Quantcast
Channel: まほろば自然博物館
Viewing all 3558 articles
Browse latest View live

きっぱりと 庭のコスモス 天を指す

$
0
0

 さぬき市地方は寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は22度から27度、湿度は86%から67%で、なんだか蒸し暑い一日。エアコンのドライモードが働いてくれた。風は2mから5mの西北西の風がときおり。明日の26日は、日本海に中心を持つ高気圧に覆われ、概ね晴れる見込みらしい。で、この週末も晴れて暑くなるらしい。

 

 朝方には小雨が降っていたので今日もデスクワークの一日になった。

 

 今日までに65基ほどの山頭火の句碑のうちの29基までの記事ができたが、地図の修正とか記事の訂正加除などが相次いだ。きれいなマップでもモノクロ印刷すると全く読めなくなってしまったりする。

 

 今頃の書店に行くと「平成二十七年どこそこ館開運暦」などという、いわゆる「こよみ:暦」を売っている。この暦の中に、「納音:なっちん」というものがある。生年月日による干支(かんし:えと)につながるのが「納音」である。

 

 私の場合は、「霹靂火:へきれきか」:戊子(つちのえ・ね)と書いてある。この中に、「山頭火:さんとうか」や「井泉水:せいせんすい」の字がある。でも、それ以外には俳号になりそうな言葉はない。

 

 だから、私もそういう俳号にするならば「霹靂火:へきれきか」ということになるのだが、どうにもこれは難し過ぎる。だから、山頭火も自分の生年月日ではなく、わかりやすい「山頭火」を選んだものらしい。

 

 暦と言えば、時期的には「ダイアリー」だ。私は現役時代から、この「デスク・ブロック」というものをずっと使ってきている。現役時代にはA4版だったが、退職してからはB5版になった。業務用ではないのだから小さくても大丈夫。それに書き込むようなスケジュールも多くはない。

 

 明日の予定がわからないのに、来年用の日記帳を用意するのは無謀かも知れないが、目標というか、人生の予定表というか、こころの杖なのかもしれない。

 

 今日は奥方が洋裁教室に出かけたので、今日のお昼はここになった。さぬき市長尾にある「笠堂や」というプチセルフのお店だ。このあたりにはレストランやソバ屋さん、ラーメン屋さんはない。でも、スーパーやコンビニの弁当というのも面倒くさいし、味気ない。

 

 で、今日はわかめたっぷりの「わか梅うどんの小」である。これで320円。わかめの感触と梅のすっぱさがなんとなく気に入っている。まだ、うどんの味はわからない。おいしいとかも感じない。だから、わかめと梅のコラボが味になっているという程度。

 

 今日もサル軍団が我が物顔で歩き回っている。向こうにすれば、変なやからが移転してきて目障りやなぁ・・と思っているに違いない。でも、わが家もここに引っ越してきて、もうすぐ十年になろうとしているのだが。

 

 ということで、秋の日はつるべ落とし。あっという間に暗くなってしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生はできることに集中することであり、できないことを悔やむことではない」というもの。アインシュタイン以降の物理学、宇宙論の第一人者、スティーブン・ホーキング博士。幼少の頃から数学や物理学に才能を発揮していた彼は、17歳でオックスフォード大学に入学。その在学中に、筋萎縮症性側索硬化症という難病にかかり、大きなショックを受ける。しかし、博士の強固な意志と周囲の協力により、精力的に研究を続けてきた。ケンブリッジ大学院の研究生として本格的な宇宙論の研究を始め、1960年後半に「宇宙にはブラックホールが存在する」ことを示した。1980年代になってからは、宇宙の起源や量子力学が宇宙の運命に及ぼす影響について研究を開始。まだ、どうやって宇宙ができたかは解明されていないのだが、博士の功績はじつに大きなものである。

 

  筋萎縮症性側索硬化症は、筋肉に血液がうまく供給されず、次第に全身の筋肉が衰えていくというもの。さらに1985年に患った肺炎により、24時間介護が必要となった。喋ることもできなくなったが、スピーチ・シンセサイザーやポータブル・コンピュータを駆使し、大学等で講演活動を行っている。周囲の理解、協力が博士にとって大きな存在であることは間違いない。そして、それらを無駄しない、まさに「できることに集中する」人生を送っているといえるのだ。宇宙は無限かもしれないけれど、人の一生は有限である。後悔の時間は、反省点を拾い上げる程度に切り上げて、できることに集中して仕事、生活、人生をこなしていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


見過ごした 時の流れの 金木犀

$
0
0

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は19度から27度、湿度は84%から56%、風は2mから4mの北北東の風がさわやかだった。明日の27日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝、県道脇の防災工事の現場を眺めていたら、左手前方になにやら黄色いものが・・・。

 

 あ、いつの間にかキンモクセイの花が咲いている。奥方は「匂うでしょうに・・」と言うのだが、私の鼻も加齢のためか、あんまり機能していないみたい。

 

 「この花もあっという間に散ってしまうの・・」と言うていたが、いつしか、そういう時期になっているのか。

 

 朝一番に農機具屋さんで、修理に出していた草刈り機を受け取って、涼しい間にわが家の周辺の草刈り作業。お彼岸までにはきれいに刈り払っておこうと思って居たのだが、燃料系統の漏れがみつかって部品交換に一週間もかかってしまった。

 

 おかげで、お墓も旧宅もわが家周辺も草刈りができずにそのままになっていた。

 

 で、バリバリと・・・草刈り作業。修理から戻って来ると元気なんだが、一週間もすれば、また、あそこが悪い、ここが動かないということを聞かない。

 

 秋になったとはいえ、8時半を過ぎると気温が上昇してくるし、太陽が高くなって来て暑くなる。燃料タンク満タンでほぼ一時間の草刈りになる。燃料タンク一杯を刈り払うと、今日の作業はおしまい。シャワーをあびて、着替えをして・・・。

 

 今日はおでかけの予定だったのだが、草刈り時間が延びてしまったもので、相変わらずのパソコン三昧になった。どうにもパワーが弱ってきたようで、少しのことで予定変更になってしまう。

 

 で、今日のお昼は、奥方のおごりでここになった。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。

 

 今日は朝から水中ポンプの整備やら草刈り機の受け取りやら草刈りやらとよく働いたので・・・ということでの大サービス(??)で、「温泉たまご入りぶっかけうどんの並の冷や」で470円。

 

 ここの奥様が信心深い方だから、お店も「四国霊場開創1200年」というのぼりを建てて協賛している様子。

 

 午後からも「山頭火」のお勉強。句碑集も65基中、48基まで行った。後は難しい「竹屋敷」という宿泊施設の中・・・。ここに20基ほどがあるらしいのだが・・・。よそさまのお屋敷の中をウロウロするのは苦手だし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんでもいいこと どうでもいいこと 得にならないこと それを大切にする時 人は美しくなる」というもの。この掲示板は何の管理も記録もしていないので、同じ言葉が何度も出て来るけれど、そこはご勘弁のほどを。掲示板の画像ホルダーの中にあるものを任意に掲載しているだけなので、「見たことあるなぁ・・」というものが出て来ることもあると思うので・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

金木犀 昼のカレーが まだ匂う

$
0
0

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は18度から29度、湿度は84%から57%、風は2mから3mの東南東の風が少し。明日の28日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 わが家のキンモクセイが満開になっているみたい。今朝も涼しそうな朝になったので、今度はわが家にある北側の土地の草刈りをやってみた。どこもかしこも、見渡す限り草まみれになっている。

 

 でも、この草刈りもいつまでできるんだろうかと不安になる。数年前には平気でどんどんと草刈りができたのに、最近は足が上がらないし、身体のバランスも悪くなってきた。

 

 それだし、30分も草を刈れば一休みしないとやってられない。

 

 彼岸花もそろそろ花の終わりが近づいてきた。もう、思い切って刈り払ってしまってもいいだろう。いつまでも「彼岸花がきれいだから・・・」などと言ってもいられない。

 

 残った燃料分で芝生の草刈りもやっておく。燃料タンクを空にしておかないと次回の始動がうまくいかないことが多い。

 

 その後、奥方の物置を片付けておく。とにかく、何でもかんでも投げ込んでおくものだから、欲しいものを探そうとすると探せない。「片付けたら?」というと、「重いからどうにもならない」と仰る。そこで、私が重い腰を上げたというわけだ。

 

 母のさっちゃんの道具とか使わない工具やロープやネットを山の旧宅に運んできた。山の旧宅もお墓も草まみれだが、かろうじて通ることができた。

 

 その後はまたも昨日の続きの「山頭火句碑集」のまとめ作業。表紙や奥書、前書きや後書きもつけてみた。いちおう、概要・背骨はできたみたいで、本の体裁ができあがってきた。

 

 仮印刷してみて、地図を入れ替えたり、画像を差し替えたりもする。

 

