年代から30年代には戸数も20軒もあって、子供の数も数十人もいたのだと聞いた。

 

 今年はおとなばかり、それも50歳以上ばかりの9人の集まりになった。長老の読経から始まって世間話から自治会長からの伝達事項の周知とかでほぼ一時間。

 

 このおまいりの中の二人を強引に我が家にお招きして、今度は夕食会。

 

 ああだ、こうだとわぁわぁ言うてる間に、例の19リットルは完全に空っぽに。誰が飲んだんじゃろうか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「誓って破ってまた誓う 決まり文句は今度こそ」というもの。それが凡夫(ぼんぶ)たる我らの姿である。昔に流行った「スーダラ節」植木等の歌った有名な歌だ。「わかっちゃいるけどやめられない・・・」我らの素顔そのもの。それでいいのだ。「悪性さらにやめがたし こころは蛇蠍(じゃかつ)の如くなり」と親鸞さんも言うてなさる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ヒグラシに 今後の予定を 見直され

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 四国地方は湿った空気の影響で太平洋側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。いつまでも梅雨のような毎日が続いていて夏らしい空が見えてこない。気温は24度から32度、湿度は92%から70%。風は1mから4mの南南東の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き湿った空気の影響で雲が広がりやすく、午後は雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 朝方は青空も見えていて、「あ、今日は布団が干せそう・・」と思ったのだけれど、すぐに曇ってきてしまった。それにしても昨日はたくさん飲んだようでおなかも頭も重くてだるくて・・・。それでも、弟たちは起きるとすぐに帰って行ってしまった。次男はお仕事だし、三男もご用事があるとかで・・。

 

 ぼぉぉぉっとしている頭で、とにかく、これを解体して玄関にまで出しておかねばならない。ガスボンベ、空っぽになったタンク、サーバーのボルトを外して段ボール箱に入れて。ジョッキも数をかぞえてケースに収めて。それらを玄関先まで運び出しておく。朝の8時半には回収に来るという約束。

 

 娘家族も9時前には帰ってしまった。我が家は元の状態に戻ってしまって二人きり。10時過ぎには、そのけいこばぁもお仕事に行ってしまった。

 

 そういうことで、今日は朝食も昼食も抜きにした。どうにもおなか・・・というか胃の具合がよくない。ところで、19リットルというと、通常の435ml(生ビール中ジョッキ)ではおよそ45杯という計算になる。それをおとな6人で飲むと7.5杯少々という計算・・・??そんなものかなぁ・・。

 

 一杯が400円とすると、400*45=18,000円。酒屋さんにお支払いしたのは、12,800円だから、5000円ほどお得という概算になるのかな。どこかで計算がおかしいのかも知れない。

 

 お昼過ぎになって、郵便局でレポートを郵送したり、銀行でお小遣いを引き出してきたり、近くの本屋さんに行ってみたりしたが、目が霞んでいるものだから本を読む気がしなくなって引き返してきた。何のために行ってきたのやら。でもまぁ、最後のレポートを送って済んだら今年のお勉強は終わったも同然。 

 

 おとなりの寒川町にある「県営門入ダム」だが、雨が多かったせいか自然放流をしているが、これがなぜか鼻水を流している顔に見えるからおかしい。これを密かに「洟垂れダム」と呼んでいる。

 

 これは台風の影響で倒れたイネか、それともイノシシが歩き回った跡なのか・・・。今年は雨や曇りばかりで日照時間が短くてイネに実が入っていないのだという。倒れたイネは実が入っているのだとか。どうりで、台風の後でも平気な顔をして立っているイネが多い。

 

 しかしのかかし、お盆が終わってしまえば後の予定がなくなってしまった。ま、定例の空き缶と空き瓶のゴミ出しとか県立病院の予約診察とか所属寺院の永代経とか報恩講とかは決まっているのだが・・・。あとは年末の大掃除とか迎春準備とか・・・。

 

 我が家のホテイアオイの花が咲いている。この花は一日限り。明日には跡形もなくなっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「いのちほど大切なものはないと言いながら 今日もそのいのちを食べている」というもの。動物であろうが植物であろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと思うもの。私たち動物は、そんな他の生き物の「いのち」を奪わなければ、一時も生きていくことができない、悲しい宿命を背負った生き物なのである。口先では「命は重い」とか「大切ないのちをだいじにしましょう」とかと言うのだけれど、その口裏で、平然と他の生き物のいのちを奪って食べているのである。食べることを考えることは、命について考えることである。いのちについて考えることは、多くの生き物のいのちを考えることである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

夏水仙 きっぱりとして 日が暮れる

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気分的には秋らしくなったなぁと感じた一日だった。気温は23度から30度、湿度は88%から64%。風は2mから3mの南南東の風が少し。明日の20日は、引き続き湿った空気の影響で雲が広がり、午後は雨や雷雨の所があるらしい。

 

 朝方はエアコンなしでも良かったが、さすがに午後からはエアコンをドライモードで動かせていた。

 

 朝方は久々に香川県立図書館に行ってきた。まだまだクマゼミがシャンシャンシャンと賑やかに鳴いていた。

 

 今日は香川県立文書館で展示されている古文書類を見るためである。そこには村境・・・ということを意識した文書が展示されている。

 

 ま、さまざまな境界に関する文書があるが、辺路(遍路)の村送りとか捨て往来手形の興味深い書類があった。伊予(愛媛)で動けなくなった遍路を村送り(当該の村の役人が隣村の役人に引き渡して故郷まで送り届けること)していったのに、丸亀で書類に不備があって再び伊予まで戻されたので、そんな無駄なことにならぬようにという文書などが興味深かった。

 

 昔から境界争いというのはどこでもであったようで、さまざまな古文書が並んでいた。

 

 しかしのかかし、筆文字でことこまかく漢字ばかりで書いてあること。それをまた読み解く人がいること。頭痛がしそうなコーナーだった。

 

 で、今回も何冊かの本を借りてきたが、いざ読もうとすると、面倒くさい・・・。

 

 今回も法然上人の本ばかり5冊。どれもこれも漢字ばっかり・・・。

 

 今日は8月19日ということで「俳句の日」らしい。だからと言って俳句がどんどんと湧いて出る訳ではない。

 

 この本に、「お菓子の名前+中七+ハイキング」というコーナーがあった。「ビスケット」+「砕けてしまった」+「ハイキング」・・・みたいなお遊びだな。しばらくやってみたが、お菓子の名前が出て来ない。お菓子なんて食べないし見ないもの。

 

 今日のお昼はここになった。さぬき市長尾東の「笠堂や」。早くて安くてうまい・・・というお店。

 

 今日は「わか梅うどん」の小で320円。ワカメの食感と梅干しのすっぱさがおいしい。

 

 午後からはパワーポイントを使っての法然上人の資料作り。でも、根気が続かないし、集中力が途切れてしまう。これでは夏休みの自由研究がままならない。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。まったく悩みのない人生など有り得ません。生きるということはすなわち悩みと共に歩くことなのです。」という枡野俊明さんの言葉から。枡野俊明(ますの しゅんみょう/1953年2月28日-/男性)は、神奈川県横浜市出身の僧侶(曹洞宗)、作庭家。神奈川県にある建功寺の住職を務める人物であり、禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動で国内外から高い評価を獲得。日本造園設計の代表を務めるほか、多摩美術大学環境デザイン学科教授やブリティッシュコロンビア大学特別教授も兼任している。2003年にカナダ政府よりカナダ総督褒章、2006年にドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受賞。(参考文献:ウィキペディア)

 

 悩みが生まれる原因は一つ。それは何かにとらわれているからである。欲望や夢、ときには人間関係にさえも執着してしまう。その執着心にこそ、悩みの発端がある。これだけは手放したくない、これは絶対に手に入れたい。この思いが叶わない時に悩みが生まれる。人間の持つ悩みとは、自分自身で生み出しているものが多いのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

やれやれと つくつく法師の お説教

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 さぬき市地方は東部では晴れていたが、湿った空気や寒気の影響で西部では雲が広がり、一時、雨や雷雨となったこともあった。気温は24度から30度、湿度は86%から66%。風は2mの南南東の風が少し。明日の21日は、引き続き湿った空気や寒気の影響で雲が広がりやすく、雨や雷雨の所がある見込みとか。ここんところ連日やね。

 

 朝夕は涼しくなってきたし、水道の水も冷たくなってきたし、クツワムシやコオロギが賑やかに音楽会をやるようになった。ふと、カレンダーを眺めていたら、はや、八月も残り少なくなっている。

 

 そこで、9月分の行事予定を修正し、10月分、11月分、ついでに12月分の行事予定表を追加しておいた。

http://www3.ocn.ne.jp/~h-kimm/sub1.html

 