 明日は松山方面へのバス研修に出かけるので、なんか、気分的に宙ぶらりんの中途半端な一日。明日がない・・・というのは、物事が中途半端になってしまう。

 

 そうそう、昨夜というか、朝の2時か3時頃か、ふと見ると奥方のけいこばぁがいない。夜中にどこに行ったんだろうと思いつつ寝てしまっていた。朝になってもとなりの布団に奥方はいない・・・。ま、深夜番組で見て、そのままリビングで寝てしまったのだろうと思っていたのだが・・・。

 

 聞けば、一昨日あたりから鼻風邪になってしまったらしく、「グッション」とか「グッスン」とかとうるさいので、リビングで寝ていたのだとか。それでも、今日は「ケアマネ業務」で出かけて行った。

 

 今日の掲示板はこれ。「私は社会において傍観者ではなく常に当事者なのです」というもの。これまた、誰の言葉かはわからないのだが、ものごとに出会っても傍観者のように素通りしてしまう私であるけれど、この世という舞台に登場してしまったからには、常に、「私の人生」という社会ドラマの中の当事者であり続けて居るように思う。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

寺の庭 つくつく法師が 勤行中

$
0
0

 四国地方は、高気圧に覆われて晴れていまた。愛媛県も高気圧に覆われて晴れて暑いほどの一日になった。気温は18度から27度、湿度は84%から58%、風は1mから3mの西風が少し。

 

 今日も月末の最終日曜日は「おへんろつかさの会」の「櫻谷さんといくバスツアー」という研修の旅。旅というほどの大げさなものではないが日帰りバス旅行。今回は愛媛県の松山周辺の旅である。

 

 「おへんろつかさの会」というのは、さぬき市において、四国遍路の知識を伝え、さぬき市を観光的歴史的側面から全国に発信する活動をしている団体で、主には、上がり3ケ寺の案内や春と秋に遍路道を歩くまち歩きイベントを開催している。

 

 今回は四国霊場48番札所の「浄土寺」から53番の「円明寺」までの5ヶ寺である。空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。

 

 鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣公によって再建された。本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。

 

 松山市の汚水管のマンホールの蓋である。特産の日本三大絣の伊予絣と市花ヤブツバキをデザインしてある。

  

 50番の繁多寺は一遍上人ゆかりのお寺。伊予の名門、河野通広の次男として生まれ、10歳のとき出家、のち全国を行脚し「遊行上人」「捨聖」と呼ばれた。

 

 51番石手寺は日本最古といわれる道後温泉の近く。参道が回廊形式となり仲見世のみやげ店が並ぶ。境内は、巡礼者よりも地元のお大師さん信者や観光客が多い霊場である。住職さんの趣味なんだろうが渾然とした境内である。衛門三郎伝説の地であって、にぎやかなお寺である。

 

 縁起によると、神亀5年(728)に伊予の豪族、越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得、熊野12社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇(在位724〜49)の勅願所となった。翌年の天平元年に行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊に祀って開基し、法相宗の「安養寺」と称した。「石手寺」と改称したのは、寛平四年(892)の右衛門三郎再来の説話によるとされる。

 

 この日の昼食はここ。旬彩ダイニング 菜の花というお店でバイキング方式。

 

 いつも小食なので控えめにしたが、皆さんは三食分も四食分も食べなさる・・・。

 

 私はこんなもの。野菜中心。ご飯は珍しくお寿司。

 

 昼食後は52番札所の太山寺。この本堂は国宝である。

 

 と言われても、「ふーん」と思うばかり。また、ここには最古と言われる「納め札」があることでも有名。

 

 昔は紙は貴重なものであったので、こういう木札に願い事や施主の名前を書いてお堂や建物に竹釘で打ち付けたという。この事から「札所」と呼ばれるようになり、お遍路することを「打つ」というようになったという。

 

 若い娘さんが一生懸命におまいりしている姿が印象的だった。

 

 53番札所の圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されている。大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途次、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見つけた。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mmで破損のない納札としては、現存最古で例のない銅板製である。

 

 ここにはキリシタン石塔が大師堂左の塀ぎわにあり、高さ40cmほどの灯籠である。キリシタン禁制の時代、この地方には信者が多くいて、寺では隠れ信者の礼拝を黙認していたらしい。

 

 この円明寺にあった掲示板はこれ。「遊ぶときは大人だが仕事はまるで子供だね」という荒了寛さんの言葉から。遊んでる時も子どものような気がする。すぐにむきになったり、勝ち負けにこだわりすぎたり。仕事はどんなだろうか。自己満足で終わるのではなく、しっかりと相手に伝わる仕事ができているだろうか。子どもが物事を覚えるように楽しんで、大人の結果が出せる仕事していきたいものである。遊びは子供のままでもいいような気がする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

金木犀 自分の頭が 見えてない

$
0
0

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は17度から28度、湿度は90%から54%。風は1mから2mの北東の風が少し。明日の30日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の接近で昼過ぎから次第に雲が広がり、夜は雨の降る所がある見込みとか。

 

 県道脇の防災工事も追い込みになってきたのか、朝早くからお昼休みもなく作業を続けている。その手前側の金木犀も満開状態になってきた。

 

 朝の涼しい間に、わが家の周囲の草刈り作業。

 

 このあたりは草丈も短くて草も柔らかいのでどんどんと刈れた。

 

 ここは昔の村の道の跡だから、わが家が刈る必要はないのだが、誰も刈る人がいないのでやむなく私が刈るしかないのでやっている。放っておくと、わが家まで草が侵入してくるので仕方がない。

 

 さて、今朝は昨日のバスツアーのレポート作成やら資料整理。それに、昨日、いただいてきた宿題もこなしておかねば・・・ということで、今日も天気がいいのにデスクワーク三昧となった。

 

 「おへんろつかさの会バスツアーリポート」の追加修正、「さぬきの偉人」のデータ追加と修正」なんをやった後、例の「さぬきを歩いた山頭火」という句碑巡りのレポート作成。

 

 あらかた形が見えてきた。

 

 さて、ブログ仲間の「にころこ」さんからの宿題も届いた。「全国のお地蔵さまにエプロンを奉納するぞぉ〜!」プロジェクト。全国のブログ仲間に呼びかけて、一〇〇枚だか五〇〇枚だかのエプロン(?)を奉納するという勇気ある行動らしい。

 

 この「にころこ」さんは、今度生まれ変わったら「お地蔵さん」になりたいのだそうだ。

 

 早速、わが家の「まほろば地蔵」に「よだれかけ」を奉納することにした。母のさっちゃんがいた頃には、さっちゃんがよだれかけを縫ってくれていたのだが、今はおまいりするひともなく、そのまんまになっている。

 

 このお地蔵さんは、昔、私らがやっていたパソコン通信センター「オリーブネット」の物陰にあったものを「オリーブ地蔵」としてマスコット代わりにしていたもの。オリーブネットも廃止され、行き場の無くなったお地蔵さんをわが家にお招きして安置してあるもの。

 

 早速によだれかけを奉納したが、よだれかけというよりもマントみたいになってしまった。

 

 で、おまけについていたこのポーチは、永年、お世話になってきた巾着袋の後継として使うことにした。この伊右衛門さんの巾着袋は、アメリカのサンフランシスコまで行って来たという歴史物。8年は使っているかな。

 

 ま、どうせ、小銭しか持ち歩けないのだから、これで充分。

 

 今日の掲示板はこれ。「一番はもちろん尊い しかし一番より尊いビリがある」というもの。東井義雄記念館には、「一番はもちろん尊い。しかし、「一番よりも尊いビリだってある。」という先生直筆の言葉が掲示されている。その先生の著書の『東井義雄「こころ」の教え』から。
 ビリであることはちっともはずかしいことではない。なまけることのほうがよっぷどはずかしいことだ。走ることに限らず、生きていく間には、いろいろなことでビリを走らなければならないことがあります。
 しかし、そのとき、どうか日本一立派なビリであることができるよう、こころがけてほしいと思います。堂々としたビリであってほしいと思います。これはなかなか難しいことです。ビリになると、どうしてもひくつになり、はずかしくなり、心まで貧乏になりやすいからです。ですが、ビリの味がわかる人間でなければ、困っている人、弱い人、貧しい人の気持ちなんか、絶対にわかるものではありません。とにかく、ビリになっているときは、その人にとっての得難い勉強の機会を与えられているときだと思います。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

金木犀 しぐれて今日を ひとまとめ

$
0
0

 さぬき市地方は気圧の谷の接近で雲が広がり、夜には雨の降る所があるらしい。気温は19度から28度、湿度は88%から61%、風は1mから2mの北北東の風が少し。明日の10月1日は、気圧の谷の影響で明け方まで雨の降る所があるらしいが、その後は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みとか。

 