 すると、その直後に、「ホームページ・サービスを、2015年2月28日をもって停止します。」というメールが・・・。あれ、あんたもか・・・。それまでには、どこかにデーターを移転しないといけない。

 

 ということで、今日のお昼はここになった。さぬき市多和兼割にある八十八庵(やそばあん)という一般店。四国霊場八十八番札所大窪寺の門前にあるお店でお土産物屋さんを兼ねている。

 

 で、今日も「団蔵うどん」という細麺のざるうどんになった。最近はここに来るとこればっかり。これで700円。食べやすくて呑み込みやすい麺である。

 

 この頃は空はよく晴れていて、日差しもきつかった。今日はあいにくと帽子を忘れてきたので、余計に暑いなぁと感じた。だが、今日はその上に熱いことが起こるのである。

 

 お昼の12時半から、こうした修験道の山伏たちが集まってきて、「柴燈護摩(さいとうごま)」が勤修される。

 

 こちらは大窪寺の住職さん。

 

 修験道独自の護摩儀礼で、本堂前(不動明王の石仏前)の境内に護摩木や檜の枝などを積み上げ,そこで諸仏を招来して点火する。その火により修験者の煩悩を焼き尽くすとともに,家内安全や五穀豊穣などを祈願する。今年は院代さんから四国霊場開創1200年記念の特別な願文が読み上げられた。護摩木は人間の煩悩をあらわし,その護摩木を井桁に積み上げるのは,人間の罪垢が井戸のように深いからであるとされている。

 

 修験道で行われる護摩は、火炉を設けて護摩木を焼きつつ拝む、インドから中国に伝えられた密教の秘法である。本山派(天台宗)ではこれを「採燈護摩」、当山派(真言宗)では「柴燈護摩」と表記している。ほとんどの場合、法弓、法剣、法斧、閼伽といった諸作法が付随して行われる。また、護摩の終わった後に、焼けた灰の上を素足で歩く「火渡り」が行われる。

  

 おまいりに来ているおへんろさんも珍しい行事にカメラを向けている。こちらの娘さんもうっとりと眺めていた。

 

 さすがに熱くて、暑くて・・・我慢できずに帰ることにした。前進汗まみれの灰まみれになった。後方では熱心な信者さんたちが般若心経や不動明王の真言を大きな声で唱えている。

 

 戻る途中で雨粒がぽつり、ぽつり・・と落ちて来たが、我が家に着くと同時に大粒の雨がばさばさと・・・。おまけに雷鳴がとどろき、あたりは薄暗くなってきた。大慌てで窓を閉めたり洗濯物を取り込んだりしたら、あっという間に青空に戻った。

 

 今日の掲示板はこれ。「いいか 今日がこれまでの人生の最後の日だ いいか 今日はこれからの人生の最初の日だ」というもの。荒了寛さんは、1928年福島県生まれで10歳で仏門に入った。大正大学大学院博士課程(天台学専攻)修了。仙台市仙岳院、清浄光院(仙台)、大福寺(福島)などを歴任したのち、現天台宗ハワイ開教総長としてハワイ在住。ハワイおよびアメリカ本土で布教活動に従事している。その傍ら、ハワイ美術院、ハワイ学院日本語学校などを設立、日本文化の紹介や普及に努めている。独自の画法による仏画も描き、サンフランシスコ、ボストン、ニューヨークなどで個展を開催し、日本各地でも毎年個展を続けている。主な著書には、「慈しみと悲しみ」「人生の要領の悪い人へ」 「画文集・慈しみと悲しみの仏たち」「アメリカ仏教の夢」 「ハワイ日系米兵、私たちは何と戦ったのか」 「娑婆を読む」「生きるとはなぁ」「生きよまず生きよ」他がある。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

知恵熱が 出てコスモスは 午睡中

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 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れているが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨の所があった。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意が必要だと言われている。気温は24度から33度、湿度は95%から65%。風は2mの南南東の風が少し。明日の22日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方を中心に雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 朝方から湿気が多くて梅雨時のようなジメジメ感がたまらない。そこでドライモードでエアコンを動かせては、庄松(しょうま)同行のパワーポイントを使っての電子紙芝居の作成作業。プロジェクターを使ってのスライドショー用である。

 

 で、お昼前からはけいこばぁとお出かけ。郵便局やら銀行さんに寄ってから市役所の分室の公民館での「期日前投票」を済ませておく。

 

 来週の31日には愛媛県へのバス研修があるためだ。奥方は何も用事はないのだけれど、ついでだからと投票を済ませた。そそ、「香川県知事」の選挙である。

 

 投票所室内は写真撮影・動画撮影は禁止のためネット画像から。介護施設からの投票者が次から次へとやってくる。小規模な施設では、そうしたほうが便利なんだろうか。

 

 で、久々にここにやってきた。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。ほとんどがお座敷席だからくつろげる。私たちは決まって、二つしかないテーブル席の一つに付く。

 

 私は「温玉ぶっかけうどん並の冷や」をお願いした。470円だった。けいこばぁはいつものかけうどんの350円。今日は熱い熱いを連発して、おでんを取ることがなかった。

 

 今日は11時過ぎだったが、お客さんが少なくて静かなお店だった。ここは12時を過ぎると駐車場がいっぱいになるお店なのである。

 

 ここの奥さんは病弱のためか信心深い。だから、おうどん屋さんなのに、「四国霊場開創1200年」ののぼりが立っているし・・。

 

 こういうプレートまで貼ってある。ここの納め札を何枚も何枚もいただいている。

 

 このあたりでは、ようやくに稲刈りが始まった。今年は日照時間が不足していて、なかなかに収穫ができないのと、雨が多くて田んぼに入れないということもあった。

 

 それにしても、今年は雨が多かったためか、このあたりの田んぼも畑も草が伸び放題。こう暑いと草を刈り払う元気も出ないというもの。我が家もお彼岸前にはしっかりと草刈りをしないといけない。

 

 こうしたタカサゴユリがあちらこちらに繁殖するようになった。動物は歩き回ってエサを探して食べないといけないが、植物は自分の身体の中で栄養を作り出すことができるので動かなくてもいいのだと。で、子孫を残すための交配は虫たちに任せておいて、できたその実をまた、食べて貰って虫や鳥たちに運んでもらうのだという気楽な植物たちだ。

 

 だから、植物たちの繁殖はすごいものがある。しかしのかかし、一時期の、あの「セイタカアワダチソウ」はすっかりとなりを潜めたし、たまに見掛けても、背丈が50センチ程度になっている。やはり日本の土地にはなじめなかったんだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「何ものも 自分のものではないと知るのが知恵である」というインド原始経典『ダンマパダ』からの言葉である。『何物も自分のものでない、と知るのが智慧であり、苦しみから離れ、清らかになる道である。 』(『ダンマパダ』) 私が「私のもの」であると思い込んでいる「私のもの」とは、いずれ朽ち果ててしまい失われてしまうものである。あるいは、「私の死」をもって、「私のもの」と思い込み、あるいは信じ込んでいるものは、「私のもの」ではなくなってしまうのである。

 

 人は、「私のもの」とは常住であり永遠であると思い込んでいるけれど、実はそうではないのである。恋人も奥さんも家族も子供も、家も財産も屋敷も田畑も名誉も地位も、実は自分のものではなく、一時期、預かっているか、借りていただけのものなのである。それに気づくことが「知恵」だと教えているのである。それに気づかないのを「無明」だと教えているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ヒグラシが 啼いて日記が 閉じられる

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 東かがわ市地方は、寒冷前線や湿った空気の影響で、雨が降り、雷を伴って非常に激しく降っている所があったらしい。気温は23度から28度、湿度は84%から64%。風は3mから1mの南南西の風が少し。明日の23日は、上空の寒気や湿った空気の影響で、雨が降りやすく雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 お盆前から足がむくんでくるようになった。冷房の中ばっかりにいるからかなぁと思ったり、雨ばかりだから運動不足なのかなぁと思っていたし、おなかが張ってきて食べることができなくなってきた。朝ご飯が食べられないのは異常かも・・・ということで勇気を出した。

 

 いつもの県立病院にやってきた。いつもの担当の先生がいなかったので、別のドクターに診てもらうことにした。血液検査の採血をした後・・・。

 

 胸部X線の胸部撮影。その後、CT検査。

 

 その後は心電図検査という、セミ・フルコース。

 

 検査が終われば分析待ち。血液検査の分析が終わるのに約1時間。その結果を待ってのドクターの診察。

 

 で、即、入院。肺炎寸前だったのですと。明日は土曜日、明後日は日曜日だから病院はお休みになる。明日以降だと救急車で搬送されるところ。ぎりぎりセーフだった。

 

 こういう毎度の心臓病センターの2病棟。

 

 4人部屋で3人目。おとなりさんは明日に退院だとか。私は一週間の拘留。

 

 早速に「利尿剤」の点滴開始。24時間連続の三日間。来週の月曜日まではこのまんま。

 

 トイレに行くのも、この点滴台を引きずって行くことになる。それが30分ごとだから忙しい。夜も30分ごとになるらしい。

 

 ということで、ノートPCとタブレット端末は忘れない。それに読書用の本も・・・。

 

 病室を出ると、こうしたマスク姿。変装しているつもり。ここでは個人情報保護の観点から、病室に氏名は表示せず、「在室」の表示のみ。受付で聞いても教えてはもらえない。

 

 ということで、一週間はここに潜んで静養することになった。でも、この暑い時期に「肺炎」とはねぇ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「物事には必ずそこに隠された理由がある。理由なくしてものごとは起きない」という飯守泰次郎さんの言葉から。飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年9月30日 - )は日本の指揮者。旧満州・東京生まれ。右派的な裁判官として知られた飯守重任を父とする。文部大臣、最高裁判所長官を歴任した田中耕太郎は伯父。桐朋学園短期大学指揮科卒。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中にミトロブーロス国際指揮者コンクールに入賞。のちにカラヤン国際指揮者コンクールに入賞した。

 

 今回のことでもそうだ。なぜ、おなかが重いのか、なぜ、靴下がはけないのか、なぜ、少し食べるとおなかがいっぱいになるのか、なぜ、足がむくむのか、なぜ、少し歩くと、ゼイゼイハァハァ。。というのか。飲み過ぎだろうか、運動不足だろうか、冷房病なんだろうか・・と、いろいろ考えたが、結局の薬局は「身体に水がたまりすぎていた」ということだった。それを点滴で水分を出してしまったら、なんと軽やかな身体になることよ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

このままで 暮れて自然の 蓮の花

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 東かがわ市地方は、晴れている所もありぃの、上空の寒気や湿った空気の影響で雲が広がりぃの、雨が降りぃのと忙しい天気だった。気温は23度から29度、湿度は96%から85%。蒸し暑い朝方だった。風は1mから3mの南南東の風が少し。明日の24日も、湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 昨夜も蒸し暑い夜で、なかなか寝付けなかった。冷房は25度限定で風量は「強」。でも病室のドアが開けっ放しだから、そんなに効果はないみたい。遅くまでテレビを見ている人、廊下で携帯電話を使う人などがあって、なかなかには寝付けない。それに30分ごとにトイレに行くのだから、余計に眠れない。

 

 私の場合の肺炎というのは「肺炎球菌」や「感染症」などのばい菌やウィルスによるものではなくて、体内や内臓器などの回りに水がたまるものらしい。だから、このように肺の下部が真っ白になってしまう。が、肺に水が溜まっているのではない。これがひどくなると肺を圧迫し、心臓を圧迫して「心不全」に至るのだそうだ。

 

 だから、このような点滴ポンプをつけて、「利尿剤」を流し続ける。すると、効果覿面で、30分ごとにトイレに行って、それをポリ容器に受けて、専用の機械に流し込んで記録を取る。それがナースセンターで一目瞭然になるのだという。それによると、昨日だけで、2,690ml、今日の15時現在で2,484ml。合計でおよそ5.2Lにもなる。おかげで、入院時にあった体重の70Kgは、64.5Kgにまで減った。わずか一日でである。

 

 今日は土曜日ということで、病院は静か。看護師さんも当番さんだけ。患者の元気な方は、今日・明日と「外泊」という名の一時帰宅。私の部屋の方も一人が外泊で一人が退院していって、今夜は一人きりになる。

 

 今日の朝食はこんなもの。ご飯・味噌汁・煮びたし・サラダ・牛乳。これを、あっという間に食べてしまうのだが、後でじわじわと痛みが来る。私にすれば量が多いのだそうだ。でも、お昼前にはおなかが鳴る。朝食は午前八時から。

 

 私のおなかは、米粒を食べると痛み出すらしい。原因はわからない。私の場合は「肺炎」で入院しても食事は「心臓病食」と言うことで塩分控えめのほとんど味のないお料理。でも、これしか食べるものがないから仕方がない。

 

 どっさりと本は持って来たのだが、寝不足のせいか眠たくなってページ数は進まない。眠たくなったら寝て、トイレに行きたくなれば行くだけの生活。まるで動物園のライオンみたいなものだ。

 

 一時期には雷もなったし、大粒の雨も降ったけれど、あっという間に雨はあがったみたい。

 

 お昼はご飯・魚の照焼・野菜の卵とじ・里芋煮・キウイ。これもご飯は残そうかと思ったが、ついつい食べてしまって後で後悔する。お昼は12時から。

 

 午後からはきれいな青空になった。うらやましそうに空を眺めていたら、またもや雲が流れてきて曇った空に戻ってしまった。

 

 当面、30日までは予定は全くないので安心してここに避難していられる。でも、29日には退院させてもらって、31日の日曜日には、さぬき市観光協会の「おへんろつかさの会」のバス研修には参加したいもの。それまでに元気になりたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「濁れる水の流れつつ済む」という種田山頭火が松山の一草庵で詠んだ句で、諦観も未練も突きぬけた名言として紹介されている。 「流れる水」を象徴して、山頭火は何を表現したのであろうか。その解釈は人それぞれだろう。破壊型人間の山頭火は、裸で世の中を歩き、反社会的な愚行も多かったが、反省し懺悔する心も深かった。そして水は私を清浄にするといって、「淡如水」の書をしたためている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


蓮の花 今日の役目は 終わったか

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 東かがわ市地方は、上空の寒気や湿った空気の影響で雲の広がっている所が多く、小雨や弱雨や雷雨の降っている所があった。気温は23度から30度、湿度は96%から86%。風は1mから5mの南東の風が吹いていた。明日の25日も、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨夜は四人部屋を一人で寝たし、土曜の夜ということもあってか、8時過ぎにはほとんどの部屋が電気を消して寝てしまっていた。おかげで、3時と5時にしかトイレに起きずにぐっすりと寝ていた。今朝は5時に起きて、そのまま朝になった。

 

 日曜日の病院は開店休業状態。一階の病院機能が動いていないから、ただ、食事をしてトイレに行って、薬を飲んで安静にしておくだけの一日。

 

 今朝の朝食はこれ。ご飯・味噌汁・なすの浸し・かぼちゃの含め煮・牛乳。とにかく全部を食べなさい・・というので食べたけれど、量が多いと思う。食後はベッドで横になっていた。胃袋が重い感じ。ご飯をどうにかしてもらいたいもの。

 

 食後はフロアーを歩いて散歩をするが、病院内ではあまり効き目はないみたい。

 

 空は秋なのか、夏なのか、梅雨なのかわからない空。晴れたと思えば曇ってくるし、雷鳴が轟いたりするし、激しい雨が吹き殴ったりもする。

 

 午前中はノートPCから「らじる・らじる」でラジオを聞いていたが、高校野球の準決勝戦だというので、画面はテレビで、音声はパソコンの「らじる・らじる」の音声をイヤホンで聴いていた。奥方が洗濯物を届けに来たのを知らずにいた。

 

 テレビはこの「テレビカード」を買って、それでテレビと冷蔵庫が使える。

 

 12時からはお昼ご飯。テーブルまでは担当のおじさんが運んでくれる。今日の献立は、ご飯・若鶏の照焼き・ソテー・酢の物・メロン。よっぽど、ご飯をスルーしようかと思ったが、お茶掛けご飯にして柔らかくして食べた。それでも食後1時間はベッドで横になっていた。胃の調子が良くない。良くないが、栄養士も担当ドクターもお休みなのでどうにもならない。

 

 このまま、夏らしくならない間に秋に入ってしまったよう。

 

 これが、採尿蓄量比重測定装置 ウローミニ。これで尿の管理をしているそうだ。私の場合、22日(2.7L)、23日(2.9L)だったが、さすがに今日は1.7Lと少なくなってきた。足のむくみも完全に取れたし、前にかがんで靴下を履くことができるようになった。明日の午前中にレントゲン検査で効果を調べるらしい。

 

 血圧・酸素・体温などは正常。体内の余分な水分が出てしまえばおしまいなのだが、なんで、そんな水分は溜まるのかが疑問。そのたんびに入院していたのでは大変だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に失敗はない あきらめた時失敗という」というもの。「世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。あきらめた時が失敗である。」と言ったのは稲盛和夫さん。「人生で失敗した人たちの多くは、あきらめたときに成功までどれ程近づいていたかを悟っていなかったのだ。」と言ったのはトーマス・エジソンさん。「諦めないうちは失敗ではない。」と言ったのは宇都宮恒久(うつのみや・つねひさ)さん。日本の経営者。「中央タクシー」社長・会長。長野県出身。大学中退後、父の宇都宮乗用自動車商会を経て長野タクシーに入社。その後独立して中央タクシーを設立。徹底的なお客様主義を掲げ、同社を長野県一のタクシー会社に成長させた人。皆さんが、似たようなことを名言として語っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