 わが家の周囲の草刈りが終わったから、今度は山の旧宅の草刈りになる。まずは手始めにお墓の周辺から。ここはお彼岸前に刈っておきたかったのだが、ちょうど、刈り払い機の故障で修理中だった・・・。

 

 30分ほどでお墓のまわりはさっぱりとした。ただ、小さな羽虫やヤブ蚊がまとわりついてうっとおしかった。そこで農作業用の防虫ネットをかぶっての草刈りになったから、蒸し暑くて汗まみれになってしまった。

 

 旧宅に入る専用の道路も草刈りをしておいた。両方でほぼ一時間の草刈り作業になった。手足はしっかりと防護しているが、顔中、虫さされでかゆいかゆい・・・。

 

 その後は相変わらずのデスクワークになった。で、日曜のバスツアーの時にいただいた宿題をこなしておく。

 

 この本とか、

 

 この本とかの増刷作業。今週の日曜日に四国霊場開創1200年記念講演会がある。私たちは、その駐車場係を担当するのだが、その時に持って来て欲しいと頼まれたものだから。

 

 なお、この講演会の講師は変更になっている。安富先生は所用で出席できなくなったらしい。

 

 そんなことで、増刷作業だが、あんまりうれしい作業ではない。こういう場合の「実費計算」というのが面倒だから、一応、「非売品」ということにしてある。インク代とか用紙代の計算ってどういう計算をするのかわからないし、300円とか500円とかというのをもらっても面倒だし・・・ということで。

 

 だから、読んでいただけるのはうれしいし、もらってくださるのはうれしいが、その分、お小遣いは減る計算になる。そのかねあいが難しい。

 

 ま、喜んでいただけるのが楽しみ、「良かったわよ」と言っていただけるのが悦びってところだ。何もせずに一日を過ごすのはむなしいし、苦しいし。

 

 今度の「山頭火句碑集」は県立図書館やさぬき市図書館などに寄贈して、皆さんに読んでいただけるのだが、今回のこの二冊は部内資料だから、あくまで「参考資料」。これを元にして、さぬき市観光課あたりがもっと立派なものを作って配布してくれたらありがたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「何かをしたい者は手段を見つけ、したくない者は言い訳を見つける」というもの。アラビアのことわざらしい。すぐに言い訳や反論をを考えてしまう時は、やろうとしないからで、やりたい気もちが起こらない時である。やる気スイッチがオンの時には、どんな方法でも探し出してやりきってしまうものであるし、やらなければ気持ちがおさまらないものでもあるのだし。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

コスモスを 揺らすしぐれは 音もなく

$
0
0

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていた。気温は19度から26度、湿度は90%から68%、風は3mから1mの北北東の風が少しばかり。明日の2日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、朝から雨の降る所があるらしい。

 

 今日から10月。10月1日はグレゴリオ暦で年始から274日目(閏年では275日目)にあたり、年末まであと91日あるらしい。というか、年末まであと91日しかないということらしい。月日の流れに唖然とするばかり。

 

 ということで、今日は県立病院での予約診察の日。ほぼ4週間か5週間ごとに設定されている。ま、お薬を処方してもらうための定期検査みたいなもの。血圧や体内に溜まる水分を排除するための利尿剤とか血液さらさらにするお薬だとか・・・。

 

 今日は、先月に「突発性心不全」ということで入院したものだから、まずは胸部レントゲン写真の撮影から。これは5分ほど待ってすぐに終わった。画像データは電子カルテに貼り付けられる。

 

 次には持病の心不全の確認用の心電図検査。これは待つこともなくすぐに検査が行われて数分で済んだ。これも昔みたいにグラフ用紙を束にして内科へ持参することもなくなった。

 

 その後、血液検査用の採血・・・。これで40分ほど待たされた。その後、内科の受付を済ませてさらに30分ほど待たされた。予約時間は10時30分だったが、10時50分ほどになっていた。

 

 この人が私の担当の日浦ドクター。今日も「そろそろカテーテルやりませんか」と言われた。口癖である。「体力に自信がないので、手術はやめておきます」とお断りした。術後、身体を動かせない半日あまりが苦痛で体力的に自信がない。

 

 「でも、このままだと、平均年齢までは持ちませんよ」と言われた。今の日本人男性の平均寿命は80才を越えたあたりらしい。充分ではないか。年金は下がる、税金は上がる、物価はあがる一方。子供も孫も大きくなった。捨てるものはなにもない。介護施設や老人ホームで生き伸びるだけの余生ならば、あっさりと早くにおさらばしたいものだ。

 

 「やりたいように生きてきたし、楽しい人生を送って来ましたから、いつでもOKですよ」とドクターに話したら、「あなたはそれでいいでしょうが、奥さんがあなたをここまで連れて来るんですよ」と言われた。「そのときはその時ですから」と言っておいた。先のことはわからない。

 

 病院の支払いが約5,000円、薬局での薬代が12,000円。病院代も薬代も高くなるばかり。長生きしても楽しいことはありそうにない。今夜もおいしくお酒を飲んで楽しい一日にしたいものだ。

 

 お約束の資料の製本が終わった。そろそろ、自分史でもまとめておこうか。わが家の家系図はまとめたし、わが家の系譜もまとめ終わったし。

 

 とにかく左目が見えなくなってきたが、「お年ですから・・」と言われるとどうしようもない。歯の方も歯周病らしいと奥方がいう。歯の治療費もお安くはない。それに肝臓が危ないと言われると・・・・。心房細動ばかりに治療費もかけられない。

 

 今日の掲示板はこれ。「後で考えると、案外、今が一番幸せだったりするんですよ。実は今が幸せなのに、気づかないでいることが多いんです。」というもの。私たちは、苦楽や煩悩に引きずられて生きているものだが、思いよう考えようで苦を少しでも和らげる生き方ができるもの。幸せも同じこと。幸せは自分の心が決めるもの。後で考えると、案外、今が一番幸せであったりする。実は、今が幸せなのに、気づかないでいることが多いのである。幸せは自分で作る。不幸せも自分で作る。不幸と思うから不幸な人、幸せと思うから幸せな人なのである。私たちが最も幸せを感ずることは、人様の喜びの手助が出来たとき。人様の喜びが自分の喜びとなったときが至福の時だと思う今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

お仕事が 済んで散り敷く 彼岸花

$
0
0

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がやすく、雨の降る所があるらしい。気温は19度から29度、湿度は86%から72%、風は3mから6mの南南東の風がやや強く、室内にプリンター用紙が飛び回っていた。明日の3日は、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、朝から昼前は雨が降り、雷を伴う所がある見込みとか。

 

 朝方は羽織るものが欲しいと思ったが、適当なものが見つからずにそのまま散歩に出た。しばらく歩けば、そうでもないなぁと思った。曇っているせいか、寒いとは思わなかった。

 

 今日は雨が降るかもしれないということだったので、今日のお出かけはここになった。高松市林町にある香川県立図書館。アキニレの葉っぱが少しばかり黄色くなってきて、少しずつハラハラと落ちている。

 

 今日は平日ということだろうか、以外と人影が少なくてまばら・・・。子供の声も聞こえない。

 

 で、借りていた山頭火の本を返却した。山頭火も消化不良のままだが、もう少し、草が枯れてからの句碑探しがいいように思ってしばらく休憩。

 

 今年の研究テーマは、「四国遍路の闇と陰」。あまり語られることのない陰のお遍路さん。つまり、病気遍路や職業遍路、世の中からはじき出された人たちがお遍路となって、お接待で生き抜いてきた人たちのお話。

 

 そういうものがパソコンの中にずっしりと溜まってきた。少しずつ、整理はしているのだけれど、量が多くなってきてお話がこんがらがってしまう。

 

 だんだんと、お遍路というものが観光化し、「癒し系」や「歩き遍路」というものにスポットが当たってきたし、世の中がどんどんと変化していくと、過去の闇の部分が忘れ去られていってしまう。なまなましい裏のお遍路というものは、一般の本では表現できないし、そういうものは書いても読まれないから本にはならない。

 

 でも、「おへんろつかさの会」にも、お遍路研究ではプロみたいな方がうじゃうじゃといるみたい。「遍路道」やら「遍路の墓」に「遍路道の丁石」などというマニアックなものから一般的な「お遍路」の専門家や「お接待文化の専門家」まで。私は、そのすき間を覗っている。女性だって何度も歩き遍路を達成している人だっているのだから強者揃いばかりだ。

 

 私はいつもの「お遍路社会民俗学」でいくしかないな。

 

 ま、今年は欲張らずに、お遍路の闇と陰について簡単にまとめることにしておこうか。あんまり踏み込むと抜け出せなくなっても困るから。

 

 言うと云わないと、桜の葉っぱや広葉樹あたりでは紅葉が始まっていて、ハラリハラリと落ち葉が落ちるようになってきた。なんだのかんだのと言うてる間に、秋は少しずつ深まってきているということだ。道ばたにどんぐりもしきりと転がっている。

 

 我が家の周辺ではすっかりと彼岸花が姿を消した。金木犀も散り始めたし、庭先の露草も枯れ始めてきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「あったらあったで不満があり 無ければ無いで不安になる」というもの。配偶者にしろ、お金にしろ、地位にしろ、欲望にしろ、煩悩にしろ、マイホームにしろ、なんだっていいが、あればあったで不満が生まれ、無ければ無かったで不安になるもの。あれが欲しい、これも欲しいとは思っても、持てば持ったで悩みが生まれ、無かったらないで不安になってしまう。私たちってどうしたらいいんだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


虫の音に 明日の予定を 確かめる

$
0
0

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎにかけて雨の降る所があった。気温は温かくて21度から24度、湿度は82%から70%、風は1mから2mの南の風が少しばかり。明日の4日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしいが、肝心の5日の日曜日は雨らしい。日曜のお昼は講演会のための駐車場係を仰せつかっているのに。

 

 講演会は雨でも開催されるけれど、駐車場係は雨具を着ての案内・誘導をやらないといけないのか・・・。そうなると大変だな。

 

 それはさておき、今日も曇ったまんま・・。お昼前からは雨になった。奥方は野菜ものには恵みの雨だわ・・・と大喜びをしていたが、そんなに多くもは降らなかった。おかげで今日は引き籠もりの日になった。

 

 ということで、今日もパソコン三昧。このあたりでも、「へんろ」と「へんど」は混同されて使われていたりするし、自然に使っている人もいる。そうかと思えば、「へんど」という言葉にはいやな顔をする人がいるし、顔をそむける人もいる。小声で「そういう言葉は使ってはいけない」と言うひともいる。人それぞれだが、そのあたりを調べてまとめていたら、頭の中がウニウニになった。

 

 秋祭りのシーズンだが、獅子ややっこの「祝儀」を集めて回ることを「へんどに行く」というが、絶対に「へんろに行く」とは言わない。ま、そういう意味からして「良いことば」ではないし、「そんなに言うことをきかない子はへんどにやるんぞ」と言われて真っ青になってものかげに隠れた子供は多かった。遍路に関する民俗学だし、社会学かも知れない。四国全域で聞かれた言葉だと思う。

 

 サルが食べ散らかしたクリの実である。「行乞(ぎょうこつ)」という言葉は良いが「乞食」という言葉は禁止用語らしい。だんだんとことばも使うのが難しくなってくる。やがて「へんど」も使用禁止になるのかも知れない。「辺土」とか「辺奴」とか「遍奴」とか書いてあるが、正確なことはわからないが、「辺路」の訛ったものだと思われる。要は「職業遍路」であり「病気遍路」であり、「行乞遍路」であった。

 

 「病気遍路」という人たちは見なくなったが、「職業遍路」は今もいて、大型スーパーの前や札所近くに立っている。お参りもせずにただ立っている。とても「托鉢」をしているようにも思えないし、お経も唱えない。そんな研究を整理していて日が暮れた。

 

 この表紙は暫定版。とりあえずの試作品である。昔の若き空海さん(教海とか無空とか呼ばれた時代)も山で修行した時は「行乞」とか「修行」ということで托鉢もしながら旅をしたんだろうなぁと思う。近年の山頭火もそうした「修行」や「托鉢」をしながらの旅だったんだなぁと思った。やはり、原型はそういう「寄進」を受けたり、喜捨を受けての旅のようだった。お坊さんだって、食べない訳にはいかないのだから。

 

 我が家の金木犀もほとんどが散ってしまった。あっと言う間の華の命。でも、ご用が済んだから散ったのだろう。でも、根っこが染まるほどには黄色くなっていない。

 

 秋はぎもそろそろと花が散り始めた。植物たちもそろそろと冬の準備を始めている様子。我が家の秋の虫たちはまだまだ元気。

 

 秋と言えば、このすすき。ススキは「芒」とか「薄」とか書くらしいが、イネ科のススキ属の植物で「尾花」ともいい、また茅(かや)とか「萱」とも書くらしい。うちのおばあちゃんはこれを刈って干して、炭を入れる「俵:たわら」を作っていたのを思い出す。

 

 そういう炭焼き作業も、炭俵編みも昭和という時代とともに消えて行ってしまった。

 

 でも、ときどき、バーベキューとかをする時になって、そういう時代のことをふっと、思い出すことがあったりする。

 

 今日の掲示板はこれ。「太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない 太陽が昇るから夜が明けるのだ」というもの。

 太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない。
 太陽が昇るから夜が明けるのだ。
 われわれはとかく、環境や他の条件の責任にしやすい。

 水は低いところへ集まってくる。
 尊いもの 美しいもの 善なるものも みんな
 謙虚な人のところへ集まってきて
 その人のものとなる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

萩の花 あくびばかりの 道の駅

$
0
0

 さぬき市地方は寒気の影響で雲が広がっていた。気温は19度から23度、湿度は80%から59%。風は2mから4mの北北東の風が少し。明日の5日は、日本の南海上から北上する台風第18号の影響で、朝から雨となり午後は雷を伴う所がある見込みとか。

 

 天候のせいなのかどうか、今日が何日なのかわからんようになっている。10月の3日なのか4日なのかわからんようになって、さて、今日の画像はどこに格納したのだろうかと右往左往したことだった。

 

 これが明日なのだから、今日は10月4日ってことになるが、はてさて、明日の天気が気がかりだ。駐車場案内係を頼まれているのだが、雨は勘弁して欲しいところだが微妙な段階。明日の天気は風任せなんてのんきなことは言うてられない。

 

 さて、奥方のご学友が高知県宿毛から埼玉まで帰るらしいのだが、おみやげを?松自動車道の「津田サービスエリア」で渡したいのだそうだ。奥方はお仕事でお出迎えに出られないので、代わりに受け取って欲しいと頼まれた。その時間は全く未定の不定のいきあたりばったりらしい・・・と仰る。そんなのんきな話がありますか・・・。

 

 だから、今日も「病気遍路」と「職業遍路」についてのお勉強。この中の十数ページをスキャナーで読み取った筈なのに、どこに保管したのか分からない。だんだんと記憶力が薄れていくような気がする。仕方がないから、またしても再スキャニング。

 

 こういうアプリを起動してスキャニングする。これが便利なようで案外と手間が掛かる。ルビを振ってある本だと、それを削除するのに時間がかかる。「は」は「ほ」と読み違える。「っ」は「つ」と読み替える。「八」を「人」と勘違いする・・・。

 

 一日中、こんなお天気。山の掘削現場からは岩を砕く音が休み無く響いてくる。土曜日だというのに昼休みもなく作業をしていた。全く、それも気分の乗らない原因でもある。

 

 今日は「お修行」という話である。つまり、一日に3回か7回か、よそさまの玄関口に立って、持鈴を鳴らし、光明真言を唱えて喜捨を頂く・・・という「お修行」である。昔のお坊さんは、そうしていたのだという。だから、おへんろさんもそんな「お修行」をしたのだという話だった。ま、「托鉢」である。托鉢というのは禅宗の僧侶のお作法だったかも。天台宗も「托鉢」と言うていたような。

 

 今日はこの人が小さい頃に見かけた「おへんろさん」の思い出を読んでいた。やはり、この人の時代にも、「(前略)「へんど」ということばは、軽蔑と嫌悪の感情をこめて吐き捨てられていたようだ。子供たちはよく年寄りに叱られる時、「ほないいうこときかん子は、へんどにやってしまうでよ」と脅された。(中略)それはどんなわんぱくな子供たちをもしゆんとさせる呪力を持っていた。私も格別にその脅しに怯えた[瀬戸内1980:45-46]」というもの。瀬戸内さんは実家が徳島市内にあったという。

 

 お昼過ぎに、高知のご学友から電話があって「府中湖SA」を通過したとの連絡が。そこでおもむろに出発して「津田の松原サービスエリア上り線」に向かう。ここは高速バスの乗降口があるので、裏口からSA内に出入りできる。すぐ下には駐車場もある。

 

 ここでお土産の交換をして少しばかり立ち話。今、宿毛あたりでは、「大河ドラマにジョン万次郎を」という署名活動をやっているのだとか。ジョン万次郎か・・・ネームバリュー的にどんなだろうか。はてさて、どうなることだかだ。

 

 確か、今日・明日が、この町の氏神さんの秋の例大祭じゃなかったかな・・と、お宮さんの近くを通ってみたが、それらしい雰囲気は全くなかった。ただ、たこ焼きだかの露店が一軒だけ置いてあったが、人影は全くなかった。昔のように「宵宮」などというものはお参りする人もいなくなったんだろうか。

 