あきあかね 我慢がまんの 日が過ぎる

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 東かがわ市地方は、南の高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雲の広がっている所があったし、小雨が降ったり、弱雨のところもあった。気温は23度から29度、湿度は96%から74%。風は4mから2mの東北東の風が少し。明日の26日は、湿った空気や前線の通過で雲が広がり、雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 今朝も3時と5時にトイレタイムで起きただけでぐっすりと寝ていたが、寝過ぎたのかもしれなくてまぶたが重たかった。だから、5時には起きることにした。早く起きても意味はないのだが、それから寝ても意味がない。

 

 昨夜からご飯は「軟飯(なんぱん)」に変えてもらった。柔らかいご飯だが、おかゆではない。味噌汁に含め煮、かつお味噌+牛乳という献立。「軟飯」に変えてもらったら胃の調子は良くなった。やはり、ご飯が少し硬かったのかもしれない。

 

 今日は月曜日ということで、看護師さん総出で温タオルによる身体の清拭。寝間着の交換、シーツの交換があった。金曜・土曜・日曜と風呂に入っていないので汗臭い。これで少しはさっぱりしたような気がする。これでも、朝夕には温タオルで身体は拭いている。そうでないと身体がべとべとになる。

 

 ま、毎度のことの入院だから「隠密」というか「内密」というか、隠れ家みたいなもの。天気のいい日に、こうしてカーテンで仕切ってひっそりと暮らしている。隣の市だからと言って、誰に会うかもしれないのだから。会えば「どうしたんならぁ」とかなんとかと事情説明やら家族構成やら・・・・と邪魔くさい。

 

 高校野球も大詰めだということで、久々に「夏休み子ども科学電話相談」があった。それをノートPCの「らじる★らじる」というアプリで聞いていた。

 

 ここは「心臓病センター」ということで、ここに来ると「コードだらけ」になっている。「赤・黄・緑」のコードは「テレメトリー式心電送信機」。これで入院患者の心電図をナースセンターで監視している。黒いコードはテレビの音声用レシーバ用。テレビの音声はスピーカーからは流れないようになっている。白いチューブが点滴用のホース。その上に、パソコンからのイヤホンが片耳に入ると「人造人間キカイダー」みたいになってしまう。

 

 呼吸困難や手足のむくみがなくなったことから、今日から「利尿剤」の投与がなくなったし、点滴の溶液も変わったみたい。点滴用ハンプからブドウ糖注射液に変わっている。

 

 この調子だと、意外と早くに帰れるのかなぁとも思ってみたり。その間に、薬剤師さんや管理栄養士さんが訪問してくる。この人たちも電子カルテを共有しているようで、この前はいつ入院して、どんな薬に変更したとか、どのような手術をしたか・・・みたいなことをしっかりと把握している。

 

 今日のお昼はこれ。ご飯の代わりに「たまごとじうどん」+そぼろあんかけ+コールスローサラダ+オレンジという献立。うどんだけで充分なんだけれど・・・と言いつつ、全部を食べてしまった。おなかの調子も元通りになってきたのかも知れない。

 

 で、外来の患者さんが減ってきた夕方になって、ようやくレントゲン室からお呼びが掛かった。胸の写真を撮って肺の様子を確認するのだそうだ。でも、5Lもの尿が出たのだから、もう、大丈夫だろう。

 

 レントゲン室では、このアームバンドを差し出せば、このバーコードを読み取って電子受付処理される。

 

 なんだのかんだのやっている間に、夏の高校野球は終わってしまっていた。高校野球が終われば甲子園球場にはあきあかねが飛び交って秋が始まる。私も今週中にはここを出て帰りたいものだ。

 

 16時過ぎに担当のドクターがやってきて簡単な経過説明をしてくれた。病状は大きく改善されているので、明日からは点滴の量を半分にして状況を見るらしい。ということは、予定通りの29日退院になるのか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「がまんがまん ここはがまんだ どんななが雨も いつかやむ」という荒了寛さんの言葉から。まさに今は「がまんがまん。ここはがまんだ」の心境。急いで帰ってもすることはない。せめてシャワーだけでも使わせてもらえばいいのだけれど、点滴チューブだの心電図計のコードが外れなければ。

 

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。

雨のあと 光るしずくの ススキの穂

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 東かがわ市地方は、寒冷前線が通過したため、概ね晴れてはいたが、気圧の谷の影響で雲が広がりやすく、大気の状態が不安定となるため、夕方にかけて雨や雷雨の所があるらしい。気温は24度から33度、湿度は91%から66%。風は2mから4mの西の風が少し。明日の27日は、高気圧に覆われるが、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日も晴れたり曇ったりと忙しい一日。病室も寒くなったり蒸し暑くなったり。そのたんびにカーテンを開けたり閉めたり。ここは危険防止のためか逃亡防止(?)のためか窓は開かない。

 

 安全と建前が同時並行。非常階段も普段は使用禁止で施錠中。AEDも普段は使用禁止中。

 

 今朝の朝食はこれ。軟飯のごはん・味噌汁・じゃがいものかか煮・お浸し・牛乳。普通のご飯よりも水分が多いからか、量が少し多めになっている。これがまたきつい。寝てばかりいるものだから、おなかはすかないのだ。

 

 さすがに五日目になってくると病院にも飽きてくる。22/23/24/25/26・・・と五日目だ。あれもこれもと本も持って来たが読む気が失せた。今日はなんだか寝てばかりいた。ま、病人なのだから寝ているのがお仕事なんだけれど。

 

 さて、私はなんで、ここに居るのだろう・・と考えていた。「足のむくみ」が愁訴。それに「息苦しい」というのも。で、血液検査・胸部レントゲン撮影・胸部CT撮影・心電図検査をやった。で、胸部に「水らしきものがある」ということから「肺炎の手前」ということで、即・入院となった。ふむ?足のレントゲン撮影はいらないのか・・・。

 

 で、あれこれとググッていたらば・・・、こんなものを見つけた。<<腹水について>>というもの。

http://www.lcv.ne.jp/~hirakata/palliative/setumei/fukusui.html

 なんとなく納得したが、これが原因と言われた訳ではないので私的見解。親父は肝硬変となって、この腹水がたまっていて46歳で亡くなった。私もその直前であったのではないのかとぼんやりと考えていた。キーワードが「利尿剤」である。

 

 一方の「脚のむくみ」についても調べてみたら・・・。

http://www.healthcare.omron.co.jp/resource/column/life/61.html

 この中の、「気になる病気(1)…肝臓と腎臓の障害」という項目が気になった。

 

 要は「肝臓」が弱ってきているのじゃなかろうか。ここでは、そんなことは一言も云わないのだけれど。私の感覚や奥方の印象では、その可能性が高い。

 

 今日のお昼はこんな献立。軟飯のご飯・鶏肉の治部煮・山芋の白煮・サラダ・リンゴ。さすがにこれは量が多いと思ったが、残すと叱られるので完食に努めた。

 

 今日も利尿剤の注射はなし。ブドウ糖の点滴のみ。左手の点滴針から血液漏れがあるらしいということで、針を打ち替えたが、これがまた難しいの、場所がわからんだのとひとしきり大騒ぎになった。おかげで左手は絆創膏だらけになった。

 

 今日は経過観察ということだろうか、何の検査も担当ドクターの往診もない。今日も食べて寝て、食べて寝てのライオンの一日になった。アルコールが入らなくてもぐっすりと寝られるのは京都の本山で立証済み。でも、わが家に戻れば、元の木阿弥なんだろうな・・とは思っているが・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「喰うだけ喰って 寝るだけ寝て 時間が無いなどと云うな」というもの。いつもの「荒了寛」さんの言葉から。「時間がない」、「時間がない」という人の多くはこんなもの。「忙しい」、「忙しい」とう人の多くはこんなもの。喰うだけ食べて、寝るだけ寝て、それで忙しい・忙しいと云うているのだ。本当に忙しい人は「忙しい」とは云わないし、本当に時間が無い人は「時間がない」とは云わないものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

コオロギに 今日の日記を せかされる

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 東かがわ市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、瀬戸内側では気圧の谷や寒気の影響で雲が広がっているところもあった。気温は24度から32度、湿度は93%から75%。風は3mから1mの北北西の風が少し。明日の28日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 一週間の拘留(入院)の予定の6日目になった。体調に変化はない。体重は64Kg前後で推移。血圧・脈拍・体温も平常値。食事は普通に食べられるようになった。

 

 担当のドクターが夏休みを終えて病院に戻ってきた。とたんに病室がいっぱいになった。心筋アブレーションの患者さんらしい。野球選手の「イチロー」みたいなドクターだな。

 