 明日は雨だ雨だとテレビはにぎやかだが、こんな天気では「秋祭り」どころではないのかも知れない。帰りに「獅子舞」の一団が歩いていたが、なんともさみしい秋祭りの風景になってしまった。そうそう、子供の姿が見えないのだから寂しくもなるはずだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「捨てれば浮かぶものを つかんで沈む人間の愚かさ」というもの。あれも欲しい、これも欲しいと、掴んで集めて盛り上げて・・・、そのあげく、置き場に困ってこころがふさがって。どうせ、お浄土にも地獄にも持って行けない物ならば、捨ててしまったら楽になるだろうに・・・。今年、有名になった合い言葉、「UITEMATE」「浮いて待て」を思い出した。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

降り出した 雨に霞んだ 秋祭り

$
0
0

 さぬき市地方は日本の南海上から北上して接近する台風第18号の影響で雲が広がり、夕方からは雨が降るらしい。夜遅くには雷を伴って激しい雨の降る所がある見込みとか。気温は20度から23度、湿度は92%から84%。風は3mから4mの北北東の風が吹いたらしいが記憶にはない。明日の6日は、引き続き台風第18号の影響で朝まで雨となり、明け方にかけては雷を伴って激しく降る所があるらしい。その後は、寒気の影響で雲が広がる見込みなんだとか。

 

 それはともかくとして、なぬぅ・・19号も誕生したのか・・・。

 

 朝方は雨が降っていたので、今日も昨日の続きでスキャナーでの読み込み作業。この安富本宏先生の「四国遍路とはなにか」という本の内容を、今日の講師の先生はお話してくれた。つまり、私は知らないあいだに、今日の講演会の予習をしていたことになる。

 

 さて、区切りの良いところで出かけることにした。パソコンばかりを叩いていたのでは身体に良くないし、精神的にも良くない。時間は10時過ぎ。

 

 村の鎮守の神さまに寄ってみたが、お祭りの雰囲気はどこにもない。今日は村祭りの日だというのに。昨日は確かにあった、たこ焼き屋の露店も片付けられてしまっていて跡形もない。過疎と少子化・高齢化の里の秋祭りはこんなになってしまったのか。

 

 ま、そうは言っても、お昼を過ぎて時間になれば、それなりに人も集まってきて賑やかにお祭りは行われるのだろうけれど。

 

 11時過ぎに、さぬき市志度にある「志度音楽ホール」に着いた。11時半の集合ということだったが、別の連絡では11時となっていたらしく、すでに受付とか準備とかが進んでいた。

 

 私ら、駐車場・案内係は、こんなかっこうをするらしい。そんなに凝らなくてもいいのに。ま、お客さんの案内誘導には目立っていいのだろうけれど。

 

 ま、言われるままに着替えをし、打ち合わせのあと、お弁当をいただいた。で、12時前から駐車場の案内・・・。

 

 私はこの入り口担当。左から入ってくる車を、この入り口へ誘導する。思ったより少ないかなぁとは思った。ここも13時で案内誘導はおしまい。講演会が始まるからである。

 

 主催はNPO法人「四国遍路研究会」という団体らしい。私らは「共催」ということで、講演会のサポート部隊。ま、実質、駐車場案内だけでおしまい。

 

 こういう感じで「開会セレモニー」があって、来賓の祝辞や挨拶などが30分ばかりあって、13時半からが記念講演会。 

 

 今日の講演会は、安富本宏先生が所用で来られずに、その教え子の「下泉全暁」先生の講演になった。

 

 下泉全暁先生は、安富本宏先生の指導の下に、この「密教仏像図典」を作られている。なかなかの勉強家で、安富先生の「チベット語」を学ばれたそうだ。

 

 下泉先生は、この、「不動明王」の研究者でもあるらしい。ま、今日は、それではなくて。「四国遍路」のお話になったのだが、先に述べたように、安富先生のものをそのままお話されたので、失礼だが、途中で抜けて帰ってしまった。

 

 と、言うよりも・・・昨夜の夕食の肉料理が合わなかったようで、おなかがグルグルと運動会を始めてしまったのだ。静かな講演会の席で・・・「グルグルグル・・・」の音は少しばかり恥ずかしい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「意味を見つけるほど、楽しくなる!」というもの。福島正伸さんの言葉から。やると決めたら、どうしたら実現できるかだけを考えればいいのである。それ以外のことを考えても無意味じゃないか。夢や目標は、できるかできないかではない。やりたいのか、やりたくないかだけでいいじゃないか。仕事が夢になるのではない。仕事に取り組む自分の姿勢が、どんな仕事も夢にするんじゃないか。仕事を楽しもうと思ったら、どんな仕事も楽しめる。「この仕事はつまらない仕事だ」とか「嫌な仕事だ」と思ったら、どんな仕事もつまらなくなってしまう。私たちが、どのように仕事を受け止めて、どのように仕事を自分自身に活かし、次の世の中に活かしていくか。これはとても大事なことだと思うのだ。仕事というのは、そこにどういう意味があるのか、何のためにやっているか、ということを忘れてしまうと、すごくつまらなくなってしまうのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

どんぐりの 落ちて郵便配達夫

$
0
0

 さぬき市地方は寒気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。台風一過の晴天になるかと思えば曇ったり、薄暗くなったりと落ち着かない天候の一日。気温は18度から23度、湿度は86%から70%。風は7mから5mの北西の風が吹いたりやんだり。明日の7日は、高気圧に覆われて、概ね晴れるらしい。

 

 昨夜から今朝に掛けてそうとうの雨が降ったみたい。すぐそばを流れる津田川がごうごうと音を立てて流れている。水量も相当に増えている。

 

 でも、このあたりはたいした被害はない様子。川の大掃除をしたようなものだ。

 

 ということで、お天気が悪いのに出掛けることは危険だと言うことで、今日も一日、デスクワーク三昧になった。今年は四国霊場開創1200年記念ということで、「四国遍路の闇と影」という、マニアックな作品になる。

 

 で、バックボーンになる原稿は集まったが、先日までは確かにあったファイルの十本ばかりが行方不明になっている。どこに移動したもんだか、どこに格納したもんだか。ひょいとして、間違って全削除してしまったのだろうか・・・。

 

 そうそう、昨日の講演会で、講演会の資料の中に入っていたシール。

 

 こんなシールをいただいても、おじいさんは嬉しくないが、ノートパソコンやタブレット端末にでも張っておこうか。これだって、ちゃんと「四国霊場開創1200年」という字が印刷されている。

 

 午後になると水量はぐんと減って、夕方には平常通りに戻ってきた。

 

 音だって、静かになってきて、虫の声が聞こえるようになってきた。

 

 風で落ちたものか、自然に落ちたものか、あちらこちらにどんぐりが落ちていて、車が通るたびに砕ける音が聞こえてくる。これまた、「秋だなぁ・・」と思う音。

 

 夕方になると、空も明るくなって来て、晴れ間さえ見えるようになってきた。明日はいい天気になりそうな予感。

 

 こういう風景をみると晩秋という気持ちになってくる。いよいよ冬が近くなってくるんだなぁと思うようになる。これからは、朝夕が肌寒くなってくる頃なんだろう。あ、今日は十三夜らしい。らしいが、この雲ではお月様は見えないかもしれない。

 

 今日の掲示板これ。「川は岸のために流れているのではない 川のために岸がつくられているのである」というもの。

 川は岸のために流れるのではない
 川のために岸ができているのである
 子どもは教師のために生まれてきたのではない
 子どものために教師ができたのだ
 子どもひとりひとりの生き方の流れの
 美しさたくましさおもしろさを認め
 それに沿って指導の岸を構築してくれる教師に
 子どもは魅力を感ずる(東井義雄)

 一人で拍手をしてみた。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

台風の 去って山辺の 忘れ笠

$
0
0

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13度から23度、湿度は68%から51%、風は2mから3mの北北東の風が少し。明日の8日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 秋らしい良い天気になったので、香川県立図書館にやってきた。先週だかに借りた本を返却するためだったのだが、このアキニレの様子も見ておきたいと思ったこともあって。ほんのりと紅葉を始めて来ているようだった。

 

 天気がいいのだから、もっと違う場所に行けばいいと思うのだが、その「良いところ」というのが思いつかない。

 

 で、借りていた四冊の本を返却して、また、四冊の本を借りた。その一冊がこれ。

 

 探していた本だった。amazonで探して買おうと思ったのだが安いモノでも2000もするし、高いものになると5,000円もするらしい。必要なのは10数ページだけでいいのだが。

 

 こうした紀州接待講がなぜ生まれたのか・・・などという民衆史である。弘法大師信仰のお膝元から、どうして毎年、たくさんのお接待が届くのか・・・みたいな感動するお話がある。

 

 その後、あちらへ行こうか、こちらへ行こうかと、仏生山法然寺とかの界隈を走ったのだが、結局の薬局で、木田郡三木町とい所にある「手織りうどん滝音」というプチセルフのお店に寄ってみた。