 早速に温タオルによる身体の清払。パジャマの交換でさっぱりとする。身体には点滴チューブやら心電図計コードが接続されているので看護師さん付きでないと着替えができない。一旦、点滴用ポンプを停止させてチューブを切り離し、着替えてからチューブを接続してポンプを再起動する。心電図計も一旦、取り外してから着替えて、つけなおす。

 

 ついでに、昨日、針を差し替えた点滴用針が内出血を起こしているそうなので、今日もまた、差し替えすることいなった。ややこしいことやね。

 

 今度は親指の付け根あたりになったが、これまた、手首を返すと痛みが走る。でも、点滴も今日のこれでおしまいになるらしい。明日の朝には点滴が終わる。

 

 で、戻って来た日浦ドクターと相談の上で、明日の退院になるか、明後日の退院になるか。これからデータの確認と相談になるという。でも、ほぼ、今週中には自宅に戻れる予定。日曜日のバスツアーには余裕で間に合いそう。

 

 今朝の食事はこれ。軟飯のごはん・味噌汁・ジャガイモの含め煮・和え物・牛乳という献立。心臓病で入院しているわけではないが、何故か心臓病食で減塩の薄味。どうにか、胃にもたれないようになってきた。

 

 空は晴れて外気温もぐんぐんと上昇しているらしい。

 

 今日のお昼はこれ。軟飯のご飯・魚の照焼きしょうが風味・こんにゃくいため煮・白菜のおかか和え・バナナという献立。これらを食べても胃が重たくならなくなってきた。慣れというものは恐ろしいものだ。今度はまたも、おうどんが食べられなくなりそうだ。

 

 でも、家に帰ってからが問題だ。今後、「腹水」を貯めないようにするにはどうしたらいいのか。もしも、腹水が溜まりだしたらどうするのか・・・。要は「アルコール」の量の適正化。簡単なようで、それが問題なのだ。

 

 当然、毎日の薬には「利尿剤」が処方されている。ところが、バス研修とか法要とかの場合には途中でトイレに行けないので、飲まないことがあって、それがついつい恒常化してしまう。普通は、途中でおかしくなって薬を飲んで元に戻っていたのだが、今回は足のむくみにまで進んでしまってパニックになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「いつも二つの道がある ここでやめるか ここからはじめるか」というもの。感動書家・風間宗佑の言葉から。私たちはいつもこんな問題を抱えている。生きるのか、生きるのをやめるのか。食べるのか、食べるのをやめるのか。前に行くのか、やめるのか。本を読むのかやめるのか・・・。その選択の歴史が私たちの人生だ。でも、その選択をふっとやめてみたら、どんなにか楽だろうなぁと思ったりする。全てを「一如から来るものにゆだねる」。そんなことができたらいいなぁと思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ヒグラシが よく啼く朝だ 伸びたひげ

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 東かがわ市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、瀬戸内側を中心に雨が降っていた。気温は21度から26度、湿度は89%から74%。風は2mから1mの南南西の風が少し。明日の29日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、朝から昼過ぎにかけて雨の降る所がある見込みらしい。

  

 昨夜は8時(20時)から寝て、目が覚めたのは6時だった。昼間もことあるごとに寝ているのに、最近はよく寝ることだ。ま、ほかにすることがないから寝るしかないってこともあるのだけれど。

 

 担当者によって違うのだけれど、朝の5時半から6時半あたりに検温がある。血圧測定や胸の聴診なんぞをごそごそと。それからが永くて、8時からが朝食。今日は、ご飯・味噌汁・卯の花・おくらのおかか和え・牛乳という献立。薄味ということだが、ほとんど味のないもの。

 

 で、予定通りに朝一番で点滴が外された。これで思い切り自由になるなぁと思ったけれど、フロアーから出て行く用事もないし、一階の病院部分に行く用事もないし。ただ、トイレに行くときに、点滴台を引きずって行く必要がなくなっただけみたい。病院の中の自由というものはたかが知れている。

 

 必要がない・・といいながら、車いすに乗せられて検査室まで介護士さんが送ってくれて、今日は「心臓エコー検査」。どういう関連の検査か知らないが、ま、云われるままに検査を受けてきた。

 

 担当の日浦ドクターは、しきりに「心筋アブレーション」を勧めるけれど、でも、私の当面の心配ごとは「不整脈」ではなくて、「肝臓のケア」と、「両目のケアー」なんだけれど。不整脈など、自覚症状もなければ痛みもかゆみもない。

 

 11時45分頃から、昼食の準備。今日の献立は、軟飯ごはん・魚の西京焼き・南京の煮付け・小松菜のお浸し・キウイというもの。ただ、粛々と食べるだけ。相手はテレビのお昼のニュースだけ。

 

 とっくに、利尿剤の作用で、足のむくみや腹水は治まったし、熱もないし、血圧も正常に戻っているのに、今日はこのまま。明日のレントゲン検査の後で退院ということになっているらしい。点滴も終わったし、特にこれという治療も投薬もないというのに。

 

 今日は「大安」とかで、このフロアーから四人の方が退院して行った。

 

 空はどんよりとしたままだ。お隣さんにお見舞いに来た方が、「稲刈りができんで困っとんじゃがだ・・」と云うていたが、日照時間の不足で実が入らず、連日の雨で、たんぼがぬかるむし、稲が湿っていて、コンバインが噛み込まないのだとか・・・。「こんなことは初めてじゃがだ・・」と云うてはった。

 

 さて、この病院のある「東かがわ市」は香川県東部にあって、南側は徳島県鳴門市などに接し、西側はさぬき市に接している。平成の大合併前には、さぬき市の五町と同じ「大川郡」と呼ばれていた。

 

 例の「うどん県」構想にあやかって、この市では、「てぶくろ市」を名乗っている。手袋の出荷額が日本一の香川県東かがわ市を「てぶくろ市」として売りだす取り組みが始まっている。手袋をあしらった〈市章〉バッジを製作したほか、ビデオも公開されている。

 

 主要産業は手袋工業であり、国内生産シェアは90%ときわめて高くなっている。市内には手袋主要メーカーの本社が集中し、特に旧白鳥町に多い。しかし、30年程前から日本よりも労働費の安価な中国や東南アジアに生産拠点を移す企業が相次ぎ、かつてのほどの賑わいは見せていない。近年では、高度な技術が必要な、高級志向の製品の製造や、障害者用車いすなど、手袋以外の分野を開拓しようとする手袋企業も現れている。(wikipedia)

 

 ということで、今日もよくわからない一日を過ごしてしまっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「嫌いなことを無理してやったって、仕方がないだろう。」というもの。「嫌いなことをムリしてやったって仕方がないだろう。私は不得手なことは一切やらず、得意なことだけをやるようにしている。金をかせぐよりも時間をかせげ。」本田宗一郎(ホンダの創業者)の言葉から。嫌いなことを仕方なく無理に自分に言い聞かせて嫌々やっても上手くはいかない。その結果、成功はほど遠いものとなってしまうもの。しかし、1年後2年後10年後・・・の夢を明確にして、自分の人生にビジョンを持ち、そのために今日何をするかを決め、明日以降、何をするかを決めて実行することを心がけたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

窓越しに ヤモリの逢瀬 皿洗う

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は22度から27度、湿度は84%から71%。風は2mから1mの南南西の風が少し。明日の30日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 ようやくに、午後3時(15:00)に、さぬき市の山の家に戻ってきた。八日振りになる。だからと言って世の中が大きく変わっている訳でもない。

 

 ともかく、朝夕は涼しくなった。夜は20時過ぎには消灯して寝てしまうので、朝方はなぜか、みんな5時起きになる。お年寄りが多いせいもあるのだろうが、とにかく朝早くから廊下をパタパタと歩く音で起こされる。で、5時半には早くも看護師さんが検温にやって来る。血圧測定と胸の聴診ほか。

 

 今日の朝ご飯はこれ。軟飯ご飯・味噌汁・ほうれん草の和え物・低塩のり佃煮・牛乳という献立。少しばかりおかずが少ないと思った。味噌汁をご飯にかけての「ねこまんま」にもなりそうもなかった。

 

 今回の入院騒動を冷静に振り返ってみたらば、とにかく、この両足がパンパンに腫れたこと。今まで、こんなことになったことがないから大慌て。靴下が入らない。靴にも足が入らない。階段を上がれない・・・。太ももまでパンパンに腫れ上がってしまっていたもの。

 

 それに、おなかもパンパンになってきて、食事も食べられない。うつむけない。トイレに行けない。動くと呼吸が苦しくなる・・・。それで仕方なく病院に行ったのだけれど。病院では「肺炎の手前ですね」と言われたのだけれど、今日の診断書には「鬱血(うっけつ)性心不全」と書いてあった。私は「肝機能不全による腹水充満」、「アルブミン低下による下肢のむくみ」だと言うたのだけれど。

 

 結局の薬局は、「利尿剤」で、尿を5リットル余りを排出しておしまい。あとの点滴は体力を維持するためのもの。で、残りの一週間は「経過観察」。なんだか、もったいない一週間になった。これで、86,000だから、一日1万円。年金生活者にはもったない金額。

 

 ともかく、ドクターにはドクターの考えがあるのだろうから、その支持に従って、今日は胸部レントゲン撮影。肺の部分の白い影が消えたかどうかの確認作業。今日も看護師さんが車いすで三階の病室から一階のレントゲン室までを送迎してくれる。これまた、何の意味があるのだろうか・・・。足のむくみはすっかりと治っているのだけれど。

 

 ま、結果は腹水が除去されたために、肺にかかる白い影はきれいに消えていた。これで「帰ってもいいよ」にはなったのだけれど。「どうせ、急がないんでしょ、今夜も泊まって行ってよ」と言われても・・。「とにかく、風呂に入りたいので、今回は帰りますわ〜」と言うたのだが、「夕食も食べて帰ってよ」と言われても、そんなに病院が好きな訳じゃないので、夕食は辞退させていただい。

 

 今日のお昼はこんなもの。軟飯ごはん・鶏肉のおろししょうゆ焼き・白菜の卵とじ煮・山芋の梅肉和え・バナナヨーグルトという献立。おいしくはないが食べ残すのもシャクなので完食した。

 

 空は曇ったまんま。昼食を食べ終わると、病室の名札が外され、腕のIDバンドも切断された。尿の検査機械の名札も容器も撤去された。会計処理が終わるまでは帰ってはならないと言われて待つこと2時間。ようやくに14時過ぎに請求書が回ってきた。8日間で86,492円。命の重さを考えれば高くはないが、なんとなくもったいない一週間だったなぁとは思ったりする。

 

 今度は来週の9月3日の予約診察日。さて、担当の日浦ドクターはどんなことを仰るのやら。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人が辛かろう さびしかろうと言っても いや、自分は幸せですと言う人には 誰も勝てない」という西端春枝さんのことばから。西端春枝さんは真宗大谷派淨信寺副住職さん。幸せは 人が決めるのではなくて自分の心が感じるもの。ひとさまにとやかく言われるものではないのである。今日も幸せを感じて、楽しく過ごせればそれでいいじゃいか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

窓開けて 願行具足の 虫の声

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 さぬき市地方は晴れている所もあったが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり雨の降っている所があった。気温は19度から27度、朝夕は肌寒くなってきた。湿度は90%から70%と、まだまだ高い。風は2mから1mの北北東の風が少し。秋めいてきたなぁと思う今日このごろ。明日の31日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨の降る所がある見込みとか。

 

 気分だけかもしれないが、身体もおなかも軽くなったような気がする。我が家の体重計では64.35Kgだったから、気分的なだけのことかも知れない。

 

 さて、夏休みも終わってしまって、来週からはいよいよ九月。夏休みの自由研究ができていないし、秋の文化祭用の作品もできていない。定例法座の原稿もできていないし・・・ということで、作業を始めたけれど、これまで、のんびりとやってきたので、なかなかにスイッチが入らない。なんとか、気分一新しなければ・・・と考えた。

 

 で、隣町にある電気屋さんに立ち寄って、何かいいものないかなぁと考えていて・・・「あっ!!」と、閃いて買って来たのがこれ。

 

 増設用のディスプレー。これをノートPCにつなげば、少しは大きな文字になって読みやすくなるだろうと考えて。最近は特に左目のかすみがひどくなってきた。まだ、手術をするとは言わないんだろうか、眼科のおばさま先生。

 

 うーん、もう少し、大きな画面にすれば良かったのか・・・。でも、これだけの画面だと文字ははっきりと読めるようになった。

 

 それにしても、ここんところの雨続きで農家の人も大変だなぁと思う。こんなに倒れてしまっては倒れたところから新芽が出てきてしまう。まぁ、農業共済には入っているだろうから保険金は入るのだろうが、後始末が大変だなぁと思う。

 

 他人様の心配ばかりしていても仕方がないが、私の方も、本調子ではない。身体は幾分か軽くはなったが、オツムの中が五里霧中状態。左目が霞んでいるせいか、オツムの中も霧がかかっている状態。ディスプレーを用意しても、そんなに環境が変わったとも思えない。困ったもんだ。

 

 8月も明日でおしまい。明日は愛媛県方面へのバス研修会。曇っていて暑くはならないのだろうが、雨だけは勘弁して欲しいもの。44番大寶寺から49番の浄土寺までという松山の手前まで。

 

 9月は早々に県立病院の予約診察が入っているし、おへんろつかさの八期生の研修会が始まっていて、志度寺・長尾寺での実地研修がある。駐車場係でもの応援に行こうか。?松別院での法座・所属寺院の秋の永代経も入っているし、自治会の山の神神社の例祭と地神さんの秋の例祭も予定されている。月末の日曜日は定例のバス研修会がある。

 

 昨日の今日だから、「今日はどこにも出掛けないでね。孫のなぎちゃんが来るかも知れんけんね〜」と言い残して、奥方はケアマネのお仕事に出掛けて行った。今日は日勤(8:30-17:00)さんらしい。と、言いつつ、本屋さんと電気屋さんには行ってきたのだけれど。

 

 いや、体力的に出掛けられないとか、お財布がからっぽだから出掛けられないとかという訳ではない。ま、退院してきた後だから、自宅で静養しておきなさい・・・ということだとは思うが、これまた、退屈なことだ。ブログとホームページを更新しておいて、一日のおしまいになる。

 

 午後からは晴れてきたのだが、夕方からはまたも曇ってくるらしい。

 

 九月になれば、少しは気分も晴れるかもしれない。

 

 今日の掲示板はこれ。「思えば叶う」そうなりたい。 そうなると信じる。そのように努力する。そうすればそうなる」という高橋福八さんの言葉から。仏教には「願行具足」という言葉がある。法蔵菩薩が殊勝な「願」をたてて、それに基づいて修行(行)して成就したので、「願行具足」ということで本物だとされているように、そうなりたいと「願」をたて、そのように努力(行)したのでものごとは実現する。「願」だけでもだめ、「行」だけでもダメ。「願」と「行」がともに備わってこその「願行具足」である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


日めくりが 舞い踊っている 秋の風

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 一気に夜明けが遅くなったように思う。曇っているせいもあるのだろうが、朝の6時になっても薄暗い。そんな日曜日の朝、5時起きで、犬の散歩を済ませて、6時出発。さぬき市役所前に6時半集合である。今日は「おへんろつかさの会・定例バス研修」の日である。

 

 この頃になると少しは明るくなってきた。今回は愛媛県西部久万町からの旅である。峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場・大宝寺に向かう。四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」といわれる。標高490mの高原にあり、境内は老樹が林立し、幽寂な空気が漂う。

 

 縁起は大和朝廷の時代まで遡る。百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していた。飛鳥時代になって大宝元年のこと、安芸(広島)からきた明神右京、隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、草庵を結んでこの尊像を祀った。ときの文武天皇(在位697〜707)はこの奏上を聞き、さっそく勅命を出して寺院を建立、元号にちなんで「大寶寺」と号し、創建された。弘法大師がこの地を訪れたのは、およそ120年後で弘仁13年(822)、密教を修法されて、四国霊場の中札所と定められ、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めたという。

 

 このバス研修は、「おへんろつかさの会」の霊場開創1200年記念事業として、会の専属権大先達の櫻谷(さくらや)さんとともに四国霊場を巡ってお勉強をするもの。さぬき市にある「上がり三ヶ寺」の案内ガイドをする上で、総合的な知識を身につけるために四国八十八カ所を回るもの。

 

 次に向かったのが四十五番札所の岩屋寺。ここはバスを降りてから20分ほど山道を歩く。それも石段が多い。先の大宝寺も山道をだらだらと歩いたが、ここはその三倍も四倍も歩く。入院退院直後の身体にはこたえた。特に朝が早いため空腹状態。さすがに「熱中症」になるのかなぁと思うほどの頭痛と筋肉痛。脂汗まみれで這うようにして本堂へ・・。そこの手洗い水をごくごくごくごく飲み干して・・・ようやく回復。

 

 標高700m。奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場である。神仙境をおもわせる境内は、むかしから修験者が修行の場としていたようで、さまざまな伝承が残されている。弘法大師がこの霊地を訪ねたのは弘仁6年とされている。そのころすでに土佐の女性が岩窟に籠るなどして、法華三昧を成就、空中を自在に飛行できる神通力を身につけ、法華仙人と称していたという。だが仙人は、大師の修法に篤く帰依し、全山を献上した。大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、また、石像を奥の院の秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として護摩修法をなされたという。