 

 で、ここのおすすめの「まかないぶっかけ小のそのまま」というものを注文した。530円になっていた。消費税が上がってからは30円のアップになったみたい。いざ、食べてみて、麺が多いなぁと思ったが、細麺だったからか、食後、胃がもたれるようなことはなかった。

 

 その後、おなかごなしに、さぬき市前山というところにある「前山ダム」周辺に行ってきた。このダムの周辺に山頭火の句碑が二つあるというのだが、いまだに見つけられていない。ダムの周囲をぐるりと回ってみたが、それらしいものは見えない。こんな、お地蔵さんばかりが幾つも幾つも並んでいるばかり。

 

 で、トイレ休憩でも・・と立ち寄った、この道の駅「ながお」という休憩所。このテーブルの下に何か字を刻んである。

 

 「長尾町 山頭火顕彰会」という字が見える。

 

 おお、これだこれだ。「へうへうとして 水を味ふ」と刻んであるではないか。今日の成果は大きいぞ。しかしのかかし、「笠も漏りだしか」の句碑はまだ見つからない・・・。

 

 午後からもデーターのスキャニング。それをワード文章に落としていく。

 

 こういう作業をしていると時間の流れが速い。あっという間に日が暮れる。

 

 今日の掲示板はこれ。「ゆっくりだからこそ見えるもの えられるものも たっくさんあるよ」というもの。車で走ってしまえば何も見つけることはできないけれど、自分の足で、ゆっくりゆっくり歩いてみれば、思わぬものが見えて来る。あけびの実や落ちたクリの実や、思わぬものが見えてきた一日だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

蕎麦の花 熟れてこぼれる 遍路道

$
0
0

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14度から23度、ぐんと涼しくなった。湿度も80%から54%、風は2mから3mの北北東の風が少し。明日の9日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨日の山頭火の句碑探しがうまくいったので、昨夜の(というか今朝方の)夢見が良かったので、その夢のように歩いてみようということで、五名山村経由で大窪寺に向かった。

 

 途中でおばちゃんが「丁石」にお花をあげていたのでお話を伺った。「普通の道しるべならお花もあげんのやけど、おだいっさんが彫ってあるけん、おまいりするんやがな」と言うてはる。「丁石」というのは、お地蔵さんをほった舟型の石が、道のはしにひっそりと置かれている。これらは,『十丁』とか,『二十二丁』とか、丁数がきざまれていることから,『丁石』と呼ばれている。『丁』とは,昔の距離の単位で、今の距離の単位に直すと,1丁は,およそ109m。ちなみに36丁が1里でおよそ4?になる。

 

 この丁数の増減を、目的とするお寺までの道のりの目安としたのであろうう。丁石は、ふつう、山道にさしかかるところからお寺にかけて置かれ、平地部ではほとんど見かけない。きつい遍路道の山道を、あえぎあえぎ登るお遍路さんにとって、丁石はつかれをいやす、よき道案内となっていたことであろう。

 

 これは長尾寺から大窪寺へ向かう途中、大窪寺のすぐ手前側である。この国道377号線と書いてあるあたりが「八丁石」だろうか。

 

 あと、八丁で大窪寺に着くよ、という目印である。この付近の旧の遍路道沿いに、山頭火の句碑があるらしいのだが、それがわからない。この石の裏側に回って、旧の遍路道に降りてみたが見つからない。

 

 こんな立派な標柱があるのならば、このあたりに建てておいてもらいたいものだが見つからない。蜘蛛の巣を払いながら、遍路道を何度も上下してみたが見つからない。あの夢のようにはうまくいかないのか。

 

 こういう句碑がある筈なんだが、見つからない。上にシダのようなものが見えるので、シダを目標に探したのだが見つからない。「夜が長い谷の瀬音 とほくもちかくも」と刻んである。

 

 お寺に戻って、副住職の「光容さん」に聞こうとしたら、今日からご本尊の特別開帳が始まっている・・・。寺務のおばさんに聞いたら、「地獄谷というのは聞いたことないわぁ〜」と言うてはった。

 

 光容さんも素絹に五条袈裟姿でご法務中。来週あたりに再度、お邪魔することにしようか。

 

 今日もお天気がいいからか、大勢のお遍路さんがおまいりだった。

 

 午後からは、例によって例の如く、データのスキャニング。大正時代に二十四歳の女性がお遍路をして、それを九州の新聞に「娘遍路」という記事を書いて話題になった。「高群逸枝:たかむらいつえ」さんという方だった。その頃のお遍路の記録だからすごい。「お修行」という「行乞」をして、お米やお金をいただきながら回るのだし、病気遍路や悪行遍路もいるし、脱落者や逃亡犯もいるし・・・。そんなあやしい四国路を娘さんのお遍路は歩き続けた。

 

 丁石にお花をあげていたおばあさんと話したことだったが、そういうおへんろさんがいなくなって久しくなった。今のうちにまとめておかないと、やがては記憶から消え去ってしまうことだなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「ときどきは息抜きをする それが生き抜く力となる」というもの。お遍路の先生である「桜谷権大先達」さんが言うことばに、「お遍路は三こうである。健康(けんこう)・観光(かんこう)・信仰(しんこう)である」らしいし、そのお弟子になった白山さんは、「年寄りは、今日行く(教育)、今日、用(教養)が大切でっせ〜」というが、似たような発想だなと思った。私は毎日、息抜きばかりをやっているのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

コスモスに 明日の天気を 聞いてみる

$
0
0

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で雲が広がり、夕方にかけて雨の降る所があるらしい。気温は17度から23度、湿度は92%から78%、風は2mから1mの南南東の風が少しばかり。明日の10日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みとか。

 

 なんか、朝からどんよりとした空気。昨夜の皆既月食は雲に覆われていて全く何も見えなかった。

 

 昔は・・・と言うても少し前のことだが、どこの町にも図書館があった。それが平成の大合併で、香川県東部は、東かがわ市(大内・白鳥・引田の三町が合併)とさぬき市(志度・津田・大川・寒川・長尾の五町が合併)になった。そこで、さぬき市の図書館は、この「寒川(さんがわ)図書館」と「志度図書館」の二つになった。

 

 この寒川図書館にやってきたのだが、ここには、こんな土器がたくさん置いてある。多くはレプリカだと聞いたのだけれど、なんか、図書館らしくない図書館である。ここの職員が、こうした土器を片づけながら本を増やしていったのだとか。

 

 ま、たくさん本は並んでいるが、家庭の本棚の少し大きなものというイメージ。私の読むような本は見当たらないので、かつての町史を何冊か借りて来て、お遍路に関する部分をスキャナーで読み込んだが、午前中に終わってしまった。普通の「遍路史」だった。

 

 「へんろ道」というところにあった一枚の写真。「地獄谷」という説明文だった。ここは大窪寺の隠居所だった場所で、今は墓地になっている。この手前から舗装路に向かっているのが旧の遍路道。ここも何度も確認したのだけれど。でも、「八丁石」からは相当に離れている。

 

 ということで、今日も収穫はなし。午後からは、スキャナーで読み込んだデータの検証と修正作業。気になるのが、お金の価値である。遍路が病気になり亡くなったので埋葬したが、それに銀41匁8分かかった。村でまかないきれず、21か村から2分ずつ集めた・・・と書いてあるが。

 

 二分・・・と言われてもわからない。江戸時代の貨幣価値を調べても、米の価値の一両と大工の工賃の一両とは大きく違う。それに消費財の一両とも、これまた違う。場所、江戸と上方ではこれまた違う。一文が4円という場合もあれば8円という場合もあって、どれがなにやらさっぱりわからん。二八そばが16文だと分かっても、64円でいいのか128円でいいのか、もっとする筈だろうと思ってしまう。かけそばだったらいくらぐらいするんだろう。650円くらいかな。だとすれば1文は41円近くになってしまう。

 

 商業簿記2級では、そんなことは勉強しなかった筈。さすがのGoogleでもわからない・・・。

 

 要するに、お遍路一人を埋葬するのに幾らかかるのかを知りたいのだが、それはわからないと仰るのだ。いい着物を着ていて、金子を持っていた人はお墓を建ててもらえたが、何ももたない人はそのあたりに埋められて笠をかぶせてお墓にし、杖を立てて墓標にした・・・というが、穴掘りはボランティアだったんだろうか。何もなければボランティアしかないか。

 

 そんなこんなで、今日も日が暮れた。秋の日は釣瓶落としだ。

 