 

 岩肌にくっつくようにして建てられたお堂ほかに圧倒された。会長さんは、このはしごを登って上のあなぐらまでおまいりに行った。

 

 待望のお昼ご飯。時間は12時半を過ぎている。こうしてみるとごちそうに見えるが、単品だけをみると普通のそこいらのものを並べただけ。上の魚の飴煮がおいしかったのが印象に残っている。珍しくご飯のおかわりをした。ここは国民宿舎古岩屋荘。

 

 次に向かったのが四十六番札所の浄瑠璃寺。浄瑠璃寺は松山市内八ヶ寺の打ち始めの霊場である。参道入口の石段左に「永き日や衛門三郎浄るり寺」と彫られた正岡子規の句碑があり、お遍路を迎えてくれる。このあたりは遍路の元祖といわれる右衛門三郎のふる里として知られる。縁起を辿ってみると、行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、和銅元年に布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立した。白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置した。寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んでいるのだという。

 

 浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697〜707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。

 

 ここでは特に住職さんから修験道を通して、自分の生き方を見つめる・・みたいなお話を伺った。

 

 寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。

 

 こうした先達さんの指導の下で楽しく充実したバス研修になった。

 

 今日の掲示板はこれ。岩屋寺近くで見つけたもの。ここでは、こういうTシャツを売っている。「まだまだこれからじゃ 岩屋の坂と人生は」というもの。ここにいう岩屋の坂というのは、愛媛県四国霊場第四十五番の岩屋寺への坂道を示している。駐車場から坂道を えっちらおっちらと20~30 分歩いてようやくお寺にたどり着くのである。八十八ヵ寺のうち、クルマでも大変だと思われるところが、 10 ヵ寺程度はある。健康でなければ歩いて、上り下りできないのである。遍路は、歩き遍路の人は言うに及ばず、クルマやバスで行く場合でも困難なところがある。健康維持のために遍路している人もいると聞く。時間とお金と周囲の協力が必要だが、楽しみの方が大きいから、続けられるのだと思う。 「健康」」観光」「信仰」・・・。何でもいいが、丹念に歩み続けて行きたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ようやくに セミの鳴かない 昼下がり

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨が一日中降っていた。気温は22度から27度、湿度は92%から78%。風は1mから2mの北東の風が少し。明日の2日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 今日は雨天ということもあって、「安静日」。さすがに大寶寺と岩屋寺を歩いて筋肉痛。だからと言って静かにも寝ても居られない。

 

 パソコンの日々データーの交換作業。八月分のデータをHDDに格納して、九月分のデータを作業用ディスクに移し替える。つまり、「26y08m21〜31」などのデータを格納して、「25y09m01〜30」などのデータをリネームして、「26y09m01〜31」という今日のデータ保管用引き出しを作成する。ここには過去の「09m01」+今日のデータ「26y09m01」が追加されるという仕組み。

 

 こうしておけば、毎年のその日の画像データが引き出せるというわけ。昨年の今日は何をやっていたとか、一昨年の今日はどこに行っていたとか・・。ま、自分なりの便利さでやってるだけのこと。深い理由があるわけではない。

 

 まぁ、カレンダーの掛け替えみたいなものだ。なんとなく8月も終わってしまって、ぼんやりとした夏が終わったという感じ。雨ばっかりだったなぁという印象が強い。

 

 今日もパワーポイントを使っての「電子紙芝居」の整理とか編集作業とか。今日はあたらしく・・・

 

 浅原才市さんの妙好人シリーズも始めた。因幡の源左さん、讃岐の庄松さんとかの妙好人シリーズ第三弾。

 

 お昼過ぎからは雨も上がってきたようす。あがらぬ雨はない。やまぬ風もないってことか。そういえばセミの声が聞こえなくなった。ときどき聞こえるのは猿の声。

 

 サルと言えば、栗の実を食べている。まだ、緑色の中身も緑や白色の若いもの。それを手でむいて食べている。イガが痛いだろうと思うが平気で食べ散らかしている。不思議とはぜて落ちた者は食べないようす。

 

 大声を出そうが、バケツを叩こうが、平気の平左で栗を食べている。ま、我が家の栗ではないので、ムキになることもないが、全く、無視されているのも気分が悪い。ジェット花火を数発打ち込んだら、しばらくは姿を消したみたい。どこかに隠れているだけなのかも。

 

 だから、迷犬ごんは怖がって散歩には出なかった。私の車の下に隠れて「見ザル・聞かザル・言わザル」を決め込んでいる。サルにおびえて尻尾を巻いている柴犬なんて恥ずかしいだろうに。

 

 昨日の香川県知事も20時01分に「当選確実」が出るようなことで決着。大方の予想道理の結果で終わってしまった。「二百十日」という言葉もあんまりピントこなくなってしまった。防災の日だと言われても、何の案内もないし周知もないので、それらしい危機感もわいてこなかった。記念すべき9月1日なんだが、何の感慨もわかずじまいだった。

 

 ま、九月の予定はしっかりと詰まっている。当面、明日は県立図書館へ本の返却に行って来なければ。そして、九月三日は魔の県立病院での予約診察日。さてさて、ドクターがなんと仰るのやら。飲み過ぎはあきまへんでぇ・・は聞き慣れているけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「拝む手が とがる世間の角をとる」というもの。インド人やネパール人の挨拶は「ナマステー」という合掌である。「ナマス」は敬礼する、「テー」はあなたに・・・ということ。私たちの「南無」は、この「ナマステー」からきたものだという。「右ほとけ 左は我と合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声」とも言って、右手はほとけさま、左は私たち。その両方が一つになって一瞬でもおだやかなこころになってくれればいいがなぁと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。

湧くように 鈴虫の声 闇を突く

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 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、薄雲は広がりやすかった。気温は20度から28度、湿度は94%から66%。風は1mから2mの南の風が少し。明日の3日は、湿った空気の影響で雲が広がり、昼前から雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 昨日は、サルがこの近辺の栗林を荒らしているという話を書いたが、反対側の我が家の「けいこばぁ農園」にもサルが乱入して、ナスやキュウリなんぞを食べ散らかしているというけいこばぁの怒りの声が上がった。ま、そんなことを言われても、私もサルの番人をやっている訳でもないのだし。

 

 さて、香川県立図書館で借りていた本の返却期日が今日までとなっているので、返却に行かなければ・・・ということでお出かけをした。

 

 毎度お馴染みの「香川県立図書館&文書館」。この写真の建物は「文書館」のほう。ここにはお邪魔したことがない。公文書や古文書はちと読みにくいこと、この上ない。それに、あんまり読んで楽しいものでもないと思うし。

 

 もっぱら、こちらの図書館の方が明るくて楽しそう。借りていた本を五冊、返却して帰ろうと思ったのだが、そのあたりをぶらついてみようか・・と歩いていて。

 

 先日のバス研修の時に、「坂出市は、市の偉人伝を作ってるらしいが、さぬき市の偉人伝ちゅうもんはないんやろうか・・」みたいな話が出ていた。そこで、そういう本を探してみたが、さぬき市の偉人伝というものはない。そもそも、「さぬき市」自体が新しいのだから、そういう本があるわけがない。では、「大川郡の偉人伝」はあるのかと調べてみたが、これもまたない。

 

 さて、?松市内から観音寺市大野原田野々というと、とんでもない距離にあるのだが、今日はここまでやってきた。堤長145.5m、堤高30.4mのコンクリート造溜池堰堤で、両端部を重力式、中央部が5個のアーチと6個の扶壁(バットレス)からなるマルチプルアーチ式で、その先駆的かつ希少な構造形式は農業土木史上価値が高く、また、昭和前期における堰堤建設の技術的達成度を示しており、平成18年12月19日に重要文化財(建造物)に指定されている。

 

 大正15年に起工し、昭和4年11月の竣工後、80年近く経過した今でも約500haの農地の水がめとして活躍している。建設に際してはすべて地元農家の出役で工事が行われ、約3年8カ月の間無事故で完成したことは本当にすばらしいことだといわれている。今回の放流は自然放流。最近の雨で増水したダムの水を自然にあふれた分を放流しているもの。

 

 こちらは、近くにある「五郷ダム」。こちらも水面はいっぱいにたまっている。

 

 同じく観音寺市粟井地区にある粟井ダム。粟井川は雲辺寺山(標高 991m)に源を発し、山間部を北西に流れ、粟井町地先で本川柞田川に合流する流域面積 12.9km2、流路延長 6.0kmの二級河川。粟井ダムは、柞田川総合開発事業の一環として粟井川の治水安全度の向上や、流域の水不足解消、新たな水源確保といった流域の人々の願いを実現するために、地域に密着した生活貯水池として平成13年度に完成している。