 ご近所さんあたりでは、台風19号がやってくるというので大忙しで稲刈りをやっている。この土/日は大雨になるらしい。この週末はまた、所属団体の「彫像会」。京都から仏師をお招きしてお地蔵さんを彫るらしい。私は不器用だからお手伝いだけ。会場設営とか後片付けとかだが、台風接近ではどうなるんだろう。先週もこんなことを言うてたな。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は人との競争ではない」という元マラソンランナーの松野明美さんの言葉である。 ソウル五輪女子1万メートル予選で日本記録、初マラソン世界最高を出すなど、常に1番を目指してきた松野さん。ダウン症の次男の育児を通じて、日々成長する姿や笑顔に触れながら「人生は人との競争じゃない」「一番じゃなくてもいいじゃないか」ということに気付かされたことなどを講演活動で話している。ノーベル物理学賞をいただいた学者先生が話していたが、「人によろこばれるものを作りたかった」という言葉が印象的だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


コスモスひっそりと 咲いている

$
0
0

 さぬき市地方は高気圧に覆われておおむね晴れていたが、夕方からは雲が広がってきた。気温は18度から26度、湿度は90%から59%、風は2mの北北東の風が少しばかり。明日の11日も今日と同じような天候になるらしい。

 

 ふと、机の上を見れば、返却し忘れている本があるのに気がついた。そこでまたもや香川県立図書館にやってきたというわけ。

 

 次第にアキニレの葉っぱが紅葉を始めている。はらはらと落ちる葉っぱをおじさん数人が掃き集めているが、掃いても掃いても落ち葉は落ちる。それでもおじさんたちは掃いては掃いては掃き集めている。

 

 で、今日は「山頭火」についての本を探してみた。すると・・・。

 

 こんな本があった。なんと全国にある「山頭火」の句碑ばかりを集めた本である。総合計で921基もある。香川県には101基もあって、さぬき市内に65基あるらしい。この田原さんという人が全国を歩いて集めた写真集なんだろう。すごいことだ。

 

 こんな感じで建てた人、揮毫した人、寸法まで入っている。さぬき市の「山頭火顕彰会」発行の句碑集に入っていないものまで載っているのだからすごい。またまた、歩き直さないといけなくなった。当然、顕彰会の句碑集に載っていても、この本に載っていないものもある訳だ。

 

 早速に、私のリストにないものをスキャニングしてデータを電子化しておく。文章もテキスト化しておく。

 

 でもだ。山頭火って、どこが良くてここまでもてはやされているのだろうか。

 

 マンホールの蓋だって、何種類もあるし、テレビドラマにもなったし、俳句集は山ほど発行されている。俳句たって、こんなもの、私が作ったら、「あんたはアホか・・・」と言われるのがオチだ。

 

 で、ものはついでだと、昨日の写真の場所、地獄谷に寄ってみた。でも、何の手がかりも見つからなかった。

 

 で、今日の句碑集の該当の部分には、「大窪寺南面の旧遍路道の丁石、石仏のある幻の山頭火みち。赤松家の奥ゆらぎ石の手前、山頭火顕彰会会員の案内が必要」とある。そんな難しい場所に建てなくてもいいやんか・・と思ってしまう。なんのための句碑なんやろうか・・と思ったことだった。しかしのかかし、そのあたりに「赤松家」という家はないのだけれど・・・。

 

 おかげで、今日もお昼を食べそこなってしまった。

 

 このあたりはサルがいないのだろうか、カキやクリがそのままである。田んぼの周囲にはネットが張ってあるので、イノシシの襲来はあるみたい。

 

 そんなこんなで、今日もばたばたと暮れてしまったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。人は「昨日にこだわり 明日を夢見て 今日を忘れる」というもの。真宗大谷派の本多恵先生のお言葉である。過ぎ去った過去にこだわってばかりいて、あるいは明日ばかりを夢見てあこがれ、今なす事を忘れては何もならないということ。過ぎ去った過去は捨ててしまい、まだ来たらずの明日を夢見てばかりでは今がおぼつかない。要は、今の自分を、どう、生ききるか・・・という一点に尽きるというものだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

秋の寺 願行具足の 鐘の音

$
0
0

 さぬき市地方は台風第19号の外側の雲が広がっている。気温は20度から25度、湿度は82%から54%、風は3mから1mの北東の風が少し。明日の12日は、台風第19号の影響で雲が広がり、夜には雨となる見込みらしい。

 

 さて、今日は山頭火の句碑探しの続きをやることにした。何度も来ている87番札所の長尾寺。ここには2基の句碑があるが、3基目の句碑があるというので探しに来た。大師堂前の植え込みの中だという。この手前右に見える小さな石がそれである。

 

 「てふてふひらひら いらかをこえた」という句である。誰がいつ建てたものかはわからない。

 

 次にやってきたのがさぬき市多和助光という地区、旧多和小学校のすぐ横にある「多和農村公園」という所にあるおへんろさん用の休憩所である。ここのテーブルの基礎台にも句が刻んであった。

 

 「こうして旅する 日日の木の葉ふるふる」という句である。これは「山頭火顕彰会」ほかが建てた物らしい。どういう基準で、句碑を建てているのだろうかと疑問におもうばかりだ。

 

 次に行ったのが88番札所の大窪寺の大師堂前。このおへんろさんの金剛杖を置く台である。

 

 ここにも「人生即遍路」の句が刻まれている。これは「杖立建立奉仕会」の設置らしい。

 

 だとしたら、ここにもある筈だ・・・ということでやってきたのが86番札所の志度寺の大師堂脇である。ここに「三尊仏」という讃岐高松藩の若き近習三人をまつる菩薩像がある。その前に、やっぱり、あった・・・。

 

 「ここにおちつき 草もゆる」という句である。これは「白井さんご夫妻」の建立になるらしい。「山頭火顕彰会句碑集」や田原さんの「全国山頭火句碑集」にも載っていない。

 

 そんなこんなで、今日もお昼を食べ損なった。午後からは「おへんろつかさの会」のお仕事で、明日の「彫像会」の会場準備。86番札所の志度寺さんの書院をお借りしての彫像会である。畳を汚さぬようにブルーシートを張って・・・。

 

 テーブルを運んできて並べる。50人分の作業スペースを用意するわけだ。

 

 その上に新聞紙を敷き、ベニヤ板を置く。ここに置かれている木材の塊が「わらべ地蔵」の原型である。これを明日、自分で彫刻刀を使って刻むわけだ。

 

 こういうイベントらしい。私は初参加というか、初のお手伝い。明日もお手伝いになって、朝の会場準備と後片付けまで。空きスペースがあれば、自分でもお地蔵さんを掘ってもいいらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「「思えば叶う」そうなりたい。そうなりたいと信じる。そのように努力する。そうすればそうなる」という高橋福八さんのことばである。車が欲しい、マイホームが欲しいと思ったら、そうなりたい、そうありたいと願い、信じて行動する。努力をする。そうすればやがてにはそうなる。願いだけではダメ。行動だけでもダメ。「願い」と「行動」が一緒になれば、やがてそうなってくれる。これが「願行具足」ということである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

秋の庭 わらべじぞうを 彫っている

$
0
0

 さぬき市地方は、東シナ海を北上している大型で強い台風第19号の外側の雲が広がり、夜には雨が降り始め、13日未明から強風や高波のおそれがあるらしい。気温は18度から25度、湿度は88%から64%、風は1mから5mの東の風が強くなってきた。明日の13日は、台風第19号が北東に向きを変えて接近するため雨となり、夕方からは局地的に雷を伴って非常に激しく降る所がある見込みらしい。

 

 心配された台風19号の影響はまだまだみたい。朝の7時にさぬき市志度にある86番札所の志度寺に集合して、書院をお借りしての彫像会。一応の準備ができたらさぬき市役所に車を移動して、そこからマイクロバスで志度寺に入る。

 

 というのも、この日はこの町にある「多和神社」の秋の例大祭の日。「ちょうさ」と呼ばれる山車が志度寺周辺を通るために交通規制がかかって、車が移動できなくなってしまう。向こうに見えるのが志度寺の山門。車の乗り入れはシャットアウト。

 

 主催者が集めたゲストさんは32名。仏師さんは10名をサポートできるのが精一杯。今回は3人の仏師さんがおいでになるので30名プラスアルファーということで32名。一つの島(グループ)が8名、その島が3つで32名という計算らしい。あと、サポート側、関係者が20名弱。計50名少しの彫像会になった。

 

 先生は京都からお招きした「富田先生」と、そのお弟子さん2名。若い仏師さんである。

 

  今回、使用するのはこういう木曽ヒノキのこうした素材。あらかじめ加工されている。半日、5時間コースではこれでもまだまだ時間が足りないほど。これを三本の彫刻刀で彫って行く。

 

 私も時間があるので、彫ってみることにした。全く、自信はないが、ま、おつきあいという感じ。子供の頃に、こけしを作ることが流行ったんだけれど、私は全く、こけしにならずにトーテムポールになってしまった。

 

 みんな、真剣に言葉を失ったように掘り進めている。

 