 

 これは仲多度郡まんのう町塩入にある「県営野口ダム」。ここも雨の影響でほぼ満水状態。

 

 西讃方面にはおいしいうどん屋さんが多いのだが、こうした山間部になるとお店はほとんどない。そこで急遽、「道の駅たからだの里さいた」に寄った。で、この、「うどん茶屋さいた」に入ってみた。ここは食券式のセルフ方式。「さいた」は「財田」と書く。これを訓読みにすると「財=たから」+「田=た」で、「たからだ」という。

 

 で、あれこれと迷ったのだが、いつものわかめうどん小の250円になった。さすがにおいしいとは思えなかった。ま、おなかがふくれた・・・というおうどんだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸には不幸の原因があり 幸福には幸福の原因がある どちらの原因も自分がつくる」というもの。「城たいが」さんは、見ているだけで、楽しく元気になれる笑文字(えもじ)の詩画書作家さん。ユニークな笑顔のお地蔵さんなど、造形作家でもある。人間の根源の愛と笑顔への回帰を訴え、描く詩画書は多くの賛同者を得ている。 宮崎県出身、京都を拠点とし制作活動中。言葉の内容についてはそのまんまで受け取るしかない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

虫の声 一期一会の 歌合わせ

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 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となり、激しく降っている所があるらしい。気温は25度から30度、湿度は90%から73%。風は4mから8mの南南東の風が強かった。明日の4日は、前線の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みとか。

 

 先週末に退院したばかりなのに、今日は定例の「予約診察日」。先週は「鬱血性心不全」ということで緊急入院だったが、今日は定期の心臓病の検診日。担当ドクター日浦先生による診察である。

 

 「検体検査」ということで採血による血液検査を経て、レントゲン室での胸部X線撮影という検査。胸部に「みず」が溜まっていないか・・・という検査である。

 

 待合室には大勢の方が待っているのだが、レントゲン室あたりには人影は全くない。だから、待たされることもなく撮影終了。

 

 次は心電図の検査。不整脈はそのまんまで動いているらしい。早く止めないと大事になりますよ・・・と、ドクターはいうのだけれど。カテーテルによる「心房アブレーション」というのは気持ちの良いものではない。結論は当分、持ち越すことにしたい。

 

 先週には胸にみずも溜まっていなくてきれいになっていたのだが、やはり、自宅に戻るとアルコールが入るので、胸部に若干の水が貯まっているのだという。そこで、利尿剤が追加になった。今日の診察代・検査代ほかで6千円弱。薬代が1万円弱。決してお安いお値段ではない。

 

 時間が11時丁度だったので、ここに寄った。東かがわ市白鳥(しろとり)にある「讃州うどん・ほそかわ」というプチ・セルフのお店。11時丁度だったから、第一番目の客になった。

 

 で、今日は「豚ぶっかけ小の冷や」をお願いした。やっぱり、冷やは麺もお肉も硬いなぁと思った。もちもち感たっぷりで、しっかりと噛まないとのどを通らない。

 

 食べている間に、続々とお客が入ってくる。さすが、ここは地元民のための有名店なんだ。

 

 やっぱり、以前のような一般店だったころのおうどんがおいしかったように思うのは単なる「ないものねだり」か、「懐古趣味」なんだろうか・・・。

 

 先週、入院していたせいでお昼寝するようになったからか、昼食後は眠たくて眠たくてたまらんようになってくる。で、一日中・・・寝不足のようなぼんやりとしたままが続く。

 

 少しでも晴れ間が見えたら、早速に稲刈りが始まる。時期的に遅れてきているので、みんな急いで収穫をしているみたい。でも、イネが雨で濡れていたり、湿っていたりで、コンバインが田んぼの中で立ち往生している姿も多く見られた。

 

 確かに風は涼しくなって秋めいてきたように思うし、暑いなぁと思う瞬間もなくなってきた。時期は確かに移ろいを見せている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の間違いや欠点を きびしく見る目で 自分が見えたらいいですね」という野田風雪さんの言葉から。人の欠点やミスは目につきやすいものだが、それを非難するだけでは、評論家になってしまうもの。その視点を自らに転ずることこそ大切なことだと思っている。そこに同じ人間としての痛みや共感、同じ目線で相手を思いやる心も育まれるのではないだろうか。親鸞聖人は「さるべき業縁のもようさば、いかなるふるまいもすべし」と、自分は正しい、自分はあんなことはしないと思ってはいても、人は縁によって何をしでかすかわからない危うい存在であることを述べられている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

降り続く 竜のしずくの 秋の雨

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 さぬき市地方は気圧の谷や南からの湿った空気の影響で雨が降り、激しく降っている所もあったらしい。気温は24度から28度、湿度は90%から78%と蒸し暑い一日になった。風は2mから4mの南南東の風が少し。明日の5日は、前線や南からの湿った空気の影響で雲が広がり、明け方にかけて雨が降り、朝まで雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 さて、今日は奥方のけいこばぁが休みになったので、どこかにお出かけをしたい・・と仰る。で、仁尾マリーナ近くにおいしいお店があるらしいので、そこに行きたいと言うのである。もちろん、お店の名前も住所も電話番号も覚えてはいない。そんな雲を掴むような話なんだが、とにかく出掛けることにした。

 

 仁尾町というのは香川県西部も西部。さぬき市から見ればはるかかなたの西の国。この地図の右中央あたりにある377の国道マークの少し上に我が家はある。ここから西に向かってほぼまっすぐに進めば仁尾町に突き当たる計算にはなる。?松空港・善通寺市・仁尾マリーナというコースである。

 

 途中で、銀行に寄ったり、弟の家に寄ったりしながら、西へ西へと進んで行く。10時前に我が家を出て、それでも12時過ぎには詫間町経由で仁尾町に入った。

 

 仁尾マリーナは、「仁尾マリーナ株式会社」が運営しているマリーナで、香川県三豊市仁尾町仁尾己というところにある。西日本でも有数の規模と設備を擁する香川・瀬戸内・仁尾マリーナとして有名。

 

 そのあたりを回ってみたが、それらしいカフェもレストランも見当たらない。奥方の聞きかじりとはそんなものだ。で、おなかもすいたことだしということで、マリーナの二階にある喫茶・軽食の「ポレポレ」というお店で計画の練り直しをすることにした。

 

 ここだと海も船も眼下に見られる・・・ということで、ここで、ランチメニューをお願いした。

 

 中華どんぶりセットで700円ほか。お味噌汁・漬け物・デザート・サラダのセットもの。

 

 それにピザとかもつけて・・・。

 

 天気が良ければ海も船もみごとなんだろうが、あいにくの曇り空に雨模様では冴えないというもの。

 

 ここは古い仁尾町の「制札場」。役所からの通達やお触れが掲示された場所。こうした古い建物があちらこちらに残っている。

 

 仁尾町(におちょう)は、香川県三豊郡に属していた町で、世界初の太陽熱発電の実験(サンシャイン計画)が行われた。サンシャイン計画を記念して、昭和56年3月21日より、仁尾太陽博覧会が開催されてにぎわったことがある。サンシャイン計画では、2種類の形式の太陽熱発電施設が建設されたが、いずれもその後廃棄され現存しない。またかつて仁尾サンシャインランド(遊園地)が開設されていた。今は住宅地になってしまって、その面影はない。ミカンやビワなどの農業が盛んである。2006年(平成18年)に周辺の6町と合併して三豊市になった。

 

 その昔、干ばつの年に、雨ごい行者として知られる和蔵(わぞう)という人に、村人が祈祷を頼んだところ、昔から雨を呼ぶと信じられていた竜を作って海に流せばよいという答えが返ってきた。そこで村人は、わらで大きな竜を作り村内を練り歩き、沿道の人々が貴重な水をかけ、海へ流したところ、念願の雨が降ったという。

 

 それ以来、仁尾では大干ばつの時にわらで竜を作ってきたと伝えられている。「そーれ、竜に水あぶせ」のかけ声とともに始まる伝統行事で、青竹などで胴体を作り、わらやなわで肉付けした長さ約40m、重さ約3tの巨大な竜を大勢の人がかついで町内を練り歩くなか、見物人が手桶やバケツで、その竜に願いを込めて水を浴びせる勇壮なおまつりである。

 

 それだから、仁尾町の橋や遊歩道には、こうした竜が延々と描かれている。それだし、橋の手すり部分には・・・

 

 竜のマークが何カ所も何カ所も何カ所も。・・・

 

 今日の掲示板はこれ。「今は「ないもの」について考えるときではない 「今あるもの」で何ができるぁ考えるときである」というヘミングウェイの言葉から。原文では、Now is no time to think of what you do not have. Think of what you can do with that there is. by Ernest Hemingway

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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