 まず、合掌する手の部分、顔、頭、耳、鼻あたりが午前中の作業。これが難しい・・・。みんな、安全のために利き手の反対側の手には手袋をしている。これも貸してくれる。彫刻刀も。

 

 この人が、彫像会の発案者兼責任者の「長尾さん」。いつも作務衣姿の世話役さん。

 

 こちらが女性仏師の「木村さん」。みんな、困ってもいないのに、「すみませぇぇん~」と、この木村さんを呼ぶ。すっかりと彫像会のマドンナになっている。ファンクラブまでできたようである。

 

 お昼は、この「無染庭」という、このお寺の自慢のお庭を見ながらのお弁当。この周辺にはお店もコンビニも売店もないので、各自それぞれのお弁当持参での彫像会である。

 

 午後になると、飽きてきた人や、余裕ができてきたのか、会話が多くなって、無駄口や冗談も飛び出すようになる。

 

 私の、こんなだった木のかたまりが・・・。

 

 こんなになってきた。まだまだ、荒削りだが、時間オーバー。

 

 最終はこんな形になる予定。なかなかにお地蔵さんを彫るにも時間がかかるなぁと思ったことだし、素養もセンスも努力とかひらめきとかも必要だなぁと感じたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「気にせず、苦にせず、あてにせず」というもの。これができたら、どんなにか人生は楽しいだろうと思うのだが、なにかことがあれば気にしてしまうし、少しのことでも苦になるし、そういうときには誰かをあてにしてしまうもの。ま、そうでありたいなぁとは思う今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

濡れ伏した すすきに今日の 夢を見る

$
0
0

 さぬき市地方は、大型の台風第19号の影響で、激しい雨の降っている所があるらしいが、今の所、雨も風も靜かなものだ。台風は高知県宿毛市に上陸したらしいが、こちらは雨は小雨状態。でも、すぐそばの津田川はごうごうと音を立てて流れている。夕方からは、雨や雷雨となって非常に激しく降る所があるらしい。明日の14日は、台風第19号の影響で未明まで雨が降る見込みとか。その後は寒気の影響で雲が広がるらしい。

 

 そういうことで、今日は缶詰状態でデスクワークの日となった。「雨の降る日は、雨のよに、風吹く夜には 風のように、晴れた朝には 晴れやかに~」である。

 

 で、金曜日、土曜日あたりに見つけた山頭火の句碑を句碑集にまとめる作業をやっていた。志度寺、長尾寺、大窪寺の大師堂脇にあったものや、農村公園になったものなどを、ワード文書で本にまとめる作業である。

 

 そうそう、さぬき市長尾にある宗林寺さんは先代住職さんが俳諧の寺ということで、多くの句碑を乱立しているのだが、今度の住職さんはあんまり興味がないらしいが、先日は暇だったものか、30分ばかりも話し込んでしまった。おかげで句碑探しはできずじまいだった。ここも改めてお邪魔して探さねばならないものが6基も見つかった。でも、ないものないのだけれど。

 

 でも、その住職さんの話では、句碑の拓本を取る人が大勢やってくるんだそうだ。それも女性の方が・・・。で、トイレに困るのだとか。とにかく独り者の住職さんだから、掃除も庭掃除もやっていなくて、荒れ放題のお寺のようなもの。トイレの掃除もできなくて・・・と悔やんでいた。

 

 雨は強くなったり弱くなったりしながら終日降っている。迷犬ごんは「雨だからボク、行かない・・」と、小屋の中で眠っている。夕方の散歩も行かないのだろう。エサも食べずにじっとしたまんま。

 

 さて、興正寺松別院での講演会の依頼が入った。演目は「さぬきの二十四輩さん」である。一昨年かにも別院で講演会をやったのだが、その後、何を思ったのか、パワポの資料を消してしまった。だから、またも最初から作り直しになる。ま、三週間もあるから大丈夫だろうとは思う。

 

 讃岐・・・香川県内には四十四ヶ所の二十四輩さんの遺跡がある。それを全部、紹介するとなると、場所と概要だけになってしまう。ま、最初は、「二十四輩とは何か」から始まって、なぜ、讃岐に、そのようなものが設置されたのか・・という所からお話を進めないといけない。

 

 ま、パワーポイントという便利なものがあるので、これを利用しない手はないというもの。すっかりとパワポの講演会や法話にもなれたもの。要は構成とストーリーをどうするかということやね。でも、こういうお話にはストーリーもないか。

 

 作業の方は、最初の導入部分は終わった。明日からは、それぞれの二十四輩遺跡を順番に一シートごとにまとめる作業。テキストも画像もホルダーごとにまとめてあるのでそんなに心配はいらない。

 

 テレビ画面では四国全体が赤い暴風雨圏内に入っているが、風も雨も静かなもの。このまま、通過してくれればいいのだが。奥方も今日は午後からはお仕事を断ってお昼寝の最中。鼻風邪だというので寝てばかりいる。

 

 さすがに今日は防災工事はお休みをしていて静かなものだ。最近は岩盤地帯に当たったものか、削岩機の音が「カンカンカンカン・・・」と賑やかなのだが。

 

 台風は我が家の上空を通過するらしい。とうとう、大雨・暴風・波浪警報が出たらしい。そういう雰囲気はまるきりないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「悟ってみれば 仏も下駄も同じ木の片である」という一休さんの言葉らしい。別に悟らなくても、仏像も下駄も同じようなただの木片に過ぎない。仏像は人にあがめられるが、下駄は人の足に敷かれる。けれども、元を正せば、どちらもただの木に過ぎない。物事の本質を捉えれば、つまらない事にこだわらずに生きてゆくことが出来る。そうすれば、本当に大事なことが、見えてくる。少しずつでも、つまらないこだわりは、捨ててゆきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

高のぞみ 無理なんだろうか 秋の庭

$
0
0

 さぬき市地方は寒気の影響で雲が広がっていたが、雲間から太陽がこぼれて晴れ間もときおりみられた。気温は17度から20度どまりの肌寒い一日になった。湿度は79%から56%、風は6mから4mの北西の風がひんやりとした。明日の15日は、日本海に中心を持つ高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 台風一過、たいした影響もなく靜かな朝になった。昨夜、21時過ぎには台風も過ぎて、雨戸を開けて安堵したことだった。田んぼも稲もないので、そんなに心配することもなく穏やかな夜だった。

 

 ということで、朝の間は、研修会用のパワポ資料の作成。讃岐の二十四輩の導入部分が7シートほどできていたので、今日はそれぞれの場所にある遺跡をまとめる作業に入った。

 

 以前に作った、ワード(Word)文書から画像とテキストをコピペで、パワーポイントに貼り付けて行くわけだ。こうすれば省力化できる。

 

 そういう手法で、香川県の東部から松地域から綾歌郡を終えて、ほぼ、三分の二を終えた。明日は坂出市から丸亀市などに入って、三豊市まで行けばおしまいになる。でも、これを1時間で説明するには情報量が多すぎる。

 

 さて、台風の被害といえば、この水中ポンプ1台が流失した。ま、年代物で、時価としては鉄くずにもならないもので、故障しているのをだましだまし使ってきた。だから、流れても惜しくはないのだが、新しく買うとなると、なんだか悔しい。

 

  で、奥方のお買い物のついでにホームセンターをのぞいてきた。ま、2万円から3万円ほど。安いものではホースの径が細いし、パワーが弱くて20mものホースを登ってこない。奥方の野菜畑専用だから、けいこばぁも仕方がないと予算の組み替え中。

 

 ということで、さぬき市造田宮西にあるプチセルの「溜(たまり)うどん」に寄ってみた。

 

 私はいつもの「溜うどんの小」を注文した。今度は違うものを・・と思うのだが、カウンターの前に立つと、ついつい、「たまりの小」と言ってしまう。

 

 これに専用の「溜まり醤油」を回しかけて食べる。とろろと梅干しと醤油がうまくミックスされて、まろやかでつややかなおうどんになる。370円だか380円だかになっていた。

 

 お店の片隅にはこんな骨董品も展示してある。ま、あんまり、これに目を止める人もいないのだけれど。

 

 お米を精米したり、ドラッグストアで食材(?)を買ったり、郵便局に立ち寄り、農協さんのATMで記帳したり、スーパーでお味噌を買ったり、薬局で鼻風邪の薬を処方してもらったりと慌ただしい。

 

 午後からは、またしても山頭火の句碑巡りの整理作業。こちらはワード文書で、印刷製本用の原稿になる。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の世は あせらず あわてず あきらめず」というもの。これまら、誰の言葉かわからない。古くから口づてに伝わってきた詠み人知らずの言葉だろうか。ま、そうはありたいとは思うのだけれど、ついつい焦ってしまったり、慌ててしまったりしてしまうもの。そうしてやり始めてはみたけれど、あきらめてしまったことがらもまた多い。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

Viewing all 3558 articles
Browse latest View live